第3話 新たな旅立ち
①
数か月後、またウイルスのパンデミックが発生した。やはり感染力の強いウイルスに変異し、しかも症状の悪化から死への時間が早い。初期ウイルスの発生場所である某国は極秘にしていたデータと対処法を持っていたのであろう、公にされる感染者数はほとんど認められない。それに対して各国は、「海のシルクロード」に乗って西アジア、イタリアから再びヨーロッパとロシアに拡散、前回感染者数が少なかった東アジアとオーストラリアは増加に転じ、そしてアメリカとブラジルは異常なほどに死亡者数の増加がみられ、去年のインフルエンザ以上の数になる。某国を除いて世界中に蔓延してきた感がある。
この某国はこれをチャンスに一気に経済の再興、軍事力の強化、思想の統制、領土の拡張を強引に推し進めてくる。彼らは利己利益を根幹とする思想を前面に打ち出すことにより、他人の意見を除外し自分たちの正当性を主張する。まるで、戦前の日本の社会情勢をみているようだ。連日報道されるニュースを見ながら、恐らくこの国はもう後には引けず、振り上げた拳をどこにおろすか模索しているのかもしれないと思った。それとも、もう決まっているのかもしれない。
数日後の夜、あのオースチンから電話がかかってきた。
「明日の午後五時に、ホワイトハウスに来てくれませんか、チャーター便を近くの空港に待機させますので」
「私一人ですか、ナジュマは昨日からサウジへ行っているのでその代わりの者と行けませんか」と聞き返す。
「申し訳ありませんが、今回は一人でお願いします」と即答する。
少し
「分かりましたが、今回はいったい何ですか」
「詳細は会ってからですが、今報道されている問題に近いとしか言えません」と早口で云う。それを聞いて了解し電話を切る。
直ちに、ナジュマに連絡する。
「至急、戻れるようにするけど間に合いそうもないから、マリアにワシントンで待機させるようにするね。パパ、大丈夫?」と上ずった声で云う。
「大丈夫だよ、以前、オースチンには会っているから彼の性格は分かっている。だけど、もしかすると大統領に会うのかな」と不安げに聞く、
「恐らくね―でも大統領は気さくな人だから、落ち着いて話せばOKだよ」と云う。
「分かった。マリアだけは絶対に待機させてくれるようにね」、私も上ずった声で云う。
ジェロームに明日の準備をお願いする。明日と明後日に会う約束をしていた人にキャンセルの連絡を入れ、大学にも明日の講義は休講にしてもらう。
慌ただしく時間が過ぎてゆき、夕方、マリアがやって来た。
「やけに突然ね、民間人に招集をかけるんだから、良いことはないかもね」と脅しをかける。
「また、不安げなことを云う。マリアを絶対にホワイトハウス内に入れるようにするから、スクランブル発進の準備をよろしく」、ぎこちなく親指を立てる。
翌日、出発時間に合わせて家を出る。いつものようにタロウとハナコは吠えているが、私には元気を出せよと聞こえてならない。最寄りの飛行場に着き、案内されるままにチャーター便へ小走りに乗り込んで行く。マリアは前日の夜に出発し、ホワイトハウス近くのホテルに居る。
午後四時頃に、オースチン補佐官の執務室に入ろうとすると、もうすでにマリアはその受付室に立っていた。眼でサインを送り、私だけが案内され執務室に入る。
そこにはオースチン以外、やや若い職員と初老の職員がおり、いきなり紹介を受ける。二名とも情報機関の専門員であるらしく、その一人はマリアの元上司であることを教えてくれた。
早速、本題に入る。テーブルの上には以前、私が補佐官に提出した“処方箋”がすでに置かれている。
補佐官が「教授が示した、台湾と日本との共同統治、南シナ海での本国とオーストリアの役割、それと難しい対応となるのがロシアとイランだが、教授としてはどう考えていますか」と唐突に聞いてきた。
「まずは尖閣諸島の問題だけど、日本と台湾が現在受けている脅威に対して両国間で少しの譲歩をすることで、日本の与那国町に軍港を設け、台北の軍港と共に情報の共有はもちろん行動も共同で行う。当然、某国は猛烈な避難をするでしょうから、事前に共同統治の調印を済ませておく必要がある。南シナ海に面した国々については某国による経済的援助の恩恵が以前ほどでなく薄らいでおり、逆に今は某国の強引な手法に反感が渦巻いているので、合同組織を作る機運はそう難しくないでしょう。もっと悩む問題は、補佐官が云うようにロシアとイランの説得でしょう。殊にロシアは日本、イランにはサウジを軸に交渉を進めるわけだけど―政治的な交渉は別として、学問と文化的視点においてどの国にも貢献し深い関係を築いてきた私にその橋渡しを考えているんでしょう?」と補佐官の眼を凝視する。
