第3話 翠の視点

 お前が死ぬくらいなら、私が死ねばよかったのに・・・・・・。


 自分のせいで1番大切な人を死なせてしまうだなんて、夢にも思わなかった。


 守と一緒に居ると、全てが満たされるような気持ちになれた。

 贅沢だって要らないし、どこにも行かなくていい。

 ただ守さえいれば、何だって出来る気がした。


 私が望んだ事は、たった一つだけなのに。

 いつも私のそばにいてよって、ただそれだけだったのに。



 守が死んで、目の前が真っ暗になった。

 悲しみには底がなく、1度落ちてしまうと浮き上がる事が出来なかった。


 頭の中では、自分を罵倒する声がこだまして、生前の守の笑顔と、彼が宙に浮かび落下する瞬間の映像が交互に押し寄せてきた。


 どうしよう?どうしたらいい?


 いくら悔やんだって、取り返しがつかなかった。


 〇

 守の葬式の日は、雲一つない晴天だった。


 私と守は幼なじみで、家族ぐるみで付き合いがあった。


 守のお父さんは、魂の抜け殻みたいな目をしてるのに、仕事は淡々とこなしていた。

 赤ん坊の頃から守を可愛がってきた、うちの両親は盛大に泣きじゃくっていた。


 私は高校の制服で参列した。

 同じ制服を纏った派手な髪色の生徒が何人も来ていたけど、誰とも口を利かなかった。


 あぁ、もう私には友達と呼べる存在がいないんだ・・・・・・。



 それでも、事故から告別式に至るまで、私は一滴も涙を流さなかった。


 誰かの前で泣くと、何かが終わってしまう気がした。


 式は、守とのお別れとは思えないほど、堅苦しく辛気臭い空気で、違和感があった。

 早くここから抜け出したかった。


「守とずっと仲良くしてくれて、ありがとな」

 告別式の後、守のお父さんに、優しく微笑まれた。

「君と過ごせて、あいつは幸せだったと思う」


 彼は、私を責めなかった。

 ただ包み込むような優しい目をしていた。


 たった一人の子供を亡くした父親の姿を、私は見ていられなかった。


 守の母親は、お産の時に亡くなった。

 妻を亡くし子を亡くし、守の父親は正真正銘のひとりぼっちとなった。


 私は何も言えずに、その場を去った。


 心に蓋をしたはずの悲しみが、今にもどっと溢れ出しそうで怖かった。



 〇

 火葬場の煙筒から、煙が立ち昇っていく。

「さよなら、守君」

 守の煙を見て、私の母が呟いた。

「きっとあの子は、空から私達を見守ってくれるわ」

 父も頷き、守のお父さんは空に手をかざした。


 パチンっ。

 と、私の頭の中で音が鳴った。


 脳内でスイッチが切り替わったように、心の中に閉じ込めていたはずの悲しみが、ふつふつと燃え上がり始めた。


 は?

 空から・・・・・・見守る?

 守の分際で?


 身体の中に溜まっていたものが渦巻きだし、メラメラと怒りが燃えだした。


 守如きが、頭が高いわっ!!!


 思えば、なぜ私はあれほど途方に暮れ、悲しみに耽っていたのだろう。


 そもそも守は、待ち合わせに死体で集合した時点で失格だ。


 遅刻したら死ねと、私は確かに言った。

 でも勝手に死んでいいとは言ってない!


 お前を殺すのは私だ。

 死んだからって許されないからな。

 そうだ守、とっとと降りてきやがれ!


 私は心の中で叫んだ。

 すると、冬の澄んだ青空に、巨大な暗雲が垂れ込んで突如大雨が振ってきた。


「なに突然?! ゲリラ豪雨?」

「天気予報でこんな事言ってたか?!」


 外に出ていた参列者はバタバタと走って、式場の中へ戻っていった。


 私だけは、睨むように空を見上げ、立ち尽くしていた。


 目の前が真っ白くなる程の雨粒に、立ち昇る守の煙が掻き消された。


 夜が明けるまで、雨は降り続けた。


 〇


 瞼をうっすら開けると、守の顔があった。


 スキンヘッドに、太い眉毛だけが生やして、筋の通った鼻が伸びている。

 彫りの深い大きな目の中に、ぽつんと浮かんだ小さな黒目が、こちらを真っ直ぐ見据えていた。


 まだ夢の続きにいるのだと思った。


 こんな夢なら醒めたくなかった。

 ジリジリとアラームが鳴った。


 音のする方へ手を伸ばし、枕とベッドの隙間に挟まったスマホを指先で掴んだ。

 6:45。

 画面から発される、白い光が眩しかった。

 ようやくアラームを止めた時、私は思わず叫んだ。


「ひっ!!」

 画面の向こうから、守がこちらを見つめていた。


 嘘でしょ?!


 守はベッドの下に座り、枕元に肘をついて、まじまじと私を眺めていた。


 彼の手に触れようと、そっと指先をあててみると、すり抜けてしまった。

 そこには体温が感じられなかった。


 鼻先が当たるくらいに近づいて、守の顔をまじまじ覗くと、守は少し赤らんだ。

 守からは、守の匂いがしなかった。


 どうやら、というより、やはりこの守は実体がないようだ。

 彼の身体の形をした空気がそこにある、といった具合だ。


 私は自分の頬をつねったり、スマホで頭を叩いてみた。

 ちゃんと痛い。

 どんなに痛みを感じても、変わらず守はそこにいた。


 私にまじまじと見つめられた守は、驚いたように目を丸くした。


「だって翠が、、」

 それは守の声だった。


 男子にしてはハスキーで高い声。

 間違いなく、ここにいるのは守の何かだ。


 そう認識した途端、私の中にある悲しみや恐怖や緊張が一気に解けて、堪えてきた涙がぶわっと溢れ出した。


「おい、大丈夫かよ?

 そんな、、泣くなよ!」

 守は、慌てて声をかけてきた。


 私は、全身で安心していた。


 守は死んだ。

 それは事実だ。


 だけど私は、守をまだ失っていない。


 撫でられている感覚はなかったけど、守は暖かさを失った手で、ゆっくりと私の頭を撫でてくれた。


 私の心臓は、跳ねるようにバクバクと動き出した。


 守が死んでから3日後の今、ようやく生きている実感を取り戻した。

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