肆・昼下がりに雲晴れて
File.13 そして私は茨の路へ
体育館、
「暑いねぇ……」
「暑いって言うから余計暑くなるのよ。どうせコレ終わったら一ヶ月お休みなのだから我慢なさい」
隣から定期的に漏れ出る弱音に頭を抱える。しかしてこの生き地獄もきっとあと十数分で終わる。今日は授業らしい授業も無し、配布物は昨日までに全て受け取っている。この終業式を乗り越えた先には長期休暇が待っている、ならば老骨一人の長話くらい多目に見れるものだ。
『――また、今年も〈
「……
「考えとく。あまり期待しない事ね、日辻」
足元の小窓から覗く陽炎。水筒の中の氷をころんと鳴らし、来たる夏季休暇に思いを馳せる。
――長野で発生した連続失踪事件から二ヶ月半。人の噂も七十五日と云うが、その諺通り世間はその事件を忘れ去った。全員が無事に発見され容疑者も捕まったのだから当然と言えば当然なのだが、私は未だにあの事件を忘れられない。蠢く退魔士の悪意、暴霊獣と云う人造の魔獣。
当時の私に現状を伝えれば笑われるだろうか。あの怠惰に塗れた不良少女が生徒会に身を置いて、魔獣だの妖怪だのとオカルトに塗れた世界で事件を追っていると言っても失笑を返されて終わりそう。否、当時の私も此方側に片足突っ込んでいたようなものだけど
――けれど、事実として私は此処に立っている。あれだけ嫌った魔眼を携えて、この悪意に満ちた旅路を睨んでいるのだ。
「――やっと終わったー!待ちに待った夏休み!やっぱり長期休暇って素敵な響きね!」
「……
「長期休暇前は大体こんな感じだよぉ」
校舎を出てすぐに目一杯背筋を伸ばす。陽光を返す焦茶の髪、蒼空に映える黒のセーラー服。今日ばかりは地味目な眼鏡少女も青春という言葉が似合ってしまう。
「……ところで、
「少なくとも高校卒業までは此処で落ち着くつもりです。白部組、でしたっけ。妖のお姫様の聴取も粗方落ち着きましたし、これからは千羽の為に尽力しますからっ」
「……ま、害は無いかぁ」
隣にはいつになく張り詰めた空気を纏う日辻、そして仲の良い友人のような距離感で話し掛ける深碧の少女。
「ねぇ、有希。一つ提案なんだけどぉ、学校も暴霊獣云々も一旦落ち着いたワケだし、打ち上げとか――」
「いいですね打ち上げ!私カラオケかパスタ屋さんに一票入れますねっ!」
「煩い、圧強い、そもそも誘われたのはお前じゃなくて私。というか望、お前は他に友達いるわよね」
――本当に、心の底から関わりたくない。純粋だの善人とは述べたが、ここ数日観察するに彼女は俗に言う「陽キャ」のカテゴリに属するらしい。積極的で社交的、打ち上げや学内イベントに心踊らせる溌溂少女。消極的で内向的、一人の時間を好む陰湿乙女とは正反対。はっきり言って私と望は相性がすこぶる悪いと思う。
「えー。羽生さんって歌うの苦手なんですか?タンバリン鳴らしてるだけでも楽しいですよ?」
「打楽器鳴らすなら音楽室に籠もるわよ。あと望、アンタが居た
「そんなぁ……」
平穏の
「……けど昼食には賛成ね。久々に喫茶でランチでも食べようかしら」
「喫茶ってぇ、あの喫茶〈アヤカシ〉だっけぇ?」
「そ。奢る気はないけど、同席くらいなら構わないわよ」
「いらっしゃいませー。何名様でしょうかー」
「三人、今日は日辻と望も一緒。……マスター、黒羽君は?」
「あー、最近シフトお昼までなのよねあの子。空いてるとこ座ってて」
カウンターでカップを磨く店主に促され、テーブル席に座ってメニュー表を二人に手渡す。喫茶アヤカシは大正ロマンの雰囲気に満ちた純喫茶、都会のカフェと比較すると真新しさやお洒落なメニューは無いけれど味はどれも最高峰、そしてリーズナブル。きっと都会で店を出していれば大繁盛していたのではと常々思う。
「あ、ナポリタンある。私はこれとメロンソーダのクリームフロートでお願いします」
「僕オムライスがいいなぁ。飲み物コーラで」
呑気な二人に了解と返し、私の「いつもの」と併せて注文を済ませる。冷房の効いた店内に居座る高校生三人、これもある種の青春なのだろうか。向かいに座る相手が気の合う子であればどれだけ良かったのだろうか、なんて心の内で嘆きながら届いたホット珈琲を静かに啜る。
