後編 ガラスの恋文

「拍動測定、熱源検出共に完了。家屋内にエフェメラ以外の生体反応はありません」

「では、ここもハズレか」


 吸血鬼とゴーレムの奇妙な連れ合いが人間探しの旅を始めてから、四百幾度目かの日が暮れた夜。エフェメラはいつも通りに呟いた。


「周辺の荒れ方にしては立派な屋敷だと思ったのだがな」


 当てが外れたにもかかわらず、その口調はあまり残念そうではない。見つからなくて当然と慣れ始めているのかもしれない。


 実際、そう悪くはない旅だ。

 血を吸わねば本来の怪力は出せないが、幾度となく襲い来た珪獣はシュユの兵装形態で退けてこられた。絶えぬ渇きもシュユとの会話の間だけは和らぐ気さえする。

 これではもはや吸血鬼などではなく、ただの夜型生活の不死身人間だが。


「ではエフェメラ、今日はここに泊まりましょう」

「随分楽しそうだな。こんな寂れた屋敷が気に入ったか」


 出会った時と比べて、シュユは大いに感情豊かになった。

 本人曰く「コミュニケーションログの蓄積」によるものらしい。


「見てください。綺麗なドレスがたくさんあります」

「よく見ろ、子供用だ。シュユには着られぬ」

「エフェメラ、あの黒い箱は一体何ですか?」

「ピアノという。音楽を奏でるための楽器だ」

「音楽ですか。人間は何のために音楽を奏でるのでしょう?」

「いきなり哲学的なことを……音楽療法と言ってな、音楽には人の心や体を癒す力があるそうだ。病の苦痛や、明日への恐怖、そして……孤独を癒すために奏でる」

「ログがまた充実しました。やはりエフェメラは人間に詳しいです。きっとエフェメラは人間に、恋をしているのですね」


 その言葉に、エフェメラは思わず吹き出した。ますます自分が吸血鬼などではなくなっている気分だ。

 それにしても恋とは。どんなロマンチストからそんな言葉を教わったのだろう。


「以前、何故人間を探しているのかという質問に、エフェメラは『会いたいからだ』と答えました。そして探し出した人間にシュユを届けるのだと。ならば当機は恋文ということに」

