第2話 あの世から引き戻されて

「お前は、私のせいで死んだ」


翠が、死んだ俺に1番最初にかけた言葉だった。


 泣き腫らした目で、ぐっと俺を睨みつけてくる。


「いや、あれは俺の不注意だし・・・・・・」

「『せいで』は嫌だ」

「翠の『せいで』死んだなんて、そんな風に思ってねーから」

「これからは勝手に死ぬな」

「へ?」

 俺は耳を疑った。


「うっかり交通事故に遭うも禁止」

「な、なに?」

「お前を殺すのは私だ。私の許可なしに死ぬのは、金輪際許さない」


 眼鏡のレンズの奥から見える瞳に、とんでもなく強い意志が宿っているのを感じた。


「金輪際も何も、人の生死は人間が決められるもんじゃないと思うけど・・・・・・」



俺がこの世に戻ってきた時、朝日に包まれた翠はベッドの中で眠っていた。


 切れ長の目の下に細い鼻筋が通り、控えめな唇がうっすらと開いている。


 いつも髪の毛で隠れた顔が露になっていて、その無防備な寝顔に俺は見惚れた。


 アラームが鳴り響き目を覚ました翠は、俺が視界に入ると取り乱し、何度も自分の頭を叩き、頬をつねり、ここが現実か確かめた。


 こんな慌ただしい翠を見るのは、初めてかもしれなかった。


 やがて翠は、俺が実在すると信じられるようになると、目から大粒の涙を零し、恐る恐る俺の手に触れた。


 翠の手は、すっと俺を通り抜けた。

 そして俺の手には、翠に触られた感触がなかった。


 どうやら俺は、俺の形をした空気みたいになっているようだった。



 たしかに、俺はあの世に行ったはずだった。


 よく晴れた空の下、目の前に流れる穏やかな川を、なんの迷いもなく渡った。

 今になって思い起こせば、あれはきっと世にいう三途の川だったんだろう。


 死んだ実感も湧かなかった。

 悲しいとか、もーちょい生きてたかった! とか、生前の俺が死ぬ瞬間を想像し、きっと感じるであろうと考えていた感情にはならなかった。


 渡った先は美しい向日葵畑で、そこには懐かしい顔が待っていた。

 じんわりと胸が熱くなった。


「じーちゃん! ばーちゃん!」

 俺はちっこいガキの頃に戻ったかのように、躊躇わず叫んだ。

 ずっと会いたかった。

 笑顔の再会だった・・・・・・。


 はずなのに。

 翠の怒り狂った声が、何処からともなく聞こえてきて、そっからが酷かった。


 ゴロゴロとデッカイ雷が落ち、三途の川が突如大氾濫を起こした。


 俺は川に呑み込まれ、じーちゃん達と引き離された。


「あれ?! じーちゃーん! ばーちゃーん!!たすけてぇー!!!」

「まーもーるーやぁー、、」


 じーちゃん達の、か弱い声は遠ざかっていき、気がつくと俺はここにいた。


 俺自身、今でも信じられない。

 だけど、不思議と納得も出来た。


 翠なら、やりかねない。


 翠は幼い頃から大人しくて、感情表現が苦手な子だった。

 だけど決して、感情が無いわけじゃない。


 小さな身体の中に、いつだってありあまるほどのエネルギーを充満させている。

 人一倍心の波があるのに、それを心の中に溜め込んで、ブチ切れた時にそれは決壊した。


 キレた時の翠は、不思議となんでも出来た。

 本当に、なんでもだった。



「出ろ」

 いきなり翠がベッドから立ち上がった。

 俺はベッドの下に座り込んだまま、ぼんやりしていた。


「へ、なに?」

 翠がおもむろにパジャマのボタンを外し始めた。


「あっそーゆうこと?!」

 翠は制服に着替えようとしているのだろう。

 俺は慌てて部屋から出ようとしたが、どうしても扉の外に出られなかった。


「何をしている?」

「なんか透明の壁みたいのにぶつかって出られないんだよ」

「・・・・・・。」

「もしかしてだけど、俺ってこの部屋から出られないのかな? いや、マジで冗談じゃなくね!」


 先に言っておくが悪気はなかった。


 出られない事に慌てた俺は、テンパって振り返ると、翠がセーラー服を頭から被る寸前だった。

 首を傾けたせいか、シルバーの細縁のメガネが鼻先までずり落ちている。

 水色のレースのブラジャーには、ふっくらした白い胸が包まれていた。


 翠が小さく息を呑んだ。

「あーっ! わりい! ほんとすまん!」

 俺はすぐさま翠に背を向けた。

「今度振り返ったら殺す」

「いや、もう死んでるって・・・・・・」



 翠とは、幼稚園の頃までは何度か一緒に風呂に入った事がある。

 翠の母親に入れられ、体を洗ってもらった。


 その時の写真を見た事がある。

 2人とも、凹凸のない身体で猿みたいだった。

 自分の股間についたアソコも、豚の尻尾みたいにちんちくりんで、あの頃は雄でも雌でもない感覚で生きていたような気がする。


 俺の背後から、カタカタと引き出しを開ける音やファスナーを締める音がしていた。


 一緒に過ごす時間は長かったけど、こんな近くで生着替えをされるのは初めてだった。


 無くなったはずの心臓が、ドクドクしているような気がする。

 俺はソワソワしっぱなしで落ちつなかった。


 なぁ翠、お前はどうして俺を引き戻したんだ?

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