補佐官は渡りに船と思ったのか、身を乗り出し、
「可能であれば、大統領の親書をもって、副大統領と共に廻っていただきたいのですが。当然そのスケジュールはこちらで調整させていただきます、いかがですか」と云う。
サイドテーブルに置かれたコーヒーを一口飲む。これはいつも私が好んで飲んでいるコーヒーだと気づく。少し
「分かりました。同行する人は私の妻ナジュマと秘書のマリアを希望したい。それと五か所の国にもう一つ、インドを加えたい、それと各国の政治的情勢に関してはこのレポートを作成する際に研究したけれど、アドバイスのできる方を付けてほしい」と云うと、突然ノックとほぼ同時に大統領が入ってきた。
皆、一斉に起立をしたところ、私はその勢いでコーヒーを服にかけてしまい、慌てて大統領がハンカチを取り出し濡れた服を拭いてくれた。
私が申し訳なさそうに遠慮すると、大統領は
「教授の要望は十分考慮しますので、この計画を万全な体制で臨みたいと思っています。戦争は将来の子供のためにも絶対に回避していきたいと考えていますので、全力でサポートします」と、強く握手をしてきた。
そうして、補佐官に指示して部屋を出ていこうとする大統領に声を掛け、コーヒー色になったハンカチを記念に頂けないかと頼む。大統領は口元を緩め、優しく渡してくれた。
その後、私は間髪を入れずに「一つ不安を持っていることがある」と云うと皆の眼の色が変わった。
「問題はテロ集団が某国と手を組まないようにすることだけど―テロ集団にとって某国から得られる“利益”はないこと、逆にトカゲのしっぽを切るように最後は裏切られることを認識させること、これが重要と思う」と云い終わるや否や残されたコーヒーを一気に飲み干す。
補佐官と他の二人は眼を合わせ、その一人がメモに走り書きをして、それを補佐官に見せ確認している。オ―スチンは納得したように私の顔を見るなり、
「教授と私どもの考えが一致した様ですね」、鋭い眼をして握手を求めにきた。
漸く解放される。方向性が見えてきた話に安堵したのか、夕食の誘いを受けたが、早くこの場を去りたかったので遠慮する。
マリアと合流してホワイトハウスを後にし、彼女には大まかな内容とこれからの行動について話す。
「教授も大変ですね、この対応は非常にデリケイトで一歩間違えれば、世界中が恐怖に包まれることもあり得ますね」と、また私にプレッシャーを与える。でも、冗談ではないプレッシャーである。
帰りの車から見る街の淡い光が、行き交う人々の屈託のない笑顔を優しく照らしている。
②
あれから二カ月ほどが経ち、その間に訪問する国々の情報とスケジュール、私が優先に会いたい人物の情報など、二~三日おきに特別なメールを使って送られてくる。それら諸々の情報をまとめ、交渉の“シナリオ”を作るのであるが、これは別の意味でワクワクする。今回は今までの処方箋とは全く違うわけであり、私のすべてをつぎ込まなければならないことを自覚する。
やがてそれができ、副大統領、補佐官とその部下を交えて最終打ち合わせをアーリントンに在るペンタゴンで行うことになった。
行く前日に、ナジュマと子供たちを集め、
「明日、ペンタゴンに行って副大統領と大統領補佐官に会うことになっている。私がこれからやることについて今は話せないが、アメリカ合衆国が世界を救うため、その手伝いをすることになった。皆にはもしかすると、何らかの苦しさを与えるかもしれない、それが失敗すると世間から厳しい批判を受けるかもしれない。それでも私を信じて、我慢してもらいたい。できるかな」と、皆の眼を一人ひとり諭すように見つめる。
少し
「どんなことがあっても、皆、パパを愛しているから大丈夫だよ、パパを誇りに思っているから」と云うと、ほかの皆も私に顔を向け、納得したように微かな笑顔を見せてくれた。
サナーが「成功してもだめでも、私が勲章をプレゼントするね」と、私の髭を両手で撫でながら云う。