「有希って珈琲好きなんだねぇ」
「厳密には喫茶アヤカシの珈琲ね。此処より美味しい珈琲なんて知らないし多分無いと思うわよ。あのマスター――晴さん、バリスタの世界大会だか何かで優勝した事あるらしいし」
「へぇ!凄い方なんですね、マスターさんは」
そんな他愛の無い話をする内に運ばれてくるナポリタンとオムライス、そして苺の乗ったショートケーキ。頂きますと手を合わせ、クリームとスポンジの層にフォークを突き立てて。
「はむ。――うん、美味しい」
「……羽生さん、少食なんですか?」
「何食べようと私の勝手でしょ。人の食事に口挟む阿呆は縊るわよ」
適当な脅しに怯える望を放っておいて軽めのランチを手早く済ませ、未だ食事を頬張る二人を見遣る。
「……さて。食べながらで構わないけど、本題に入って構わないかしら」
「本題、ですか?」
「そ。暴霊獣騒動に関するこれからの対応の話」
少し残った珈琲を飲み干し、改めて咳払い。日辻と蛇神の娘、退魔拾弐本家の人間が目の前に二人。周囲に信用出来ない他の退魔士はいない。ならば好機は逃さない、目的の為に巻き込んでやる。
「……日辻は知ってると思うけど、私がこの世界に踏み入ったのは二ヶ月半前の事件の黒幕を潰す為。途中で暴霊獣云々も関わってきたけれど、全部手を引いているのは蛇神家。つまり最終的な目標は蛇神家を潰す事になるわ」
「……そう、なりますよね」
「……有希。君の目の前にいるのは」
「承知の上よ。……暴霊獣を作る為の霊薬とか作ってた施設は潰したけれど、まだ大本を潰せていない。暴霊獣騒動は終わっていないのよ」
蛇神を潰す、その目的を蛇神の娘の前で語る。他から性格が悪いだの非情だのと
「大本を潰すって、まさか私達を殺すとか――」
「望?貴女は私を蛮族か何かと思ってるのかしら?」
「……違うんですか?」
「違うに決まってるでしょ莫迦。そんな宍戸家みたいな皆殺しバンザイみたいな思考してないわよ私」
「でも有希、この前連れ去られた時に退魔士殺してたんじゃあ……」
「正、当、防、衛!あの時は殺さなきゃ殺されてた!というか今その話関係無いわよね!」
――訂正、手段を選ぶつもりはないと述べたがそんな乱暴な作戦を実行する訳がない。あの狡賢い蛇神一派が力技一つで壊滅させられるなら一考の価値があったかもしれないが、そうもいかないのが実情だ。
「……こほん。話戻すけれど、蛇神家を潰す上で一番現実的なのが前に日辻も言ってた告発ね。霊薬バラ撒くとか実験台拐うとかの悪行三昧を告発して蛇神の当主とその一派を本家連中に処断させる、多分それが最善手だと思うのだけれど」
「……成程、ねぇ」
そう、これが私が望を巻き込んだ理由。蛇神の子に蛇神家の悪行を内部告発させる、彼女に求めるのはその一手。実父を仕留める為の決定打を娘に担わせる、それはあまりにも酷だと思うけれど。大切なモノを守り抜く為に、私は何処までも非情になる。
「……羽生さん。私は確かに父を止めたいと願っていますが」
「判ってる、実の親だものね。返答は今求めていないわ、その機会が訪れた時に返事を頂戴」
いつの間にか空になった向かい側の食器に視線を映し、カウンターの店主に合図を出す。学生鞄の中に手を突っ込む二人を奢りだからと静止し、ゆっくりと立ち上がって伝票を手に取って。
『……一番現実的なのは蛇神家を告発、とかになってくるかなぁ。それでも拾弐本家の内半数を味方に付けないと、って話になるから結局厳しいんだけどねぇ』
レジで支払いを済ませながらいつかの日辻が言った言葉を反芻する。そう、望に告発させる前にまだ為すべき事が残っている。固めた信念と抱いた想いを胸に、私達は陽光の下を歩き出した。
――そして、崇高な想念の下に昏い紅色の敵意を隠して。横を歩む二人に気取られぬよう、そっと眼鏡を掛け直す。
「――行きましょう。一切の害悪を縊り殺す為に」
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