File.14 手を引いて

『皆様、こんにちは。二〇一七年八月は十六日、水曜日。千羽ラジオが午前七時のニュースをお伝えします。本日の〈千羽祭せんばさい〉は予定通り開催され――』

 淡々と話すラジオの声をイヤホンで聴きながら、乙女は草履で石床を蹴る。ふわりと纏めた焦茶の髪、黄金を宿す蛇の瞳孔。朝顔柄の浴衣を着こなして、朝から賑わう町を行く。

『――〈千羽祭〉は毎年八月十六日に行われる夏祭りで、その起源は共に町を拓いた人間と妖怪を労う為の行事と伝えられています。本日も早朝から祭の準備が進められており――』

「おや、早いね嬢ちゃん。けど生憎祭りは十時からで――」

「知ってる。喫茶の黒羽さんも出店出すって聞いて様子見に来ただけよ」

「おや、晴ちゃんの知り合いか。あの子なら本部のテントの設営してる筈だよ」

 準備中のたこ焼き屋の店主に頭を下げ、イヤホンを外して再び歩く。祭りの朝は嫌いじゃない。人の群れでごった返す夜と比べて幾分居心地が良い。騒がしいのは苦手だが風流は好き、ならば涼風の吹く朝の町は希少に合う。鳥の囀りと蝉の声、立ち並ぶ出店に想いを馳せる、そんな穏やかな時が快い。

「やっほ、晴さん。それに黒羽君も」

「あ、有希ちゃん!おはよう、浴衣似合ってるね」

「それはどうも。……ごめんね、黒羽君。設営の邪魔しちゃったかしら」

「気にしないでください、丁度終わったところでしたから。どうせ店主マスターは今から堕落モードですよ」

 訪ねたテントの下でにこりと笑い出迎える喫茶の店主、その傍らで髪の雫を拭う喫茶の従業員。二人は千羽の商会と連携して祭りの設営に回り、朝からせっせと汗を流していたらしい。白い肌を伝う雫は朝日に照らされ輝いて、彼女達が労働の徒である事を改めて思い知る。

「……しかし新鮮ね。ハル、お日様の下で動けたんだ」

「私から見たら有希ちゃんが朝から祭りに来るなんて珍しいと思うけど。……デートのお相手は日辻クンって子?」

「半分当たり、半分ハズレ。私は日辻のワガママに付き合ってあげるだけで晴が思っているみたいな事は無いわよ」

「へぇー。そういう事にしといてあげるね」

 にまにまと笑う店主に冷えた視線を捧ぐ。彼女の事だ、どうせ否定してもゴシップ好きの女学生のようにからかってくるのが目に見えている。実際彼女が想像しているような事は一切無いのだから相手にしないのが吉だろう。

「ごめんね、うちの阿呆店主が。……ところで羽生さん、何か用事ですか?」

「あー、別に。待ち合わせまで時間あるし顔出しに来ただけだもの。日辻と合流するまで駄弁るくらいの余裕はあるけど」

「……えーっと、一応聞きますけど。日辻さんとの待ち合わせって何分後なんです?」

「そうね、八時に合流予定だから一時間くらい?」

 答えた瞬間にきゃあと黄色い声を出す晴、嘆息で返す凪。私は何か変な事を口走ってしまったのだろうか、なんて思いながらパイプ椅子に腰掛けて他愛も無い会話で暇を潰す。

 日辻は昔から時間にルーズな男だ。今まで彼が待ち合わせ場所に時間通りにやってきた試しがない。ある時は三十分遅れて到着し、またある時は三十分早く来たせいで暇に襲われていたり。そんな日辻相手に時間通りに会おうなんて考えるだけ無駄。ならば此方も余裕を持って動く、ただそれだけなのだが。

「……そっか。やっぱり羽生さんはそうなんですね」

「……黒羽君?」

「何でもないです。……お祭り、楽しんでくださいね」




「お待たせぇ、有希」

「……おっそい。どれだけ待ったと思っているのかしら」

「えぇ……。僕八時って言ったじゃんかぁ……」

「なら今スマホの時計見てみなさいよ。十五分遅れている筈だけど」

 結局遅れてきた日辻を威圧するように草履の爪先でアスファルトを鳴らす。申し訳無さそうに頭を下げる彼の髪はいつもより整っていて、珍しく身嗜みに気を遣ったのだなと感心はする。

