File.15 狂濤戦・壱 崩壊前夜

「――はぁ。思ったより不味い事になったわね」

 放課後の教室で嘆息を溢す。始業式を終えて正午で授業を終えた一年一組の教室、壁掛けの扇風機が首を振る様を気怠げに眺め、ただ無為に時間を浪費する。

 ――日辻ひつじの当主が仇敵たる蛇神へびがみへの告発依頼を断った。否、厳密に言えば条件を出してはいるのだが、それが不可能な内容である以上は事実上の拒否と捉えて構わないだろう。一連の経緯を目の前の昼行灯から聞いた時は少しばかり頭痛がしたが、だからと言って頭を抱え続ける訳にもいかない。今為すべきは思考を止めない事。策の一つが頓挫した程度で匙を投げてはいられないのだから、次なる策を考えなければ。

「……あの、日辻さん。羽生はぶさん、どうかされたのですか?」

「あ、のぞみ。告発とウチの婆さんの件で色々ねぇ。そっちの成果はぁ?」

「……想定はしていましたが駄目でした。からうままで門前払い、生徒会は全滅ですね」

「……何よ、子から午って。干支えとの話?」

「干支というよりかは拾弐本家の話だねぇ。根住ねずみ牛若うしわか寅井とらい卯野うの辰宮たつみや蛇神へびがみ相馬あいま。告発される側の蛇神家除いて六家が告発を拒否したって事だよぉ」

 昼行灯の説明を机に突っ伏しながら反芻する。成程、根住だから子、牛若はうしと十二支と関連付けられていると。確か蛇神を告発するには少なくとも六家の協力が必要で、たった今蛇神を除いた十一の家のうち七家が反対して――。

「――詰んだじゃない!?」

 感情のままに飛び起きる。現在を以て無血で蛇神を潰す作戦は水泡と帰した。得られた成果は保守派の退魔士の上層部にとって蛇神を引き摺り下ろされるのは不都合だと判ったことくらい。どうやら腰の重い連中に任せるよりも私が直接手を下した方が早いらしい。

「……有希。殺すのはナシだよ」

「……日辻、殺す以外の択はたった今消え失せたわよ。私が縊り殺した方が信用ならない退魔士連中に永遠と説き伏せるより早く片付くのは解るでしょう?」

「効率の為に癇癪を正当化するのは良くないと思うなぁ。……そもそも有希は前提を違えていると思うんだよねぇ。まずはソコから見直そうか」

 宥める声に唸りながら引き下がる。私が前提を違えていると日辻は言ったが、私は何かを見落としたのだろうか。拾弐本家の連中は殆どが門前払いで半数を味方に付けるのは絶望的、日辻の当主だって決して私が呑めない条件を突き付けてきた。故に蛇神を告発出来ないと踏んだのだが、この前提に食い違うような事なんて――。

「……あの。一つお聞きしたいのですが、日辻さんの曾祖母様は何と仰ったのですか」

「あー、望にはまだ言ってなかったのね。『夜峰よみね鴉天狗からすてんぐに助力の約束を取り付けられたら了承する』、らしいわよ。当の鴉天狗はとっくに絶滅してる。つまり無理って事で――」

「――ううん、無理じゃないんだ」

「えっ」

 遮ったのは昼行灯。成程、前提が違うとはそういう事か。私にとってその条件は不可能なもので決して呑めるものではないのだが、どうやら日辻はそうは思っていないらしい。全く、今なら反吐の一つくらい吐いたところで許される気がしてきた。

「……夜峰の鴉天狗の話は父――蛇神の当主から聞いた事があります。千羽の霊山に住まうあやかしの一族で、何年か前に悪逆無道を為したために、拾弐本家が一つである宍戸ししど家が率いる討伐隊と交戦し、両者相討ちとなったとか――」

「はぁ!?悪逆無道!?何処の莫迦がそんな嘘八百並べ立てたのかしら!?の一族は何もしていない、連中の小遣い稼ぎの為に殺され羽根を毟られた被害者よ!あんなものは討伐じゃなくて虐殺で、だからあの子は……!」