「ふふっ……ああ。そうかもな」


 思えば、エフェメラは自身が吸血鬼だとシュユにはっきり伝えた覚えがない。血を吸うために人間を探しているなんて知ったら、怒るだろうか、悲しむだろうか。

 ……今のこの関係が、変わってしまうだろうか。


「エフェメラ。人間に会えなくて寂しいですか?」

「寂しいと答えたら、シュユは何をしてくれるんだ?」

「貴女の孤独を癒します。しかし、当機はピアノ演奏機能を有しません」

「……なら教えよう。多分、ろくな音色にならんが」


 苦笑しながら、ピアノの前の椅子に座る。

 鍵をひとつ、押し込む。音が響く。どうやら調律までされている。

 そのまま、過ぎた夜の記憶をなぞるように指を動かし、旋律を紡いでいく。



 ――素晴らしいわエフェメラ。私の代わりにコンクールにだって出られるかしら。

 ――やだ、冗談よ。そんなことのためにピアノを教えたわけじゃないわ。

 ――今日だけは、貴女の音色を聴きながら眠りにつきたいと思ったの。



「……エフェメラ? 今ので曲は終わりですか?」

「いや……」


 事あるごとによぎる、眠りにつく前の記憶。

 エフェメラのとの記憶。

 いっそシュユに語って聞かせて、花を咲かせてしまえば……散って二度と、思い出すこともなくなるだろうか。


「――警告」

「気づいている」


 短く答え、立ち上がる。部屋の隅の暗がりへ会釈をし、微笑を浮かべて告げた。


「挨拶もせず、済まなかった」


 暗がりから姿を現したのは、シュユと同じくメイド服を纏った小さな子供。使い込まれたモップを抱きかかえ震えている。

 ここに住むゴーレムだろう。子供用のドレスはきっと彼女のもので、行き届いた掃除やピアノの調律も彼女の仕事のはずだ。


「敵意を検知しました。当機が対応しますか?」

「怖がらせたのはこちらだ。早々に立ち去るとしよう」


 とはいえ、ほどなく夜が明ける。次の寝床は急いで見つけなければ。


「ああ、ひとつだけ良いだろうか。我は人間を探している。心当たりはないか?」


 ゴーレムの童女はハッとして答えた。


「あ、あの。こっち……ちかしつに、きてください」

「構わないが……そちらに何か?」

「モコの、ごしゅじんさまと。つうわしてください」


 モコと名乗った童女の続く言葉は、驚くべきものだった。


「ごしゅじんさまは、はこぶねにすんでる、にんげんです」



 通された暗い部屋に、エフェメラはどこか郷愁にも似た安堵すら覚えた。


「あの……それじゃ、つなぎます」


 ともあれ、降って沸いた好機。手掛かりどころか『方舟』に住む人間そのものと接触できるとは、今宵は運が向いている。


『やあ。そちらの時間はわからないけれど、こんばんはで間違いないよね?』


 虚空に突如浮かび上がったのは、どこか理知的な雰囲気の女性の姿。


『私はアト。短い短い人生のうちに、お目にかかれて光栄だ』

「……エフェメラだ」

『ますます驚いた。名前があるのかい?』


 人を食ったような態度に若干の苛立ちを覚えた。

 この女、エフェメラが吸血鬼だと最初から見抜いている。


『さて早速で悪いけどモコ、それとそちらの見目麗しいゴーレムのお嬢さん』

「当機のことでしょうか。エフェメラ、当機は見目麗しいそうです」

「安い世辞だ、いちいち喜ぶな」

『仲の良いところ恐縮だけれど、二人きりで話がしたいんだ。しばらくモコの遊び相手になってあげてくれるかい』


 シュユは一瞬戸惑ったが、危険はないと判断スキャンしたのか、モコに袖を引かれていそいそと部屋を出て行く。


「あの、エフェメラ、また後で」

「ああ。後でな」


 二人の姿が暗がりに消え、扉が閉じるまで笑顔で見送ってから、エフェメラはアトと名乗った女性に向き直った。


『モコには冗談のつもりで命令しておいたんだ。もしゴーレム以外の生命体が『人間を探している』と言ってたら、決して危害を加えずこの部屋に案内するようにって。いや、まさか本物の吸血鬼と対面できるなんて! いっぱいお話をしようね!!』


 どうやらアトの目的は、未知との対話をただ楽しむことらしい。


「……その命令で連れて来られた私が、人間だったらとは考えなかったのか?」

『え? ないない! もし君が人間なら、でしょ!』

「…………!」


 言葉を失う。しかし感付いてはいた。

 ただ、ほんの一縷の望みを捨てきれずにいただけだ。


「では『方舟』は……地上の施設では、ないのだな」

『流石は上位種、察しも良いね。そう、我々人類の住む『方舟』は地上にはない。けれど舟だからといって海上にもない。君がよく知る、けれど決して手の届かない場所にあるよ。さて何処どーこだ?』


 暗く閉ざされた地下室の、天井を見上げる。


「……月か」

『エクセレント! すごいよエフェメラ君!』


 一人分の乾いた拍手が空しく木霊する。


『だから残念だけど、君はもう二度と人間の血は吸えないよ。もっとも私専属の実験台になってくれるなら、迎えを出してもいいけど?』

「断る」

『残念。それとももしかして、月まで飛べるかもとか思ってる? 吸血鬼の翼で辿り着けるようじゃ、わざわざ月まで逃げた意味がないって理解できるはずだけど』


 妙な言い回しに引っ掛かりを覚える。


? まるで人類が吸血鬼から逃げる為『方舟』を作ったように聞こえるが」

『え、そうだよ?』


 さらりとした返しに、またも言葉を失う。


『本当に何も知らないんだ……先生になった気分。歴史の授業、しちゃう?』

「……隕石が降ってきて、生体珪素が見つかって、ゴーレムが造られ、その技術を巡る戦争で地上が荒野になった。その『歴史』の何処に、吸血鬼が介在する?」

『ふむふむ。えーと、甘めにつけて65点くらい? だいぶ要点抜けてるよー』


 シュユから聞いた話に偽りがあったということだろうか。


『まずね、隕石で人類いっぱい減った、まではOKオッケー。で早速ここで吸血鬼の登場。減ってしまったを管理すべく、我らこそが人類の支配種だと声を上げたわけ』

「何だと……!?」

『聡明な君とは違うタイプの吸血鬼だったのかもね。ともかく戦争はその時点で起こった。人類は実のところ隕石災害の時点で結束していたのさ。人類共通の強敵・吸血鬼を前に、起死回生の一手、生体珪素を発見! 人類はゴーレムや珪獣といった珪素生命体を造り、吸血鬼と果敢に戦い続けた!』


 珪獣も、人類が造った……? 吸血鬼を倒すために?


