オセチ
私誰 待文
肉(約9,000字)
「久しぶり
東口を降りた先で迎えてくれたのは、旧友である
「お前は
「そう? 少しは成長したと思うけど」
それから俺は何を言うでもなく、誠滋の後について行く。向かう先には、一台の銀のワンボックスカーが
間違いない。俺は地元に帰ってきた。
● ●
二年の空白は、少しだけ二人を変えていた。俺は東京で寮生活を初めて、身だしなみに気を付けるようになったし、
「お前、免許取ってたんだな」
隣に見える誠滋の横顔は、
「東京みたいに交通網が発達してる訳じゃないからね。免許は生命線さ」
それから俺たちは
冬の陽光が窓越しに差し込む。背もたれに身を
帰ってよかった。安直だけど確かな実感を、心の中で口にした。
「——
赤信号に差し掛かり停車した車内、隣の誠滋が
「あぁ。日々
「そっか。いいなぁ」
遠くの景色を眺めつつ、誠滋が呟く。
俺の地元は、東京から五十キロ北に
そんな故郷に魅力を感じなくなった俺たちは高二の秋、一緒に上京しようと
だけど。
「
「うん。お父さんはまだその時じゃないって雑用を押し付けるけど、いつになればその時がくるのか、分かんない」
大学に落ちた誠滋は実家の和菓子屋を継ぐため、地元に残った。誠滋を置いて一人上京するのがずるい気がして、俺は
誠滋は、今の俺をどう思っているのだろうか。抜け駆けして東京へ出て、二年間帰ってこなかった俺を。
「
ハンドルを左に切りながら誠滋は微笑む。その言葉で、俺が地元に帰ってきた理由を思い出した。
● ●
「いらっしゃい。見ない間にいい男になったねぇ」
出迎えてくれたのは
「すみません。三が日も終わったっていうのに、呼んでいただいて」
「とんでもないわ。うちのお
「いえいえ。家族と
「お邪魔します」
形式的な
誠滋が最初に腰を下ろしたのは、広いリビングの
張り詰めた
無言で立ち上がった
● ●
リビングには
「お父さん覚えてる? 小学校のころよく家に来てた
誠滋の父はソファへ横になりながらテレビから流れる漫才番組を見ていたが、俺の姿を確認するとむくりと体を起こし、僕へ握手を求めてきた。
「久しぶりだね。うん、好男子らしく
お父さんの評価はどこか独特だと思いつつ、俺は
「待っててね。今お
いうや否や、誠滋の母はリビングの引き戸を開け、キッチンルームへと消えていった。俺の座る位置からだと流し台しか見えないので、どこにお節とやらがあるかは知らない。
「千夏くーん、お酒は飲めるー?」
キッチンルームの死角から、誠滋のお母さんの声が
「まだ飲めません。六月以降なら大丈夫ですけど」
「お母さん、千夏は俺と同級生だよ?」
数分後、数本の飲み物とお節を
こうして、俺と
● ●
「それじゃあ、肝心のお
その時、目の前に現れたお重を見て、俺は我が目を
目の前に現れた具材は、オニオンソースのかかったローストビーフのみだった。
『お節が余りそうなんだけど、よかったら食べにこない?』
二年越しに来た連絡にしては突飛な提案だと思ったが、俺は数分考えた後に承諾した。別によその家のお
久しぶりに
だからお
その後も続々とテーブルに並べられるお節。二の重には脂身の少ない牛肉で巻かれたフライドポテト数本と、たれの
● ●
「えっ」
思わず混乱が声に出てしまったのをよそに、
「せ、
予想外のラインナップに、俺は誠滋を呼び止めてしまう。誠滋はフォーを一口分コーラで流し込んだ後、俺へ向き直った。
「どうしたの?」
俺はきょとんと見つめる彼の
「いや。お
すると誠滋はしばらくテーブルに並んだ肉塗れのお節を
「うちのお節料理は、毎年こんな感じだよ」
