肆・昼下がりに雲晴れて

File.13 そして私は茨の路へ

 体育館、手団扇てうちわを扇ぐ隣の生徒。蒸し暑い中で蟻のように並ぶ生徒達、クールビズと言い張ってネクタイを外す教師陣。喧しい蝉の合唱に張り合うような校長の長話に、大きな欠伸が零れ出る。水難事故や不順交友に釘を刺すのは理解出来るが、昨今のプロ野球を絡めた中身の無い話は全編カットでお願いしたいものだ。巨人云々はこの前の暴霊獣ボレズでとっくに見飽きている。

「暑いねぇ……」

「暑いって言うから余計暑くなるのよ。どうせコレ終わったら一ヶ月お休みなのだから我慢なさい」

 隣から定期的に漏れ出る弱音に頭を抱える。しかしてこの生き地獄もきっとあと十数分で終わる。今日は授業らしい授業も無し、配布物は昨日までに全て受け取っている。この終業式を乗り越えた先には長期休暇が待っている、ならば老骨一人の長話くらい多目に見れるものだ。

『――また、今年も〈千羽祭せんばさい〉が開催される予定ですが、お祭りだからと羽目を外し過ぎないよう――』

「……有希ゆうき、来月の十六日だけど」

「考えとく。あまり期待しない事ね、日辻」

 足元の小窓から覗く陽炎。水筒の中の氷をころんと鳴らし、来たる夏季休暇に思いを馳せる。




 ――長野で発生した連続失踪事件から二ヶ月半。人の噂も七十五日と云うが、その諺通り世間はその事件を忘れ去った。全員が無事に発見され容疑者も捕まったのだから当然と言えば当然なのだが、私は未だにあの事件を忘れられない。蠢く退魔士の悪意、暴霊獣と云う人造の魔獣。退魔士たいましあやかしの世界に踏み込む切っ掛けとなったあの日の景色は、未だ私の頭に焼き付いて。

 当時の私に現状を伝えれば笑われるだろうか。あの怠惰に塗れた不良少女が生徒会に身を置いて、魔獣だの妖怪だのとオカルトに塗れた世界で事件を追っていると言っても失笑を返されて終わりそう。否、当時の私も此方側に片足突っ込んでいたようなものだけど態々わざわざ不快と嫌悪に塗れた道に戻ったのね、なんて皮肉混じりに言われる方が有り得そう。


 ――けれど、事実として私は此処に立っている。あれだけ嫌った魔眼を携えて、この悪意に満ちた旅路を睨んでいるのだ。




「――やっと終わったー!待ちに待った夏休み!やっぱり長期休暇って素敵な響きね!」

「……羽生はぶさんって、こんなでしたっけ」

「長期休暇前は大体こんな感じだよぉ」

 校舎を出てすぐに目一杯背筋を伸ばす。陽光を返す焦茶の髪、蒼空に映える黒のセーラー服。今日ばかりは地味目な眼鏡少女も青春という言葉が似合ってしまう。

「……ところで、のぞみ。君はいつまで千羽せんばに滞在するつもりなのかなぁ」

「少なくとも高校卒業までは此処で落ち着くつもりです。白部組、でしたっけ。妖のお姫様の聴取も粗方落ち着きましたし、これからは千羽の為に尽力しますからっ」

「……ま、害は無いかぁ」

 隣にはいつになく張り詰めた空気を纏う日辻、そして仲の良い友人のような距離感で話し掛ける深碧の少女。蛇神へびがみ 望、一連の暴霊獣騒動の黒幕たる蛇神当主の娘。私から見れば当主は打破すべき外敵なのだが、その血を継ぐ彼女は紆余曲折を経て何故か私の隣に立っている。その透き通るような善性に私や日辻、白部組は一様に『害無し』との判断を下したが、敵であるか否かと交友を築くか否かは別の話。私としては蛇神の名そのものが地雷であるから極力近付きたくないのが本音である。

「ねぇ、有希。一つ提案なんだけどぉ、学校も暴霊獣云々も一旦落ち着いたワケだし、打ち上げとか――」

「いいですね打ち上げ!私カラオケかパスタ屋さんに一票入れますねっ!」

「煩い、圧強い、そもそも誘われたのはお前じゃなくて私。というか望、お前は他に友達いるわよね」

 ――本当に、心の底から関わりたくない。純粋だの善人とは述べたが、ここ数日観察するに彼女は俗に言う「陽キャ」のカテゴリに属するらしい。積極的で社交的、打ち上げや学内イベントに心踊らせる溌溂少女。消極的で内向的、一人の時間を好む陰湿乙女とは正反対。はっきり言って私と望は相性がすこぶる悪いと思う。

「えー。羽生さんって歌うの苦手なんですか?タンバリン鳴らしてるだけでも楽しいですよ?」

「打楽器鳴らすなら音楽室に籠もるわよ。あと望、アンタが居た蓮見ヶ丘はすみがおかとやらと違ってこの町は田舎なの。カラオケ屋も無ければパスタ屋も無いわよ、この辺り」

「そんなぁ……」

 平穏の侵略者インベーダーを驚嘆で黙らせる。人と妖の共存するこの町だが、日中の千羽は一言で言えば寂れた田舎。カラオケなんてスナックか民宿の広間くらいにしか置いていないし楽曲のラインナップだって三十年前のものしか揃わない。パスタに関しても望が想像しているような専門店は存在しない。洋食屋か喫茶でナポリタンかミートソーススパゲティを提供しているくらいだろう。

