寂しがり吸血鬼とガラスの恋文

リン・シンウー(林 星悟)

前編 吸血鬼とゴーレム

 いつもよりほんの少しだけ永い眠りから少女が目を覚ますと、

 そこは鉄屑の荒野だった。


「……のどが、かわいた」


 極めて原始的な欲求。

 いつ眠りにつき、何時間眠り続けたかも定かでない寝覚め。指先、腕、肩と順に力を込めてみる。どうやら身体は動く。

 を蹴飛ばし、うんと身体を伸ばしてから、改めてあたりを見渡す。

 紅い月の下、広がる暗闇。目に入るは鉄屑、瓦礫、岩と砂。およそ無機物のオン・パレード。この渇きをどう潤そうか。


「……居るな。ひとり」


 風さえ絶えたかのような静寂の下。ざり、と砂粒を踏みしめる靴音が近づく。


「おまえは誰だ?」


 少女が戯れに尋ねれば、


「対話の意思を確認――当機は対珪獣戦闘支援兵装搭載人型生体珪素構造体、識別コードSJ10エスジェーテン-15イチゴーです」


 およそ知り得ぬ言語の羅列。


「………………何て?」

「当機は対珪獣戦闘支援兵装搭載人型生体珪素構造体、識別コードSJ10-15です」


 一言一句たがいなく意味不明の呪文を繰り返したソレは、少女とさして背格好の変わらない女中メイド姿の見目麗しい人間だった。


「ヒ、ヒトガタ……? まあいい、ともかくヒトならば……遠慮なくか」


 少女はニィと牙を剥き、紅の瞳を妖しく煌めかせ……その瞳に久方振りの御馳走と映るメイドの白く美しい首筋にガブリと牙を立てた。


 少女は、吸血鬼である。


 日の光を疎み、夜に生きる上位種。喉を潤すは水でも葡萄酒でもなく、人の身体に流れる生き血。そして快適とは程遠い渇いた寝覚めに、若く美しい女の血は魅力的な清涼剤だ。


「……ッ!?」


 しかし、その『御馳走』の氷のように冷たい身体には、一滴の血も流れていなかった。


「当機への攻性接触をコミュニケーションログと照合――完了。は敵対行動の所定閾値を下回りました。当機への害意は軽微あるいは皆無と見なし、対話を継続します」


 慌てて牙を抜き口を離すと、噛み跡はまるで硝子ガラスのようにひび割れていた。人肌にこのような傷はつかない。


「おまえッ、ヒトではないのか!?」

「当機は対珪獣戦闘支援――」

「それはもういい! 我のわかる言葉で話せ!」

「対話レベルの下方修正要求を承認しました。生体せいたいケイ、という単語に関する知識の程度を問います」

「知らぬ」

「下方修正の強化を行います」


 何やら馬鹿にされている気だけはした。


「では、ゴーレム、という単語に関する知識の程度を問います」

「ゴーレム……? それなら知っている。意思を持った岩石の傀儡くぐつのことだろう」

「はい。当機を始めとする自律行動式の珪素構造体は、『命ある岩石』生体珪素を用いて造られた人工生命体。その総称がゴーレムです」


 そこで初めて、少女は『当機』という単語が一人称であることに気づいた。


「おまえが、ゴーレム……? たばかるな。ヒトにしか見えぬ」


 メイドの姿は、顔貌は。紛れもなく少女のよく知るヒトのそれだった。


「当機は偽称機能を有しません。人間とゴーレムの構造的差異に関する説明を所望しますか?」

「い、いや……遠慮する」


 どうせ聞いても理解できる気がしない。それに、肌が硝子のように脆かったのも、血を吸えなかったのも事実だ。

 であれば早々に捨て置き、獲物を探しに夜闇を翔けたいところではあるが。


「……我は人間を探している。生きた人間だ。心当たりはあるか?」


 ほんの気まぐれで、もう少しだけ。

 少女はこの奇妙なメイドとの時間を惜しむことにした。



「一体どれだけの間、我は眠っていたというのだ……?」


 メイドゴーレム――SJ10-15の話によれば。

 眼前に広がる無機物の荒野は、どうやらここ数日の変化ではないらしい。


 ずっと前(彼女曰く「当機は長期計時機能を有しません」)、地上に沢山の隕石が降り注いだ。多くの都市が瓦礫の下敷きとなった代わりに、人類は隕石の中から夢の新素材『生体珪素』を発見。

 ゴーレム製造技術が確立され、その発展によって様々な環境問題が好転したが、今度はその技術を巡って世界的な大戦争が勃発。

 かくして人類は、この荒廃した地上の希少生物となったという。


「それで結局、人類は戦争で滅んだ……?」

「いいえ。当機のマスター権限を持つ人物は生存しています」

「本当か! では今すぐそいつの所へ案内を!」

「要求は達成困難です。マスターの現在位置『方舟はこぶね』は当機の現座標から著しく離れており、当機の有する移動手段においては短時間での到達が不可能です」


 遠くにいて時間がかかるだけなら問題ない。何せ少女は吸血鬼、悠久を生きる不死の種族。たとえ大海原の向こう、地球の裏側への道行きも、永い吸血鬼生から見れば刹那の旅である。


