呆気のない事

 愉しい。そう感じていた。

 これは間違いなく夢の最中である。自覚はある。

 けれど。俺の手には確かに人の、あの男の首を斬った感触が残っている。しかし当然、覚えはない。

 ならば。この手に付着している温かな液体――血はどこから、そして。誰のものなのだろう?

 何故だ。何故、俺はこんなにまで愉しいんだ。人を殺めて、どうしてこんなに気持ちが昂ぶっているのだろう。気を抜いてしまえば最期、戻れなくなる。

 だが。どこに戻れなくなるのだろうか。そもそも、本当の俺とは――いったいどの自分を指しているのだろうか。

 こんなにも鈍り、混沌とした思考ではもう。何を思慮しとうとも、答えはでないだろう。ならば、目を覚まそう。

 悪夢など。これ以上は見てられない。


 ◆◇◆◇


 思考回路がショートした。そんな気分の目覚めだった。


「マスター、大丈夫?」


 目を覚ましても、そこは暗闇。そして、柔く弾力のある感触。


「リムル。苦しい」

「うなされてたみたいだから、つい」


 淫靡な柔みを模す二つの胸から解放された俺の目には、照れ笑いを見せる使い魔の顔が映り込んでくる。

 何故だろうか。その青い瞳も、白い肌も、艶やかな唇も、全部が全部。俺の所有物なのだから何をしても咎められることもないだろう。

 そんな考えが、俺の腕をリムルの後頭部へ向かわせる。


「マスター?」

「おはよ」


 そっと顔を近付けて唇を重ねる。しかし、そこには何の感情も入り込まない。


「マ、マスター?」


 途端。白かった顔は真っ赤に。細められていた両目は見開き、僅かに潤み出す。


「もっと先まで、してみるか?」

「えっ、ど、どど、どうしたのマスター。なんか変だよっ?!」

「いつもはお前から誘って来てただろ?」

「で、でも私、キスより先は――」

「大丈夫だよ。俺だって――」


 もう一度、顔を近づけようとした瞬間。横から迫ってくる小さな拳が目に入り、咄嗟に顔を引くことで回避する。

 眼前に通過する色白の細い腕が引き戻されると、その持ち主の低く這うような声が言う。


わらわの許可もなく、何を勝手に始めようとしておるのじゃ、下僕」

「なに怒ってんだよ。ならマキナも――」

「願い下げじゃ。それよりもお前……どうしたのじゃ?」


 どうしたもこうしたも。俺は俺だ。


「俺が怖いのか?」

「怖い――そうじゃな。身の程も心得ない愚か者の所業など、程々危うくて見てられんのぉ」


 こいつはいま、俺を蔑んだ。殺す道理は通った。

 怨恨だ。怨恨による殺人だ――いや。そもそもにして、相手は魔族であるのだ。最初から気後れすることもない。


「マキナ、短い間だったけどさ。それなりに――楽しかったぜっ!」


 瞬間。走り出すと同時に、虚空に描かれた紫色の魔法陣から剣を取り出す。

 布団に足を取られぬよう、地を踏むのはマキナへと跳躍する際と、そして。あの小さな身体を斬り裂いてから着地する、その二回だ。


「救えんな――」


 間合いには入った。後は振り抜くだけ。


「阿呆が」


 紅い瞳が俺の姿を捉える。が、遅過ぎる。



「あがっ?!」


 だが、気付いた時。布団の上に突っ伏していたのはマキナではなく、俺の方だった。


「何を起因にして大きな気になったのかは知らぬがの、主に刃を向けるとは些か――いや。往々にして救い難い。下僕、お前に先の言葉をそのまま送り返そう――妾の方こそ、退屈はせんかったのじゃ」


 胸を締め付けられるような苦痛に耐え、顔を上げる。

 そこにはやはり、俺の心臓を掴むマキナの姿が見える。言葉のわりに、その表情は冷め切っている。紅い瞳は俺を捉えているようで、その実は映してはいないのだろう。

 あいつにとって俺なんて――映す価値もない人間に成り下がってしまったのだから。


「やめてよマキナ……そんなことしたら、マスターは――」

「誰が口を挟んでも良いと許可した。それにのぉ淫魔。お前ごときの無価値な懇願を聞き入れてやれる程、今の妾は以前よりも寛大にして、気まぐれな質でもないのじゃ」


 胸の圧迫感が次第に強まり出すと。それに比例するようにリムルの顔が歪んで行く。


「なら、頼んだりしない。力ずくでも――」

「ちと遅かったのぉ」


 ――え?


 リムルの漏らした間の抜けた声と俺の声が交差する。

 顔に降り注いでくる赤い何か。リムルの絶叫も、マキナの笑い声も。遠くなる。

 死とは。なんて呆気のないものだろうか。



 ――おはよう。


 もはや聞き慣れた声だ。


 ――死んでしまったの?


 分からないけど。多分、そうだろうな。


 ――良かったね。


 良くはないだろう。

 俺にだって、それなりに未練はあるんだ。


 ――お母さんやお父さんに会えるじゃない?


 死んだ褒美がそれじゃ、少しばかりわりに合わないよ。


 ――なら、どうしたい?


 もう少しだけ。せめて、自分が踏み入った世界のことをもう少しは知っておきたかった。


 ――生き返りたいの?


 叶うのなら、そう願うかな。


 ――ははは……それは無理だよ。


 だろうな。


 ――他には何もないの?


 無いな。


 ――そっか。


 うん。


 ――。


 ……。

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使い魔になった俺と主の魔族 ZE☆ @deardrops

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