そして、ナジュマは「私たちの一番大切なパパだから、どんなことがあっても付いて行くから覚悟してね」、云い終わらないうちに皆が私に
翌朝、ナジュマは朝早く起きたのであろう、シャケ入りのおにぎりを三個、丸く作ってきた。それと、ラウラとサナーが日本風のお守りを作ってきてくれ、私のバックに付ける。ハーリドと翔は赤、黄色、ピンクのミサンガを二本作り、手首と足首に付けてくれる。まるで、鎧を着た侍のようで、いざ出陣の気持ちである。
タロウとハナコは私の手を舐めた後、きちっと座り私を直視している。場の空気を察知したのであろう、改めて賢い犬であることを知る。
皆にハグされ、最後にナジュマとキスをして車に乗り込む。門を出るまで、手を振ってくれている。
朝の光が車のフロント窓を通ってキラキラと差し込んできた。
空港に着く。約束通り、マリアが特別搭乗口で待っている。いつもの対応と違う雰囲気を漂わせ、ひしひしと緊張感が伝わってくる。飛行機の中で、“シナリオ”の再チェックを行い、資料の若干の追加を検討する。話し合いの終わりに合わせたかのように、アンドルーズ空軍基地に到着。ヘリに乗り換え、ペンタゴンへ向かう。
そこには、副大統領のリチャードとオースチン、そして国防副長官及びその部下らしい職員三名がすでに揃っており話を進めていた。儀礼的挨拶を交わし、早速、私が改めて追加作成した“処方箋”を各自のパソコンとリンクし提示する。
「今回の第二波・第三波のウイルス拡散にロシアとイランも内心、
さらに、マリアにサインを送り補足として、具体的な医療物資とその供給手段、搬送手段などを説明させる。それを聞いた副大統領は、
「我々も、ロシア、日本、台湾、イラン、サウジ、インドへの個別交渉案を作成し、教授の案と擦り合わせてきた。これは事前にお送りし納得していただいたところであるが、今回新たな問題としてテロ集団の交渉が加味されてきたことになり、これをもう少し詰めていきましょう。それとワクチンの開発は最終段階に入ったと聞いているが、その確保は十分にできるのでしょうか」と聞いてくる。
「ワクチンの安全性と供給は国の援助もあり順調に進んでおり、近々正式に各国と契約を交わすことができると思います」とマリアが自信を持って返答する。それを聞いた補佐官は、ワクチンの問題を含めた専門家の資料を取りだし、具体的な説明に入る、本格的な話し合いが五時間以上に及んだ。
漸く、納得ゆく“シナリオ”ができた。オースチンから改めて、二週間後の火曜日に出発、最初に日本から始めていくことなどスケジュールの確認をする。
その後、特別室に移り、やや豪華な夕食をいただきながら、私の音楽、ノーベル賞を取った小説などの雑談を交え、殊にナジュマが進めている医療と教育の計画へ協力を改めてお願いした。
その夜、マリアとは国防省が用意したセキュリティーの高いホテルに泊まることになった。そのホテルのロビーで、マリアと話しをする。
「マリアは、国防省に勤めていたのかい」と聞くと、
「わたしは実戦部隊でなく、情報分析専門で直接幹部とのやり取りが多かった」と云い出すと、堰を切ったように今までの自分の過去を喋り出した。話の途中、いきなり涙を流し出す。よほど辛かったのであろう、自分の分析能力を本当に人のために活かしたいことを話してくれた。今のナジュマ計画は、私の一生を懸けても成し遂げたいと眼を輝かせる。
ナジュマはもしかしたら、そのすべてを知っていて、マリアをスカウトしたのかもしれない。やはり、ナジュマには頭が上がらない。改めて人を育て、人の上に立つ能力はずば抜けていることを痛感する。
③
予定どおり、最初の訪問地日本に着く。
空港には外務大臣の他、文科省大臣、私の知り合いである教授たちや翻訳家、ミュージシャンが迎えてくれ、大臣以外に政治家らしき者はいない。
マスコミは私を追い回し、インタビューの連続、ノーベル賞の力は人を踊らせる。幾つかのセレモニーも挨拶の連続であるが、ナジュマがうまく“防波堤”となってプレッシャーを適度に分散してくれた。まったく私は客寄せパンダ的存在になっている。でも、それはそれでいいかと思う。
ナジュマへの取材も多く、アラジンのCEOの立場、社会貢献事業の評価、女性活動への援助、そして偏屈な私の妻としての質問にもそつなくこなし輝きを放っている。容姿も週二回のインストラクターを付けた運動を欠かさないから、若い頃よりは抜群のスタイルとなっている。