「多少時間がかかってもいい、その舟まで……」


 そこで少女は異変に気付き、身構える。


「警告。ケイじゅうの接近を検知しました。対珪獣戦闘支援プロシージャの実行を推奨します」

「けいじゅう、とは……」


 答えを待つより先に、背後から高速で迫る気配に腰を落とせば、頭上を冷たい突風が吹き抜けた。


「こいつのことだな?」


 闇に妖しく蠢く双眸。体温も息遣いもない、黒豹に似た冷たい巨躯。石槍のように鋭く尖った無数の体毛。夜戦に特化した特徴の数々。

 おそらく獣型のゴーレム、なのだろう。


「ふん、夜の王たる我に挑むかッ!」


 夜を得意とする生物の中でも吸血鬼こそ最強。圧倒的な力で殴り砕くだけだと珪獣の鼻っ面に拳を打ち込む。


「……むぐッ!?」


 おかしい。砕くどころか押し負けつつある。

 すぐに少女は理解する。血を飲んでいないせいだ!

 吸血鬼は、血を飲まずともそれだけで餓えて死ぬことはない。が、長く血を飲まずにいると体力や腕力が著しく衰え、本来の強さが発揮できなくなるのだ。


「要はそれだけ長く寝ていたのか我は……!」


 屈辱に歯噛みする少女の拳に、白く冷たい手がそっと添えられる。


「再警告。対珪獣戦闘支援プロシージャ実行の承認を宣言してください」

「い、いや……」


 すぐ横から真顔で話しかけてくるメイド。理解不能な状況と文言に戸惑っていると、獣は鋭い爪を備えた前脚を高く掲げた。


「わ、わかった! 承認する!」

「承認権限者の固有名を登録してください」

「名前? 我等に名前など……!」


 吸血鬼は家族を持たない。故に、名も持たない。

 そのはずだった。



 ――貴女、名前が無いの? じゃあ、私がつけてあげる。



「……エフェメラ! 我の名は、エフェメラだ!」


 次の瞬間には。

 少女の両手には巨大かつ華美な剣が握られ。

 数メートル横合いに、真っ二つに斬り裂かれ物言わぬ石塊いしくれとなった獣が横たわっていた。


「――珪獣の機能停止を確認。マスターエフェメラ、戦闘の終了を宣言してください」


 剣が喋った。


「……聞きたいことが山ほどある」

「戦闘の終了を宣言してください」

「せんとーのしゅーりょーをせんげんする」


 棒読みでそのまま口にすると、剣は透き通った粘土のようにぐにゃりと形を変え、ほどなくして元のメイド姿に戻った。


「何だ今のは」

「対珪獣戦闘支援兵装形態です。マスターの承認により変形しました」

「マスターというのは」

「プロシージャ実行承認と権限者登録により、マスター権限が自動で移譲されました。当機の現マスターは貴女です」

「……前のマスターの居場所は?」

個人情報プライバシー保護の観点から、権限移譲と同時に『方舟』の位置を含む全ての座標取得を無効化し、過去のログも全消去しました」

「何てことをしてくれたああアア!!」


 人類の居場所、その唯一の手掛かりがあっさり絶たれた。


「で、では、人間の生き残りを探すにはこの荒野を地道に歩き回るしかなくなったということか……!?」


 がっくりとうなだれるエフェメラに、SJ10-15は首を傾げて声をかける。


「マスターはなぜ人間を探しているのですか?」

「会いたいだけだ……やめろマスターなどと、血も流れていない眷属など不要だ」

「当機は既にマスターの所有物です。貴女に追従し、戦闘を支援し、対話を行います」


 ガラス玉のように透き通った美しい瞳。



 ――ねえ、エフェメラ。明日の夜もまた来てくれる?



 そうだ。ぼんやりとだがエフェメラは覚えている。

 もう二度と他者と深く関わるまいと、心に決めてあの夜眠りについたはずだ。

 人間だろうがゴーレムだろうが関係ない。


「……必要ない。我をマスターと呼ぶな」

「では、どのように」

「……エフェメラでいい。ともかく、マスターなど御免だ」

「しかし当機のマスター権限は――」


 淡々とした反論を遮って、エフェメラは言葉を続けた。


「ハコブネとやらを見つけ、おまえの前マスターか他の人類の生き残りを探し出す。そしてマスター権限とやらを突き返してやる」

「再移譲は可能ですが、到達は困難です」

「構わない。幸いにして時間はたっぷりある。だからSJ……あー」

「SJ10-15です」

「その名も好かぬ。……これよりおまえを『シュユ』と呼ぶ。人類を見つけ、おまえを届けるまでのわずかな間だけ、我と共に来い。わかったな、シュユ」

「理解しました」

「……今のは、命令ではないからな」

「それも当機は理解しています、エフェメラ」


 シュユが浮かべた微笑に、エフェメラは嘆息した。

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