ラーメンやってます!🍜

上月くるを

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 県の南部に住むブンタが生家に行くには、3つの峠を越えなければなりません。


 その最後の峠の頂上に、真っ赤な地色に黒に白の太りポジ(縁取り文字)で「ラーメン」と大書された旗が並び、けもの道のような山道へと誘導している。


 そんな光景を見慣れたブンタが一度もそのラーメン店に立ち寄ってみようと思わなかったのは、峠を越すとすぐに生家だったから……。でも、今日はちがいます。


 甥の代になった生家は、ブンタが気軽に帰れる家ではなくなっていることを、

 

 ――あのな、遠くから来られると、コロナ感染が心配だって、息子がな……。

 

 言いにくそうな弟の電話での口ぶりから察したのは、つい先日のことでした。



      ☆彡


 

 徳川家康の6男に生まれた松平上総介忠輝まつだいらかずさのすけただてるのように(いきなりの登場ではありますが、歴史好きのブンタにはごくふつうのことゆえ、何卒ご海容くださいまし)、どういうものか、生まれついて実の父親に疎んじられたブンタは、中堅農家の長男でありながら、地元の高校を出ると、追い出されるようにして上京し、さまざまな仕事を転々とした末に、一級建築士として名を知られるようになりました。


 20年前、生まれ育った県の生家とは遠く離れた別荘地に山小屋を建て、同業の息子に東京の事務所を任せた現在は、1年の大半を老妻とそこで過ごしています。



      ☆彡


 

 そういう事情から、今日の仕事は生家のすぐ近くだったのですが、立ち寄らずにUターンしたので、峠の「ラーメン」の赤い旗に、にわかに空腹を覚えたのです。


 朽ちてやっと読み取れる駐車場の案内板の下に車を停め、両側から覆いかぶさる秋の草を払いのけながら、狐や狸、鹿、猪、ときには熊まで通りそうなけもの道を歩いて行くと、そこだけ箒で掃いたようにぽつんと開けた場所があり、ボロボロに風化した板ぶき屋根の小さな店、というか小屋が危うく傾ぎながら立っています。


 一丁前に、というと失礼ですけど、ささくれた軒先に赤提灯もゆれています。

 本当に営業しているのかなと訝しみながらも、かろうじて藍色とわかるのれんをくぐって格子戸を開けると、意外にもカウンターにも小上がりにも客がいっぱい。


 いい匂いの湯気の向こうから、入道ふうにでっぷり太った禿頭とくとうのオヤジが、

 

 ――へい、らっしゃい!

 

 野太い訛声だみごえを掛けて来たので、客はいっせいに新入りを振り向きました。

 

 ――ん? なんだ、これは?!

 

 その客がみな時代劇に登場する役者の扮装をしていたのでブンタは驚きました。

 半分は重そうな鎧を着けた武士の格好で、身体中に血糊を塗りたくっています。

 残りの半分は、蒼白い顔に目ばかりぎょろぎょろさせた百姓女や子どもらです。

 

 ――映画のロケにでも迷いこんだのか?!

 

 一瞬、怯みましたが、ここで逃げ出しては歴史ファンの名がすたるというもの。

 気を取り直してオヤジの顎が示すカウンターに座り、壁のメニューを見ました。

 

 ――戦国ラーメン 16文也。

 

 黄ばんだ短冊に驚くような麗筆で記されているのは、ただそれだけ。

 

 ――いまの金額にすると、約300円か。ずいぶん安いが、大丈夫か?

 

 すると、ブンタの胸を読んだように、となりの髭面が鎧をガチャガチャ言わせて顔をのぞき込み、にやりと笑って、血糊だらけの太い親指を立ててみせました。

 ほかの客はいっせいに息をひそめ、おもしろそうに成り行きを見守っています。

 が、気のせいでしょうか、店内中に妖気めいたものがゆらめいているようです。

 

 ――へい、お待ち!

 

 やがてブンタの前に置かれたのは、見たところ、ふつうの醤油ラーメンでした。

 丼は素焼きでしたし、箸はその辺の木の枝を削ったものではありましたが、空腹には逆らえず、持ちにくい箸でひと口食べて、蕩けるような美味さに呻りました。

 

 夢中で食べ終え丼から顔を上げると、満席の客はひとり残らず消えていました。

 ついでにと申しますか、厨房のオヤジのでっぷりした影もかたちも見えません。


 なにがなんだかわからないままブンタは尻の財布から500円玉を取り出すと、ぱちりと音をさせてカウンターに置き、褪せた藍のれんをくぐって外に出ました。


 とそのとき、山の頂上から一陣の風が吹き下って来て、赤地に黒に白の太りポジの「ラーメン」の旗をひるがえらせ、けもの道を行くブンタの足を急がせました。

 


      ☆彡


 

 別荘に帰った翌々日、ブンタは県立図書館の郷土資料コーナーへ出かけました。

 大の歴史好きといっても関心は中央関連に限られ、地方史には詳しくないブンタの不思議な体験を聞いた近所のお年寄りが、耳寄りな話を教えてくれたからです。

 

 ――あった、あった!

 

 司書さんに依頼して、奥の閉架式の書庫から出してもらった古い郷土資料で生家の近くの村史を調べていたブンタは、両手の拳を握りひそかに快哉を叫びました。


 戦国時代、甲斐の武田信玄が周辺攻めを行った際、山城に籠もる敵の士気を削ぐため、城の石垣に3,000余りにのぼる首級を並べ置いたという記述があったのです。


 同じ頁に掲載されている縄張り図や編纂当時の写真でたしかめると、山城はどうやら、あのラーメン店に至るけもの道を登り詰めた山頂に築かれていたようです。


 しかも。


 無謀な戦への天罰のように、山城周辺の村々に恐ろしい疫病が流行したそうで、無智な村人は患者を家から追い出したり、治療に当たった蘭方医や介護の人にまで鍬を振り上げて脅したりしたので、いっとき、地域は壊滅状態に陥ったそうです。

 

 さらし首や疫病の亡者たちが腹を空かせて、籠城の御大将が開いた店に夜な夜な集まっていたと考えると、鎧も血糊も窪んだ目も、凄まじい妖気も納得できます。


 それと同時に、今朝、読んだばかりの新聞記事がブンタの脳裡をよぎりました。


 新型コロナウィルスの集団感染を公表した中核病院の医療従事者やその家族への陰湿な偏見が発生し、学校や保育園へ通えない子どもまで出ているというのです。

 

 ――なんだ、戦国のむかしから少しも進歩していないじゃないか、あの地域は。

 

 自分を疎みつづけた亡父にも通底する風土性に、ブンタは憤激を覚えました。



      ☆彡

 


 アメリカ製のワクチンが全国民に行きわたった翌年の夏、仕事でふたたびあの峠を通りかかったブンタは、どこにもラーメン店の痕跡を見つけられませんでした。


 人としてあり得ない、あってはならない、医療従事者とその家族への偏見で全国から痛烈な抗議を受けた地元の首長たちが率先して地域住民に働きかけ、恥ずべき事態を収拾させたので、戦国の亡者の怨念はようやく昇華したのかもしれません。

                                【完】


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