『珪素生命体には血が流れていない。相手の血を吸えない吸血鬼は弱体化していった。けど不死はあくまで不死、簡単には滅ぼせなかった。だから人類は地球を捨てて、決して辿り着けない場所まで逃げた』

「それが『方舟』……」

『その通り。こうして地上から吸血鬼の食糧じんるいはいなくなり、吸血の悦びを永遠に失った吸血鬼たちは、絶望のまま朝日に身を晒して灰となった。君みたいな賢い生き残りも、地上に残してきたゴーレムや珪獣たちが勝手に掃除する。何せ全ての珪素生命体は、吸血鬼を殺すためだけに造り出されたんだからね』

「…………ッ」


 アトの言葉に、エフェメラはどんな悪夢よりも深い絶望を覚えた。

 同族の絶滅にでも、人類の不在にでもない。


 ――。

 すなわちシュユもまた、吸血鬼である自分を殺すために造られたということに。


『でも吸血鬼の生き残りがいたことは驚きだけど、まさかゴーレムと一緒だなんてもっと驚いたよ。……彼女、君が吸血鬼って知ったらどんな反応をするのかな。もし君から伝えるのが辛いなら、私が代わりに伝えてもいいよ?』

「……必要ない。伝えるな」


 シュユにだけは、知られるわけにはいかない。


「……アト。おまえに、頼みがある」



「……あっ」


 エフェメラが屋敷を出ると、花壇に水をやっていたモコと鉢合わせた。

 モコには「吸血鬼に決して危害を加えない」という命令を下したとアトは言っていたが、敵意や恐怖までは上書きできないらしく、彼女は怯えていた。


「……騒がせたな。我はもう行く」

「え、えと、おつれさまが、ピアノのへやに……」


 困惑するモコに背を向け、ひとり歩き出す。


 エフェメラは、アトの元にシュユを託すことに決めた。

 シュユの前マスターも『方舟』にいる。もし見つけたら、シュユをその人の元へ送り届けてほしいと。

 アトはふざけた態度ではあったが、モコへの待遇を見るにゴーレムへの愛情だけは信頼できる。


「シュユは大切なだ。絶対に無事に贈り届けろ」

『あは、恋文。素敵な響きだね。わかった、約束しよう』


 モコのお友達が増えるのは嬉しいしね、と告げてから、アトは本心から寂しそうに言いたいことだけ言って通話を切った。


『……けど、君ともまだまだ話したかったよ。君に比べて、人間の一生なんて短いんだからさ』



「……なるべく、小高い丘がいいな」


 独り言に応える相手は、今は隣にいない。

 シュユに何も告げずに来たのは、彼女が怖くなったからではない。

 彼女の手で吸血鬼の自分を殺させるという、最悪の孤独から守るためだ。


「これでよかった。シュユは正しいマスターの元に行ける。我は……」


 人は死ぬと、天国なる場所に行けるらしい。

 では、吸血鬼はどうだろうか?



 ――ごめんなさい、エフェメラ! 手術のことを黙っていたのは謝るわ!

