伍・夕焼けに虹が掛かり

狂濤戦

狂濤戦・プロローグ

 夏休みが終わった。九月を迎えて久々の登校、その足取りは石のように重たくて。始業式への出席を諦めて引き返した方が楽なのでは、なんて考えが過ってしまう。

「さーぼーりーたーいー……」

「はいはい、始業式くらいは出ようねぇ」

 横を歩く日辻ひつじに諭されるが嫌なものは嫌だ。長期休暇明けの学校なんて気が乗らないし進まない。未だ残暑の厳しい中、また校長の長話に拘束されると思うとすぐにでも帰りたいのだが。

「……もしかして、有希ゆうき。課題やってないとか」

「そんなの夏休み始まって三日で終わらせてるわよ。それとは別件というか、行きたくないのに行かなきゃいけない用があるのが嫌というか……」

「あー、根住ねずみ会長絡み?」

「……ご明答。ほら、前の約束もあるし私もそろそろ生徒会預かりなのよね。……あぁもぉ、遂に私もあのクソ退魔士連中と同類扱いかぁ……」

「僕も一応生徒会なんだけどなぁ」

 自分で言って更に自分の脚を重くする。千羽高校の生徒会の実態は退魔士共の詰所のようなもの。表では所謂通常の生徒会業務に励んでいるが、裏では怪異事件への対処――即ち妖や退魔士絡みのトラブルへの対応を担っている。退魔士嫌いの私が正式に退魔士として生徒会に入る、それを考えるだけで爪先が帰路を向きそうになる。

 ――私の仇敵である蛇神へびがみの娘、のぞみが転校してくる二週間前に交わした生徒会加入の約束、それはきっと私の首を絞めるもの。魔眼は貸さない、服従はしない、屋上の解放を望むという条件が満たされた以上、今更約束を反故にする訳にもいかないのが実情である。

 けれど、決して私にメリットが無い訳ではない。生徒会の連中は皆が退魔拾弐本家に連なる退魔士、彼等を味方に付けられたならば憎き蛇神さえ引き摺り下ろす為の算段も見えてくる。

『……一番現実的なのは蛇神家を告発、とかになってくるかなぁ。それでも拾弐本家の内半数を味方に付けないと……って話になるから結局厳しいんだけどねぇ……』

 以前に日辻が口にした言葉だって現実味を帯びてくる。現在生徒会に所属している退魔士は七人。根住ねずみ牛若うしわか虎居とらい卯野うの辰宮たつみや相馬あいま日辻ひつじ。拾弐本家が文字通り十二家で構成されているので味方に引き入れるべきは内六家。そうすれば奴を引き摺り下ろす事だって不可能じゃ――。

「……そういえば。日辻、お婆様に告発の話してくれた?」

「……あー、うん。したよ、したんだけどぉ」

「そ。なら話は早いわね。めいさんの事だからきっと二つ返事で了承してくれたのよね?まずは一つ、此処から少しずつ計画進めて――」

「……婆さん、駄目だって」

「うんうん、そうよね――って駄目!?なんで!?」

「……学校着いたらゆっくり説明するねぇ」

 ――訂正、やっぱり無理かもしれない。




「――それで、ウチの曾孫が蛇神の告発手伝ってくれって馬鹿言うんだよ。無理だって突っ撥ねたんだけどね」

「……冥さん、愚痴るなら何か頼んで欲しいんですけど」

「全く、黒羽くろはねの嬢ちゃんはお硬いねぇ」

 喫茶店のカウンター席で注文も無しに長話を繰り広げる老婆に頭を抱える。曾孫に引き取って貰おうにもきっと今は登校中、店主マスターは店主で「これも接客の練習だと思って」と言い残して厨房に入っていった。孤立無援の状況に怨嗟の混じる嘆息を零し、改めて老婆に向かう覚悟を決める。

「……一つ気になったんですけど、冥さんも蛇神の悪行については存じていますよね。日辻家の当主として告発しない理由は」

「まぁ、色々あるんだが。一つ目は一家だけじゃ告発出来ないから。二つ目は下手に動けばアタシ達の立場も危ういからさね」

「……立場、ですか」

 淡々と述べる老婆に首を傾げる。否、決して理解出来ない訳ではない。確か退魔士は伝統や歴史に重きを置いている分、身内に甘く規律を乱す側に厳しい傾向があると聞いた。悪く言えば古臭い考えの連中のせいで組織が腐敗してしまっている。蛇神という良家の退魔士を告発する退魔士が少数派である内は下手に動けないという事だろう。彼女としても日辻の家の為に動き方を考えないといけない事は重々承知している。承知している、のだけど。

