エピローグ・雨天の日中
「……本当に申し訳ございませんでした。羽生さんの拉致の件は把握していたのですが、私の立場では軍を動かせず」
喫茶の店内で頭を下げる白髪の少女。久々に座ったテーブル席で対面する彼女は後悔を噛み潰し、謝罪と共に私の返答を待つ。
「電話口でも気にしないでって言ったわよね、白部さん。この通りピンピンしてるし、眼鏡と
「いいえ、気にしますとも。怠惰は罪です、盟友の窮地に何も出来なかったとあれば白部の名折れ。せめて掛かった費用は補填させてください」
「……判ったわ、それで貴女の気が済むなら。後で領収書出しとくわね」
このままだと白部のお姫様は折れそうにないので此方から折れる。因みに眼鏡も手車も特注品である為相応に値が張るのだが、領収書を見せた挙句『それはちょっと』と返される気がするような。魔力遮断加工のレンズだとか女郎蜘蛛の糸を編み込んだストリングだとか傍から見れば嗜好品にしか見えないものが経費で落ちる気がしないのだけど。
「それで、望……蛇神の娘、拘束してたんでしょ。彼女からは何か聞けた?」
「……そうですね。まずは前提として地下水道の被害からお話しないといけないのですが」
事件発生から五日、白部組の妖による蛇神の隠し研究所跡、及び所在地であった地下水道の調査は既に完了している。主な崩落の原因と目される〈
件の自爆は恐らく有事の際の証拠隠滅を目的としていたのだろう、研究内容などの情報や各種設備まで復元不可能なレベルで破壊、及び消失。故に価値ある手掛かりは掴めないものかと思われていた。
『……あれは研究所です。皆様が暴霊獣と呼ぶ怪物を作る霊薬の開発、生産を行っていたと聞きます。私の父……蛇神の当主は、〈転送〉の魔力を用いて秘密裏に施設を作り上げたと聞きます』
日辻の退魔士に連れられて白部組を訪れた蛇神の娘は素直に述べた。真偽を確かめる術など無いが、施設跡に残された残存魔力の反応や今迄の調査から
『知っている範囲で構わないのでお答えください。あの霊薬は――『
『……真意は解りません。ただ、父は霊薬を語る際の口癖のようなものはありました。『我々は神に至るのだ』と』
「……神に至る、神化論の薬か。ホント、碌な事考えないわねあの外道」
珈琲カップを握る手が怒りに震える。何が神に至るだ、奴はバケモノになって御神体として崇められたいのか。或いは崇める用の神様でも創造しようというのか。何方にせよ無辜の民を巻き込むような所業を赦すつもりはないし捨て置くつもりもない。次があるならあの巫山戯た顔を潰してやる。
「今お伝え出来る事はこれくらいです。他にも色々話して頂きましたが、精査の必要がありますので」
「そ。また何かあったら共有して。……
「えっ」
なんてね、と意地悪く笑ってレジスターに向かう。珈琲チケットを財布から取り出して手早く精算を済ませ、白髪の姫君を見送って。落ち着いたクラシックの流れる店内には私と店主の二人だけ。ようやく戻ってきた日常に、そっと胸を撫で下ろす。
「律儀ね、白部さん」
「まぁ令嬢だもの、彼女」
穏やかな時は静かに流れる。人間と妖の共存するこの千羽町に於いて、真の意味での日常は縁遠いものなのかもしれない。今日も何処かの誰かが傷付いて、退魔士や妖の権謀術数が渦巻いて。それでも静かにいつもの珈琲を啜れるのなら、それは紛れもない日常だ。
けれど、この数ヶ月で私は欲張りになってしまった。この日常をより良くしたい、『いつも通り』を奪おうとする連中が赦せない。我欲の為に他の平穏を奪う連中がいるのなら、私はそれに抗いたい。
「……こんなに善性寄りだったっけ、私」
「さぁ。でも他人の為に怒れる子よ、有希ちゃんは」
「あっそ。別にどうでもいいのだけど」
――私を助けてくれるヒトがいたのだから、私も誰かの力になりたい。駆け付けてくれた
「――いらっしゃいませ。相席で大丈夫?」
ちりんちりんとベル代わりに鳴る風鈴。今日という何気ない日常が、今はこんなにも愛おしい。
「やっほ。テーブル席空いてるわよ、日辻」
「おはよぉ、有希。お言葉に甘えるねぇ」
――救出は成功した。同時に霊薬の研究所も潰し、成果だけで見れば上々だ。
けれど過程を見れば散々だ。急襲に対する対応の遅れ、被害も多数。有希を連れて行かれただけではなく、白部の妖も片手では数え切れない数が死んだという。……なんて、僕が関わっていない所に文句を言ったところで仕方無いんだけど。
多分、今回の件で一番の無様を晒したのは僕だ。不殺を誓ったせいで攻勢に躊躇いが出た、そのくせあの行脚に情まで掛けられた。あれだけ救いたかった筈なのに、無力故に救う役目を日辻に譲るしかなかった。挙句の果てには足止め一つでこの消耗、ついでに逃亡も許してしまって。嗚呼、全くもって笑えない。
「……本当、救えない」
焼き付く記憶が壊れた心を灼く。魔力の炎に燃える里、無惨に殺された里の仲間。冷たくなる父親に、宙ぶらりんの母と姉。無念と憤怒に任せて切り裂くわたし。もう二度と喪うものかと悔いたのに、またわたしの手は届かない。今回は無事に再会出来たけれど、その次の保障は一切無い。否、その次さえ起こすワケにはいかないのに。
「……もっと上手に立ち回らないと。じゃないと救えない。救わなきゃなのに、もっと救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ救わなきゃ」
――纏。あなたなんて、いなければ良かった――
「……救う為には、潰さなきゃ」
そう、次なんてあるものか。かの悪鬼をのさばらせては再び誰かが命を散らす。ならば二回目が起こる前に今度こそあの青鬼を潰すべきだ。時間稼ぎとしての交戦ではなく、奪う為の襲撃を。
「……りょうかーい。約束ちゃんと守ってよね」
目の前には電話ボックスで誰かと話す青の羅刹。ゴシックロリィタのお洒落な洋服で着飾っているが、その悪辣にはフリルなんかより死装束の方がお似合いだ。
「見つけた」
――壊れたように鴉は啼く。孤独な
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます