混濁沼戦闘記
青山獣炭
Part 1
切るというよりは、踊っているかのような剣の動き。
ねちゃねちゃな、半ば液体のような肉が切り裂かれる。
肉の小片が、持国の青色の頬に飛んだ。と同時に、臓物の腐った臭い。
「ちっ」
持国は気持ち悪さに耐えながら、自らの背たけよりも大きい肉の固まりを刻み続ける。
彼が戦っている相手は、
そやつは、いくつもの葉を自在に伸ばし、甲冑で身を固めた持国を包み始めた。
持国の剣の動きが早まった。
だが、彼の姿は少しずつ、肉の葉たちの影に隠れてくる。
ぐおり。
妙な音がして、
ピシャーチャ――口からはみ出した牙、鋭く伸びた爪。人を喰らう小鬼。持国の従者だ。
小鬼は早くも花の中に埋没している。牙と爪で、めちゃくちゃに引っ掻き回しているのだ。
持国らの後方に広がっている沼の水が、波打ちざわめく。
(まずい。仲間を呼んでるぞ)持国の思念が放たれた。
沼の向こう岸の森が、遥かに霞む広い沼地。その沼に赤錆びた光が落ちて、夜の近いことを知らせている。
ブオーム!
車輪状の物体が、空中から曲がりながら飛んで来て、
投げつけた者は、ガンダルヴァ――黄金の翼をはためかせ、上半身は生身の男、下半身が鳥の姿の者。須弥山の最高楽士。赤い色の皮膚をした彼もまた、持国の従者だった。
めり込んだ法輪から無数の梵字が浮き出て、虫のように
やがて、皮膚も体内も梵字に満ちた
後に残ったのは、いかめしく突っ立った持国。甲冑は、きつい臭いの肉片だらけだ。
水たまりのようになった
沼の波の動きがおさまり、鏡のような水面を取り戻す。
「あのね。これね。食べていいかな」
ピシャーチャは、大きな瞳を輝かせながら持国に訊いた。
「喰らうのか。これを」
小鬼は、うなずくと口から白い煙をはいた。煙の中には発光する粒々が混じっている。
煙は昇ることなく下に向かってゆき、屍を這うように回りはじめた。
やがて――。うら若い女の裸体が出現した。死んでいるとは思えないほど、肌に艶が入っていて、なまめかしい。
バサバサッと音がして、ガンダルヴァがその裸体の傍らに降り立った。
金色の羽が、ひとつふたつと裸体に舞い落ちる……。
「ピシャーチャ。食す前にしばらく眺めさせて下さい」
「わかった。ピシ、しばらく待つよ」
持国は大きなため息をついて、鎧にこびりついた肉片を剥がしはじめた。肉片の中には、まだ蠢いているものもあって、持国はひどく不快になった。
鳥人は、裸全体を舐め回すように眺めた後、目を閉じた。涙が、あふれでる。
「美の極致だ。だが儚い」
その言葉を待っていたかのように、ピシャーチャは女体にかぶりついた。
持国とガンダルヴァは、その有り様が視界に入るのを避けるかのように背を向けた。
「もう少し法輪を早く投げるわけにいかないのか」
「仕方がないでしょう。法輪を作り出すのには、時間が掛かるのです。あまり急ぐと、不完全なものになります。私は、それを好まない」
「それは判っているが」
会話の間にも、ピシャーチャの食事の音が、持国の耳に届いていた。気分のいいものではなかった。
「さて。私も食事に行ってまいります。このあたりに良き香りがあるといいのですが」
鳥人は、きらびやかな翼をはためかせると、いずこへと飛び去った。
彼の食べ物は、香りだった。食べ物とは云えないかもしれない。花や木々、動物たちの香りだけが持っている芳醇な精気を吸って生きているのだから。
持国は鎧の掃除が終わると、その場に坐り込み、腰に下げていた革袋から干し肉をひとつ取り出して食べた。
口にすると、質の良い油の旨みがひろがり、飲み込んだ後には、ほのかな甘みが残った。
持国の住む賢上城で飼育されている、三足豚のマナクリーヤの肉だった。滋養に満ち、少量でも栄養が摂れる。こういう任務には重宝する食べ物だった。
「腹いっぱい。もう喰えないな。残りは明日にする」
胃がふくらんで球のようになったピシャーチャが、持国の側にやってきた。
「そうするといい。今夜はここで眠ろう」
「ピシ、寝るよ」
そう言うと、ピシャーチャは横になり、瞼を閉じた。すぐさま、いびきが聞こえてくる。
持国もまた横になった。湿った土の感触が、鎧を通して体に伝わる。
彼は兜を取り去った。頭頂部に出っ張った飾りがあって、中が空洞になっている型の兜だ。
身につけておいた方が、安全なことは判っているが、被ったままだと、どうにも眠れそうにない。
兜にも先ほどの肉片がいくつかこびり付いていたので、持国は念入りにそれを払ってきれいにした。
粗末に扱うわけにはいかない。この兜は、彼が心酔する千手観音から賜ったものなのである。
持国は複雑な思いだった。それは、彼の弱さの証しでもあったからである。
四天王の中で、兜を被る者は持国だけであった。確かに他の三者に比べて力は明らかに劣っている。
その弱さを目に見える形でさらけ出すのは、彼にとって屈辱だった。だがその一方で、四天王の一人として本当にふさわしいのか疑問に思っている自分もいた。
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