じゃない方
麺田 トマト
じゃない方
リビングルームの四隅を見るのが好きだった。
家族がテレビに夢中になっているなかで、立方体を構成するうちの三辺がぶつかって、凹んで、黒くくすんでいるその隅っこを見るのが好きだった。
この世で我が家のリビングの隅っこを見ているのはこの自分しかいない。そう考えるとワクワクするのだ。
学校の先生から、変わった子だと言われた。実感は湧かなかった。この人は知らないのだ。この教室の天井には二百五十三個の穴が開いていることを。黒板ばかり、教科書ばかり見ているから知らないんだ。
じゃない方。
それを意識するだけで、どうしたって胸が高鳴るのだ。神秘的だとさえ、思った。
そんな自分は、それとなく育っていった。家族には苦労があっただろう。出費があっただろう。愛があっただろう。でも、それは”じゃない方”じゃない。テレビでやれば、記事にすれば、みんなが見る方の内容で、自分が求めるものではない。
自分の見たいものは、得てして社会の求めるモノとは真反対で、それが受け入れられることはない。自分のこの無上の喜びを分かち合うことのできる人間は、誰一人としていなかった。
自分は”じゃない方”なのだと、気が付いた瞬間だった。
……夢が出来た。
皆が自分”じゃない”証明をしたいと思った。あとになって考えれば、これは背理法的な、帰無仮説のようなもので、真に自分が願っていることはそう”じゃなかった”のかもしれないけれど、その当時の自分は必死だった。
リビングルームの四隅は、自分だけのものだと、そう思いたかった。
『人類”じゃない””じゃない”化計画』
自分はこれを生きる目的とした。
真に自分の喜びを理解してくれるヒトは誰もいなかったけれど、”じゃない”というのはそれだけで一つの巨大なコンテンツだった。
女性に対する男性。
与党に対する野党。
正義に対する正義。
生物には外界と個体とを隔てる膜が必要だ。集団に属すること、あるいは自己を確立することと、誰かと対立することは同義だ。
いわゆるカウンターカルチャー。利用するには、うってつけだった。
しかし思うところはあった。自分の神聖なる”じゃない方”信仰が、自分”じゃない”誰かの道具にされるのは、気持ちの良いことではなかった。しかし、真なる”じゃない方”は破られることはない。いかに民衆が高らかに、
計画を進める中で、自分の夢を叶えるに相応しい概念を発見した。
『恵方』である。
この文化を世界中に広めることが出来たのなら、その瞬間、究極の”じゃない方”が誕生する。
つまり、全人類の死角。
この世界に、リビングルームの四隅が発生する。自分がそこに立つことが出来たのなら、それは皆が自分”じゃない”証明になると考えた。
『人類”じゃない””じゃない”化計画』は、セカンドフェイズへと移行した。
ちなみにその年の『恵方』は南南東であった。
中国四千年の歴史になんら関わりのない、風習とすら呼べない『恵方』の概念を、果たして自分がどのような方法で、世界の普く人々に普及させ、浸透させ、強制させたのか。これは実に言葉で表すことが難しい。せいぜい自分に出来るのは”じゃない”ことだけだ。自分でも不思議に思う。いや本当に。
ただ感想として、この自分が、『人道』の意味を理解することが出来ないのは、とても助かった。
かくして、『人類”じゃない””じゃない”化計画』は最終段階へと移行した。日本時間で節分の日の午前零時、地球上の人々は皆、南南東を向いて、恵方巻を食す。そしてその時、自分は南南東”じゃない方”に立つ。その場所はメルカトル図法の地図で調べた。お金は余るほど持っていたし、自分は来るべき日に備え、ファーストクラスの搭乗券を取った。移動するときはもちろん、窓の角や壁と座席の接合面なんかを見て過ごした。
これもまた、後になって、という話だが、この時、この話の結末は見えていたはずなのだ。しかしその時の自分は、決定的な過ちに気づかぬまま、ついにその地へと足を踏み入れた。美しい白銀の世界であった。
日本時間、二月三日零時零分零秒。
自分”じゃない”全人類は南南東を食し、皆それぞれの味をした恵方巻を食した。
ここに、『人類”じゃない””じゃない”化計画』は達成された。
全世界でたった一人、そう”じゃない”自分だけが、北北東を向いて、全身を稲妻のように駆け巡る快感を味わった。
そう、自分は万人の死角にいる。この自分は、誰にも規定されることも観測されることもない、自分だけの自分なのだ。
気分の昂った自分は、この計画を達成するために犯した法律を洗いざらいフリップにまとめて、頭上に掲げた。神聖なる”じゃない”信仰を汚した奴らの悪口も書いて掲げた。計画の過程で知った世界の裏側についても色々書いた。これは確かに裏側だけど”じゃない方””じゃない”から。
自分は皆”じゃない”。皆は、自分を見ていないのだから。自分は、自由だ。
そう、思っていた。
帰路、飛行機で極上のサービスを受け日本に帰ると、何故だかコートを来た男たちに囲まれた。
警察だった。
自分は逮捕された。
あの時、自由だった、”じゃない”自分が掲げたフリップを元に、警察が捜査し、逮捕状を請求したらしい。その他口封じのために、各国の機関が血眼になって自分を探していたらしい。
おかしい。
おかしいおかしいおかしい。
だって、自分の計画は完璧だった。自分は”じゃない方”だった。”じゃない方”じゃない方”のお前らに、この自分を規定する道理はないはずだ。
考えて、考えて考えて。
宙ぶらりんになった自分は、あることに気が付いた。
そういえば飛行機の中で、自分は隅を見つけられなかった。
飛行機のかたち。
あぁ。なるほど。
どうやら、地球は丸いらしい。
じゃない方 麺田 トマト @tomato-menda
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