22人目:ある画家の場合

「えぇっと。何を描こうとしたんだったかな。」

うっかり筆を持ったまま寝てしまっていたようだ。

私は胸から上の輪郭だけが描かれた白紙の人物画を前に、記憶を巡らせる。

このところ仕事で描いている絵とは別で、自分の趣味の絵にも没頭しているせいで、時間がいくらあっても足らない状態だった。

寝る間も惜しんで気力だけで筆を動かし続けていたが、歳のせいもあってか、流石にそろそろガタがきていたようだ。


「輪郭だけ描いて力尽きてしまったのか…今は何時だ?」

時計を見るとすでに夜は開け、昼に差し掛かっているといった頃合いだった。

「しまった!こんな状態でだいぶ寝てしまっていたのか。

まずいな、とりあえずこの一枚だけでも仕上げてしまわねば。

それにしてもこれは何を描こうとしていたんだかな。」

キャンバスの上にはほとんど手がかりはない。

とりあえずラフから始めようと、半ば寝ぼけながら制作に取り掛かっていたのだろう。

「描いていれば何か思い出すだろうか…」

顔のパーツのあたりをつけて、何となく書き始めてみるが、やはりピンとこない。

すると、ノックの音と共に誰かがアトリエの戸を開けた。


「先生、大丈夫ですか?」

若いスーツ姿の男は散らかった作業場に埋まる、やつれた私の顔を見てギョッとした。

「もしかして…徹夜で作業を?あれから休まれなかったのですか。」

「まぁ…そんなところなのかな。」

「お忙しいところ急にお仕事を依頼してすみませんでした。」

正直この男が誰なのかも思い出せない。

昨夜初めて訪れた客で、寝ぼけながら仕事を受けてしまったのだろう。


「それで…絵の方は完成されましたでしょうか?」

ぼうっとしていた私の心は、その言葉で一気に白紙のキャンパスに引き戻された。

「い、いや。それがまだ未完成で。少し待ってくれないか。」

すると男は露骨にがっかりした顔になり、焦りの苛立ちからか頭をかいた。

「参ったな…一刻も早く必要な絵なんですよ。

とにかくなるべく早くお願いします、依頼の内容は昨夜の通りで結構ですので。」

そう言うと、男はアトリエを後にした。


「行ってしまった…さて、どうするか。」

私は手当たり次第に昨晩の手がかりがないか探した。

すると、足元に小さな紙切れが落ちていることに気がついた。

拾い上げて見てみると、それは頼りないひょろひょろとした筆跡でメモが残されていた。

「昨夜会った男を詳しく…特徴メガネ、髭…としか書かれていないな。

どう見ても睡魔と戦いながら書いたメモだな、我ながら情けない。」

すると再びアトリエに先程の男が。


「先生、昨日の男ですが、本当に描けそうですかね?なにせ、暗がりの中だったと思われますので…」

「なんとか形にはなると思いますが…」

「本当ですか!何せ早さが肝心になってきますので、どうにかお願いしますね。」

先程に比べ男は少し安心した顔をすると、携帯電話を取り出しながら再び部屋を出た。

「咄嗟に思ってもないことを言ってしまった。こうなるともうどうにかして描くしかないか。」


私は筆を用意すると目を閉じ昨夜の記憶を辿った。

「あれは…そう、夜中のことだったな。

ウトウトしているとあの男が玄関に来て…焦ったように仕事の依頼を…

私はとりあえずアトリエに通して…ダメだ。そこから先は覚えてない。

それではその前はどうだっただろうか…」

私はカレンダーで昨日の欄に書かれたメモを見た。

「そうだ、昨日は夕方ごろにアトリエを出て、近所の画家仲間に画材を借りに行ったんだ。

それで夜道をふらふら歩いていたら誰かにぶつかって…それで謝って…帰った後は再び深夜まで作業を…」

徐々にではあるが記憶が戻ってきた。

しかし、そうなると私が描くべきは昨日会った画家仲間の友人の顔なのだろうか。

よく思い出せないが男の焦り具合を見るに急用なのだろう。

何も描かないよりはマシだと思い、私は彼の顔を思い出しながら白紙のキャンパスに筆を走らせる。


「よし、出来た。中々上手くかけた。」

しばらくの作業の後、私は昨夜出会った友人の顔を描き上げた。

「しかし、メモにあった髭もメガネも彼の顔には無いんだよな。寝ぼけながら話していたから聞き間違えたのかな。」

私はアトリエの外で待っていた男に絵を渡すと、男は驚いた顔をしながらも、手短に感謝を伝えて外に出て行った。

男は絵を見ながら自分の上司に電話をかける。


「こちら現場近くのアトリエです。ええ、昨夜の殺人犯の件で。

はい。友人に会った帰り道に、逃亡する犯人と暗がりで遭遇したという画家に人相を描いてもらったんですがね。

…それがですよ、なんとその昨夜会ったという友人の顔の絵を渡されまして。

そうなんです、思いもよらない告発ですよね。

他の聞き込みでは髭とメガネの特徴が挙げられていたんですが、どちらも無いところを見ると変装の小道具だったのでしょう。

かしこまりました、直ちに逮捕令状の準備をします…ええ、そうですね、私も驚いています…」

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