第2話 明けない夜、暮れない昼

 終わりが始まった。


 〇


 極東の島国でタイムマシンが発明されたことは世界を震撼させた。連日日夜テレビはどのチャンネルでもそのことしか報じない。憂鬱な月曜日、一日を終わりの唯一の楽しみである深夜バラエティは聞き飽きたフレーズと内容を垂れ流すニュース番組に占拠されてしまった。

 どうやら発明されたものの完成ではないらしい。それもそうだ。動物を過去や未来に飛ばしても帰ってこないのだから成功かどうかは分からない。今回ばかりは動物実験は通用せず、人体実験でないといけない。また時間旅行者は知識と良識を兼ね備えた者でなくてはならない。SF映画にありがちなタブーを平気で侵すような奴であっては困るのだ。


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 毎週火曜日と金曜日は可燃ごみの火である。僕はこの日を洗濯の日としている。僕が住む四畳半にはもちろん洗濯機などない。したがって週に二回の洗濯の日には五分歩いて最寄りのコインランドリーにため込んだ洗濯物を吐き出す。時間は夜の八時と決まっている。

 今日は十月最初の火曜日である。日中はまだ夏の暑さが残っているというのに、日が暮れれば途端に秋が顔を出す。調子に乗って日中の格好で外に出ては風邪を引いてしまう。僕は半そでに上着を羽織り、洗濯物を詰めたエコバックをもってコインランドリーへと向かった。

 コインランドリーにつくと既にミキさんがいた。ミキさんとはどこに住んでいるかは不明であるが、僕と同じ洗濯サイクルを持つ女性である。正確には彼女の洗濯サイクルに僕が合わせたわけだが。薄桃色のパーカーに灰色のスウェット、後ろで髪を一つにまとめている。心配になるほど色白で今にも消えてしまいそうに思われることもしばしばである。小さな顔には不必要な程大きな目がついており、万物も見通せそうである。きっと僕の想いも見抜いているのであろう。

「よっ。」

 僕に気づいた彼女はシュタっと右手を挙げた。彼女の前の机には隣のスーパーで買ってきたであろう酒が置いてある。

「珍しいじゃないですか、お酒なんて。いつもの野菜ジュースはどうしたんです?」

「タイムマシンができたお祝いだよ。こんな日くらい偏りがちな栄養を補填しようなんて考えないでいたいじゃない?」

 一人暮らしをしているとどれだけ気を使っていようが栄養は偏っていく。彼女はその偏った栄養を野菜ジュースで補填しているそうである。胡散臭い野菜ジュースが一体どれだけの助けになっているかは分からないが、本人が満足しているのだから口をはさむのは野暮であろう。

「飲むんだったら言ってくださいよ。そしたら僕も買ったのに。」

 時刻は八時を少し過ぎた頃で、隣のスーパーは今しがたシャッターを下ろしてしまったところだ。

「そう言うだろうと思って君の分も買っておいたよ。安酒でよければだけど。あっ、でも親御さんには行っちゃだめだぞ。なにせ未成年飲酒は犯罪だからね。」

「それはあなたにも言えることでしょう。」

 僕は洗濯機に溜まった衣類を入れ、二百円を投入した。自前の洗剤と柔軟剤をいれて彼女の向かいに腰を下ろし、彼女の買ってきてくれた酒を手に取った。彼女は自分の酒を僕に向かって突き出しながら「君の瞳に」と乾杯を求めた。元々酒に強い方ではなさそうであったが、彼女はもうすでに出来上がっていた。

 コインランドリーを流れる余命の短そうなラジオは雑音交じりに今日のニュース、と言っても大抵はタイムマシン関連であるが、を語る。どうやら実験的に過去に送ったタイムマシンが数日たって尚帰ってこないそうである。搭乗者の安否は不明とのことである。関係者曰く、正常に過去に行ったと思われるが、何らかのトラブルによって現代に帰ってこれないのではないか、ということだそうだ。

 こうなってくると妄想は止まらない。搭乗者は過去でどのように生きていくのであろうか。そもそもいつの時代に飛んだのであろうか。昨日か、はたまた江戸時代であろうか。ジュラ紀だったりして。ラジオでその情報も流れていた気もするが、肝心な部分で雑音が入るのが常だ。僕は聞き逃してしまった。もしかしたら僕が酔っていただけで正常にニュースを伝えていたかもしれないが、なんにせよ僕の記憶に正確な情報は残っていない。


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 洗濯機から乾燥機へと衣類を移し替え、もう二百円投入する。陽気な彼女は僕に問う。

「君はタイムマシンがあればいつに行くかい?」

「…昨日ですかね。」

「ほぅ、真実君らしい回答だ。その心は?」

「下手に隔たった時代に飛んで帰ってこれなかったら嫌ですもん。その時代の暮らしは発展しすぎてても、そうでなくても、なんだかんだで不便そうですから。それだったら僕は昨日でいいです。」

 答えながら僕はなんてつまらない人間なんだと自己嫌悪に陥った。

「ミキさんだったらいつに行くんですか?」

「私だったら適当な未来かな。自分の死に様が見たい。」

 私は怪訝な顔をしながら聞く。

「ミキさんって漫画ネタバレされるの大丈夫なタイプの人間ですか?」

「アハハ。それは嫌だなぁ。」

「じゃあなんで人生のネタバレは大丈夫なんですか?」

「だってそれはあくまで一つの結末じゃない?何とかしてその結末を回避するように生きてみるっていうのも楽しそうじゃない?」

 僕はなんでか言い負かされたような気がしながら、酒を流し込んだ。乾燥機からピーと音がした。扉を開けると中からフカフカでポカポカの衣類が出てきた。僕はエコバックにそれを詰め、ミキさんはキティちゃんがプリントされた大きなトートバッグにそれを詰めた。

