File.12 巳の退魔士・結
「……さて。これから手筈通り羽生さんの救出に取り掛かるんですが」
施設潜入より二十分前、千羽町は八十八公園。謎の暴霊獣―改め蛇神一派により連れ去られた羽生を救い出す為、雨夜の下に集った日辻一行。羽生の知己である日辻 完二、依頼者である蛇神の娘、望。そして僕と、
「……日辻さん。確かに僕は人数に不安が残ると話しました。なので懇意を無下にするつもりはありませんが、なんで彼等が此処にいるのか説明を受ける権利はある筈です」
「おや、同じ生徒会の退魔士として日辻君を手伝う以上の理由が必要かな?」
「アンタ等と羽生さんには縁が無いでしょって言いたいんですよ、
敵意を混ぜた声に根住と呼ばれた青年は爽やかな笑みで返す。そう、今回の救出作戦にはこの根住という退魔士も参加するという。彼だけでなく
「私が説明します。二週間程前、羽生さんは条件付での生徒会の加入を了承しました。そして本日、彼女を生徒会の一員として受け入れる体制を用意出来た。故に根住会長は彼女を『生徒会の仲間』として此度の救出作戦に参加されるのです」
「……そ。説明どーも、牛若さん。つまり救出作戦はこの九名が参加する、って事で構いませんね。相違があるならどうぞ」
問に沈黙で応えられたので異論無しと見做す。救出の為に地下水道を突破して研究施設を目指す事を思うと人手は多いに越した事は無い。そもそも蛇神の娘を戦力として認めた以上、退魔士が複数人増えたところで今更だ。そこに利用価値があるなら擦り減るまで利用する、それだけの話だ。
「……それじゃ、最初に望さんから敵と監視カメラの配置について説明を――」
そして現在、遂に日辻が施設内部への潜入を果たした。全ての監視カメラは日辻の『合成綿』に覆われて機能停止、道中に配置された式神の群れも簡易
「あーイライラする!あのモコモコの侵入許して怒られるのワタシなんだよ!?」
「気にしなくていいよ、どうせ日辻一人だ」
そう、僕達は救出を日辻に任せる作戦を選んだ。理由は簡単、それが最も羽生の救出に適していると判断したから。制圧能力は勿論、退魔士嫌いの彼女の手を取れる人物となると数が限られる。適任である彼を残りの八人で全力で援護する、それが僕達の立てた作戦であり、
「このっ……!邪魔するなぁ!」
「邪魔するに決まってるだろ」
僕の役割はこの羅刹の妨害。青鬼の戦斧を短刀で受けて受け流し、救出を為し得るまでひたすら耐える。力量ではこの藍立とかいう悪鬼に及ばない事は判っている、それでも耐え抜くだけなら造作もない。
地下水道に響く剣戟、飛び散る水沫。苛立ち混じりの乱暴な一撃を避ける、或いは受け流す。膂力の差がある以上、受け止めるは悪手も悪手。とはいえ下手に攻めれば隙が生まれる。守勢に徹して日辻を待つ、それが無力な僕が選んだ手段。
――不服だけど任せた、日辻。有希の手を取るべきは、君なんだから――
消毒液と塩化ビニールの匂いが充満する廊下をひたすら駆ける。目指すは保管庫、望の言葉を信じるならば有希はそこに囚われている。一刻も早く彼女を助ける為に、スニーカー越しの全力で床を蹴る。
――有希は僕が助ける。そんな我儘が通った理由は、彼女が差し伸べた手を取る相手が限られていたから。退魔士嫌いの彼女に他の退魔士が助けにきたと威張ったところで意地を張られて終わり。羽生 有希という少女の手を引けるのは、この作戦の面子であれば僕と黒羽君の二人だけだった。
そして深紫の彼女からも『失態晒すようならジンギスカンにしてやる』との脅迫付きで了承を得た。ならばこそ、この救出に失敗は許されない。あの日の凍える有希を知る以上、僕は寒冷を与えようとする障害を食い止めなければならないのだ。
「侵入者だ!生死は問わぬ、撃て――」
「『
故に求められるのは早急な制圧。僕の魔力『合成綿』は殺傷能力こそ皆無だが、生成効率と生成速度に関しては多くの退魔士の中でも軍を抜いている自負がある。一瞬で人一人を包み込む綿の防壁は銃弾さえ防ぎ、外敵に絡み膨張する事で自由さえ奪う。本家の古株に使えないと馬鹿にされた魔力だろうと、使い方次第で矛さえ通さぬ神盾と化す。
