天使のガッコン

向日葵椎

脱衣所の天使

 一月三日。

 会社が正月休みのうちに実家に帰ってきた。


「先に風呂入っちゃいなさい」

「はいよー」


 夕食前、母に言われて先に風呂に入ることになった。

 脱衣所で服を脱ぐ。寒い。

 家は古い木造住宅で居間以外はめっちゃ寒い。


 ガッコンガッコンガッコンガッコン


 洗濯機だ。古いのに母が買い換えないので、動かしていると変な音が鳴る。

 脱いだ服をカゴに入れ、洗面器の鏡に映る自分を見る。表情が暗い。まあ、一人で鏡を見てニコニコしてたら変だけど、そうじゃなくて、疲れた顔をしている。正月休みでたくさん食って寝たはずなのにどうしたのだろう。休みといってもなんだかんだでこうやって実家に帰ったりしているからだろうか。


 ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン


 洗濯機を見る。

 洗濯はできているみたいだけど、もはや故障しているんじゃないかと疑うような音が一定の間隔で鳴っている。


「ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン」


 口に出してみた。

 無機質な音ではあるが、鬼のような母にガタガタになるまで使われて頑張っている叫びだと思えば同情できそうだ。


「まあ頑張れ」

 そう言って浴室のドアに手を伸ばした時だった。


 カッ――・カッ――・カッ――・カッ――


 振り向くと、鏡から白い腕が伸びていて、歯ブラシの背で蛇口を叩いている。

「……?」

 誰だ? というかなんだあれは。

 鏡に穴でも開いてて親戚の誰かがはまってる?

 なんで?

 目的がわからな過ぎてもはや驚きも恐怖もない。


 ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン

 カッ――・カッ――・カッ――・カッ――


「…………」


 ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン

 カッ――・カッ――・カッ――・カッ――


 一定の間隔で白い腕は歯ブラシで蛇口を叩く。

 洗濯機の音と間隔が合っているような……

 そう思っていると、


 ポンポコ・――ポン・ポンポコ・――ポン


 また新しい音が鳴りだした。

 音の出どころは洗濯機の横に逆さに置いてあるプラスチック製のバケツで、やはり手が床から生えて叩いている。


 ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン

 カッ――・カッ――・カッ――・カッ――

 ポンポコ・――ポン・ポンポコ・――ポン


 間違いない。音楽になっている。なっている、というよりは洗濯機と謎の白い手によって音楽がつむがれている。

 そう気づいた途端、俺は何だか尊いものを見たような気持ちになった。彼らは洗濯機の音で鬼の母の耳をあざむきながら、こっそり隠れて音楽をやっている。いつからそれが始まったのかはわからないが、俺が去年帰ってきたときはなかった。俺は考える。洗濯機が去年まではこんなに大きな音を出していなかったので、それから母に見つからなくなって始めたのかもしれない。――とすると、前から始めたかったのか? それはいつからだろう。去年? それとも洗濯機を買い替えた十年くらい前? それとも俺が小さかった頃? わからない。もしかすると洗濯機がこうなってからリズムというものに気づいたのかもしれないが――


 俺は手を合わせて合掌していた。

 お化け――あるいは天使を見たからじゃない。それが楽しそうだからだ。なんでわかるのかって言われたって、そんなものは聴けばわかる。母に見つからないうちに音楽を楽しもうとしているのがわかる。その伝わってくる気持ちのようなものはどこか神聖なような感じがあって、不思議と手を合わせたくなる。

 邪魔をしてはいけない。尊いものを目の当たりにするとそう思う。だからこのまま風呂に向かったほうがいいと考える。しかしそんな俺の思考を、心地よいリズムがどこかへと連れ去っていく。

 だから、


 パン――


 抗うことができなかった。俺は合わせていた手を叩く。

 そして手拍子を始めた。俺のリズムが彼らの音楽に仲間入りする。


 パン――・パン――・パン――・パン――

 ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン

 カッ――・カッ――・カッ――・カッ――

 ポンポコ・――ポン・ポンポコ・――ポン


 踊りだしたい気分だった。いや、俺の手は既に踊っていたのだ。もしこれが踊らされていたのだとしても、悪い気はしない。なぜならこれが俺の、彼らの尊さに対する答えだからだ。ただ、これは当たり前の答えだ。尊いものを邪魔をしないようにと思う俺の気持ちが生み出した、遠くから見つめるという答え。しかし俺の尊敬の念は、尊さへの抗いきれない魂とはこんなものだろうか。いいや、違う! 

 今こそ魂を彼らの音楽にぶつけるときだろう!

 だから俺は、歌うことにした!


「シャバダバ! ダバダシャバドゥビ! ドゥワッパ! シャバダダバドゥビ!」


 正月の脱衣所、一糸まとわぬ俺は音楽に合わせて歌った。

 よくわからない。しかし魂をぶつけるというのはそういうことだと感じる。

 鏡の手をチラリと見たとき映った俺は、どんなに自由な姿だっただろう。

 だがそれもつかの間のことだった。


『うるさい!』


 外から母の怒声。

 俺が我に返ると、脱衣所には洗濯機の音しかなかった。


 ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン


 歯ブラシもバケツも元のまま。

 ついに、俺は尊いものに邪魔をしてしまったのである。

 申し訳ない気持ちになり、浴室の戸へ手をかける。

 最後に振り返って言う。


「最高のビートだったぜ」


 洗濯機から生えた白い手が、親指を立てて俺を見送った。

 その後も続いた洗濯機の音を、俺は湯船に浸かりながら聴いていた。


 ガッコン・ガッコン・ガッコン・ガッコン

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