マンドラゴラ・トラジェディ
@yuichi_takano
マンドラゴラ・トラジェディ
昔、マンドラゴラという植物があった。今となっては絶滅してしまい、伝説上のものとなっているが、七百年ほど前までは実在していたのである(現代でも「マンドラゴラ」と呼ばれる植物は存在するが、実際のところ、あれは別の種のものなのだ)。
今でこそ「根っこが人型をしている」、「引き抜く際に超高音の叫び声を出す」、「その声を聞くと死んでしまう」等の危険性が知られているが、マンドラゴラが発見されて間もない頃は、ただ「万病に効能がある」という良い面だけが一人歩きしてしまっていた。
これは、その一人歩きが引き起こした、悲劇の物語である。
時は中世、12世紀半ば。ヨーロッパのとある町に、二人の兄妹がいた。兄のアルタは齢十二、妹のシエラはその三つ下。
戦争の災厄は得てして民衆に降りかかるもので、この二人の両親は、数多ある紛争の中の一つで、ただの肉塊に成り果てた。
幸か不幸か、兄妹だけは戦禍を逃れ、行く当てもなく彷徨ったのだった。だが、もともと身体の弱いシエラは、日を追うごとに体調を崩していった。
仕方なく、兄のアルタは、父母の親戚を頼ることにした。子どもながらに、迷惑をかける申し訳なさを感じて避けてきたのだが、可愛い妹のためとなれば、背に腹は代えられない。
もちろん親戚は快く受け入れてくれた。そこまで裕福でもないため、万全の療養という訳ではない。だが、シエラにとっては、それでも十分だったろう。
アルタは良く働いた。掃除や洗濯、買い出しなど、できる限りのことをした。シエラのためであり、そして自分の所在なさを解消するためでもあったのかもしれない。
だがそれを良く思わない人物が一人いた。親戚家族の子どもだ。突然現れた見知らぬ子に、父母が奪われていくのだ、そう思っても仕方がない。
少しずつ、兄妹とその子どもの間に亀裂が入って行く。アルタは、「シエラを守らなきゃ」という思いで、敵対心を剥き出しにしてしまった。もしそこで、ご機嫌取りでもできていれば、幾分違った結末になったかもしれないが、この状況では難しかったろう。
程なくして、殴り合いの喧嘩になってしまった。どちらが先に手を出した、とか、どちらが悪い、とかは関係ない。アルタ達はその家には居られなくなった。
兄が妹に謝りながら出て行く姿は、追い出す側が見ても、居たたまれないものだっただろう。
二人は再び、当てのない放浪を始めることになったが、シエラの病弱さが治った訳ではない。かと言っても、頼ることのできる
そんな状況に耐えられず、兄は一つの決断をした。
「マンドラゴラを取りに行こう」
アルタは、家事手伝いの買い出しで街に出た際に、マンドラゴラの噂を耳にしていた。「一口で、死ぬまで病気にかからない」、「煎じて飲めば不死になれる」、「見るだけでも風邪が治る」など、本当かも分からない、真実とも思えない、そんなものだった。だが、今のアルタには、もうそれしかなかった。
そして、「そのマンドラゴラを、老婆が山で育てているらしい」、という情報を元に、アルタは山へと向かうことにした。
もちろん妹は連れていけない。「薬を買ってくるから待ってて」、そう伝え残して、マンドラゴラ探しに出発した。別れ際の彼女の弱々しい笑顔は、彼に「絶対にマンドラゴラを見つけてみせる」という決意を固めさせた。
十二歳の少年にとって、山を登ることは困難を極めた。普段から人の往来がないため、有る道と言えば獣道ぐらいなものだった。草むらを抜ける度に服が裂け、岩を登る度に擦り傷ができた。川を渡れば怪我にしみ、木の根につまずけば心が折れそうになった。
だが、その度に、妹のシエラの顔が浮かんだ。
「そうだ、シエラの苦しみに比べれば、こんなもの」
そう自分に言い聞かせ、アルタは歩き続けたのだった。
今思えば、ここで諦めていたら、兄妹はもう少し長く、同じ時を過ごせたのかもしれない。それが幸せなことかは分からないが。
朝から歩き始め、もう既に夕方になっていた。周りが暗くなるのと同じように、アルタの意識も薄れていく。今はもう、「シエラを助けたい」、その意志だけが、かろうじて彼の身体を動かしていた。
ふらり、ふらり。
ただ当てどもなく探し続けた。
ふらり、ふらり、ふらり。
整備もされていない山道を、そんな状態で歩いていたのだ、足を踏み外しても仕方がない。十二歳の軽い身は、投げ飛ばされたように吹き飛んだ。受け身を取ることも、何かに掴まることもできず、アルタは斜面を転がり落ちていってしまった。
十メートルほどだろうか、そこまで転落したところで、ようやく止まった。動かない。さすがにこの高さだ、死んでしまうのも道理である。
道理である、はずなのだが、アルタはまだ生きていた。
「ダメだ、ここで死んだらシエラはどうなる」
そう呟き、ふらつきながらも、どうにかして立ち上がった。
すると、そこは、小さな畑だった。
