10、マトリックス(ウォシャウスキー兄弟)



「マトリックス」


 SF

 1999年 アメリカ映画

 監督:ウォシャウスキー兄弟

 出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン キャリー=アン・モス


 ※ ※ ※ ※ ※


 すっかり更新をサボってしまっているこのエッセーシリーズ。

「高校生男子に見てほしい10の映画」の最後に、選ぼうか、選ぶまいか、迷って、選ぼう、と決めていたのが「マトリックス」です。

 迷っていたのは、あまりにも有名で、誰もが知っていると思ったからです。

 しかし、公開されたのが1999年。三部作の最後が公開されたのも2003年と、すでに20年近く経っているわけで、

「名前は知っているけれど見たことはない」

 という若者も多いかもしれない。


 しかしながら、あまりにも有名で、どういう映画なのか、もはや誰もが知っていると思うので、そういう前提で、


「マトリックス」という映画の何がそんなに凄いのか?


 歴史的な意義について、簡単にご紹介したいと思います。



 ※ ※ ※ ※ ※


 内容は、


  我々の生活しているこの世界は、実は機械が作り上げたヴァーチャルリアリティーで、実際の我々の肉体は、機械の電池として機械につながれているのだ。

  機械によって作られたヴァーチャルリアリティーの世界が「マトリックス」である。

  そのことに気づき、目覚めた少数の者たちがレジスタンスとして機械と闘っているが、彼らには「機械の支配から人類を解放する救世主」=ネオの予言が信じられていた。

  新しく目覚めた青年トーマス・アンダーソンこそがそのネオであると期待されるが、果たして………


 といったもの。



 自分たちが当たり前のように「リアル」と思っている現実が、実は作られたヴァーチャルリアリティー=嘘の世界である、というストーリーも斬新ですが、

 何と言っても素晴らしいのが、


「映像革命」


 と称えられた斬新な映像表現。


 日本のアニメ、香港のカンフー映画が大好き!というオタク兄弟監督が、そのオタク趣味全開で作り上げたケレン味あふれるアクションの数々。コミック作家に絵コンテを描かせて、そのまま再現した構図、俳優たちのポーズもバッチリかっこよく決まりまくってます。


  アニメやコミックをそのまんま再現したようなアクションシーン


 というのも十分衝撃的で面白かったんですが、

 何と言ってもビックリしたのが、



  バレットタイム



 という映像技術によるシーン。例の、



 キアヌ・リーブス=ネオが、超スローモーションで、超のけぞりながら、飛んでくる弾丸を避ける、



 ってやつです。流行りまくって、さんざんパロディーに使われてましたね。


 しかし現在、このバレットタイムがどれだけ衝撃的であったか、ちょっと解説を入れないと伝わらないかもしれない。


 公開された1999年という時代は、ある意味、SFX映画に白けが感じられていました。ま、私がですけど。

 どういう白けかというと、


 CG=コンピューターグラフィックス


 です。

 映画創世記から、映画職人たちは様々な工夫を凝らして、誰も見たことがないような、映画でしか見られないファンタジーを作り出してきました。特殊撮影=特撮です。

 SFやファンタジー、怪獣映画なんかで特に特撮映画なんて呼ばれて、

 このシーンは一体どうやって撮影しているんだろう?と不思議に思ったり、メーキングを見て、すごいなあ、面白いなあと映画少年はワクワクしたものです。

 「2001年宇宙の旅」や「スター・ウォーズ」シリーズ、「ゴジラ」なんかの日本の特撮映画も、特殊なセット、特殊な造形、合成映像など、イノベーションを重ねてきたわけです。

 カメラのコンピューター制御などありましたが、基本的に全部、アナログ(手作業、実物)の手法でした。


 それが一変したのが、


 1991年「ターミネータ-2」の液体金属の変身ターミネーター、


 そして決定的な、


 1993年「ジュラシック・パーク」の恐竜たち、


 リアルなCG映像の登場でした。

 以降、アナログの特撮はデジタルのCGにどんどん置き換えられていきました。

 確かに、ターミネーターのにゅるんとした変身も、滑らかに動き回る恐竜たちも、それまでの特撮では描き得ないリアルさで、圧倒的でした。


 CGの登場によってもはや描けない物は何もないと思われるようになりました。

 技術的に不可能な事は無くなって、内容的にはなんの制約もなく描きたい物が描ける、何を描くか、自由なイマジネーションの勝負になり、映画は飛躍的に面白くなった……はずでした。

 事実、面白くなったと思います。それ以前と以降にはっきり別れるくらい。

 ただ……、なんだか、個人的な感慨ですが、


 映画という夢


 が終わってしまったように思いました。

 それまで映画職人たちが知恵を絞り、どうだ、すごいだろう?と、子供っぽく胸を張っていたファンタジーが、どんなに物凄い映像を見ても、


 すごいね。でも、どうせCGでしょ?


 と、映画=実写=本物、というマジックがすっかり消えてしまった。そんなのは最初から分かっていた事ではあるんですが、なんと言いますか、実写でアニメを作っているような、

「作り物」感が、

 すっかり自分の中に定着してしまって、

 どんなにすごいスペクタクルを見ても、どんなにすごい超人的なアクションを見ても、


 ああ、CGね。


 の一言で終わってしまって、映像に対する感動がすっかり無くなってしまっていた…………



 と言うのが、まあだいたいこの頃のわたしの、大好きだったSF映画やファンタジー映画に対する白け気分だったわけです。


 どんなにすごい物を見ても、映像に対する感動は何も起きない。何も興奮しない。


 なんでも描けてしまう万能の魔法は、これほどつまらない物はない、と白けてしまっていたのです。



 そんな気分のところへ現れた「マトリックス」は、

 それはもう、とんでもない驚きであり、興奮でした。

 映像に、まだこんな可能性があったのか?、と、まさに目からウロコの驚きでした。


 「マトリックス」の、

 バレットタイムの、


 何がそれほど驚きだったのか?

