第2話

 こんなに可愛いのに、私はとてもフラれる。


 これを言うと大体の人からは「馬鹿だなこいつ」という視線を向けられる。

 けれどブスではない普通の顔立ちだし、愛嬌だってある方だし、悪い物件ではないと思う。けれど、フラれる。しかも相手は皆同じ断り文句を使うのだ。


「お前のそれは恋に恋しているだけだろう」


 それのどこが悪いの?

 私は不思議で堪らなかった。


 だって私はまだ学生だ。恋の陶酔ばかりを知っていて、愛の何たるかを知らない。

 これから知っていくために、貴方と一緒にいたかったのに。愛を私に教えるという言葉の一つくらい言ってみてほしかった。


 連敗十何回目の記録更新にげんなりと溜息を吐く。

 突き刺すだけ突き刺した言葉を誰も引き抜いてくれない。じくじくと痛む胸をそのままに、また私は失恋した。


 その時私を振った彼は中学卒業を境に会うことはなくなった。


 高校へ入学して出会いの季節。惚れっぽいらしい私はまた恋をした。


「恋心は物騒な凶器である」


 紙の上に指を滑らせる。狭い部室の隅で居心地悪そうに男の先輩が視線を彷徨わせた。


 文学部。小冊子で綴られた物語は、この先輩が書いたらしい。

 先輩の話は恋愛の話が多かった。とりわけ失恋の話が多かった。泣いて恋を諦める話もあれば、片方が死んでしまう話もあった。そのどれもが綺麗で、私の恋心とは違った。


 この人の傍にいれば、恋愛の何たるかが分かるかもしれない。そんなことを思いつけば行動は早かった。


「先輩。入部希望です」


 だらりと流した涙と鼻水はそのままに、名も知らぬ先輩に手を差し出す。

 先輩は戸惑いながら、おずおずと私の手を握り返した。


「えっと、どうも、よろしく……?」

「よろしくお願いしゃーっす!」

「体育会系の返事だけど大丈夫? 間違ってない? ここ文学部だよ?」

「はい! 先輩のいる部活に入りたいです!」

「……あ、そう」


 もにょもにょと口の中で呟くように先輩は返事をする。その仕草も可愛らしく見えるから、何度経験しても恋ってやつは不思議だ。


 その日から二人ぼっちの部活動が始まった。他にも部員はいるそうだが、幽霊部員ばかりで、実際に活動しているのは先輩一人だけのようなものらしい。


「お前が来る前は三年生も結構来てたんだよ」

「ほぇー。前部長さんとか、前副部長さんとかですか」

「そうそう。部長の作る話とか、結構凄くて好きだった」


 おや。

 私は目を細めて笑った。


 成程。先輩の話のネタはここだな。私は分かりやすい先輩に笑い転げたくて仕方なかった。

 ねぇ先輩、前部長さんのことが好きだったんでしょう?

 そう問いかけるのは簡単だ。けれど先輩は絶対に機嫌を悪くする。元々からかわれるのは嫌いらしい。


 私は大人しく「どんな話を書いていたんですか?」と話を合わせた。


「推理ものが多かったかな。けどファンタジーも混ざってた」

「混ざって大丈夫なんですか?」

「まぁ推理ものって言っても探偵が現れるような話じゃないから」

「魔法少女惨殺事件とかですか」

「違うけど、それはそれで気になる」

「先輩が書いてくださいよ」

「書けねぇよ」


 それもそうだ。先輩の話はあの日に見たもの以外でも恋愛話ばかりだった。それ以外のジャンルが書きにくいのだろう。


「それじゃあ、私が失恋した時に話を書いてくださいね」

「いや、結ばれる話を頼めよ……」

「先輩の話は失恋の方が私好みなんですよ」

「微妙な誉め言葉」


 先輩は渋い顔で唸った。それがおかしくて笑う。


「期待して待っていますね」

「……了解」


 先輩ならきっと、私が失恋する話でも「恋に恋する」という陳腐な表現は使わないだろうと思った。なんとなく、そう信じていた。


 月日はあっという間に過ぎ去り、三年生は卒業して、私は二年生になった。先輩は部活に来なくなって、新入生の来ない部活は私一人で活動していた。活動と呼べるのかも怪しい、文学部だった。