本題の交渉はマスコミの眼を少しでも逸らすため、夜七時から首相の別荘で行う。副大統領はほぼ私と共に動いているが、補佐官以下は別行動で外務大臣と防衛大臣、官僚らに会い、今やるべきこと、これから起こりうる事象について説明し、ギブアンドテイクの道筋を示してゆく。日本には台湾と尖閣諸島の共同統治、ロシアとは北方領土における経済的交流を通した人的交流、最悪の状態に対する防衛体制と医療支援などを日本、ロシア、そしてアメリカの三カ国で築くことを至急動いてほしい旨を示した。殊にロシアを取り込むことは某国に強烈な衝撃を与えることになり、可能性として戦争回避への光が見えてくるのである。
首相以下、日本側はあまりの具体的な恐ろしさに声が出ない。物理的なミサイル攻撃とウイルスによる沈黙の侵略は多くの国を死滅へと導く。これは絶対に回避せねばならない、人類生存のためにも。
私たちが同国を離れるとすぐに、日本政府は今までとは違う積極的な行動に出た。殊にロシアには経済面だけでなく、医療・教育、スポーツ、芸術・文化あらゆる分野を使って友好的交渉の取り決めを結び、本題である戦争回避への協同歩調と戦争突入時における協同の武力行使を締結したのである。
それと並行して行われた台湾との共同統治は、ともに某国への抵抗意識が高かったことから友好的に締結することができ、予想どおり某国は強い反抗声明を出し、何らかの攻撃を起こすことを示唆してきた。
私たちは予定通り、オーストラリアに集まった東南アジア諸国と協議を重ね、南シナにおいて平和・安全を構築するため合同組織を立ち上げ某国に対抗すること、後方支援には米豪が対応することを共同採択した。
次のインドは我々が予想していた以上に軍事態勢は整っており、長らく領土問題において小衝突を繰り返したことから、某国からの攻撃にも十分耐えられる防衛力を構築させていたのである。
最後に訪問したイランは、もうすでにナジュマと私が中心となってサウジアラビアの全面的な協力のもと、某国によるウイルス脅威への対抗に共同戦線を張ることに同意ができていた。
欧州は戦争突入になった場合、新疆地区からの侵攻を想定し、ウズベキスタンなど中央アジアの国々と交渉を開始した。
このようにして、某国の行動を封じ込めることに成功したのであるが、「
某国の思考は再三述べるように、他者の意見を除外することで自国の正統性と価値観を高める。これはその国の歴史であり、決して変わることはないであろうが、
だが、時は大きく動き出し、某国が求める一方的な「自国平和」への幕が降ろされた。
某国内で非常に致死率が高いウイルスが発生した。この国のウイルスの管理は徹底していたはずだが何故か漏れた。不確実な情報であるが、ある当研究所員が商業的取引を画策し秘かに持ち出したところ、車事故に偶然巻き込まれウイルスの入った容器が壊れ飛散したと云う。周辺の国々は一斉に境界に接する道路を封鎖、ロシアも例外なく国連の協力も加わり検問を設ける。また航路と海路でも米欧、西アジア・インド、東アジア諸国による強力な封じ込め作戦を展開する。某国は諸外国に対し、内政干渉を前面にたて徹底拒否と好戦的外交を重ねてきた反動から、救援の申し入れが皆無であった。そうしたことから、死者が八千万~九千万に達する。そのうち各軍部においてクラスターが発生し、軍人全体で約五分の一、ある部隊では約三分の一に被害が及んだ。さらに政府の最高幹部でも数名の死者が出てしまい、ツキは一気に坂道を転げるように落ちてゆく。さらに主要空母二隻とミサイル基地数十か所が原因不明の火災と爆発事故を起こす。南シナ海の軍用基地二ヶ所も修復不可能な大爆発を起こし、これらはまったく人的ミスと言い切れない面もあり、専門家の中にはテロ集団による攻撃を想定した者もいる。某国から陰で支援を受けていたテロ集団は非情な裏切りを受け、その国の本質を知ることとなり攻撃を加えた可能性も十分考えられるが、アメリカの関与も全く否定できない。
他国のウイルス被害はワクチンの開発を並行に進めていたことも幸いとなり、死への恐怖から徐々に解放されてゆく。
④
某国に対する完全な封鎖から一年が経過した。内部から発信される情報はすべて遮断されていたが、ある日突然、地下に潜伏していた抵抗集団が映像を全世界に流した。それは地獄絵を見ているような悲惨な映像であり、世界中がこの映像に釘付けとなる。
