第2章 彼女の痕跡

第9話俺の知らない彼女の話

 大人しく斎藤が買ってきた冷食をレンジで温め、待っている間にカレーパンをかじった。

 そんな俺をまるで飼い犬に餌でもあげているかのような生暖かい視線で見ていた斎藤は小さなテーブルに肘を付きながら訪ねてきた。


「これからお前、どうするつもりだ?」


 誂うでもなく、責めるでもなく急かすでもない斎藤にしか出来ない雰囲気で訪ねてくる。

 まるで、『今日の夕飯どうすんの?』位の軽さだった。

 一瞬口に入れていたカレーパンが口から出そうになったのを何とか堪える。


「……彼女を知りたい…知ってどうにかなる訳ではないけど、このままだけは嫌なんだ」


 咄嗟には答えられなかったが、訪ねて来たのが他ならぬ斎藤だったから、俺は素直に答える事が出来たのかも知れない。


「そうか……いいのか?知りたくない事まで知る事になるのが大概だぞ?」


 色々と達観している目の前の親友は、言い辛い事でも必要なら躊躇はしない。

 本人には死んでも口にはしないけど、そんなところを俺は尊敬していた。


「……正直、しんどいと思うけどこのままじゃ前にも後ろにすら進めないんだ」


「まあ腑に落ちない部分が多すぎて、奥歯に物が挟まった様な嫌な感じはするよな」


「なあ、斎藤」


「何だ?」


 目の前の斎藤は目の前で自身が買ってきたお菓子を摘みながら目線を此方によこす事なく返答した。


「葉子さんは、俺の事少しでも好きでいてくれたかな……」


 訪ねた問い掛けの余りの情け無さについ、出てきた言葉尻は萎み顔は俯いてしまう。


「さあな」


 斎藤は考える素振りすらしようとしない。


「冷たい奴だな。こんな時は嘘でも肯定するだろ」


 こんな時も目の前の男は小憎らしい事に食べるのを止めなかった。


「俺は葉子さんじゃ無いからな。……まあ、しいて言うならお前の中の葉子さんは好きでもない奴に抱かれる様な女だったのか?」


「っ…んなわけねーだろ!!」


 狭いテーブルに両手を付きに身を乗り出す様な姿勢で俺は斎藤に詰め寄った。

 斎藤は、俺の性で溢れそうになってしまったテーブルの食べ物を器用に持つと、飄々としたまま、『解ってんなら聞くな』と言ってまた食べ物をテーブルに戻した。

『ごめん…』

 バカなのは俺だ。八つ当たりしたのに柳の様に流されて、自分の器の小ささを確認させられた気分だった。


「で?…具体的にどうすんの?」


 少しの沈黙の後先に口を開いたのは斎藤だった。


「父さんに会いに行く」


 姿を見ていないから実感が湧かないがもう何も彼女の口からは語られる事は無いのだ。それがどんな言葉でも、例え罵声でも良いから聞きたかったけれど。

 葉子さんからは何も聞く事が出来ないなら、今一番詳しい内容を知っていそうな父さんに話を聞くしか他に方法が思い浮かばない。

 もしかして、父さんに限って彼女を殺したり何かしていないだろうけど、でも、少し、いや、かなり聞くのは怖いけど、もう逃げてばかりはいられない。

 いる訳にはいかないのだ。

 そのままの勢いで俺は実家の父に電話をかけた。

 今かけなければかけられなくなる気がして…。

 何回目かのコールの後に留守番電話に繋がってしまった。

 いないのだろうか?職場か?いや、何時もならいるはずの曜日だ。出掛けたのか?母さんが亡くなってから何時にも増して出不精になってる親父だから余り考えられない。


「親父さんいないのか?」


 俺がスマホを耳から離すタイミングで斎藤は訪ねてきた。


「ああ、もしかしたら近所のスーパーにでも買い出しに行ったのかもしれないな…」


 調子抜けしたのに……何故だかホッとしている自分もいる。


「確かお前の実家はそんなに遠く無かったよな?」


 斎藤は先程迄は話半分に聞いていた癖に食べるのをやめると、真正面から俺を見て真顔でそんな事を言ってくる。


「え?…ああ、電車で3駅くらいかな」


「行って見るか?」


 自分の実家なのに一人で行くのが嫌なのを解っているかのように斎藤は同伴を申し出てくれた。

 …きっと解ってるんだ、この男はそういう奴だ。

『そんなに近いなら、金掛けてまで何で一人暮何てしてんだよ』大学の友達はそこを突っ込んで来たのに斎藤は触れない。


 俺達は父さんに会いに行く事にしたのだ。

 久し振りに行く実家までの道程は重く、高校の方が遠くても何も感じなかったのに、重たい足は中々前には進まない。

 少しだけ坂になっている自宅がある周辺は古くからある住宅ばかりで騒がしさからは無縁だった。

 街路樹も昔から変わらない。


「良い場所だな」


 斜め後ろをゆっくり歩いていた斎藤が言った言葉が下がりきった心を少しだけ浮上させてくれた。

 母さんが好きだった場所だから、褒められればやはり嬉しい。

 自宅につくと鍵を開けて家に入る。

 シンとした空気が、人が居ないことを物語っていた。


「父さんいないの?」


 声を掛けながらリビングに入っても父の姿なかった。


「ちょっとそこまで行って来るって感じの状態じゃ無いな」


 綺麗に片付いたリビングもキッチンも冷蔵庫の中も、洗濯物すらない家は長期で出掛けており家主不在の様な雰囲気だ。こんなことなら嫌がってもスマホを持たせておくべきだった。


 日が暮れる迄待って見たけど、父は戻って来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

藤八朗 @touhatirou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