Mandrake or Weeds?
狐
剪定の覚悟
成長の為には、剪定が必要だ。ヴィルナンは父親から言われたその言葉を反芻し、深く息を吐く。
余計な枝葉を切り取り、成長を促進する。あるいは畑の雑草を抜き、作物に栄養を届ける。剪定といえば、概ねそのような行動が浮かぶ。どちらも限られた資源をより見込みがある存在に集中させ、不要なものを排除する動きだ。
自分はどちら側の人間なのだろう。ヴィルナンは頬杖を突きながら、執務室の机で資料を眺めていた。
「ヴィルナン様、食後のティータイムです」
そう言って執務室の扉をくぐった男は、丁寧な所作で紅茶とクッキーのセットを運ぶ。豊かな知性を兼ね備えた涼やかな表情に、ヴィルナンは内心穏やかでいられない。
「そこ、置いておいてくれ。後で飲むよ……」
一礼をして部屋を出る執事の背中を眺め、ヴィルナンは小さく舌打ちをした。紅茶を飲む気にはなれない。何が仕込まれているかわからないからだ。
あの涼やかな表情の裏に何を隠しているのか。彼にとって、自分は邪魔な存在であるはずなのに。ヴィルナンは紅茶を窓の外に捨て、自らの疑心を加速させた。
執事の名はアベラルド。ヴィルナンより7つ年上の、この屋敷の使用人だ。長年この地を治めている領主一族であるパラヴィチーニ家の元後継者候補である。
アベラルドとヴィルナンが異母兄弟であることは、社交界では公然の秘密となっていた。側妻の子であるアベラルドはその才能が父親に溺愛され、跡継ぎに恵まれなかったパラヴィチーニ家の後継者として様々な英才教育を受けていた。正妻の子であるヴィルナンが生まれるまで、その存在は家の存続における希望であったのだ。
家を取るか、血を取るか。賢く有能であったアベラルドか、臆病者で才能も無いヴィルナンか。侃侃諤諤の議論の末、選ばれたのは正妻の子だった。利益よりも面子が選ばれたのだ。
父親は、ヴィルナンに愛を注がなかった。その才能に見切りをつけ、跡継ぎに任せるには不十分な仕事を任せたのだ。領地内農園の監督、それも小作人の少ないマンドラゴラ畑を。
高齢の父親はまだ世代交代する気はないらしく、ヴィルナンは押し付けられた閑職をなんとか全うしようとしていた。弱冠16歳の何も知らない青年には、わずかに荷が勝つ仕事だったのだ。
「ヴィルナン様、農民からの依頼です。マンドラゴラ育成の監査に来てくれ、とのこと」
「……それ、本当に僕がやる仕事なのか?」
「お気に召さないのであれば、今回は私が代行いたしますが」
マンドラゴラ収穫には、命の危険が付き纏う。引き抜く者が聴覚を封じた上で、その周囲にいる者も耳を塞がねばならない。それでも、毎年数名は死んでしまうのだ。監査役も万全の注意を払わなければ、命の保証はできない。
(やはり、僕を殺そうとして……)
だが、この執事を一人で行かせるのも危険だ。ヴィルナンは悩む。
そのような危険な植物であるマンドラゴラが栽培される理由の一つに、強い薬効作用がある。その根は万病に効くとされ、一部の好事家の間では高値で取引されている。
しかし、彼が危惧するのはもう一つの作用だ。マンドラゴラの持つ強い毒性は、精製すれば即効性が強い毒物に変わる。アベラルドがそれを入手し、ヴィルナンに毒を盛る危険性があるのだ。
「いや、行くよ……。アベラルド、着いてこい」
「承知しました……!」
監視し、化けの皮を剥いでやる。ヴィルナンは胸騒ぎを抑えるように、大きく深呼吸をした。
* * *
「執事殿、筋がいい! 農作業の経験がお有りで……?」
「あくまで趣味程度、ですよ。皆さまのような生業に比べるとあくまで手慰み、所詮お遊びですから……」
アベラルドは額の汗を拭い、爽やかに笑う。執事が雑草抜きに従事しているのは奇妙だったが、農業をする姿さえ様になっている、とヴィルナンは思う。
マンドラゴラは根の形で判断されるため、露出した葉部分は他の雑草と区別がつかないこともある。雑草抜きさえ命懸けなのだ。実際、普段冷静な執事がわずかに躊躇する瞬間をヴィルナンは初めて見た。
領民たちがアベラルドを見る目は輝いている。才能があり、謙虚で人心を理解しているのだ。領主を継ぐには、理想的な存在なのかもしれない。ヴィルナンは自らの心に昏い炎が燻るのを感じた。
彼は自らの出来る範囲で、自らの能力を最大限に発揮した気でいた。選ばれた事には報わねば、存在価値がなくなってしまう。そう考え、必死に経歴を積み上げてきたのだ。
それなのに、誰もヴィルナンを愛さなかった。家族でさえ彼を疎み、優秀な執事と比較する。領民でさえ、内心では自身のことを嫌っているのだ。ヴィルナンの思考は加速する。
“剪定”という言葉が、再び彼の脳裏を掠める。生存競争だ。マンドラゴラ畑の栄養分を奪う雑草が抜かれるように、自らの可能性を阻害する存在は排除せねばならない。殺される前に、執事を殺すのだ。
用意されていた人数分の耳栓を、ひとつポケットに忍ばせる。もう一つを耳に装着し、ヴィルナンは恐る恐る畑に足を踏み入れた。
「………………!?」
「——————!!!」
焦る農民と執事を尻目に、ヴィルナンは慣れない手つきで目に見える草を引き抜き続ける。耳栓のせいで声は聞こえないが、その動きで彼らが混乱しているのは理解できた。
ざまあ見ろ。ヴィルナンは声に出さず呟く。自身を疎んだ皆が悪いのだ。このまま邪魔者が死ねば、誰も自身が跡を継ぐのに文句を言わないだろう。父親でさえ、愛してくれるかもしれない。彼は何かに執心するように草を引き抜き続ける。
彼がその草に触れた瞬間、何かを掴んだ感覚に陥る。それまでの雑草とは掛かる圧力が違う。当たりだ! 彼は確信めいた笑みを浮かべた。
力一杯引っ張れば、マンドラゴラは叫びながら頭を出すだろう。その時が、あの執事の顔が苦痛に歪むチャンスだ。耳栓をしている自分だけが生き残ることができる。彼は力を込め、一息で引き抜いた!