某国の国民は当然、政府への批判を繰り返し、各地域で暴動を起こす。政府は思想統一を図った法律を盾に武力鎮圧に走る。この法律は諸刃の剣となり、他国からの援助が得られない。国は先の見えない泥沼の状態となり、旧ソ連のように崩壊の道へ進む。
こうして戦争は回避されたが、新たな戦争、爆弾やミサイルによる戦争ではなく、それよりも恐ろしい“ウイルス戦争”の幕開けであることを全世界が認識したのかもしれない。
戦争という人類に付きまとう
この国の未来を敢えて予想する。
少数民族の独立が一気に起こり、領土の縮小、民族の分裂を起こす。まるで三国時代に逆戻りした感がある。だが、国民を養うための食料確保は如何なる政策よりも最優先させなければならない。割拠した“国”は人民のため、自給自足を目指し農業国へ変貌を遂げてゆく。必要とする安全な食料を供給することは世界の食糧情勢のバランスを考えると大きな貢献となろう。また安心安全の食料を世界中に供給することは、ある意味で世界を“支配”することになり、信頼と云う二文字を獲得することにもなろう。それは国民が共有する安心を通して生きてゆく、恐怖のない世界を意味するのである。
いずれにしても、人類を滅亡に追いやる戦争が回避されたことは喜ばしいことである。この先、歴史の普遍性は容易に変えられないが、自分の隣人、家族が突然消えてゆく恐怖を忘れなければ、“歴史の修正”は意外にも容易かもしれない。人類の修正能力に期待したい。
⑤
ナジュマが先導していた医療チームとワクチン研究チームの素晴らしい活躍は、アメリカはもちろん世界中から称賛の声があがった。アラジン会社としても相当な利益が得られ、次のステップである「医療と教育の計画」へ本格的な実行段階に入ることができ、ナジュマ、マリア、パオラ、そして奈央も眼を輝かせる。
私はこの某国の問題を適切に対応したことが認められ、渋々であるが、オースチン補佐官のアドバイザー役に抜擢された。補佐官からは傍受されない特殊な連絡用スマホを渡せられ、すべての行動が監視されることになる。ニューヨークの
それはそれとして、政治の世界に入ってしまったことは確かなこと。この前も家で料理をしていると、突然専用スマホに連絡が入ってきた。スティーブンソン国防長官からである。来週、コロンビア大学に来る日の夕方に会いたいと云いながら、何か意味ありげな
僅かな気掛りを残して、約束の日を迎える。
「お久しぶりです。長官と一緒というのは面白い話を伺えるのかな」と、少し冗談気味に口元を緩め乍ら握手を交わす。暫くは三人でコーヒーを飲みながら、日本の文化や歴史、映画化された私の小説などで話が盛り上がる。
長官が会話の
「北方領土? モデル地区は恐らく、東南アジアのベトナムとアフリカのガーナだったと聞いているけど。目的はやはりロシア?」と聞く、
「これは日本からの要請でもあります。医療と教育の交流をすることで日本にもメリットは十分にあるはず。たとえば、石油や天然ガスなどエネルギーの供給も良い方向に向かうのでは」と。
私は透かさず「でも、アメリカは何を期待しているのかな」と再び問い返したが口元を緩めるだけで何も云わない。これ以上、聞かない方が闇の政治の世界を覗き込まなくて済む。
「では、私はなぜここに呼ばれたのかな」と、コーヒーカップを持ちながら再び長官を見る。
「日本とロシアの経済交流会にミセス・ナジュマと二人で出席していただき、できれば講演をお願いしたいと考えています。お二人が出席することで、両国の政治家、企業家、マスコミが大勢集まってくるでしょう。そこでモデルの計画を披露していただければ、両国にも関心が高まると思われますが、いかがでしょうか」と、我々の弱い所をうまくついて来る。
「これは私だけで決められないことですから、ワイフと話し合ってご返事したい。ところで、ファーストレディー、今度は九州の食べ物とお祭りを堪能することをお勧めしますよ」と云うと、とんこつラーメンともつ煮込み以外は食べたことがないとのこと、もっと奥深い情報の提供を約束して二人と別れた。
一人になって、これで良いのだろうか、どんどん前を走って行く別の自分がいるようで、残された自分は本当の自分なのか、それさえも分からなくなり不安に押し潰されてゆく。