「……ま、あんまり追及しても仕方無いか。私だって遅刻早退多いし」

「あ、自覚あるんだ」

「ともかく、今日は一日付き合ってもらうから。人の少ない昼間の内に出店回るわよ」

 腑抜けた返事が聞こえるより先に日辻の手を引っ張り、出店の立ち並ぶ繁華街に繰り出した。此処は妖に向けた商売が盛んな地区故に普段はあまり人間を見掛けないが、今日は普通の人間ともよくすれ違う。その中には人間に化けた妖も何人か混ざっているが、私や日辻にとっては気に留めるような事ではない。

 ――人と妖が共存する町、千羽。この町では人間社会に溶け込んだ妖も多く、両者が立ち並ぶ様子は然程珍しいものでもない。町の外の退魔士が見れば目を丸くするかもしれないが、私達にとってはこれが日常なのだ。例えば喫茶の晴は吸血鬼ヴァンパイアの末裔だというが、この妖の町では彼女が何の妖の血を継いでいるかなんて些事でしかない。共に在る事はただの日常、これがこの町の正常なのだ。

「日辻、ベビーカステラだって。食べたいのだけど」

「……奢れって言ってる?」

「十五分の遅れを三百円で取り返すチャンスよ?」

「仕方無いなぁ。おっちゃん、一袋ちょうだい」

 ちゃりんと鳴る音と引き換えにカステラ焼きの紙袋を受け取る日辻、その袋に手を入れて掴んだ一つを口に入れる私。歩きながら食したそれは美味しいと口に出すほどでもなく、かと言って美味しくない訳でもなく。ホットケーキミックスの仄かな甘みを舌で受け止め、ほろほろと崩してから喉に押し込む。着実に口内の水分を奪っていく小麦成分を提げた水筒の中身で相殺し、まぁまぁと雑な評価だけ口にして。

「久し振りに食べると美味しいねぇ」

「出店の食べ物は普段より美味しく感じる、って何処かで聞いたけれど。至って普通よね、コレ」

「こういうのって雰囲気込みだからねぇ。ほら、ポップコーンだって家で食べるより映画館で食べる方が美味しいでしょ?」

 そういうものかしら、と言葉を交わしながら日辻の横をてくてく歩く。繁華街の通りにずらりと並ぶ出店はりんご飴やチョコバナナのような菓子類から射的やスーパーボール救いのような催事場、何のキャラクターを模しているか分からないお面を売る店までよりどりみどり。実際に購入せずとも屋台を見て回るだけで相応にに充実するものだ。

「……有希、楽しい?」

「急に何よ。それなりに楽しめてるとは思うのだけど、もしかして不服に見えたかしら?」

「……楽しめてるならいいんだけどね。ほら、無理に付き合わせてるんじゃないかって」

 ふと、俯いて歩みを止める日辻。急に申し訳無さそうに顔色を伺う彼の立ち姿はどこか弱々しくて。私が無理に合わせるような人じゃないことくらい知っているでしょう、そう苛立ち混じりに発しようとして寸前で停止する。

 そう、幼馴染である日辻は私の性質くらい十二分に承知している筈。予想するに本題はそんな分かりきった話ではなく。

「……もしかして、蛇神とか暴霊獣ボレズの件?」

「……うん。ほら、色々あったし」

 ――色々。成程、確かに色々はあったと記憶している。襲われたり殺されかけたり、或いは悪辣を殺したり。実に退屈しない日々を過ごした私を彼は気遣ってくれたのだろう。全く、日辻らしいというか、日辻の癖にと言うべきか。

「――ふぅん?私を祭りに誘ったのはそういう事だったのね。成程成程、不器用な気遣い方は昔から変わらないわね、日辻は」

「うぅ……。そういう風に誂われるから言いにくかったのにぃ……」

 いじける日辻に微笑みと謝罪で返す私。そういう細やかな気配りと威張らない態度が彼の良い所なのだが、下手にフォローしても加速度的に落ち込みそうなので言わぬが花というものだろう。