「———ないッ!!」
その瞬間、聞こえたのはアベラルドの声だった。耳栓をしているはずなのに、妙に鮮明に届く。特有の涼やかな声色が崩れるほどに焦っていた。
聞こえるのだ。外の声が。風の音が脳裏に響き、遅れて危機感がやってくる。だとすれば、マンドラゴラを引いた自分は……。
「……根腐れしていますね。雑草に栄養を取られて、育ちきらなかったんでしょうなぁ」
蠢めく胎児のような根を片手に、ヴィルナンは大粒の涙を流していた。
「申し訳ありません、ヴィルナン様。どうも、ひとつ不良品が混じっていたようです!」
「いや、いいんだ……うっ」
腰が抜けていた。ヴィルナンは数歳老け込んだような気分になり、這うように辿り着いた畑の脇道で嘔吐する。死の危険を間近まで感じたのは、初めてだった。
* * *
「農夫たちが感謝していましたよ。ヴィルナン様は自発的に農作業を行うお方だ、と。……私も、失礼ながらヴィルナン様がそのような事をするお方だとは思いませんでした。マンドラゴラ収穫は危険な作業です。私に任せていただければ……」
「……違うんだよ、アベラルド」
帰りの馬車に揺られながら、若き次期領主は傍に立つ執事に内心を吐露する。取り繕うには、踏んだ危機が大きすぎたのだ。
「僕は、お前を殺そうとした。マンドラゴラの叫び声を聞かせて、事故に見せかけて。それが、耳栓の故障で自分が死にかける? 笑ってくれよ、僕は馬鹿だ」
「……これは、ここだけの秘密にしましょう。他の誰が罵ろうとも、私は常にヴィルナン様の味方ですから」
「お前、僕を殺そうとしたんじゃないのか……?」
「私が、貴方様を……? もしかして、私が跡継ぎの座を狙っていると思われているのですか!? 心外です! 私は、自ら身を引いたのですよ!」
「なんで、そんなこと……?」
有り得ない。ヴィルナンは狼狽する。次期当主の座など、誰もが憧れるのに。父親から愛されているアベラルドなら尚更だ。自ら身を引くなど、考えられない。
「……そうですね、私は、天運に見放されていますから。先程の耳栓は私が用意したものです。ヴィルナン様が装着しなければ、あれは私が着けるものでした。どれだけ努力を重ねても、運ばかりはどうにもなりませんね」
「運……?」
アベラルドは遠くを見つめるような視線で、馬車の幌を見つめた。どこか達観したかのような表情だった。
「所詮、私は正妻の子が産まれるまでの繋ぎの存在でした。貴方が生まれたという幸運の前で、私は諦めがついたんですよ」
「そんなの、いくらでも覆せるじゃないか……! お前には才能があるんだ! 僕の執事なんかで燻っていい人間じゃないんだよ!」
「有り難きお言葉。ですが、私はヴィルナン様に仕えることが喜びなのです。たとえ後継者候補への復帰を求められたとしても、固辞させていただきますよ」
「でも……」
「いいですか? 私はヴィルナン様の可能性に賭けたのですよ。生まれただけで一族を二分するほどの激論を起こす逸材が、優秀な領主になる事を。抜いてみなければ、雑草かマンドラゴラかは判断ができませんから。だから、強くなってください……!」
ヴィルナンは歯噛みした。やはり、この男は好きになれない。自らに無いものを持ちすぎているのだ。何か情けをかけられているようで、彼は無言で拳を握る。逆恨みかもしれない。それでも……。
「……やっぱり、お前のことは好きになれないよ!」
「申し訳ございません。ですが、私はこれからも喜んで仕えさせていただきますよ。例え貴方様に殺されようと……」
憎らしいほどの爽やかな笑みを浮かべる義兄——執事であるアベラルドの隣で、ヴィルナンは何度目かの溜め息を吐いた。
Mandrake or Weeds? 狐 @fox_0829
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