エピローグ

エピローグ

 平日の午後はジムも人が少ない。

 利用者が二人しかいないトレッドミル、世間一般ではランニングマシンとして知られる機械の列をカウンターからぼけっと眺めていると、明るい挨拶が聞こえた。


「こんにちはー!」


 聞き慣れた、元気いっぱいのチャーミングな声。もう三十歳は確実に過ぎたはずだけど、もちろん見た目もほとんど変わらない。若返りの特殊なサプリメントでも使ってるんじゃないだろうかと、たまに本気で思わされる。


「お疲れ様です、サクラ先生」

「お疲れ様。ねえ、これ見て。今度、私が監修した新しいプログラムなの」


 にこにこと、まるで自分がレッスンの参加者みたいな笑顔で寄ってきた長峯さくら先生が、派手なパンフレットを取り出した。五年ほど前、インストラクター日本一を決めるコンテストで見事に優勝を果たしたサクラ先生は、今や全国どころか海外からも出張レッスンやイベント出演のオファーが届くカリスマインストラクターだ。大手の会社と契約して、こうしたレッスンプログラムの開発も行っている。


「へえ。アイドルとコラボですか」

「そう。昭和から令和までを股にかけた、人気アイドルのメドレーに合わせたプレコリオ・ダンスエアロ」

「楽しそうですね」


 プレコリオというのは名前の通り、あらかじめ振り付けが決まっているレッスンプログラムだ。イントラさんは自分で振り付けを考える必要がないし、お客さんの方も別のクラスや施設に移っても、レッスン名さえ同じならすぐに参加できるというメリットがあるため、最近はうちのような公共施設でもよく導入されている。


「あ! 令和のアイドルってことは――」


 すぐに連想して、サクラ先生が渡してくれた真っ赤なパンフレットを広げてみる。案の定、二つ折りになったA3サイズの内側、左側のページにそのアイドルグループが歌うナンバーも含まれることが紹介されていた。ご丁寧にもどこかのドーム球場で行われたらしいライブ風景の写真まで付いて、まるで主役みたいな扱いだ。


「あ、でもパンフのレイアウトにまでは口出してないからね。デザイナーさんが勝手にそうしたんだよ」

「まあ、ほっといてもこうなるでしょうね。でもこの曲だけは、振り付けもサクラ先生が自分で考えたんじゃないですか?」

「もちろん。じゃなかったら、むしろ本人に怒られちゃうよ」

「たしかに」


 二人して笑いながらライブ写真に目を凝らす。二十人ものメンバーから構成される国民的アイドルグループの最前列、センターを務める子のすぐ脇という定位置に、「ツンデレリーダー」の愛称で大人気を誇る彼女の姿もあった。


 ――ぶっちゃけあたし、アラサーなんですけど。


 などとこの前もぼやいていたが、これまた全然変わらないツインテールと青い瞳、そしてそれがばっちり似合う「ザ・美少女」なルックスは、彼女もまた時間の流れが緩やか なのではないかと疑いたくなってしまう。


 流れが遅いどころか、巻き戻した人を知ってるけど。


 笑みを少しだけ苦笑に変えて、ツンデレリーダーの彼女――マユさんが命名したといわれるグループ名と宣伝文句を眺める。


《大人気、『ABC―NEXT』の最新ナンバーも収録!》


 大学へ進学してすぐの頃、買い物に出かけた東京でスカウトされたマユさんは、ほどなくして『ABC―NEXT』の初代メンバー兼リーダーとして芸能界デビューし、あれよあれよという間にスーパーアイドルとなってしまった。ルックスだけでなく、本人は素でやっているはずのツンデレかつしっかり者のキャラクターがなぜか老若男女から大人気で、メンバーの中ではファン層がもっとも幅広いのだとか。ちなみに身の程知らずにも彼女に言い寄ったどこぞの男性アイドルがいたらしいが、物理的にも精神的にも痛い目に遭ってすごすごと引き下がったという噂もある。さすがに直接訊いたことはないけれど。


 と、カウンターの内側に置いてあったスマートフォンが震えた。


「あ、私もだ」


 サクラ先生もポケットから自分のスマートフォンを取り出す。


「噂をすれば、ってやつみたいです」

「だね」


 使い始めてからもう十年以上経つグループチャットに、マユさんからのメッセージが届いたところだった。


《お疲れ様。今夜の見回り、無事に行けそう。ギリギリになっちゃってごめん!》

《そっか。今週は生放送ないって言ってたもんね》


 サクラ先生がすぐに返信する。


《うん。今日は新曲のリハのみ。けど、もう大体終わったし、夜は予定通り空くことが確定したの》

《良かった! でも無理しないでね。忙しいんだから》

《ありがと。サクラ先生もね》


 十年経っても二人は姉妹のように仲良しだ。スクリーンとサクラ先生の顔を微笑ましく交互に見つめていると、彼女たちの会話がさらに表示されていく。


《あ、そうだ。ファンからのプレゼントで、いいものもらったからあげる。夜、持ってくよ》


 添付された画像を見て、リアルと同時にサクラ先生が《わあ!》と反応する。


《見たことない催涙スプレー! きっと新製品ね! 使うの楽しみ!》

「いや、あの、サクラ先生……」


 やっぱりこの人たちは時間がほぼ止まってるんじゃないか、と呆れかけたところで《マサキ》と自分も呼びかけられた。


《はい?》

《先に着いたらアメリカンドッグ買っといてもらっていい? 時間的にちょうど、揚げたてができてるはずだから。ついでに奢ってくれると嬉しい》

「パシリどころか、たかりまでしないでください!」


 今度は口と指を同時に動かして、画面の向こう側にいる国民的アイドルに思いっ切りつっこんでしまった。お客さんがほとんどいない時間で良かった。


「まったく、これじゃどっちが悪者だかわかんないじゃないですか」


 画面から顔を上げて唇をとがらせると、サクラ先生が笑っている。


「なんにせよ、いつもの時間にいつものコンビニだね」

「はい」


 気を取り直したも、同じように頬をゆるめて確認のメッセージを送信する。

 二代目のリーダーとして。俺を目指す、俺として。


《ABC、今夜も出動します!》 


 とぼけた感じになってきた、と最近よく言われる笑顔とともに。




Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ABC 迎ラミン @lamine_mukae

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