毎年。俺は言葉の意味を考えつつ、目の前の肉のオードブルを見回す。見ているだけでくどさが伝わる重箱の料理たちを、彼は毎年正月の時期に味わっているのだ。二年前の正月も、その以前の年だって、彼ら一家は肉を重箱に詰めていたのか。
「贅沢だな」
抑えきれなくなった感情を、彼らに聞こえない声量でぼやいた。
「
ビーフストロガノフを
俺は扇状に広がった肉お
ローストビーフは美味かった。
「めっちゃ美味いな」
「あらそう、お口に合ったのならいいのだけれど」
肉巻きポテトを小口に食べるお母さんの口調はどこか、不満を
「誠滋、ありがとな」
「なにが?」
「さっきも言ったけど、めっちゃ美味い」
「そっか、
それでも慣習は簡単には変えられない。それをどうにか打開したくて、誠滋は俺を呼んだのだろう。だとしたら、俺は彼の期待に応えなければいけない。
俺は笑顔を努めながら、お
● ●
牛肉は美味い。しかし、食事は常に釣り合いを取りつつ摂らないといけない。俺の胃袋は次第に肉と油のくどさに
俺と誠滋も箸を運ぶ時間よりも、口を動かす時間が次第に増えていた。
「本当に全部美味かった。素材も去ることながら、お母さんの料理が美味いんだろなぁ」
「まだ残ってるけど?」
「箸休めだよ。昔みたいに肉ばっか食えたりしない」
「
「俺は客人だけど、誠滋は毎年牛肉三昧だろ。
最後の方はお父さんには聞こえない音量で話す。
すると、肉じゃがを取ろうとしていた誠滋の手が止まった。
「牛肉自体は嫌いじゃないよ。ただ」
「ただ?」
「他の肉と比べて美味しくないんだ」
目線を下に落としてぼそりと話す誠滋。毎年牛肉を
「誠滋ほどになると、色んな肉食べてるんだろーな。“
「うん。牡丹肉は
「えっ?」
思いがけない一言に、箸が止まってしまった。俺が桜肉を食べたことある? 意識的に食べたことなんて記憶の中では一回もないはずだが。
「ほら、七年前ぐらい前、中学の進学祝いで
誠滋に言われて、ようやく記憶の深層から忘れていた物を
確かに俺は約七年前、中学への進学祝いと称して、家にやってきた
「というか誠滋、さらっと『実家から送られてきた』って言ったけど、本当?」
コーラを一口飲み、
「母さんの実家が畜産農家で、毎年の年の瀬にお肉が送られてくるんだよ。食べきれないほどの量の肉を」
「その中に牡丹肉とかもあるのか?」
「うん。十二種類
「だいぶだな!? 土地とかどうなってるんだよ」
「母さんの方のおじいちゃんが村長で、ある程度村の中の土地を自由に出来るんだって。昔はおじいちゃんたちに会いに行ってたけど、村全体が牧場みたいだった」
何だか尋常ならざる背景を感じるが、これ以上は一大学生が
「
何気ない質問。
だがそれを聞いた瞬間、誠滋の瞳がギラリと
「そんなの決まってるよ! 十年くらい前に食べた“あの肉”。あれを口にした瞬間、僕の世界が、価値が、全てが狂うほど美味かった!この世の何よりも甘美で
呆然としてしまう。目の前の誠滋は先ほどと打って変わって、
「そんなに
「毎年?」
「ほら、誠滋が毎年お
「牛肉は今年だからだよ」
さっきまでの欣喜雀躍した彼とは打って変わった誠滋の様子に、思わず固まる。
「は?」
「今年は丑年だから」
● ●
「トイレに行ってくる」とだけ言い残して、
誠滋のお母さんは誠滋と食事をしている間中、ずっと皿洗いをしていた。そんなことあり得るのだろうかと思いつつも、ひょっとしたら俺と誠滋の時間を邪魔しないように気を使ってくれているのではないかと納得する。
俺はリビングでちまちまとお
「今年は丑年だから」。言葉通りに
振り返れば
不審な点の謎が
もしかして。
単純に当てはめれば、誠滋一家に毎年
ならば約十年前。
俺は確実に時を
丑、子、亥、戌、酉、申……。
