第4話 君から離れられない

 翠が着替えを済まし、トイレに行く時、俺は部屋で待つ事にした。


 どうせ俺はこの部屋から出られないし、また文句を言われても困る。


 翠が部屋を出て間もなくだった。

 グイーーンっと、磁力のような強い力に引き寄せられ、瞬く間に俺は翠のいるトイレの中に居た。


「かっ、勝手に入って来るな!」

 目の前に、翠の赤らんだ顔があった。

 視線を落とすと、彼女はパンツを下ろし便座に座っていた。


「お、俺だって全然ここに来るつもりじゃ・・・・・・」

「変態っ!!」

 翠にトイレットペーパーの芯を投げられた。

 俺は慌てて扉をすり抜け、翠が用を足すのを待った。


 どーなってんだ?!


 あっさり翠の部屋から出られている。

 俺は、試しに廊下を2.3歩歩いてみた。

 確かに進む事が出来た。


 さらに遠く離れてみようとすると、 再び透明の壁にぶつかって途端に前に進めなくなった。


 なるほど・・・・・・。

 振り返って、トイレまでの距離を見る。

 約1メートル。さっきのベッドから部屋の扉までの距離と変わらない。


 どうやら俺は、翠の部屋から出られないんじゃなく、約半径1メートル以上、翠から離れられないようだ。


 翠の母さんが、リビングから廊下に出てきた。


「ああっ!!」

 思わず俺は声を出した。


 驚かせないように身を隠すべきなのか、挨拶してしまうべきか、あたふたしてる間に、翠の母さんは俺の前を素通りした。


 そっか。俺が見えるのは翠だけなのか。

 当たり前か、死んでるもんな。


「じゃあ翠、行ってくるわねー。行きたくないと思うけど、学校ちゃんと行くのよー」

 母さんに声をかけられ、トイレから出てきた翠は、気だるそうに頷いた。



「翠の母さん、元気そうで良かった」

 部屋に戻る翠に、俺は声をかけた。

「気を紛らわそうとしてる」

「母さんが?」

「お前の葬式の時は、バカみたいに泣いていた」

「そっか・・・・・・ねぇ」

「なんだ?」


 俺の親父はどうだった?

 と聞こうとして、口を閉じた。

 親父の顔を思い浮かべた途端、胸がチクリと傷んだ。


「やっぱ、なんでもない!」

 俺は笑って流す事にした。


 翠が朝食をとる時、コーヒーを俺の分まで入れてくれた。

 予想はしていたが、俺はマグカップが掴めなかった。

 カップをすり抜け、コーヒーに顔を突っ込んでもみたが、匂いも味も感じられなくなっていた。


 翠はしげしげと俺を見つめながら、呟くように言った。

「哀れ」

「んあー! 悔しー! 頭の中では、味も匂いも記憶してるのに何も感じられねー」

「腹は減らないのか?」


 翠が目玉焼きの黄身を潰した。

 とろりと、白身の上に黄色い液体が滑っていく。


「腹が減る感覚もねえ。そもそも肉体がねーからか」

「便利」

「そうかぁ?」

「・・・・・・羨ましい」

 翠はポツンと呟いた。


 俺にとっちゃ、皿の上に並べられた溶けたバターが染み込んだトーストやら、こんがり焼けたベーコンを味わえる方が、よっぽど羨ましかった。



 高校までの登校風景は、以前と何も変わらなかった。

 陽の光を全身で浴びても、長い前髪が影を落とし、翠の顔だけは暗かった。


 皆に俺が見えていないのが、不思議な感じだった。

 道行く人達に、俺は派手なポーズを取ったり変な顔をしてみたりした。


 だけど、誰も気が付かない。


 本当に夢の中にいるみたいで、妙な感覚だった。


「何をしている?」

 翠は、俺の挙動にクスリともせず、じとっとした目で見つめてきた。


 俺は恥ずかしくなって咳払いをした。


「いや、ちょっとした実験ってやつだよ!

 今朝分かった俺の情報をまとめるとだな・・・・・・。

 俺はお前の傍から離れられない。

 そして体のあらゆる感覚がない」


「餌は不要。排泄も不要」

「餌って・・・・・・ペットじゃねえんだから」

 俺は苦笑いした。


「それって・・・・・・」

「うん?」

「最高だな」


 風に揺れる黒髪の隙間から、薄く微笑む口元が覗いた。


 俺は目を見張った。

 翠のこんな表情、久々かも・・・・・・。


 くすぐったい感じがするのは、自分でも何故だか分からない。


 こうして、翠と呪縛霊になった俺の、共同生活が始まった。

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幼なじみに、呪縛霊にされちまった件。 満月mitsuki @miley0528

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