23人目:あるネタを飛ばしたコメディアンの場合
「ネタが思い出せない…なんて言うつもりだったのか…」
あまりのことに私はすっかりネタを飛ばしてしまった。
「なんなんだ…今日の客は…」
薄暗い小劇場の客席に転々と座る年齢も性別もバラバラな観客たちは、
表情一つ変えず死人の様な冷たい表情を顔に貼り付けている。
「この私が笑いひとつ取れないとは…」
焦りから、脇汗がシャツの中で脇をつたって落ちていくのがわかった。
「こんな失態は駆け出しのころ以来だろうか。」
かつて駆け出しのスタンドアップコメディアンだった私は、生まれ育った故郷を飛び出し、
都会の小劇場で夜な夜な軽快なトークの技術を磨いていた。
はじめのうちはからきしだったが、独自に練習と研究を重ねたことで、
次第に観客の心も掴めるようになってきた。
そして、私はある日小劇場にたまたま足を運んでいたテレビのプロデューサーの目に止まることとなり、
幸運にも華やかなテレビ業界へのデビューを果たすことに成功した。
その後はあれよあれよと言う間に業界の中で有名になり、
気づけばレギュラー番組を何本も持つ業界きっての人気コメディアンとなっていた。
そんな私に、マネージャーからある日一本の電話が入った。
「すみません。来週の火曜日ですが、急遽仕事が入ることになりまして。」
「なに、かまわんよ。内容はなんだ?」
「なんでも政府関係の方からのご依頼で。詳細は当日まで明かせないとのことです。」
「なんと!それなら政治パーティのゲストか何かだろう。受けてくれ。」
「かしこまりました、それでは当日はこちらの会場に…」
私は、当日は大きなホテルの会場や高級料亭の一室での
華やかな営業になるだろうと勝手に想像していたのだが、
その日になってみるとすっかり予想を裏切られた。
地味な男数人に出迎えられて私は、訳もわからないまま小さな劇場の楽屋に通された。
「小劇場か、思っていたのとは違ったがこれはこれで懐かしい。今日は何をすれば?」
「なんでも結構でございます。お客が面白いと感じ笑えるものであれば。」
「笑いのプロに対して随分と挑戦的とも取れる依頼内容だが、いいだろう。やってやろうじゃないか。」
そうして私は軽くかましてやるくらいの気持ちで小さなステージに躍り出たのだが、
あまりのウケなさに絶望し、すっかり出鼻をくじかれ焦りから記憶喪失の如くネタを飛ばしてしまったのだ。
「ぐむむ…こうなったらお客に合わせて笑えるポイントを探っていくか。」
このところはテレビカメラに向かって喋ることの方が多かったが、
こういった観客とのコミュニケーションこそが私の芸人としてのルーツだ。
私はすかさず観客席を見渡すと、会場の左端に座っていた中年の男性に目をつける。
「ではそこのお客さん。今日はお一人ですか?」
男性は急に声をかけられ少し驚いた顔をした。
「私も家庭から逃げ出したくてつい劇場に足を運ぶんです、
なんてったってうちの妻はいつも家で"激情"してますからね。」
軽快に言ってみたが、男はまゆひとつ動かさない。
おかしいな、面白くないにしても表情ひとつ変わらないとは…と私は内心思った。
すかさず私は前の方の女性客に顔を向ける。
「お嬢さん。こんな季節ですから、空調もない会場でお暑くないですかね?
こっちの舞台の上なんかも楽しいですよ、できれば私と交代していただきたいですね。
なんせこっちの空気は中々に冷え込むもんで。」
女性は変わらず自分に声をかけられて驚いた顔は見せたものの、
渾身の自虐に対しては口角をキュッと閉じ愛想笑いすら浮かべなかった。
その後も私は他のお客に絡んでみたり、ジョークを披露したりしてみたが、状況は一向に改善しなかった。
すると、最後にはどこからともなくなり始めた終演のブザーがこの興ざめした空気にとどめを刺した。
「全くウケなかった…この私が…」
私は項垂れながら楽屋に戻ると、見慣れない白衣の男性が私を出迎えてくれた。
「いやぁ、面白い舞台でした。私なんかは裏のモニターをみながら大笑いしてましたよ。」
「そんなことないですよ。あの冷め切った会場をご覧になったでしょう。」
「いやいや、あれですがね。
実は彼ら観客は政府機関の研究所で制作した最新のアンドロイドだったんですよ。」
「あ、アンドロイド?」
「ええ。我々は最新の研究で驚きや喜びなど様々な感情を彼らにインプットすることに成功したんですがね、笑いの感情だけは教え込むのにどうしても苦戦していまして。
そこで今日は彼らのデータ採取のために、一流コメディアンのあなたの話芸を聞かせて感情プログラムを実験していたんです。」
「そんな…先に言ってくださいよ。今日の舞台のせいで自信をなくすところでしたよ。」
「すみませんね、機械相手だと言って手加減されてもこまりますので。
まぁこれを"機会"に今後も我々に実験にご協力頂くなんてのはいかがでしょう?」
私は大きくため息をついた。
「すみませんが、こんな"奇怪"な体験はもうこりごりですよ…」
記憶喪失からはじまる物語(ショートショート集) 秋内夕介 @AkinaiYusuke
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