 ――でも、きっと成功する。明日の夜にはまた、自慢の笑顔を見せるから。

 ――約束するわ、エフェメラ。



 その明日は、未だ来ていない。

 手術の結果も知らぬまま、彼女と会えなくなる恐怖から逃げ、何百何千夜と眠り続け……孤独に耐えかねて、目を覚ました。

 当然、荒野に彼女の姿はなかった。


「……会いたいよ、


 やがて朝日が昇る。

 光に身を委ねれば、大好きだったセツナの眩しい笑顔に会えるだろうか。




「――探しましたよ、エフェメラ」




 ……どいてくれ。そこにいられては朝日が見えなくなる。


「どきません。屋敷に帰りましょう。いつも貴女が眠る時間です」


 今日は、朝日を浴びたい気分なんだ。


「ダメです。朝日を浴びたら――エフェメラは、灰になってしまいます」


 なんで。


「気づかないわけがないでしょう。貴女が当機の前で何百日、食べ物を口にしてこなかったと思っているのですか」


 そうじゃない。なんで。


「なんで、ゴーレムのおまえが。我を、吸血鬼と知ってっ、……守ろうと、するんだ……!」


 泣きじゃくる子供に語り聞かせるように、シュユは答えた。


「キーワード『吸血鬼』の照合に基づき。当機の設計者にして初代マスター……そしてエフェメラ、貴女の名付け人。セツナの伝言を伝えます」

「セツ、ナ……?」

「……こんばんは、お寝坊さん。やはり貴女の時間には、この挨拶ね」


 その笑顔は、エフェメラのの、それだった。


「まずは、あの最後の夜のことを。手術は怖かったけれど、貴女にまでその恐怖を押しつけたこと、どうか謝らせて」

「違っ……!」

「手術は成功したわ。みるみる元気になったの、私。それからいっぱい勉強して、医療工学の偉い先生になったのよ。隕石が降って、世界が大変なことになったりしたけれど、それでも貴女はずっと眠ったまま。だから私、貴女がいつ目覚めてもいいように、お手紙を遺すことにしたの」


 胸に手を当て、シュユは伝言を語り続ける。


「エフェメラ。貴女がいつか目を覚ます世界は、貴女たち吸血鬼にとってほんの少し生きづらい世界かもしれない。だからそのお手紙はね。貴女の傍で話し相手になってくれて、貴女を敵から守る剣になってくれて。血は吸えないけれど『』くらいなら笑って許してくれる……寂しがり屋の貴女にぴったりのお手紙なの。いつか必ず受け取って、ずっと大切にしてあげてね。――すっかりお婆ちゃんになっちゃったセツナより。いつまでも親愛なるエフェメラへ」


 嗚咽がとめどなく溢れ、声にならない。


「っ、しゅ、ゆ。おまえは、われが、目覚めるまで。ずっと、ずっとっ、あの棺桶の、そばで……っ」

「大した時間ではありません。当機や、貴女にとっては」


 計り知れないはずの孤独を、しかしシュユは笑ってみせた。


「当機は吸血鬼と戦うためなどではなく――寂しがりの吸血鬼と出会い、友達になるその日のために、つくられた恋文ゴーレムなのですから」


 ああ、合点がいった。

 恋文なんて表現を、コミュニケーションログに残してくれたのは。


「あ、の、おおばか、ロマンチスト、めっ……! なにが、ほんのすこし、生きづらい世界だ。吸血鬼も、人間も、いなくなってっ。世界だけが、広くて……!」

「当機がそばにいます」

「っ、ああ……だから……世界に、ふたりぼっちだな……」

「ええ。ふたりぼっちです」


 その笑顔が、この世界の何よりも愛おしいと思えて。

 衝動的に、エフェメラはシュユを抱き締めていた。


「――は、敵対行動の所定閾値を下回りますよ」

「いやだ。跡が残る」

「構いません」

「嘘だ。だって最初の傷、治ってない」

「当機は偽称機能を有しません。構わないと言ったのです」

「また噛んだら、また跡が残る」

「ええ、残ります。永遠に」

「……悪くない。そう思えたら、その時する」

「では待っています、ずっと」


 空が白み始める。夜明けはもう近い。


「さあ、もうすぐ朝です。屋敷に戻って眠りましょう、エフェメラ。起きたら教えてほしいことが沢山あります」

「……ああ。屋敷を出た時に聞こえたが、おまえのピアノは、酷いものだった」

「最後まで教わっていないからです。明日はもっと上手くなります」


 二人は立ち上がり、共に歩き出す。永い永い、これからの時間を。

 吸血鬼とゴーレムの、永い永い時間のうちの、ほんの短い一日一日を。

 二人で、大切に積み重ねながら。


「そして、明日も、明後日も、そのまたずっと先も……当機と一緒にいてください」

「……どうしてそれを、おまえが先に言ってしまうんだ」


 シュユが浮かべた微笑に、エフェメラは嘆息した。

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寂しがり吸血鬼とガラスの恋文 リン・シンウー(林 星悟) @Lin_5_star

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