「日辻の退魔士だ!銃弾は聞かない、魔力で対処を――」
「駄目だ、監視室も綿にやられた!動ける人員はもう取戸様と例の
相手が何人だろうが関係無い。望から口頭で伝えられた施設の構造は頭に叩き込んだ。この研究室の最奥を抜ければ彼女がいる保管庫に辿り着ける。気掛かりなのは例の巨人型暴霊獣と髭面の退魔士。有希を沈黙させた赤髪の行脚は――あの青鬼の反応から察するに不在なのだろうか。何方にせよ邪魔を蹴散らして彼女を助ける、今為すべきはただそれだけだ。
『日辻さん、聴こえますか!望です、現在を以て水道内の式神、簡易暴霊獣共に全討伐!青髪の妖は黒羽さんが入口で抑えてくれてます!』
「了解。あと七秒で保管庫に突入する!」
インカム越しの声に安堵を見る。潜入前に聞いた望の魔力も手伝って想定より制圧は手早く終わった。ならば此方も迅速な救出、そして脱出を為す。
――既に打てる手は全て打った。もうすぐだ、もうすぐで彼女に手が届く――
「突入まで三、二――」
――煩く響く警報音。パニック状態の見張り共。厭になる程に騒がしい世界に、血塗れの退魔士は目を覚ます。がちゃり、と出入口の鍵が開くと共に現状を把握する。
「錆鉄は?」
「大丈夫だ、眠っている。それに起きたとて手枷で磔にされてりゃ暴れようも無いだろ」
「一応拘束強めとけ。あの
遡る事およそ十分。この水槽のような檻に入る私兵が二人、うち一人が手枷に向けて手を伸ばす。成程、どうやら誰かが此処に侵入を図ったらしい。全く、世の中にはとんだ無茶を働く莫迦がいたものだ。
「あー、キツくするのはココ弄ればいいんだったか」
――それなら話は早い。何処かの誰かが無茶するのなら、私だって――
「起こすなよ」
「あら、起きてるわよ?」
「――なっ」
瞬間、私兵の身体が強化ガラスを突き破る。手枷が緩んだ一瞬を逃す事なく拘束を抜け、突撃銃ごと骨を蹴り砕いた。
「伝令、伝令――」
「黙れ、『
そしてもう一人は魔眼に晒され停止、そのまま顎を殴って沈黙。一瞬で二人を沈めた血塗れの乙女は、ローファーの爪先を鳴らしながら扉を睨む。
「大きめの魔力反応が二つ、多分あの髭面と暴霊獣ね。……殺しても文句は無いわよね」
魔眼の魔力を解き、固く握った拳に籠めて。古い設備故に足音は丸聞こえ、ならば攻撃の瞬間は逃さない。
――私は魔力こそ視えるが魔力反応の感知そのものは苦手な方だ。故に先刻は不意討ちを貰ったが、同じ徹を踏む程の愚者に成り下がった覚えは無い。当然、二度目の敗北なんて許すものか。
故に、私は殺す。あの暴霊獣も髭面も千羽の
「警備よ、錆鉄の様子は――」
「やっほー、髭面。そしてさようなら」
扉の開く音と共に拳を振り抜く。魔力を重ねた乙女の拳骨は皺の寄った顔面を捉え、乙女の魔眼は背後に控えた暴霊獣の核共々害悪を見据え。血塗れの退魔士が握る拳は、悪逆を砕く砲塔と化す。
「まずい――」
「潰れろ、『
――拳の衝撃と共に榴弾の如く炸裂する魔力。停止の魔眼に充てられた髭面は防御どころか後方へ吹き飛ばされる事さえ許されない。仮に殴り飛ばされたのであればある程度は衝撃が分散したのだろうが、空間に縫い付けられたに等しい老骨にはそれさえ叶わない。後ろの暴霊獣の核共々、
「……ったく、つまんないの。いつの時代も悪党ってのは脆いわね」
吐き捨てながら亡骸を睨む。いつかの彼女がそうしたように、かつてのあの子がそうしたように。
「さてと、折角一人潰したのだし――」
「いたぞ、拘束から抜けた退魔士だ!総員掛かれ!」
「――延長戦、行ってみようかしら」
「――有希、無事!?」
「……あら、遅かったわね。こっちはもう片付きそうよ」
保管庫に突入した瞬間、血の匂いが鼻を突く。目にしたものは、痛快と呼べる程に派手な惨状。割れた強化ガラスに千切れた手枷、死屍累々の私兵の山。巨人の暴霊獣の姿は無く、老骨の身体は首無し死体となって倒れ伏す。
「……あの。何してんの、有希」