「……本家の保守派が都合良く言い張ってるんだよ。退魔士が正義で妖は悪ってね。……望、有希はその現場に居合わせてるから。彼女の言葉は全部本当だ」

 震える背を優しく擦りながら言葉を続ける日辻。そう、八年前に夜峰の一族は欲深い宍戸の一団に無残に殺された。連中はある一家以外を殺して回り、そして一人の生き残りに皆殺しにされた。その生き残った家族も一年後に一家心中。拾弐本家の退魔士も、千羽を束ねる白部の妖も共に夜峰の鴉天狗は絶滅したとの見解を出した。これが『夜峰の協力』が不可能である表向きの理由である。

「有希が無理だって言い張ってる理由はそれ。彼女にあの時みたいな思いをさせたくないみたい」

「……あの、日辻さん。それじゃ、まるで夜峰が生きているみたいじゃないですか」

「――そう、生き残ったんだよ。夜峰 まといは、黒羽くろはね なぎとして今も生きている」




 ――何が夜峰だ。とっくに滅んだ鴉の威光に頼るなんて馬鹿みたい。藁にでも縋っていた方が形があるだけ幾分も救いがある。高齢から来る世迷言であれば聞かなかった事にして流せたのだが。

「……本気、だったよね。あの婆さんは夜峰の面影じゃなくてを見てた」

 勢いのままに喫茶を飛び出して辿り着いた商店街。田舎でありながらそれなりに賑わう通りを歩きながら物思いに耽る。この千羽の町に夜峰を冠する鴉はいない。この空を飛ぶ黒翼は二度と拝めない。全ては過去となり忘れ去られる、その筈なのに。

「……あの、すみません。コロッケ二つくださいな」

「おや、喫茶の凪ちゃんじゃないか。何だか久し振りな感じがするね」

「あはは……。えっと、最近どたばたしてて」

 百円玉二枚と引き換える昼食。僕の価値はきっとこのコロッケにも及ばない。誰かが丹精込めて作った料理は食べられる事で人を生かす。商品として並べられ、明日を繋ぐ日銭となって人を生かす。そんな仕事に精を出す店主の価値は計り知れない。否、僕と比べたら殆どの人や妖は一様に価値のある存在で。

『纏。あなたなんて、いなければよかった』

 ――だから、そう望まれた自分には何の価値もない。何も為せず、何も救えず。あの時母が遺した言葉の通り、わたしの命は潰えてようやく意味が出来るのだろう。「お前が死んだおかげで世界はより良くなりました」と言ってくれる誰かがいるのなら、きっとそれは本望の筈で。

「はい、揚げたてだよ」

「……はぇっ?」

「もお、ぼーっとしちゃって。コロッケ二つ、此処で食べてく?」

「……あー、はい。お店の前のベンチ借りますね」

 パック入りの黄金色のコロッケを両手で受け取り、ゆっくりと腰掛けて手を合わせる。ほくほく、あつあつ。喫茶を飛び出す前に水筒くらい準備すればよかったかな、なんて少しばかりの後悔と共に味わって。

 ――ベンチに腰掛けて見る世界は平和、のように感じる。商店街を行き交う人はそれぞれの日常を過ごしているが、僕はその影で何があったかを知っている。渦巻く蛇神の陰謀、抗う退魔士や妖達。負傷者や建物の被害は決して少ないと言える規模ではなく、死亡者数だってゼロから増えてしまった。人知れず戦う彼等によってこの見せ掛けの平穏は維持されているが、それも直に揺らぐのだろう。そうなってしまった時に、わたしの無価値な命で為せる何かがあるのなら。

 ――たとえ何も為せないとしても、何もしない理由にはならない。わたしは救う為なら命だって捧げられる。有希や喫茶の店主のような大切な人は勿論、今この肉屋に訪れようとしている知らない誰かだって、死んで欲しくはないのだから。

