雨。

多賀 夢(元・みきてぃ)

雨。

 雨に打たれるのが好きだった。

 空から落ちてくる粒は神からのギフトのようで、雨雲が広がる空に両手を広げて感謝を叫んだ。笑って踊った。

 私を嘲る人間が、私をそんな世界に追いやっていた。私を見守るのは空しかなかった。私に与えて下さるのは、雨しかなかった。

 それが、私の少女時代。自分の殻に閉じこもり、喜びを自作していた時代。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「千歳さん」

 授賞式の会場で、私は聞き覚えのある声に呼び止められた。

「妹尾さん!お久しぶりです!」

「最後のゲームイベント以来ですね」

 私に話しかけてきたのは、世界的にも有名なゲームクリエイター妹尾明人氏。昔、世界的企業Doobleのアメリカ本社でインターフェイスデザインを担当し、今でもその片鱗が多くの人のスマートフォンに搭載されている。その後ゲーム会社に移籍して、その分野でも有名となった多才な人だ。今日は来賓として参加している。

「いやあ凄いよね。ミステリー界の巨匠の仲間入りだね」

「いやだなあ、これ新人賞ですから。まだホントのぺーぺーですから」

 そうかそうかと笑う妹尾さんを、私はまぶしく見つめた。

「妹尾さん」

「はい」

「ありがとうございます。賞を取れたのは、妹尾さんのおかげなんです」



 私の人生は不遇だった。

 しばらくは思い出すだけで過呼吸を起こすほどで、精神を病んだ私は仕事も転々としていた。

 最初に小説を書いたのは、自分が救われるためのセルフワークだった。

 でも、その作品は意外な人気となった。

 褒められることを覚えた私は、嬉々として次々と作品を綴っていった。


 精神が安定し始めた頃、私はあるゲームにハマった。

 二次創作OKと公式が通知したので、私もスピンオフ的なものを連載していた。

 そのゲームを作った会社の見学会があると聞き、軽い気持ちで応募した。

 そこで私に声をかけてきたのが、移籍したばかりの妹尾さんだったのだ。


「千歳ハツエさんですよね」

「!は、はい。……はい!?」

 固まる私とは対照的に、妹尾さんは実に朗らかだった。

「はじめまして。SNSでお顔を拝見してたので、すぐにわかりました」

「え、なんで私のSNSなんて」

「あの二次小説、読ませて貰ってます」

 私は凍り付いた。なぜなら、悪役として妹尾さんを出していたから。

「なんかもう、ホント失礼なものを……」

「面白かったですよ」

「いやいや、そんな大したものでは」

 うつむいて首をふるふると振る。辛い、辛すぎる、まるでお世辞という名の公開処刑――。

「いいえ、本当に面白かったんです!」

 急に強くなった言葉に、私は思わず顔を上げた。目に飛び込んできた相手の瞳はキラキラしていて、頬は興奮で紅潮していた。

「まさか、本気で褒めてらっしゃいます?」

「ええ!本当です、続きが楽しみでたまらないんです!」

 にかっと笑った顔に嘘はなかった。私は求められるままに握手をして、それで興奮して宣言した。

「わかりました。頑張って、書きます!!」



 その言葉通り、私は書き続けた。私の人生は不遇過ぎて、自分をネタにすればいくらでも書けた。だけどそれでは駄目だと歴史小説を書いたり、恋愛小説を書いたり、とにかく試行錯誤をたくさん繰り返した。

 私の作品には、イイねだけでなく指導もたくさん入った。イライラはしたものの、最後にはそれらに感謝してもっと書いた。多くの人々が読んでくれた証が、私には栄養として染み込むようだった。



 ――それが、ぱったりと得られなくなった。

 新しい彼との同棲で、私の時間が消えたのだ。

 実際には、寝る前や仕事の後に少しだけ書ける時間は持てた。だけど前のペースに比べると断然進みが遅く、推敲も雑になった。読者はどんどん減っていき、指導は苦情に変わりつつあった。


 私は最初、彼に自分のサイトを見せていた。

 一緒に喜んで欲しいから。私の趣味を許してほしいから。

 だけど彼は全く興味を示さずに、テレビかスマホに没頭していた。

 諦めて私が席を立とうとすると、突然ドライブに行くといって夜中まで連れまわされた。

 他の潤いを探そうとしても、彼がいつも介入した。

 彼が好む服を強要し、小食な私に彼と同じ量の食事を強制し、いらないと断ると怒った。同じ工場で働かないかと、転職まで迫った。


 私は、追い込まれていった。

 私は彼とは違うのだ。誰かと同じでいたくないのだ。

 同じでいようとすればするほど、私は激しく浮いてしまうだろう。

 子供時代の不幸は、そうやって生まれたのだから。




 だから、はからずも推理小説新人賞を貰った時、賭けに出たのだ。

 私が一人で東京に行くことを、この人に許してもらおうと。

 駄目なら、別れるしかないと。

 しかし結果はもっと無残だった。――彼は、私が小説を書いていることすら知らなかったのだ。

 私はもう、彼と生きていける自信がなくなった。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「今度、うちでゲームシナリオ書いてみませんか」

「あら、面白そうですね! ぜひぜひやらせて下さい!」


 私は、妹尾さんからある事を学んだ。

 メディアの向こうは、特別な世界じゃない。自分と同じような人間が、やっぱり同じように仕事をして生活している。誰でも行けるし、隔てるものはない。そもそも人の本質は平等だ、特別なんて最初からない。


 ――そういえば、あいつは何にでもランクをつけてたな。叱ったら屁理屈を言って、嬉々として周囲をこき下ろしてた。本当に寂しい奴だよ。


 夜景を見渡せるようにだろう、会場に設えられた大きな窓から、雨にけぶる東京タワーがちらりと見えた。窓辺に進んで下を見ると、傘をさす人とさしていない人が半々だ。


 雨はだれの上にも降り注ぐ。

 どこにいても雨は降る。

 それを恵みと受け取るか、災難と受け取るか。

 私には恵みだ。心を潤してくれる、人々の声のように。

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雨。 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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