「何って、自力で脱出したのだけど。侵入者のせいで指揮の乱れた相手なんてこの
――そして、累々の山に腰掛けるは錆鉄の乙女。錆鉄の髪は血色に塗れ、黄金の瞳は情熱に揺れて。負傷も出血も酷く見えるが、魔眼の退魔士は気丈に笑う。
「……何それぇ、救助必要無かったのぉ……?」
「……いや、普通に重傷だから助かったわ。暴霊獣ぶっ飛ばす為に魔力もぶっ放したし……正直限界」
「全く、いっつも無茶するんだからぁ。取り敢えず出口まで運ぶよぉ」
惨状の中で笑顔を交わす二人。これにて救出作戦は完遂、後は撤収作業を残すのみ。血塗れの乙女をそっと抱え、紅に染まる部屋に背を向けて。
『神核、破損。代替パーツが見つかりませんでした』
「……何、このアナウンス?」
「日辻、嫌な予感がするのだけど」
途端、有希は手を振り解いて血溜まりに立つ。無理しないでと静止しようとするが、それを遮るように天啓に近しい推測が脳裏を過る。
――フィクションに於ける魔王城や研究所といった悪役の本拠地が辿る大抵の
「あー、一つ残念なお知らせ。黒羽君には及ばないけど私の予感もそこそこ当たるのよね。……嫌な予感は特に」
『緊急自爆プロトコル起動。なお侵入者排除の為全エリアの隔壁は閉鎖されます。グッドラック』
「走るわよ!道分かんないから案内頼むわね!」
「やっぱりぃ!爆発オチなんてサイテー!」
ぼろぼろの足で駆ける有希、喚きながら走る日辻。無慈悲に鳴るカウントダウンの中、錆鉄の乙女は何処か楽しそうに笑っていた。
『爆発まで残り一〇〇秒――』
「うっそ、あの暴霊獣やられちゃったんだ!?やっぱり弱いのはダメだねー」
施設入口、十五分に渡り繰り広げられた剣戟を切り上げたのは青鬼の側だった。遠くから聞こえてきた自爆がどうとかの音声を耳にした途端、その羅刹は戦斧を振るう手を止める。
「……何、諦めてくれるの?体力の限界かしら」
「限界なのは夜叉ちゃんの方でしょ。今日はここまで、そこそこ楽しかったからまた遊んであげるねー」
「またって何さ。逃げられると思ってるの?」
「トーゼン。それじゃ、まったねー!」
逃がすものかと振るった一閃は空を切る。有希を連れ去った時のように一瞬で目の前から消えた悪鬼、彼女が立っていた水場を苛立ち混じりに踏み付けて。猛攻を凌ぎ切ったが剣戟は終始劣勢で終わり。息切れ込みの嘆息は自身の無力の証明と成り果てて。
『黒羽さん!さっき爆発がどうとかって……』
「聞いた、でも二人がまだ戻ってきてない。望は退魔士連中に避難誘導して」
『既に卯野さんの指示で避難済です!なので黒羽さんも早く!』
「……聞こえなかったの?有希と日辻が戻ってきてないんだって。先に逃げるワケにはいかないでしょ」
スマートフォンの通話音声に意地を張る。アナウンスは施設の自爆と言っていたが、爆発の規模を考慮すると崩落するのは施設だけで片付かない。タイムリミットと施設の構造を思うに二人だけでは危険区域からの脱出は困難だろう。それなのに救わず逃げ出すなんて選択肢は選べない。有希の手を取る役目が日辻ならば、二人の手を取るのは僕の役目だ。
「それに、脱出の術なら用意してるんだ。だから心配しないで」
『……本当に、大丈夫なんですか』
「信じて」
『……わかりました。ご武運を』
通話を切り上げ、改めて二人を待つ。残り四十秒と自動音声が流れる中、ただ凱旋を信じて待つ。大丈夫、彼等はきっと強いから。きっと空気を読まずに笑顔で帰って来るはずなのだから。
『残り二十秒――』
「――お待たせ、心配掛けたわね」
「……あぁもぉ。ちゃんと信頼に答えて笑うんだから」
施設の中から現れた二人の姿に思わず嘆息。片方は血塗れなのに笑顔を浮かべて、もう片方は情けない顔で息を切らしていて。無茶するんだから、なんて苦言を呈して二人の手を取った。
「ごめん黒羽君、時間が無いんだ!綿展開するから水場から離れたところに――」
「任せて、脱出でしょ。舌噛むから口閉じてて」
「え、それって」