「いらっしゃいませー。ご注意は――」

「すまない、私の娘を見てないだろうか!?」

 ――刹那、大声とカウンターを叩く音で思考が途切れる。何事かと振り返った先には先刻の肉屋の客。長身痩躯、後ろ姿では分からないが震える声から焦りを感じる。平和平穏とは掛け離れたその男の勢いに思わずコロッケを齧る手が止まる。

「落ち着きな、商店会長。他のお客さんもいるんだから」

「……すまない、取り乱してしまった。コホン、驚かせてすまなかったね、深紫のお嬢さん」

「い、いえ、お気になさらず」

 振り返った顔は冷や汗塗れ。目元のクマから察するにこのオジサマはあまり眠れていないのではないだろうか。先程の娘云々の発言といい、少し嫌な予感がする。

「……それで、娘は」

水鈴みすずちゃん?ウチには来てないけどねぇ。というかいつ居なくなったんだい、中学も今日から学校だったと思うけど」

「それが、昨日の朝から友達と遊ぶと出て行ったきり帰ってこないんだよ。その友達は昨日の午後四時には帰ったと言っていたし、中学からも登校していないと連絡があって……」

 ――訂正、嫌な予感ではすまない。この商店会長と呼ばれた男の話から察するに、その水鈴とかいう娘は失踪してしまったのだろう。それも恐らく思春期少女の家出と片付くものではなく、何かしらの事件性を帯びた理由で。誘拐だとか、この町であれば神隠しだとか――。

「昨日何してたとかは聞いているのかい?」

「ああ、その友人の家でゲームをしていただけらしい。昼食はその子のお母さんがご馳走してくれたそうで、遊んでいる間は一度も外に出ていないそうだ」

 誘拐、神隠し。それらの単語は記憶に新しい。四ヶ月前――五月に辺りで噂になっていた連続失踪事件。有希も巻き込まれたそれは、ある科学者と妖が共謀して女学生を拉致監禁し、薬物の実験台にしようと目論んだ事件だった。後に科学者は蛇神家と繋がっている事が発覚し、当の蛇神は今現在も暴霊獣ボレズという魔獣を作る霊薬の騒動の渦中にある。もしその水鈴という娘の失踪が過去の事件と関連性があるものだとしたら、それは。

「……わたしが、救わないと」

「凪ちゃん……?」

 ――救え。贖え。無力で無価値な鴉は使命を果たせ。羽根より軽い命を賭けて、為すべき事を為し遂げろ。

「――はい、お話は聞かせて頂きました。娘さんを探せばいいんですね」

「……お嬢さん、君には危険な事はさせられないよ。見たところ私の娘と同じくらいの年齢だろう?危険な事に巻き込まれているかもしれないのに、手伝って貰うワケにはいかないよ」

「ご安心ください。出来る範囲で為すべき事を為すだけです。無理だと思ったらすぐに手を引きますから」

 ――救え。救え。立つ脚があるのだから立ち上がれ。どうせ無価値な命なら価値ある命を救う為に使え。それだけがわたしの意味だ、それだけがお前の価値だ。故に救え。救え。救って死ね。死ね。死ね。死んで価値を残せ。死んで意味を刻め。救え。死ね。救え。死ね。救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え救え!

「――任せて。が、全部救ってみせるから」




「有希……機嫌直してよぉ……」

「知らない煩いどうでもいい。本っ当ぺらぺら喋ってくれたわね、この昼行灯は」

 日辻の頭にたんこぶを製造して頬を膨らませる。大丈夫ですかと彼の頭を撫でる望に黄金の魔眼で圧を掛けた上で、改めて警告を投げ掛ける。

「夜峰――というより黒羽君の事情を知っている人は少ないわ。日辻は貴女に気を許しているから話したと判断するけれど、口外したらそこのラム肉より酷い目に合わせるから」

「判っています。……ところで、黒羽さんって羽生さんが連れ去られた際に協力してくれた方ですよね。頼めば手伝ってくれるのでは」

 望の疑問の声を無理ねと一蹴する。確かに黒羽は以前にも動かなかった訳ではないが、それは全て受け身での行動であった。自分への討伐令が出たから自分で始末を付けた、襲われたから交戦した、緊急事態だから仕方なく動いた。避難等も手伝いはするが、決して自分から刃を握る性格ではない。以前にも一度協力を断っている事もあり、矢面に立つ事はなるべく避けたいのだろう。私があの子を血みどろの世界に立たせたくないように、黒羽自身も立ち上がる状況を拒んでいるのが現状だ。

「ついでに言うと無理に立たせるつもりもない。もし貴方達や退魔士連中が強硬手段に出るのなら、私だって容赦はしないから」

「そう、ですか。なら一度この話は白紙にしましょうか。巻き込むのは私も本意ではありませんし」

「望は一度巻き込んだけどねぇ」

「……空気読んでくださいね」

 日辻の小言に普段の穏やかな姿からは想像も付かないような冷たい視線を向ける望。ともかく、これで黒羽を巻き込む話は一旦終わり。他の方法はまた後日考えればいい。ようやく立ち上がって鞄を抱え、別れの挨拶を告げて扉に手を掛けようとしたその瞬間、

「まだいたのか。探す手間が省けた」

「きゃっ!?」

 ひとりでに引き戸が開き男の顔が現れる。お化け屋敷を思わせる光景に思わず悲鳴を上げて後退るが、後方不注意で学生机の角が私の臀部に突き刺さる。

「――ッ!?」

「羽生さんっ!?」

「大事故だぁ……」

 声に鳴らない悲鳴が喉から漏れ出る。痛い。地味に痛い。というか洒落にならないくらい痛い。許さない、絶対に許さない。日辻の前でこんな醜態を晒す羽目になるだなんて許さない。あのドッキリ男は確実に縊る。そして日辻と望の記憶も物理的に消してやる。

「……敵襲か?」

「お前のせいだよ、相馬あいま……。えっと、僕達に何の用かなぁ」

 ドッキリ男――相馬と呼ばれた無表情の青年は私達を見渡してこほんと咳払いする。思い出した、確か彼も生徒会にいた退魔士だ。全く、退魔士には碌な奴がいないらしい。奴の頭にも三段に重ねたアイスクリームのような腫れを作ってやろうか。

「仕事だ。退魔拾弐本家の一つ、鳥谷とりたに家の娘が行方不明との連絡があった。同時に卯野うのが結界の発生を感知、お前達には捜索を依頼したい」

「……マイペースもここまで来ると冷淡ね。それはそれとして、鳥谷って誰かしら」

「退魔拾弐本家の一つ。……行方不明って事は有希の時みたいな誘拐かもねぇ」

「……成程、暴霊獣絡みかもって事ね」

 痛みを抑えながらゆっくりと立ち上がり、制服をぽんぽんと叩いて身嗜みを整える。そうだ、何かを為すならまずは動くべきだ。事件を解決すれば何か糸口が見えるかもしれない、あれこれ頭だけ回して進展が無いより幾分マシ。二人と顔を見合わせ、相馬にゆっくりと手を差し出す。

「オーケー、引き受けたわ。……それで、何をすればいいかしら」

「了解した。結界の座標と行方不明者の写真を日辻のスマートフォンに送る。手筈を整え次第そこに向かってくれ」

 交わす握手。霊薬を作る施設は破壊したが、それで蛇神の脅威が潰えた訳ではない。きっといつか連中を潰す、その為に私は戦い続ける。それが私の、が歩む道であると信じて進む。

「……それと、一つ忠告だ。結界に向かった妖がいるとの報告があった。敵か味方かは分からないが、注意はしてくれ」

「……妖、ですって?」

 ――そう、私は進む。たとえこの戦いで何かを諦める事になろうとも、何かを失う事になろうとも。




 ――結果として、私が私でなくなるとしても。

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千アヤ外伝譚 蛇巫女の詩 織部けいと @kettar3

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