赤ずきんちゃんと靴職人
橋本洋一
赤ずきんちゃんと靴職人
僕が軟禁、いや『保管』されている部屋に、傍若無人にノックもせずに入ってきたのは、いつもの職員さんだった。髭面の中年で、ただ仕事を言い渡すだけなのに、まるで自らが司令官のごとく声高に言う。
「おい『シューズメーカー』。仕事だ。『赤ずきん』と一緒だぞ」
シューズメーカーというのは僕のことだけど、もちろん本名ではない。なんというか、コードネームとかニックネームに近い。しかしここでは『分類名』とされている。
「どんな仕事なんだい?」
とりあえず仕事内容を訊くと、職員さんは「どっかの馬鹿が『ソロモンの指輪』のレプリカを作ったらしい」と肩を竦めた。
「ソロモンの指輪。それを魔術師がレプリカとはいえ、作ったのか」
七十二柱の悪魔を封印し、使役できる、偉大なるソロモン王の指輪。もしそれがレプリカでも、世界の存亡に関わるのは想像できる。
「ああ。でもレプリカだからな。精々三柱程度の悪魔しか使役できん。しかし、それでも世界に多大な影響を与える強力かつ危険なものに違いない」
「ふうん。それで、君たち魔術結社『ブラスワークス』はどうしろと? 僕のように『保管』するのかい?」
「保管する価値も余地もないだろうよ。上からの命令はただ一つだ」
職員さんはそっけなく言った。
「ソロモンの指輪のレプリカを破壊しろ。赤ずきんと協力して」
「まあ確かに、魔術師の集団に僕一人じゃ敵うわけないよね。分かった。赤ずきんちゃんは? 開かずの金庫かい?」
「既に外に出した。後はお前だけだ。さっさと行け」
僕は素直に頷いて職員さんの横を通り抜ける。
「俺は信心深い人間じゃねえけどよ、一応カトリックの教えを受けた身だ。だから言うが――」
職員さんは悪意を込めて言う。
「お前みたいなクズ、どうして生きているのか分からねえよ」
僕は職員さんの意見に賛成だった。僕なんかが生きているのは間違いだと思う。だけど認めるのは癪なので、皮肉混じりに返した。
「許しを得ていないから、こうして死なずに生き恥晒しているよ」
赤ずきんちゃん。三年前からの僕のパートナーだった。いや僕が付属品で赤ずきんちゃんがメインと言ったほうがいい。ブラスワークスに保管されている『道具』の中で最も凶暴性と残虐性を兼ね備えている赤ずきんちゃんと比べたら、僕のようなただの道具なんて霞んで見えるだろう。
「アーエー。久しぶりー」
見た目は八才から十才にしか見えない少女。金髪で青い目。典型的な白色人種。僕みたいな黄色人種とは違って華がある。
赤ずきんちゃんの本名はクリスという。でも名前で呼ぶのを嫌がるので、僕は赤ずきんちゃんと呼んでいる。
「赤ずきんちゃん。まだ僕の名前を覚えてないの?」
「うん。でもアーエーでいいじゃない」
たった六文字の名前なのにと思うけど仕方がなかった。赤ずきんちゃんは脳に欠陥障碍があって、記憶力があまりないのだ。
赤ずきんちゃんとは僕たちが保管されている屋敷の外で落ち合った。このままブラスワークスの社用である飛行機で今回の現場、ドイツのハンブルクまで行くのだ。
それにしても、魔術企業であり、一般的には悪の秘密結社であるブラスワークスが科学を使うのはちょっとおかしかった。昔は一切、科学を用いなかったけど、先代と今の社長の方針で積極的に使うことになったのだ。
「アーエー。これからどこに行くの?」
「ドイツのハンブルクだよ」
「何するの?」
人殺しだよと言わずにソロモンの指輪の破壊だよと言った。
「ふうん。ハンブルクはどんなところかな?」
「さあ。久しぶりに行くから分からないな」
何年ぶりに行くのだろう。ドイツは。昔は結構行ってた気がするのに。
「ねえねえ。アーエー。私たちどこに行くの?」
「ドイツのハンブルクだよ。そこで僕たちは――」
ハンブルクに着くと、さっそくドイツ支部の職員が迎えに来てくれた。女性一人だった。僕と赤ずきんちゃんを見て驚いた様子だった。
