なんでも捨てられるごみ箱

無花果

なんでも捨てられるごみ箱

 男は最近、何事にもやる気が起きなかった。仕事もうまくいかず、人間関係はごたごたと面倒なことばかり起きる。しかし、それらを自分から解決する元気もなかった。

 きっと何か悪いものが憑いているにちがいない。星の巡りが悪いのだ。俺のせいではない……。

 男はそう結論づけ、心底面倒ではあったが運気をあげてもらおうと評判のいい占い師を訪ねた。

「おや、随分と重い気を背負っておられますね。お困りごとが尽きないようだ」

「なんと、よく分かりましたね。そうなのです。こういうわけで、最近何もかもうまくいかないのです」

「ええ、わかりますとも。あなた様に纏わりつく悪しきものが、はっきりと見えます」

 男は占い師の言葉に気を良くした。

「やはりそうでしたか」

「気力もわかず、何をするにも億劫でしょう」

「そのとおりです」

「あなた様が良き道へ進むのを邪魔する何かがあるようです。たとえば、物をよく溜め込む方ではありませんか。部屋の片付けもままならないとか、物が捨てられないとか、昔のことをずるずると引きずるとか」

「ええ、ええ。よくお分かりで。昔の恋人との思い出の品は全て捨てられずにとってあるのです。美味しかった菓子の類や、着れなくなった服まで山積みで」

「それがいけないのです。その未練にがんじがらめにされている。さっさと捨てておしまいなさい」

「しかし、なかなかに労力がいるものなのです。その気力が湧かないのですからどうにもなりません」

「それでしたら此方の品はどうでしょう」

 そう言って占い師は小さな筒を取り出した。

「こちらは何でも捨てられるごみ箱でございます。どんなものでもこのごみ箱に捨てるだけで、未練も悪運も断ち切る事ができるのです」

「はあ。しかし、ごみ出しには行かなければならないし、その程度の入れ物では全て捨て切れない」

「問題ございません。本当に言葉通り、何でも捨てられるごみ箱ですから。捨てるだけで構いません。ここに捨てる事が厄払いになるのです」

「それはすごい。しかし、見れば見るほどただのくず入れにしか見えないが……」

「見かけはそうでございましょう。使っていただければ分かります。面倒な分別も、専門的な知識もいりません」

「そこまで言うなら買い取ろう」

 信じ難かったが、ここまで言い当てた占い師の勧めだ。男はそのごみ箱に決して安くない金を払った。

「一つお気をつけください。一度捨てたものは二度と手に戻ることはありません」

 男は帰宅して、ごみ箱をくまなく観察した。何の変哲もない薄っぺらなくず入れだ。

 男は試しにそばにあった紙くずを放り込んだ。紙くずはごみ箱の底に当たるとたちまち姿を消した。

 男は目を丸くして、もう一つ紙くずを捨てた。今度は見失わないように、ゴミ箱の中に入っていくのを目で追った。しかし、これまた消えてなくなった。

 男は自分の正気を疑って頬を叩いた。鋭い痛みが走り、男はさらに混乱した。

 ごみ箱を逆さにして頭の上にかざすが何も落ちてこない。

 男は占い師の言葉を思い出し、使い物にならなくなった若い頃の服を、思い切って放り込んだ。服はずるずるとごみ箱に吸い込まれ、やがて消えた。

 するとあんなにも思い入れがあった服なのに、男はその服のことを何も思い出せなくなった。思えば、後生大事にとっておくものでもなかった。何故あんなものを捨てずにとっておいたか理解できなくなり、物が消えた爽快感に男は酔いしれた。すうっと体が軽くなる心地だった。

「これはいい! あの占い師の言うことは本当だった」

 続いて、男は恋人と読んだ雑誌を放り入れた。本来なら何冊か重ねて暇で束ねなければならないものだが、このごみ箱にはそんなものは必要ない。

 消えていく雑誌と共に恋人への想いも消えていく。どうしてこうも彼女の影に縋っていたのか、男は心底不思議に思った。

 更に、床に散らばっている本、どこで買ったかもわからない小物、欠けた茶碗を流し込んだ。ごみ箱の容積を越えるほどの量だったが、ごみ箱は難なく飲み込んだ。

 部屋が綺麗になっていくにつれ、男の心も広く冴え渡っていく。

 男はとうとう仕事道具に手をかけた。何をやるにも煩い同僚や、意地の悪い上司、突っぱねられた取引を思い出し、苛立ちのままにゴミ箱に叩き入れた。

 捨ててみれば、何とも馬鹿馬鹿しいことだった。仕事道具は消え去ったが、もう仕事など辞めてやればいい。

 男は段々と楽しくなって、他に何か捨てられるものはないか物色し出した。

 ふと、冷蔵庫が目に入る。食べ物はどうかと思案する。もったいない気もするが、かと言って捨てたという証も残らない。なによりもったいないという気持ちこそが不要なものだ。

 男は冷蔵庫を開けて、中身を一つずつごみ箱にしまった。しかし小さな冷蔵庫とはいえやがて面倒になり、試しにと冷蔵庫ごとごみ箱の中に入れた。さすがにこれは無理だろうと思ったが、ごみ箱はぺろりと冷蔵庫を飲み込んだ。

 男の行動は更に加速する。次々と不要なものを捨てていく。

 もはや男にとって机も椅子も要らないものに思えた。体裁を気にして机など使う必要もないし、床に座れば充分だ。躊躇いもなくごみ箱の腹に押し込んだ。

 日用品も家具も捨て、やがて男の部屋にはほとんど物がなくなった。そして男の心の中にも、もう何もない。

 男はからっぽのごみ箱を覗き込んだ。そこには虚空が広がるばかりである。

 こうしてみるとこの世界に大事な物などないような気がして、同時に自分というものも不要に思えた。

 ここに自分を捨てたらどうなるのだろう。

 そう思うと気になって仕方なかった。少しばかり怖い気もしたが、捨ててしまえば未練も何もかも消え去るのだから問題はないだろうと男は考える。

 そして、男はごみ箱を掴んだ。ゆっくりと身を投げる。

 持ち主を失ったごみ箱が静かに倒れた。

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