 それは、



  物の見方そのものを変える



 という体験でした。


 超スローモーションでのけぞって、飛んでくる弾丸を避ける、


 それを、


 カメラが、その周りをグルーっと回りながら、映して見せるのです。


 こんな事は、実際にやろうとしたら、弾丸よりも速く、超超高速でカメラがキアヌ・リーブスの周りを回って、超超超高速でフィルムに写さなくてはならなくて、そんなことはまあ、不可能です。


 その不可能な事を、



 実写でやった、



 という事に、とんでもない驚きと、興奮を覚えたのです。


 そう、これは、超高速でのけぞるキアヌ・リーブスは、CGのキャラじゃなく、実写なのです。

 飛んでくる弾丸はCGの合成ですが、キアヌ・リーブスは、本物なんです!


 バレットタイムというのは、基本的に、アナログの映像技術です。

 どうやって撮影したのかと言いますと、これもさんざんメーキングを見て、なるほど!と感動したものですが、


 グリーンバックのスタジオで、キアヌ・リーブスの周りに、グルーーーーーーーッと、動画じゃなく、写真のカメラを並べて、

 よーいスタート!→キアヌ・リーブスがのけぞる、その一瞬のアクションの間に→並べられたカメラが順番に、ババババババババババッと写真撮影

 (撮影した写真を重ねて、パラパラパラと見ると、キアヌ・リーブスがのけぞるアクションがパラパラマンガ状態で見られる)

 →写真をコンピューターに取り込み、より滑らかな動きになるように補完、補正→背景やCGの弾丸を合成→完成。


 といった感じです。

 この技術、聞けば、なるほど、と簡単に理解できる。でもそれを思いついて、実行したら、こんなにすごい映像ができてしまった! ほんと、目からウロコ、びっくりです。


 CGによって、描けない物は何もない。けれど、物、被写体を、時間と空間を自由自在に操って、現実にはあり得ない視点から映して見せるなんて事は、思いもよらなかった。

 バレットタイムはCG抜きでも一応成立します。しかしCGの技術がなかったら、あれほどの完成度の映像はできなかった。新時代のハイブリット技術、


 本当に映像の革命だったんです!



 ………しかしまあ………

 こんなおじさんの興奮は、今の若者にはなかなか通じないだろうなあと思います。

「マトリックス」から22年。CGはさらに進化を遂げ、「マトリックス」三部作の頃にはまだまだ作り物感がありありしていた人物のCGも、今や実際の俳優と見分けがつかないくらいに進化して、わたしが興奮して解説したバレットタイムの映像も、CGキャラクターを使っていくらでも簡単に、どんなアングルだろうと距離だろうと、ハイスピードもロースピードも、パソコンの中の操作で自由自在にできてしまう。……ハア…………


 しかししかし、

 どんなにデジタルの映像技術が進歩して、本物と見紛う大スペクタクルの映像が現れようとも、

「マトリックス」の魅力は決して色褪せないと思うのです。

 それは、バレットタイムという映像技術が、ただ単に目新しいだけではなく、


「現実だと思っていたこの世界が、バーチャルリアリティーだった」


 という作品の内容と密接にリンクした表現だったからです。

 救世主ネオは、機械によって与えられ、制限されていた世界を、認識を変える事によって、自ら操るようになる。

 それを、バレットタイムという描写によって、我々観客に体感させてくれるんです。

 ああ、もう、なんてかっこいいんだろう!




「マトリックス」は本当に革命だった。


「マトリックス」は革命の、永遠の記念碑だと、思うのであります。



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 ※ ※ ※ ※ ※


 はい、ここからおまけ。

「マトリックス」「マトリックス リローデッド」「マトリックス レボリューションズ」のトリロジー完結から18年ぶりの新作続編


「マトリックス レザレクションズ」


 さっそく観てきましたので、感想を。ま、公開されたばかりですので、ざっと、ネタバレなしの抽象的に。


 既に「観る!」と決めている人は、是非、他人のレビューなんか一切見ないで、劇場に直行してください。そして自分なりの感想を持ってください。


 では、一般向けの感想を。


 ※ ※ ※ ※ ※


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感想:


 これは完全にトリロジーを見た人向けの映画です。見てない人は、何が何だか、全く、分からないと思います。

 ぶっちゃけ、トリロジーを何度も見ているわたしも、さっぱり分からなかったです。

 多分ですね、コンピュータープログラムの知識のある人は、こういうことだ、と分かるんじゃないかと思うんです。知識のないわたしはさっぱり。

 トリロジーのディープなファン向け。上級ファン向けの内容です。それ以下は残念ながらおいてけぼり。


 そしてクリエーターもファンも必ず考える、18年ぶり、2021年の今に


 「マトリックス」を再び作ることに意味、意義はあるのか?


 という疑問というかテーマに対しては、ある意味、実に「マトリックス」らしい答えを提示しています。

 ただ、そこが激しく賛否両論を巻き起こすことになるだろうと思います。

 ・ ・ ・ ・ ・


 以下、けっきょく長々と書いてしまったんですが、やはり現時点ではこれから見る人の邪魔になるだろうと判断してカットします。もうしばらくしたら、折を見て公開しようと思います。

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高校生男子に見てほしい10の映画 岳石祭人 @take-stone

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