「だがアタシも蛇神に手を焼いているのは事実だ。だから一応の条件を付ける事にしたんだよ」

 話が長くなる気配を察して嘆息。接客である以上話は聞くが、あまり聞きたくない話である事は分かりきっている。日辻家の当主がわざわざ僕の前で愚痴を零す理由なんて一つしかない。

「――夜峰よみね鴉天狗からすてんぐに助力の約束を取り付けられたら了承する。そう言ってやったんだよ」

「……はぁ。それは何とも不条理な条件を出されたようで」

 想定通りの解答に心の底から嫌悪を溢す。蓬莱の玉の枝を要求したかぐや姫に劣らぬ難題を吹っ掛けたものだ――否、目の前の彼女は一二五歳の老婆で竹取の娘とは似ても似つかないが。

 ――夜峰の鴉天狗。それも五つの宝に負けぬ難題である。かつて千羽に存在した鴉天狗の一族。現在の千羽町の均衡は白部の軍と退魔士による睨み合いで保たれているが、以前はそこに夜峰の一族を加えた三竦みの様相を呈していたという。それほどまでに夜峰は強く聡く、そして何より信頼があった。――けれど。

「……冥さんも知っている筈ですよ。夜峰の鴉天狗は七年前に絶滅した。多くは宍戸の退魔士に惨く殺されて、生き残りは一家心中して。もういない誰かに助力を求めろだなんて、それは告発する気が無いって自分から言っているようなものですよ」

「おや、アタシの目には今も夜峰の鴉が見えるんだけどねぇ」

「それ幻覚ですよ。此処に居るのは冥さん以外には僕と店主だけ。疲れてるなら早めに帰った方がいいと思いますけど」

「ふむ。そしたら今アタシと話してるアンタは誰なんだい?」

なぎですけど。黒羽 凪、夜峰なんて苗字じゃないから」

 ――だんだん腹が立ってくる。なんなんだこの婆さんは。人を誂ってそんなに楽しいか。先程述べたように夜峰の鴉はとっくに死んでいる。宍戸の一団に故郷を焼かれ、生き残りも自死を選んだ。そんな弱くて救えない連中と僕を重ねるだなんて、そんなの――。

『あなたなんて、いなければよかった』

「……ごめん、店主マスター。早めに上がるね」

「えっ、ちょっと、凪!?何処行くの!?」

「ちょっとね。昼も夜も外で済ませるから」

 苛立ち混じりに三角巾とエプロンを解いてスタッフルームに飛び込み、杜撰にロッカーに放り込んで二秒で再び店内に戻る。そしてそのまま引き止める声を無視して入口の扉を開く。

「……冥、流石に私も怒るよ」

「勝手に怒ってな。あの子にも現実と向き合う時期が来たってだけの話だよ」

 ――何が夜峰。何も救えず果てた雑魚の名前なんて今更何の力も無い。立場も名声も意味は無く、価値を持つのは結果だけ。何も為せずに怨嗟を受けただけの鴉が立つ舞台なんて、何処を見渡しても無い筈なのに。

「……本当、救えないな」


 吐き捨てて一人飛び出して、蒼空の下で静かに空気を吸い。纏めた長髪をするりと解き、微風に深紫の色を靡かせて。少女の形をしたアスファルトに揺れる影は小さく細く、わたしという現実を突き付けてくる。

 ――判っている。僕はどうしようもない程に無力であって、わたしの命は羽根より軽く無価値なものだって。少し前に僕の討伐令が出された時には有希達に迷惑を掛けて、彼女が連れ去られた時もあの青鬼相手に足止めするのが精一杯で。何も為せないだけでなく彼女の足を引っ張っているように思えてきて、何度も何度も自分を呪った。

 護れない自分に価値など無い。救えぬ者に意味など無い。けれど自死だけは赦されない。こんなわたしが生き残ってしまったからには、救えなかった以上に救って贖わないといけないのだから。

「……ごめんね、有希。手伝いたいのは山々だけど、こんなわたしじゃ迷惑掛けるだけだから」

 ――だから、僕は僕の為すべき事を。こんなわたしの命でも薪の代わりになるのなら喜んで火に焚べよう。わたしは多くを救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って救って。




「――そして、救う為に死ぬんだ」

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