● ●
「なぁ」
「今年は牛肉が送られてきたんだよな」
「うん」
「
「そう」
「中学の進学祝いで食べたのって」
「桜肉。馬肉だね」
ここまでの事実確認で、俺の疑念は確信に変わった。
照り輝くソースのかかったビーフを食す誠滋に目を据えて、俺はこの家に訪れてから抱いた最大の気がかりを、日常会話の温度で
「じゃあ、約十年前に食べた“狂うほど美味かった肉”って」
返答を待つ間、俺は対面の誠滋を注視する。
一切れのビーフをしっかりと
落としこんだ肉の消化活動にあてる間、
「龍だよ」
● ●
過去に所属していた部活動を答えるような、平々凡々の返答。一瞬、自分の質問がおかしいのかと錯覚してしまうくらい、
「龍って、あの?」
「そう。細長い蛇みたいな神獣。空を飛んだり、雨を呼び寄せたりするアレ。
自分でも分からないほどに、心拍が強くなる。一呼吸のスパンが速まっている。どうして俺は今、
あくまで談話のテンポを
「冗談、だよな?」
俺の作り笑いを知ってかしらずか、誠滋も間の抜けた微笑みで言葉を返す。
「冗談でこんなこと言わないよ」
彼の眉がピクリと、張り詰めた
「でも、だって俺」
本当に話していいのか? もしかしたら俺が十九年間の人生で食べてこなかっただけで、俺が十九年間の人生で偶然知り得なかっただけで、世間では当たり前の食糧なんじゃないか?
それでも俺は、自分の常識を確かめるように、
「だって俺、龍の肉なんて見たことも食べたこともないし——」
● ●
瞬間、世界の音が停止した。
五秒前まで談笑していた
テレビを
台所で洗い物をしていた誠滋の母が。
テレビの中で漫才を
仏間から見える誠滋の祖父母の遺影が。
全てが俺を異物と
● ●
そこからは何もなかった。
「えっ」
何が起きたのか分からずに、俺は
今度はソファへ視線を移す。誠滋のお父さんもテレビを
気味が悪くなって視線を
何かおかしなことをしたのか? マナーに反する言動を、知らず知らずのうちに行ってしまったのか?
答えを知ろうにも、訊ねる行為は無駄だと理解してしまう。
「すみません、大学から奨学金の書類について確認したいからって、連絡が来たので……もう、行かないと」
その場しのぎの
今の俺には何も聞こえなかった。テレビから流れる漫才の音も聞こえない。キッチンからの水流の音も聞こえない。外は車のエンジン音も聞こえず、笑い声も、鳥のさえずりも、外を吹く寒風も聞こえない。何より、
そして、俺は視線を感じ続けていた。それはついに誠滋一家のみならず、何もいないはずの俺の正面や
気持ち悪い。居心地が悪すぎる。
「お邪魔しました」
玄関で
送りは行きと同じく、
ワンボックスカーに
赤信号に車が止まる。無言が車内に充満している。
窓の外を
隣の車からも視線を感じる。俺を許さない視線だ。
やはり正直に告白すべきではなかったのだ。疑念を感じたらそのまま内に
深海に引きずり込まれたように、音は何も聞こえない。俺は目を
● ●
俺はもう一度
助手席のドアを開け、外へと出る。無数の姿なき視線に
「
ふと、無音の世界に声が
振り返ると、助手席のドアを開けたまま、誠滋が運転席から俺を見ていた。
「三年後。新社会人だよね」
何も反応を返せない俺を気にせずに、
「来なよ。食べよう。龍の肉」
その言葉を最後に助手席のドアを閉めると、銀色のワンボックスカーは無造作なエンジン音を鳴らしながら、駅を去っていった。
車の姿が見えなくなるころ、世界は元に戻っていた。
オセチ 私誰 待文 @Tsugomori3-0
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