いくつかの
予想通り、そこには一人の老婆がいた。農作業をしているらしい。
マンドラゴラについて聞くため、アルタはその老婆に駆け寄った。
この時、老婆は、まさに今マンドラゴラを引き抜かんとしていた。だがマンドラゴラの叫び声のことなど、つゆも知らないアルタは、そのまま近付いていってしまった。
ずるり、とマンドラゴラが抜け、人面の根が金切り声をあげる。その超高音は少年の鼓膜を破り、脳味噌を切り裂いた。彼がそのことを認知する前に、身体が動かなくなり、ばったりと倒れてしまった。
あっけのない話だが、アルタはここで死んでしまった。
だが、この話には続きがある。倒れた音に気がついた老婆が、急いで駆け寄った。そしてマンドラゴラの叫び声を聞いてしまったことを理解し、あわてて小屋に入っていく。
少しして出てきた老婆の手には、一杯のスープ。そう、マンドラゴラのスープである。無理矢理アルタの口を開き、それを飲ませた。すると、少しだけアルタの顔に血色が戻り、暫くして目を覚ました。
「いいかい、坊や。落ち着いて、よぉく聞きな。あんたは今、死んじまってる。このマンドラゴラの粉末を飲んだから、少しの間だけ生きながらえてるけどね。その内、命の火はまた消えちまう」
そこで老婆は、アルタの目を真っ直ぐに見つめた。
「あんた、そんなボロボロになりながらここまで来たんだ。何か訳ありなんだろう?マンドラゴラを一つ分けてやる。さぁ、急ぎな。あんたには時間がないんだ」
状況が飲み込めていないアルタだったが、老婆の気迫と、しわがれた手に背中を押され、マンドラゴラ片手にシエラの元へと走り出した。
頭が傷ついてしまっていたからだろう、アルタはものを考えられていなかった。それでも「妹を、シエラを、助けなければ」という本能で、身体が動いていた。下り坂を全力疾走していたのだから、途中で転び、枝に切り裂かれ、岩にぶつかった。傷だらけになりながら、骨が折れながら、それでもマンドラゴラは決して離さず、駆け続けた。
町に着いた時には、人かどうかすら分からない姿に成り果てていた。人々の悲鳴の中、シエラのいる隠れ家へと、一直線に走り抜ける。命の灯火が消えかけた頃、ようやっとシエラの元にたどり着いた。
人間とは思えない様相だったが、それが兄であると、直感で分かったのだろう。シエラは、崩れ落ちるアルタを抱きしめた。
「兄様、兄様…」
シエラは、泣きじゃくりながら、ひたすら兄のことを呼び続けた。
「コレ、タベ…テ」
最期の力を振り絞り、アルタはマンドラゴラを差し出した。それをシエラが受け取ると、アルタは息絶えてしまった。今度こそ、本当に、絶命した。
シエラは一晩中泣いた。泣いて、泣いて、泣き尽くした。もしかしたら、両親が亡くなった時よりも泣いたかもしれない。自分のために死んだということが分かっている分、尚のこと悲しかったのだろう。
泣いて、泣いて、涙が出なくなった時、手に握っていたマンドラゴラのことを思い出した。兄が、命がけで持ってきてくれた物。これはきっと、病気がちの体質に効くものなのだろう、シエラにはそれが分かった。だが、彼女は、それを食べるか、大層迷った。
病弱さが治ってしまったら、一人で生きていかなければならないのだ、この悲しみを一生背負いながら。このまま衰弱死した方が、幾ばくか楽なのかもしれない。だが、その一方で、兄の死が無駄になってしまう悲しみもある。
悩んで、迷って、困り果てた挙句、彼女はマンドラゴラを食べることに決めた。兄のために、両親のために、生きていこうと決心したのだ。
シエラは、勢いよく、マンドラゴラにかぶりついた。美味しい。今まで食べたもので、一番だと思えるくらいに美味しかった。続けて二口目。幸せだ。これ以上ないくらいに、幸せだった。三口、四口と、次々とたいらげていく。そして、その度に幸せに満たされていく。幸福に全身を包まれながら、マンドラゴラを食べ終えると、シエラはそのまま死んでしまった。
これは悲劇の物語。
マンドラゴラは、「万病に効く物」とその時代では思われていたが、本当は「食べた者の願いを叶える物」だったのだ。病気の人間に食べさせていたため、病に効果があると思われていただけのことなのである。
しかし彼女の場合は、生きていくことを決めたものの、本心では「家族と一緒にいたい」と思っていたのであろう。だからこそ、死へ至ってしまった。
そして、兄妹の末路を、風の便りに聞いた老婆は、二度とこのような悲劇が起きないよう、「願いを叶える」マンドラゴラを育てるのを辞め、「麻酔効果のある毒草」であるマンドラゴラを育てるようになった。
それが、今も伝わる「マンドラゴラ」の原種だという説も、あるとか、ないとか。
マンドラゴラ・トラジェディ @yuichi_takano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます