Part 4

 ザバッ、ザバッと水面を割る音がした。

 マカラの前に、混濁沼に巣喰っていた《魔》が続々と姿を現したのである。


 疾風岩魚しっぷうがんぎょ

毒散竜巻どくさんたつまき

  万目円鮒まんもくえんふな

糜爛剣蛸びらんけんだこ

  鉄鰭怪力てつひれかいりき

紅足粉固べにそくふんこ

  妖葉緑髪ようようりょくはつ


 どれも、持国の一撃では倒せない《魔》ばかりだ。


 これでは、マカラを生け捕りにするどころか、近づくことすら出来ないだろう。

 ――終わりか。無理にでも軍を連れてくるべきだったか。


 突然、空から調べが聞こえてきた。弦をはじく美しい調べ。誰もが聴き惚れ、そのまま陶酔の域にまで連れ込まれてしまう調べ。


 持国は、その調べの音の流れに魅了され、その場に佇んでしまった。

 マカラも《魔》の群れも同じだった。みな動きを止め、一心不乱に聴き入っている。


 奏でているのは翼はためくガンダルヴァ――須弥山の最高楽士。ふだんは宮殿で楽器を弾いている。鳥人は、金色の弓型の琴を法力で現出させ、最も美しいとされている調べを奏でていたのである。


 やがて、調べは終わった。


 みなが余韻にひたる中、ガンダルヴァは両腕に力を入れて金色の弓型の琴を壊してしまった。


 長短さまざまの金色の弦が、ぱらぱらと広がりながら落ちてゆく。

 沼に落ちる寸前で、それらは意思を持っていたかのように空中を浮遊し、マカラと《魔》の群れに、一本ずつ突き刺さった。


(持国様、痺れの法力を使いました。しかし、それも一時のこと。マカラを撃つのは今しかありません)ガンダルヴァの思念が届く。

 

《魔》の群れは、時が止まったかのごとく微動だにしない。マカラもまた。

 ガンダルヴァの法力と最上の音楽の力が合わさって、マカラの法力を超えたのだった。


 ――やはり、宝珠を抜き取るしかないだろう。

 持国は、その事をずっと考えてきた。彼の推測では、マカラの体内から宝珠が無くなりさえすれば、もとの姿に戻るはずであった。


 ――もう、これに賭けるしかない。

 持国は左手で持った剣を高く掲げ、右手で印を作った。人差し指を鍵型に曲げ、薬指を伸ばした形。それが彼自身を表す印相だった。

 彼は右手を剣に付けた。そうすると剣は、全体にうっすらと青い火を帯びた。さらに剣を持ち替え、左手でも同じ事を繰り返した。

 剣は、青い火が燃え盛るものに変わった。


(ガンダルヴァ、来てくれ。我を運んで欲しい)持国は思念を放った。


 だが、宝珠はマカラの体のどこに有るのだろう、持国は考える。マカラにとって一番大事なところだろう。頭か、胸か。しかしそれでは、マカラの命も絶えてしまう。宝珠を取り出す意味がなくなってしまう。では、どこに有ればいい……。


 ガンダルヴァは、まだ来なかった。

(どうした。早く来い)持国はもう一度、思念を放った。


 その時、ガンガーのやさしげな顔が持国の頭の中に浮かんだ。それは、ひらめきのようなものだった。

 そうだ。マカラにとって一番大事なところは――時国は思う。頭でも胸でもない。愛してやまない主を乗せるところ、マカラの存在する意義が最も発揮されるところ――そこに、宝珠は宿ったはずだ。


 ガンダルヴァが、ようやく持国の傍らに降り立った。

「遅いな。まあ、いい。我をマカラの頭上まで運んでほしい」

 ガンダルヴァは、不服そうな表情で持国に背中を貸した。ガンダルヴァの体からは、清涼な香りが立ちのぼっていた。


「マカラの前で、マカラのようなことをする。はっきり言って恥辱です」

 ガンダルヴァは、そう呟いて、しぶしぶ飛び立った。


 持国の視界は、澄んだ空の色に満ちた。下方に目をやった時、片隅に遠くピシャーチャの影と百羽水玉ひゃくばねすいぎょくらの闘っている姿が映った。闘いは、まだ続いていたのだった。持国には影たちの方が、わずかに優勢に見えた。


 怪魚の頭上まで移動する。


「背びれのすぐ後ろのところまで……よし……ここでいい」


 持国は飛び跳ねた。ガンガーが乗っていたところを目がけて。

 両手で剣を持ち、下に構える。

 ――貫いてくれ、青い炎の剣よ!

 剣は、彼の狙ったところに突き刺さった。硬い鱗は貫かれた。柄の間際まで入り込む。剣の周りが、ばっと燃え上がった。



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