「あなた方、二人ですか?」
「ああ、僕はドイツ語話せるけど、赤ずきんちゃんは英語しか話せないから、できれば英語で」
赤ずきんちゃんに合わせないといけないからね。
「失礼しました。私はゲルダといいます。では魔術師共の根城へご案内します」
発音は微妙だったけど、意味は通じるな。僕はゲルダの後に続いて車の後部座席に乗った。赤ずきんちゃんは僕の隣だった。
車が発進する。ゲルダさんの運転で空港からどんどん郊外のほうへ走っていった。
「しかし、本当に赤ずきんは少女で、シューズメーカーは青年だったのですね」
ゲルダさんは三十代前半の女性だから僕たちが若く見えるらしいけど――
「これでも僕は長生きしているから」
「存じております。しかし、信じがたいのも事実です」
「信じなくてもいいよ。僕は自分の勤めを果たすだけさ」
「……どうしてあなたはブラスワークスの道具になったんですか?」
久しぶりにストレートな問いを言われた。僕は「簡単なことだよ」と答えた。
「安住の地を提供してくれる組織。道具になる理由は十分さ」
「……そうですか」
「しかしブラスワークスも酔狂だよね」
僕は窓の景色を眺めた。すっかり日も暮れて、辺りは暗くなっていた。
「魔道書や魔道具などの魔術関連の道具を保管して、世界を手中に収めようとする悪の組織。なのにこうしてやっていることは世界の平和を守ること。おかしいね」
「世界を征服するために、世界を守るのは当然なことです」
「正義のヒーローたちに丸投げすればいいよ」
するとゲルダさんはクスクス笑った。
「正義のヒーローなんている訳ないじゃないですか。ドゥーム法が世界各国で制定されて二十年経ちますよ?」
ドゥーム法とは『自らを隠し偽って行なう無許可の治安維持行為を禁ずる』という法律で、アメリカのドゥーム大統領が国連に提案したものだった。これによって魔術師、超能力者などのスーパーヒーローは各々の政府の管理下に置かれた。
ま、その結果として悪の組織の連合や治安維持につながってしまうのだけれど。
「そうだね。でも――」
何かを言おうとしたときに「ここです。着きました」と車が停車した。
目の前には大きなマンションが建っていた。
「それじゃあ終わったら連絡するから。それまで離れていてね」
「分かりました。御武運を」
すっかり寝ている赤ずきんちゃんを背負って、僕はゲルダさんと別れた。車が十分離れたのを見て、僕はマンションの中に入る。
中に入ると用心棒らしき人間がエントランスのソファーに座って談笑していた。でも僕たちを見るなり全員立ち上がって「何者だ!」と臨戦態勢になった。
「なんだお前は。ジャパニーズか? チャイニーズか?」
「違うよ。ちょっとここの責任者に話があって」
用心棒たちが顔を見合わせる。
「えっとブラスワークスの『物』で『捕まりに来た』とだけ伝えてほしい。僕は抵抗しないから」
赤ずきんちゃんを床に置いて、両手を高く挙げる。
用心棒たちはますます困惑した。
「お、お前、正気か? 自分が何を言っているのか――」
「分かっているよ。ほら、ボディーチェックでもなんでもしなよ」
僕たちはマンションの最上階の部屋で拘束されている。
こうして『無事に潜入』できたわけだ。赤ずきんちゃんも傍に居る。
責任者、つまりソロモンの指輪のレプリカを作った魔術師はもうすぐ来るそうだ。
こういうときは下っ端では判断つかないだろう。つまり予想通りだ。
「お前がブラスワークスの者か。どうしてわざと捕まるような真似をした?」
拘束されて一時間後にその魔術師は現れた。高級スーツを纏った、現代の魔術師らしいスタイルだった。
「ちょっとね。あなたと交渉したかったんだ」
用心棒たちに銃を向けられながら僕は魔術師に向かって言った。
「レプリカを破壊してほしい。そうすれば命を助けてあげる」
一瞬、沈黙して、それから全員が笑った。