 いつしか先輩に彼女が出来たことを知る。相手はあの前部長さんらしい。

 あーあ。


「失恋おめでとう、私」


 先輩に強請ると私をモデルにして話を書いてくれた。リクエストした通り、私が失恋する話だった。恋心の描写がとても綺麗で、儚くて、私もこんな恋がしてみたいと思った。


 この話に似合うだけの美しい恋なんて、本当は一度もしたことが無かった。


「……やっぱり、ハッピーエンドにしてもらえば良かったかな」


 話の中では、私が恋した相手は全然先輩に似ていなかったけれど。けれど、話の中でくらい報われても良かったかもしれない。

 そんなことを思ってほんの少しだけ泣いた。


 今までの恋は好きと告げて、フラれて、終わらせてきた。終われば恋心は多少鳴りを潜める。

 それなのに今は告白していないせいか、未だ恋心が疼いて仕方ない。まだ好きで、好きで、堪らなくって、どうすればいいのか分からない。


「は!? 泣いてる!?」


 振り返ると、息を切らせた先輩が後ろに立っていた。


「えっ」

「な……んだよお前! 人の家に押し掛ける図々しさがあるなら我慢しないで素直に泣いてれば良かっただろ……!」


 ばさりと投げつけられるように先輩のパーカーを被せられる。顔を隠せと言うことらしい。

 確かに人の目がちくちくと私たちに突き刺さっている。修羅場だと思っているのだろう。


「なんで来ちゃうんですかねぇ」

「お前が財布忘れるからだろ」

「あちゃー」

「いいから来い」


 先輩が私の腕を掴んで真っすぐ歩く。行先は多分先輩の家だろう。泣く後輩を見捨てられなかったらしい。お人好しな先輩。付け込まれますよ。

 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら先輩の後に続く。


「ねぇ先輩」

「なんだよ」

「やっぱり好きって言っていいですか」

「誰にだよ」

「先輩にですよ」

「はぁっ!?」


 ぎょっと驚いて振り向く先輩の目は丸い。ズレた眼鏡に少しだけ笑う。

 そのまま先輩の緩んだ手を振りほどいて、私は手を差し出しながら告げる。


「好きです。付き合ってください」


 あの時みたいに握り返してくれないかなという期待が一割。駄目だよなという諦観が九割。


 頭を下げたまま、じっと地面を見つめる。

 自分のローファーに傷がついている。言うつもりもなかったから、服だってよれた制服のままだ。髪もあまり整えられてない。そもそも頭から先輩のパーカーを着ているし。


 あ。どうしよう。やっぱり言わなきゃ良かったかも。

 何回と経験してきた後悔が襲う。何も言われないまま、震える手を引こうとした時、指先が包まれる。


「よろしく、おねがいします……?」


 ばっと顔を上げる。先輩が弱弱しく手を握り返した。その顔は真っ赤で、締まりが無くて、やっぱり可愛いなと思った。


「……成程。夢ですね?」

「なんでそうなるんだよ」


 先輩は私の手を掴んだまま暫く視線を彷徨わせていた。その後、私の手を引いてやはり先輩の家へと向かって歩き出した。


「家に女の子を連れ込むなんてやりますね先輩」

「女の子がお前だって分かっててそのセリフ言うか?」


 確かに。連れ込まれて襲われるポジションはどう考えても私だ。どうしよう。上手く頭が回らない。


「ていうかおかしくないですか先輩」

「何がだよ」

「私はさっきフラれて、恋心終了の予定だったんですけど」

「継続でお願いします」

「私の恋は定期券か何かですか?」

「そうかもしれない」


 駄目だ。先輩の頭も上手く回っていないらしい。


 耳まで真っ赤な先輩を見ると愛おしくって堪らなくなる。

 このまま流されて先輩の家に行きたくなるが、最大の疑問が私の中に燻ぶっていた。


「先輩先輩」

「なに」

「先輩って彼女いないんですか?」

「それは煽りか?」

「あれ? え? 前部長さんと好い仲なのでは……?」

「そんな展開は存在しないので安心してください」


 先輩はスマホのトークアプリを見せる。前部長さんの写真だ。大胆にも誰かとキスをしている写真だった。


「うまくいきました!」

「良かったですね。写真はきついのでやめてください」

「さすが童貞」

「協力したのに暴言とは」

「誠にありがとうございます。持つべきものはいい後輩」

「調子いいなあんた」


 というトークを見ると大体の内容に察しがついた。

 先輩はげんなりした顔を隠さずに説明を重ねる。


「俺はずっと部長から相談という惚気を聞かされていました。そして俺はお前が入部した時からお前のことが気になっていました」


 ということは、先輩は本当に私と付き合ってくれるらしい。

 私はどんどん自分の鼓動が煩くなっていくのを聞き取った。


「あの、私、恋に恋しているとか言われてきたんですけど……私でもいいんですか」

「別に? 俺も恋しか知らないし……これから一緒に愛とやらを知っていけばいいんじゃないの?」


 それはずっと言われたかった言葉で、思わず顔が真っ赤に染まる。そうこうしているうちに先輩の家へ着く。家のドアを開けながら「祝い直さないか」と先輩は提案した。


「……因みに、なんて言うんですか」


 私が尋ねると先輩は少し考えて口を開く。


「恋愛成就、おめでとう、とか」


 臆面もなく言ってのけた先輩に対して、恥ずかしい人だなぁと思って笑った。

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失恋しました。祝ってください。 nero @nero-

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