最終話 代償

 また新月の夜がきた。

 あの店には行かないと春子は決めていた。なにかおかしなものが入っているに違いない。

 寝てしまえば食べたいという欲求も抑えられる、そう春子は考えて布団に入った。

 

 ──目が覚めた。

 また夢を見ているのだと思った。あの店の前に立っている。

「なん・・・で・・・」

「夢じゃないよ。あんたが自分の足で歩いてきたんだ。」

 老爺の声の老婆が言う。

 気づいたら商品を皿から奪い取って走って逃げていた。

 

 走りながら貪り食べた。春子は我を忘れていた。


──また誰かの記憶を見ている。どうやらかなり時間が経ったようだ。

 パチンコをしている。煙草も吸っている。外は暗い。窓にうつる自分の姿はおじいさんだった。

 パチンコを終え、夜道を歩く。吐く息が白い。季節は冬だ。

「今日も負けちまった。やめるって決めたのになぁ。」

 手帳を取り出す。落書きされた紙が挟まっていた。

 その紙を見ながらポツリとつぶやく。

「小さい頃のあいつは可愛かったのになぁ。いつからあんな性格が変わっちまったのかなぁ。」

 その声はあの店で食べ物を売っていた老婆の声に聞こえた。

 ふと前を見ると、あの老婆が黒いシートに座っている、商品を並べて。

 おじいさんが話しかける。

「それいくらするんだ?」

 この寒空の下、店を開いている老婆を哀れに思ったようだ。かろうじて小銭が入っている財布を取り出す。

「お金?いらないよ!」

 その声におじいさんも、春子も驚いた。幼い男の子のような声だ。

 それも、

「お前さん、俺の弟の昔の声にそっくりだなぁ」

 おじいさんは昔の優しい弟を思い出して目を細める。

「じゃあこれは」

「持っていっていいよ!」

 おじいさんは、助かるよと言って商品を持って帰っていった。

 

 

 ──春子は立っている。新月の夜の道に立っている。

 ふと横を見た。

 そこにはあの老婆がいた。赤いチリチリ髪、しわしわの鼻に、人を喰ったような赤い口、それに燃えるような真っ赤な目だ。

 怒りがわいてきた。人に変な食べ物を食べさせたな!と怒鳴ろうと思った。が、

 老婆が私と全く同じ動きをするのだ。

 馬鹿にしているのか、とさらに怒ろうとした、その時、気づいた。

 そこにいるのはあの食べ物を売った老婆ではない。ガラスにうつった春子自身だ。

 後ろから、フフと笑う声がして振り返った。

 そこには春子がいた。容姿が変化する前の春子だ。おかしい、私はここにいるのに。

「あんたの容姿は貰ったよ。」

 声は夢に出てきた老婆の声だ。

「あんたの記憶の半分も貰ったよ。」

 老婆の声の春子がほくそ笑む。

「さぁ、行きな。あんたの記憶の半分を売り物にして。次の獲物を獲ってきな。」

 

 

 ──ふと気づくと、黒い絨毯の上に座っていた。その前にはいびつな形をした商品が並んでいる。

 夜空に月は見えない。ここはどこだ。見回してみる。覚えがある場所だった。しかしよく思い出せない。

 目の前の建物から電話をかけながら女性が出てくる。

「もしもし〜春子だけど〜、今会社出たとこ。あー、この声?風邪引いちゃってさぁ〜アハハ」

 そう言いながら去っていく。

 

 

 若いカップルが通り過ぎる。

「なんでずっと連絡くれなかったのー?風邪でもひいた?声ガラガラだよ?」

 男性が老婆のような声で答える。

「あー……そうそう。ちょっと喉やられただけ。」

「私の友だちもそっくりな声になってたよ?同じ風邪ひいたのかなぁ。」

 話しながら2人は去っていく。


 

 今度はベロンベロンのおじさんが千鳥足で歩いてきた。

「聞いで〜、会社近くの居酒屋で飲んできだんだよ〜、ちょっと飲みずぎだがもねぇ〜ヒック」

 聞いてもいないのに喋っている。

「はぁ、そうですか」

「あれぇ〜おばぁーさん、CMの『クロぴょん』の声に似でるねぇ〜ガハハ」

 この人と話しているとどこからか沸々と怒りが湧いてくるようだった。

「これぇ〜売っでるのぉ?いぐらずるのぉ?」

「お金はいりませんよ」

「ええ〜じゃあ貰っでいごぉ」

おじさんが商品をワシっと掴んで去っていく。

 

 その姿を見送りながらニヤリと笑った。

 

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魔女の声 麦野 夕陽 @mugino

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