 コインランドリーの気持ち小さめの開け放しの引き戸をくぐって帰ろうとしたとき、彼女に「ねえ、」と呼び止められた。

「今晩、君の家行ってもいい?」


 〇


 彼女に出会って半年が過ぎたが、彼女が一度だって我が家へ行きたいと言ったことはなかった。彼女が僕の好意を知っていてからかってるのかとも思ったが、それならそれでも良いと思った。

「素敵な四畳半。」

 彼女は僕の部屋を見回してそういった。四畳半であることを除けば別になんの変哲もない部屋である。部屋の一辺は布団が占領しており、中央には小さなちゃぶ台がある。角にはテレビが置いてあり、もう一方には小さな文机と平積みされた本があるだけである。

 眠そうにしている彼女に布団を進め、僕は適当なスペースを見繕って横になろうとした。すると彼女は不満そうに布団をポンポンと叩いた。一緒に寝ろということか。別にいい、むしろ大変うれしい。しかし、こういう日に限って僕にはそのような準備はなかった。彼女の横に横たわり布団をかぶった。私を抱き枕のようにする彼女の小さな体に僕は腕を回した。彼女の足は冷たかった。少しして彼女は寝息を立て始めた。少し残念な気もしたが、僕も彼女のほのかに香る髪の毛の匂いとともに浅い眠りについた。


 〇


 午前三時に目が覚めた。何だか奇妙な夢を見た気がしたが、内容は覚えていない。彼女もまた目が覚めたらしい。

「なんだか変な夢を見た。」

 彼女は少し顔を上に傾け、僕を眠そうな目で見つめながら言った。

「どんな夢だったの?」

「あんまり良くは覚えていない。小さな灯りがまばらにある、なんだか薄暗い空間で男の子が泣いてるの。私は肌寒い中でその子を眺めてた。何か話していたような気もするけどそれ以外は何も覚えてないの。」

 彼女の夢は全く理解できなかったが、夢というのは大体自分の理解の追い付かないものばかりである。かくいう僕も自分の夢は覚えていないが、仮に思い出せたとしてもそれは何の脈絡もないような夢だろう。

「世界が終わるような気がする。」

 唐突に彼女は話し出す。なぜそう思い至ったのかは分からないが、彼女は世界の終焉を感じているらしい。

「どうして?タイムマシンが発明されたから?」

「うん。ただ、終わりっていうのは私たち人間の文明がってこと。だから地球は終わらないと思う。」

「でもタイムマシンで過去に行ったのは専門家で、よくあるヘマはかまさないと思うけどなぁ。」

「タイムパラドックスとかそういうので終わるんじゃないよ。」

「じゃあ、なに?」

「わかんない。」

 彼女がそういうとまた寝息を立て始めた。


 〇


 それだけどれだけ眠っただろうか。文机に置かれた時計は午前十時を指している。しかし、空は依然暗い。私は時計が壊れているのかと思い、手元の携帯を光らせるが同様に敬体は午前の十時を告げている。

「壊れているのは時計じゃないよ、世界の方だよ。」

 いつの間にか彼女も目を覚ましている。しかし、まだ寝ぼけているようでもある。私はちゃぶ台の上のリモコンを手に取り、テレビをつけた。真っ暗な部屋の中でテレビは煌々と光を発し、寝起きの目はその光を許容できなかった。目が慣れてくると相変わらずニュースが流れていることに気づいたが、今は珍しくそれを目当てにつけているので好都合だった。

 ニュースキャスターは緊迫の表情で世界の異変を伝えている。曰く、時が止まったらしい。太陽は動きを止め、風も吹かず、海も川も凪いでいる。生物の多くは生きているが、自転も公転も止めた地球でどれほど長く生きていられるかはたかが知れている。原因は不明ということであるが、おそらくはあの後も数回繰り返されたタイムトラベルが何らかの形で関与しているのではないかとされている。

「ね?壊れているのは世界の方だったでしょ?」

 彼女は言う。確かにそうかもしれない。しかし、時が止まって尚時を数えている時計もある意味壊れているのかもしれない。

 テレビでは研究者たちの謝罪動画が流れているが、万物に平等な時間が止まり、世界の終焉が迫る中にあって謝罪など何の意味があるのだろうか。僕はテレビを消した。

 世界の終わりを目の前にしてみると、様々な後悔が顔を出し、声を上げる。あれをやり残した、ああしとけばよかった、と。僕は考えないようにと言い聞かせながら布団をかぶった。

「いいの?」

 彼女は問う。

「何が?」

「世界が終わるまでそんなないのに、また寝ちゃって。やりたいこととかないの?」

「いいよ、もう疲れた。そういう君はどうなの?」

「私?私は君とこうして一緒にいて、世界の終わりを眺めていられればそれでいいかな。」

「君はこうなることは分かっていたの?」

「うーん、どうだろう。世界の死に様は想像できたけど、どういう過程を辿るのかは分からなかったよ。」

 そっか、と私は彼女の体に腕を回した。光が届かなくなってどんどん冷たくなっていく世界の中で、この布団の中だけは温かかった。

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終わりの始まり 健康丸 @kenkomaru

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