「気遣いは嬉しいけれど、私はそこまで沈んでないわよ。環境が変われど中身はさして変わらないし、今だって平常運転だもの」

 ――そう、平常運転。二度も拉致されて二回死にかけて、それでも私は変わらなかった。或いは変われなかったと表現するべきか。が初めて悪辣を殺した時には慟哭なり愉悦なりの感情が私の内を埋め尽くすかと危惧していたが、いざ殺したら羽虫を潰すのと何ら変わりはなかった。誰かが死んでも誰かを殺しても感情が波打つ事はなく、私は至って正常を保っている。

「――はい、暗い話終わり。ほら、さっさと次の出店回るわよ」

「あっ、えっ、ちょっとお!?」

 故に、今はただ正常な世界を謳歌する。日辻と二人で回る祭りが重苦しくなるなんて御免だ、ならば少女らしく楽しむだけ。決して無理に笑う訳ではなく、決して無理を強いる訳でもなく。好きな人の手を引いて、自然に笑える場所で自然に笑う。それこそが私の好きな日常で、の望んだ平穏なのだから。


 大量に掬えたスーパーボール、口に甘ったるさを残して消えたチョコバナナ。焦げかけで大して美味しくもなかった焼き鳥と、空くじばかりのくじ引きと。一人では何が楽しいのかと首を傾げていただろうが、日辻と二人だと子供みたいに笑い合えた。一時間ほど日差しの下を歩き回って、疲れたねと言い合って神社の境内で腰を落ち着けて。ラムネ瓶と買ったばかりの焼きそばで早めの昼食を済ませたら、来たときよりも歩調を緩めて引き返す。二時間と三十分の逢引はきっと価値のある時間で、きらきらと輝く青春の一ページとなる筈で。

「……今日は誘ってくれてありがと、日辻。おかげで充実した一日になったわ」

「楽しめたのなら良かったぁ。……って、まだ十一時にもなってないけどねぇ」

「あら、日辻は夜の祭りの方が好きだった?」

「どうだろぉ。有希と一緒なら昼でも夜でも好きだけどねぇ」

「あっそ。私は夜行かないから」

 ――狡い。狡い狡い狡い。よくもそんな浮ついた言葉を無意識にさらさらと言えるものだ。私の気も知らないで、そんなつもりも無いくせに勘違いしてしまいそうな単語ばかり並べ立てて。全く、本当に狡い人。

「……有希?顔赤いけど大丈夫?」

「別に大丈夫だけど。……日にでも焼けたかしら」

 きっと逢引と思っているのは私だけ。私を誘ってくれたのは友人だから、一緒で楽しいのは幼馴染だから。私の顔が赤いのは日差しのせいで、そう自分に言い聞かせればどれだけ楽かなんて判っているのに、それでも心の何処かで期待してしまって。

 初恋なんて実らない。そもそもこれが恋と呼ぶに相応しいものかも私には解らない。鑑定不可の感情は枷となって、きっと抱き続ければ苦しくなって。

「……ねぇ、日辻。また誘ってくれる?」

「勿論。有希の為なら喜んで」

「やった。の約束、忘れないでよね」

 ――だから、この想いは祭りの熱で溶かしてしまおう。恋か否かも解らないこの気持ちは飴のように原形が無くなるまでに溶かし尽くして、友情という型に固め直そう。私が私でなくなる日が訪れる前に、この約束も忘れられて風化してしまう前に。彼は幼馴染で理解者で、そして親友。今の関係性なんて十分に恵まれているのだから、これ以上なんて望まないし望めない。きっとそれでいい、それがいい。そう自分に言い聞かせて、私は再び口を開く。

「またね、日辻。私の大好きな貴方」

「うん。またね、有希。僕の大切な君」

 ――夏の終わりが近付いて。一ページじゃ足りない程の青春を刻み付けて、私は明日を生きていく。

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