質問は許さず、二人の退魔士の手をしっかり握る。そして両の脚に妖力を籠め、風の音と共に地面を踏み込んで。目指すは出口、十分余りを費やして来た道を十数秒で引き返せば崩落には巻き込まれない。ならば為す、ただそれだけの話だ。
「ちょ、まだ心の準備がっ」
「諦めなさい。こんな体験滅多に無いわよ」
「舌噛むってば。……行くよ、『
瞬間、暴風の速度でコンクリートを蹴り飛ばす。駆けると言うよりは暴風に押し出させるような感覚、その中で二人を手放さぬよう気を配る。文字通り風に乗る少女の速度は留まるところを知らず、すぐに出口を視界に捉え。
「出るよ、せーのっ!」
――土管を抜けた先で見たのは雲一つ無い星空。月下の跳躍は飛び越すように、煌めく清流を眼下に据えて。遠くに聞こえる崩落音と共に、救出作戦は幕を下ろした。
「……はい、これで外傷の治療は完了です。ですが体力の消耗はありますので調子に乗らないよう」
「判ってるわよ。……今回ばかりは礼を言うわ、牛若」
雨上がりの公園で望は胸を撫で下ろす。道中で簡易暴霊獣や式神を相手取っていた退魔士連中は早々に避難を済ませていたらしく、被害も軽傷が二人ほど。それも牛若の〈復元〉の魔力によって既に治療済みであるため実質無傷。攻め込まれた時とは打って変わっての完全勝利にようやく安堵の息を吐く。
「む、向こうは何人死んだんでしょうか……。崩落を考えると生還は望めないかも……。」
「自爆と言っていたなら施設共々全滅だろうね。証拠隠滅が目的だろうか」
「こ、怖い事言わないでくださいよ辰宮君!」
「おや、驚かせてしまったかな。すまない卯野君、お詫びに外食でも」
「そういうのいいから」
黒羽君曰く、この生徒会の退魔士共は私を『生徒会の仲間』と見做して作戦に参加したという。望――蛇神の娘らしい深碧の彼女が依頼主であり、蛇神の当主を止めるという目的の一致から共闘したとか。その姓名を聞くだけで苛立ちが腹の底から湧き上がるが、それとこれとは別の話だ。謝辞を延べられぬ程私は頑固者でも恩知らずでもない。
「……ありがとうございました、生徒会の皆様。この恩は必ず返します」
「ああ、それなら気が向いた時にでも生徒会に来てくれ。君に頼まれていた屋上の鍵を渡さないとだからね」
この謝恩は生徒会に。互いに利用し合う関係として、一歩を踏み出す為の言葉を綴る。
「それと、望だったわね。蛇神と私は敵同士なのだけど……」
「あ、それは、その」
「……なんてね。そこの日辻と黒羽君が認めたのなら大丈夫。ありがとう、助かったわ」
「……気にしないでください。傘の恩もありますし」
この奉謝は望む退魔士に。その真っ直ぐで眩しい程の善性に、混じりっ気無しの感謝を伝える。
「最後。日辻、それに黒羽君」
「なぁに、有希」
「……感謝は不要です。僕は当然の事をしただけ」
――そして、この想いは言葉だけでは足りない。尽きかけの体力を振り絞って土を蹴り、目一杯手を広げて二人の幼馴染に近付いて。
「ちょ、有希!?急に飛び付いたらびっくりするでしょお!?」
「わぷっ」
独り占めするように二人を抱き締める。幼い頃から、千羽に流れ着いたばかりの擦れた私をずっと想ってくれた大切な二人。彼等に伝える感謝の言葉などいくらあっても足りる気がしない。だから、代替にもならない言葉を代わりにぶつけるしかない。
「――大好きっ!」
「ありがとうねぇ。僕もだよぉ」
「……はいはい、怪我して頭回ってないんだからさっさと帰りましょうね」
――長い一日がようやく終わる。次に日が昇った時に訪れるのはいつもの日常、私達はこれからも変わらず進み続ける。
――これから先も、私は私を綴るのだ。
『――それで、蛇神の研究はどうだった』
「あー、ありゃ駄目だな。奴等は千羽町を壊す気だ、千羽が欲しいアンタ等とは合わねェよ」
『そうか。
「もう潜入は終わったんだ、偽名使わなくてもいいだろ。……そういや〈
「……魔眼の退魔士。何があったらアソコまで堕ちるんだ」
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