「何をふざけたことを言っているんだ? いかれているのか?」
まあ確かに、用心棒が八人、魔術師一人、そしてその弟子か同胞らしき人間が三人居る中での発言ではなかった。
でも一応言っておかないとね。
「交渉は決裂でいいかな?」
「ま、そういうことになるな」
「では僕が死ぬ前に一つだけ質問。どうしてレプリカを作ったんだい?」
魔術師はにっこりと笑って言う。
「魔術師の本願である永遠の命を得るためだ。だから必要な道具を揃えるために、悪魔という戦力が必要なんだ」
永遠の命。まったく、魔術師たちはいつも永遠とか最強とか、この世にありえないものを欲しがるなあ。
「さてと。まさかこんな馬鹿がブラスワークスの中にいるとはな。魔術企業の中ではまともな部類に入ると思っていたが。おい、殺してしまえ」
用心棒の一人が返事をして、僕に銃口を向けた。
そして、引き金を、引いた。
「ふん。変な奴――なあ!?」
魔術師と用心棒たちが驚いている。ま、それも当然だろう。
頭を吹き飛ばされた人間が、見る見るうちに元通りに再生していくのだから。
「な、なんだお前は!? なんなんだ?」
「ああ、自己紹介がまだだったね」
僕は口に溜まった血をぺっと吐き出して、名乗った。
「僕の名前はアハスエルス。元靴職人であり、救世主を侮辱した、さまよえるユダヤ人さ」
とは言っても不死身なだけで記憶力は人間並みだから、侮辱したことなんて覚えてないけどね。脳に記憶できる容量はおよそ五十年から六十年くらいしかないらしい。
さて。聖書になじみのない人にも分かりやすく説明しよう。
今から二千年前。エルサレムで磔刑に処されたキリスト。彼が刑場に十字架を持って歩いていたとき、僕の靴屋の前で休みたいと言ったらしい。そんな彼を僕は嘲笑し、軽蔑を向けたのだ。するとキリストは「汝、我が来るのを待て」と言ってその場を立ち去ってしまった。言葉の意味が分かったのは、それから数百年後だった。最後の審判の日まで、僕は生き続けなければならなくなったのだ。
「まさか、伝説の悪人が、こんなところに――」
「酷いなあ。悪人なんて。罪人を侮辱しただけさ。それがたまたま救世主だっただけで、酷い言われようだね」
僕は「赤ずきんちゃん。出番だよ」と言う。
「何? もう仕事なの?」
「寝るのは終わりだよ。さあ拘束を解くから」
僕は赤ずきんちゃんに語りかけた。
「ねえ赤ずきんちゃん。どうして君はみんなを殺すの?」
赤ずきんちゃんは縛られてた縄を力づくで破りながら言う。
「それはね――お前らを喰い殺すためだ!」
魔術師、そして用心棒たちはその場に尻餅をついてしまう。あまりにおそろしくて、仕方がないのだろう。
可憐な少女が、身体を大きく変化する。毛むくじゃらで、鋭い牙を持つ、凶暴かつ残虐な狼人間に変化していくのだから。
「赤ずきんちゃんに勝てるものはいないよ。だから、レプリカを渡すんだ」
魔術師は「ふざけるな!」と怒鳴って、指輪を使った。指輪からは醜悪な化け物――悪魔が現れる。
「あっはっは。これならお前――」
最後まで言わさずに赤ずきんちゃんは大きな口で悪魔ごと、魔術師を食べてしまった。
「ひいいいいい!? 助けて――」
命乞いも抵抗も逃走も無駄だった。赤ずきんちゃんは止まらない。
全員を殺すまでは。
全員を喰い殺した後、僕の胸の中で安らかに眠っている赤ずきんちゃん。
変身を解く方法は、喰われながら抱きしめるしかない。だから戦闘能力の欠片もない僕がパートナーになっている。
普通の人間なら死んじゃうからね。
「さてと。帰ろうか」
赤ずきんちゃんに話しかけながら、僕はマンションから出た。
月はこんなに綺麗なのに。
世界は相変わらず汚かった。
赤ずきんちゃんと靴職人 橋本洋一 @hashimotoyoichi
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