運命の鎖に繋がれて

夢幻

運命共同体


「おはよう。大っ嫌いだよ、クロ……」


「ボクもだよ、シロ」


 一定の距離を保って寝ていた二人は同じタイミングで起き、まるでおしどり夫婦が朝の愛を確かめ合うかのように、強く感情を込めていつも通りの挨拶をした。


「はぁ……ゆっくりしてたら置いていくからね、クロ」


 シロは怒りに自分の歯を食い縛りながら、当てもなく歩きだした。どこに行っても景色は変わらない。だからどこに行こうが意味は無い。ただ、クロに対する憎しみに任せて逃げるように早足で歩くだけ。


「今日はどの方角に行く?」


「意味の無い質問をするぐらいなら黙ってなさい。どこに行っても時間は動かないわ」


 そう、ここは『時の無い世界』……薄く霧がかかった仄暗ほのぐらい森。蒼白そうはくとした木々はどれも同じような姿をしていて、枯れることも無ければ育つことも無い。ここはどこまで行っても同じ景色しかない、死んだ世界。そんな世界には、唯一時の流れが止まっていない二人の少女がいる。二人の少女、クロとシロ。彼女たちは神と呼ばれる存在だった。


「一体、ボクらはどれ程の時をここで過ごしたんだろうね……もう何万年とここにいた気がするけど、ほんの一年にも感じられる」


「知らないわよ……それよりも一刻も早くここから出たいわ……! 一体いつまでここにお前といなきゃなんないのよ!」


「どうせ永遠だって、気づいてるでしょ? シロも」


「……だったら、自殺でもするわ。死んでしまった方がよっぽどマシよ」


 いつかこの停滞にも終わりが来ると信じているシロは、ただ罵倒する事しかできずにいた。そんなシロに、クロは何食わぬ顔で平然と話しかけ続けた。


「………死ぬって、なんだろうね?」


「じゃあ死んでみれば?」


 シロは雑な怒気を孕んだ返答でクロを突き放す。


「シロはどう思うのさ? 死ぬって、なんだと思う?」


「………」


「この樹木たちは、生きていると思う? 枯れてないから生きているのか、成長しないから死んでいるのか……どっち?」


 シロは無視し続けることに耐えかねたのか、やがて口を開いた。


「止まってる……『生きる』と『死ぬ』と『止まる』は全部別物……? いや、生きたまま止まっている……うん。だから私は生きていると思う」


「ボクは死んでいると思うね。意思もない、成長もない、動きもない……つまり変化が、ないんだ。それって、死んでると思う」


「動かなくても、動けなくても、生きているものがいる。私はそう思うよ」


「そう……じゃあ、ボクらは生きていると思う?」


「そりゃどう見ても生きてるじゃない。馬鹿じゃないの?」


「本当に生きてると思う? ボクらは何もしないでもこうして動いてられる。何かを食べる必要も無いし寝る必要も無い。呼吸すら、ね。ボクらは何年経とうが老いることもない。これで本当に生きていると言えるのか?」


「私たちは動けている。寝たければ寝れるし、呼吸したければ呼吸ができる。時が流れる世界の事は全て知っているし、このなんにも無い世界の事も知り尽くしてる。意のままに動くも知るも、生きていないとできない。だから、生きてるよ。神としてね……」


「神、か……馬鹿げてる」


 クロが考えるのを諦めたのか、会話がそこで途切れてしまった。だが、まるで会話することに意味はないとでも言うようにシロは黙り続けた。


 シロとクロ、少女をかたどった二柱の神はずっとともにこの森を歩んできた。どうしようもなく互いのことが嫌いなのに、まるで鎖に繋がれているかのようにずっと離れられずに永遠に近い時間を過ごしてきた。その鎖はきっと、無限の広大さを誇る世界で相手を見失うことに対する恐怖の鎖だ。


 この奇妙な腐れ縁にうまく付き合っていこうと、シロは努力したつもりだった。時にはクロのことを好きになろうと、時には別れてしまおうと思った。だが幾星霜いくせいそうを経てもなお、そのどちらも実行することができなかった。


