希死念慮

スズムシ

だってそう思ったんだから仕方ないじゃん

 私は煙草をんだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。



 今しがた三島由紀夫の「金閣寺」を読み終えた鈴虫わたしは、静寂のちる自室のテーブルに突っ伏した。

 文学を脳にみ込ませると、そこはかとない虚無と疲労の波がからだに押し寄せてくる。

 人差し指で眉間を揉みほぐしながら、わたしは棚の上で休みなく秒針をきざむ時計に視線を送った。

 時刻は深夜の二時に差しかかろうとしている。かがめた上半身を伸ばし、コーヒーでもれようかとおもむろに重い腰を上げる。

 長時間にわたり自重にいたぶられた臀部でんぶをさすり、幾度となく行く手をはばむ倦怠感を乗り越え、湯をかす。

 するとテーブルに置いたままの携帯電話がわずかに振動した。環境音にとぼしい部屋では機械のしらせはおろか、かすかな息づかいでさえも聞きらすことはない。

 読書中に降っていた性欲をしずめるためだけに呼び出した恋人が間もなく到着するだろう。

 深夜に呼び出して申し訳ないとは思うが、心のたかぶりに理性の鎧はあっけなくかされしまったのだ。

 しかしながら。どのような状況下でもわたしを優先し、わたしの身を案じ、わたしを認め、わたしを褒め、わたしの期待にこたえようと尽くす献身的なパートナーに恵まれ、わたしは満たされている。

 ほんとうに、かつてないほどの幸福がわたしの人生をいろどってくれる。鼻歌じりに沸騰した湯をコーヒーカップに注ぎながら――



 あぁ、まじで。なんとなく死にたい。



 わたしはそう思った。

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希死念慮 スズムシ @suzumusi

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