「……けど昼食には賛成ね。久々に喫茶でランチでも食べようかしら」

「喫茶ってぇ、あの喫茶〈アヤカシ〉だっけぇ?」

「そ。奢る気はないけど、同席くらいなら構わないわよ」




「いらっしゃいませー。何名様でしょうかー」

「三人、今日は日辻と望も一緒。……マスター、黒羽君は?」

「あー、最近シフトお昼までなのよねあの子。空いてるとこ座ってて」

 カウンターでカップを磨く店主に促され、テーブル席に座ってメニュー表を二人に手渡す。喫茶アヤカシは大正ロマンの雰囲気に満ちた純喫茶、都会のカフェと比較すると真新しさやお洒落なメニューは無いけれど味はどれも最高峰、そしてリーズナブル。きっと都会で店を出していれば大繁盛していたのではと常々思う。

「あ、ナポリタンある。私はこれとメロンソーダのクリームフロートでお願いします」

「僕オムライスがいいなぁ。飲み物コーラで」

 呑気な二人に了解と返し、私の「いつもの」と併せて注文を済ませる。冷房の効いた店内に居座る高校生三人、これもある種の青春なのだろうか。向かいに座る相手が気の合う子であればどれだけ良かったのだろうか、なんて心の内で嘆きながら届いたホット珈琲を静かに啜る。

「有希って珈琲好きなんだねぇ」

「厳密には喫茶アヤカシの珈琲ね。此処より美味しい珈琲なんて知らないし多分無いと思うわよ。あのマスター――晴さん、バリスタの世界大会だか何かで優勝した事あるらしいし」

「へぇ!凄い方なんですね、マスターさんは」

 そんな他愛の無い話をする内に運ばれてくるナポリタンとオムライス、そして苺の乗ったショートケーキ。頂きますと手を合わせ、クリームとスポンジの層にフォークを突き立てて。

「はむ。――うん、美味しい」

「……羽生さん、少食なんですか?」

「何食べようと私の勝手でしょ。人の食事に口挟む阿呆は縊るわよ」

 適当な脅しに怯える望を放っておいて軽めのランチを手早く済ませ、未だ食事を頬張る二人を見遣る。

「……さて。食べながらで構わないけど、本題に入って構わないかしら」

「本題、ですか?」

「そ。暴霊獣騒動に関するこれからの対応の話」

 少し残った珈琲を飲み干し、改めて咳払い。日辻と蛇神の娘、退魔拾弐本家の人間が目の前に二人。周囲に信用出来ない他の退魔士はいない。ならば好機は逃さない、目的の為に巻き込んでやる。

「……日辻は知ってると思うけど、私がこの世界に踏み入ったのは二ヶ月半前の事件の黒幕を潰す為。途中で暴霊獣云々も関わってきたけれど、全部手を引いているのは蛇神家。つまり最終的な目標は蛇神家を潰す事になるわ」

「……そう、なりますよね」

「……有希。君の目の前にいるのは」

「承知の上よ。……暴霊獣を作る為の霊薬とか作ってた施設は潰したけれど、まだ大本を潰せていない。暴霊獣騒動は終わっていないのよ」

 蛇神を潰す、その目的を蛇神の娘の前で語る。他から性格が悪いだの非情だのとなじられようと構わない。これは私が思い描いた身勝手な理想であり、私が立てた突飛な計画。それを形にするためなら、私は手段を選ぶつもりはない。

「大本を潰すって、まさか私達を殺すとか――」

「望?貴女は私を蛮族か何かと思ってるのかしら?」

「……違うんですか?」

「違うに決まってるでしょ莫迦。そんな宍戸家みたいな皆殺しバンザイみたいな思考してないわよ私」

「でも有希、この前連れ去られた時に退魔士殺してたんじゃあ……」

「正、当、防、衛!あの時は殺さなきゃ殺されてた!というか今その話関係無いわよね!」

 ――訂正、手段を選ぶつもりはないと述べたがそんな乱暴な作戦を実行する訳がない。あの狡賢い蛇神一派が力技一つで壊滅させられるなら一考の価値があったかもしれないが、そうもいかないのが実情だ。

「……こほん。話戻すけれど、蛇神家を潰す上で一番現実的なのが前に日辻も言ってた告発ね。霊薬バラ撒くとか実験台拐うとかの悪行三昧を告発して蛇神の当主とその一派を本家連中に処断させる、多分それが最善手だと思うのだけれど」

「……成程、ねぇ」

 そう、これが私が望を巻き込んだ理由。蛇神の子に蛇神家の悪行を内部告発させる、彼女に求めるのはその一手。実父を仕留める為の決定打を娘に担わせる、それはあまりにも酷だと思うけれど。大切なモノを守り抜く為に、私は何処までも非情になる。

「……羽生さん。私は確かに父を止めたいと願っていますが」

「判ってる、実の親だものね。返答は今求めていないわ、その機会が訪れた時に返事を頂戴」

 いつの間にか空になった向かい側の食器に視線を映し、カウンターの店主に合図を出す。学生鞄の中に手を突っ込む二人を奢りだからと静止し、ゆっくりと立ち上がって伝票を手に取って。

『……一番現実的なのは蛇神家を告発、とかになってくるかなぁ。それでも拾弐本家の内半数を味方に付けないと、って話になるから結局厳しいんだけどねぇ』

 レジで支払いを済ませながらいつかの日辻が言った言葉を反芻する。そう、望に告発させる前にまだ為すべき事が残っている。固めた信念と抱いた想いを胸に、私達は陽光の下を歩き出した。


 ――そして、崇高な想念の下に昏い紅色の敵意を隠して。横を歩む二人に気取られぬよう、そっと眼鏡を掛け直す。


「――行きましょう。一切の害悪を縊り殺す為に」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る