「ねぇ、クロはなんでずっと私について来てるの? そんなに私のことが好きなわけ?」


 シロは二人の間の鎖になにかの変化を求めて、突き放すように言い放った。


「そんなわけないじゃん、ボクはシロが大っ嫌いなんだよ?」


「じゃあなんで? さっさと私から逃げてしまえば良いのに」


「シロの方こそなんでボクとずっと一緒にいたんだい?」


 そう言って笑うクロに対して、シロは突然激しい怒りを覚えた。


「私は別にお前に好きで付き合ってやってるわけじゃないから! さっさと消え失せろ!」


 シロは泣き叫ぶように地面に向かって怒りの悲鳴を放った。


「………」


「私の視界から消えなさいっ!」


 シロは憤怒に任せて青白い樹木を殴った。だが時が止まった樹木は我関せずと言わんばかりにビクともせず、代わりにシロの拳に大きな衝撃がはね返った。


「どうせ知ってるでしょう? ……ボクがシロから離れられないのは、一人になるのが……怖いからだ」


「じゃあさっさと失せろ!」


「シロは、怖くないのかい?」


「黙れ……!!」


「この曠然こうぜんたる世界で、離れるという行為がどういう意味を持つのか……理解しているのかい?」


「黙れ!! 黙れ黙れ黙れ黙れ……!! 消えなさい……!!」


 甲高い叫びが霧の中に消えてゆき、時の止まった硬い地面に雫が落ちる。


「………………」


「きえなさい…………」


「……………断る」


 クロがそう言った瞬間、シロは拳を強く固めた。だが、ふと冷静になったのかその拳を振り上げる事はなかった。代わりに、一つ深呼吸をしてから冷たく言い放った。


「そう。じゃあ、死になさい」


 シロは再び自分の拳に怒りを宿した。同族嫌悪からきたであろう感情と、ありったけの力をその拳に込めて、クロに向けて突き放った。


 それは神の一撃……当たれば光の速さで霧散してしまうであろう衝撃波はクロの頬を掠めて樹木に当たった。時が流れず変化のない樹木は、まるで何もなかったかのようにたたずんでいる。


 その横で、クロは冷や汗を浮かべながらシロを睨みつけていた。その瞳には、哀憐あいれんと諦めとが黄昏たそがれていた。


「シロ、君はボクを殺すつもりかい?」


「ええ」


「君も、死にたいのかい?」


「そんなわけないじゃん! それとも、私に勝つ自信があるわけ?」


「違う。そういう事を言いたいわけじゃない。気づいてないのかい? ボクらは運命共同体なんだって」


「お前が死んだら私も死ぬと。そう言いたいわけ?」


 クロは軽く頷く。


「……そんなわけある訳ないじゃん。確かに私たちは二人で一柱の神として存在していたわ! でも、何も二人である必要は無い。たとえ独りになったことで神じゃなくなったとしても、私はかまわないわ!!」


「この世界にずっといて、何も理解できてないようだね。ボクを殺したければ好きにしろ。ただし忠告はしておいてやる。ボクを殺せば君も死ぬ。いいね?」


「なんの根拠があってそれを言ってるの? この何も無い世界で、どこからその根拠を手に入れたの? それともハッタリ?」


「この世界に、何も無いのが根拠だよ」


「はぁ!? ふざけないで!!」


「ボクはふざけてなんかいないさ」


「そう、じゃあ試してみましょうか?」


 シロは、己の左手に感情とエネルギーの全てを集中させた。


「………お好きにどうぞ」


「消え失せろ、クロ!!」


 シロは左手を斜めに振り下ろした。


「…………じゃあね。大好きだったよ、シロ」


 クロの瞳から涙がこぼれ落ちた。だが、クロは一歩も動かなかった……。クロの涙が地に砕けると同時に、眩しい斬撃がクロの身体を優しく貫いた。斬撃はクロの中で弾け、その美しい身体を爆散させた。光の速さで飛び散ったクロの欠片は刹那で蒸発し、跡形も無く消えてしまった……。


「…………嘘つき」


 シロは辺りを見渡す。やはり時の止まった地面と樹木たちは先程の斬撃も爆発もものともせずに止まったままだった。いつも通りの、見飽きた光景。そこに憎らしかったクロの姿は無かった。いつもは聞こえていたクロの声も、息の音もしない……そんな期待通りの景色に、シロは安堵しか覚えなかったのだろうか?


「私、ちゃんと生きてるじゃない……」


 シロの表情は、開放感を物語っていた。


 シロは嬉しくなって走り出そうとした。

一歩、二歩、三歩……シロは進み出した。だが……


「あ、れ……?」


 シロは恐怖に立ち止まってしまった。全く進めている気がしなかったからだ。視界の後方に流れていく木々……前方から等間隔で流れてくる木々……それらを見ているだけでは、どこに進んでいるのかわからなかった。もはや進めているのかすら怪しくなった。ただ木々が後ろに流れていく映像を見せられているような、そんな感覚。


 どうせ進む意味もないと、崩れ落ちるようにシロは座り込んだ。シロは霧のかかった空を見上げ、そして気付いた……自分の時が止まっている事に。


 クロがいなくなった。だから変化が無くなった。もちろんシロは動く事もできるし声を発する事もできる……だが、周りの全ての時が止まっていた……。


「ああ、なるほど……」


 シロはクロの言っていた事をようやく理解した。


「ここは、死後の世界になったのね………」


 変化が無くなったから、シロの時が止まった。つまり、死んだのだ。何をしても、何にも干渉できない。だから死んでいる。


 不意にシロの目から大粒な涙がこぼれ落ちた。悲しみが、恐怖が、後悔が……涙となって溢れ出し、シロの視界を歪ませた。


「ごめんなさい……嘘つきなんて言ってごめんなさいクロ……。クロも、同じような光景を見てるの? 私、ずっとここにいなきゃいけないの? クロも、本当の死後の世界でずっと閉じこめられてるの……? ねぇ、クロ……………クロ…………」


 もうその問いに答えてくれる人はいない。


「……………………くろ」


 シロはずっと嫌いだったはずの、友の名を呼んだ。絶望と後悔に涙しながら、名前を呼んだ。




 そして、シロは永遠に生きながら死に続けた。


 時のない世界で、無限の寂寥感と虚無感に苛まれながら、永遠に死に続けた……。






    了

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