ニューヨークの街明かりはやたら眩しい。ただ傍を歩くカップルの笑顔を透き通るように美しく照らす。自分の顔はどのように映っているのであろうか、車窓に映る自分の顔を見るのが怖い。
⑥
家に帰るなり、いつものようにタロウとハナコが
ジェロームが持ってくる美味しいコーヒーを
「昨日、スティーブンソン国務長官とファーストレディーに会って、君の医療と教育計画について要望が出たよ」
「え―面白い組み合わせね、どんな話し?」
「日本の北方領土にモデル事業を展開してほしいんだって、それをすることでロシアと日本だけの利点でなく、アメリカにおいても我々にはわからない利点があるらしい。半年後に日露の経済交流会が北海道の根室市で開催するみたい、そこに二人で出席して講演をしてほしいんだって。二人の出席になれば、多くの政財界、マスコミが来るから、我々の計画をサポートしてもらうには絶好の機会と云うんだよ。どうする?」と、あまり気乗りしない口調で云う。
「良いんじゃない、ここまで来たら、利用できるものは利用しようよ。但し―資金とスタッフの提供は日露政府と民間企業からも提供させることを条件にするよ、この条件を含めて、講演を練っていくけど、どうかな?」
「分かった。僕も事前準備と日程を調整していくよ。急な話だけど、三人にはその準備と同行をお願いしたいけど、大丈夫?」
「あの某国の戦争問題で休止していたけど、それが一段落して、少しずつ動き出したのかな、忙しいけど大丈夫でしょう」、
二人でコーヒーを飲みながら、眼と眼を合わせると、何故かナジュマの幸福感が伝わってきた。ナジュマがポツリと云う、
「あなたと一緒になって、本当によかった」。
今夜は疲れているけど、頑張るしかないかな、と彼女の眼の奥を読む。
翌朝、やはり疲れていたのであろう、九時に目が覚めた。ナジュマはもうすでに出社しており、彼女のパワーには恐れ入る。
朝食と昼食を同時にとり、午後はリモート授業を一コマすれば終わりなので、それまで依頼されていた原稿の執筆に専念することにした。
夕方、一段落してピアノを弾いていると、奈央からタブレットに連絡が入ってきた。
「以前云っていた、嵐山に別荘を持ちたいことだけど、良い場所が出てきたので画像を送付するね。法輪寺近くの山腹で渡月橋や天龍寺などを一望できるところだから、抜群のポジションだと思うよ。でもそれ相応の値段になるけど―」と嬉しそうな笑顔で云ってきた。
画像を拡大して詳細に見る。敷地も京都にしては広く、家はゲストルームを含めて4LDKでリビングをもう少し広くすれば、ほぼ希望通りになる。金額に関しては私の感覚が麻痺してしまったのか、奈央がまだ正常なのか、ほとんど気にしなくなってしまった。ナジュマからはゴーサインが出たそうだ、後は私の判断で決めていいことになったと云う。早速、手を付けるよう指示し、今度日本に行く予定があることを話すと、
「そのことは聞いたけど―あなたがどんどん遠くに行ってしまうような気がしてきたよ。最近のあなたを見ていると、いっぱい々に生きているような気もする、大丈夫?」と云う。
若い頃、忙しくなってジューリアと会う時間が無かったとき、同じようなことを云われたような。書斎の暖炉の上にポツリと置いたジューリアの写真を見乍ら、コーヒーカップを口元で留める。
自分がどこに向かおうとしているのか分からなくなっていることは確かである。奈央に「今のナジュマ計画の目処が見えてきたら、一緒に時間を緩めないか」と意味ありげに云う。タブレットに映る彼女の仕草を眼で追う。
「子どもたちは今夜居ないから、そのことについて話さない?」と、奈央は口元を僅かに緩めた。
「ナジュマはロスに出張だし、子どもたちも週末は好きなことをやっていて、サナーまでも今日は友達のうちに泊まりに行くと云ってさっき出て行ったし、ジェロームも今夜は昔の友人と会ってそのまま自宅に帰ると云うから―奈央の家に行くよ」、少し上ずった声で返事をする。
「じゃ、好きなコーヒーとチーズケーキを用意しとくね」
それを聞き終わると、早速必要なものをやや小さなバックパックに詰め込み、タロウとハナコに後のことを託し、小躍りして車へ乗り込む。街の明かりが嬉しそうに流れてゆく。
一時間ほどで、奈央の家に着く。
ロウソクの光に似た照明を点け、居間のテーブルに置いたコーヒーとケーキが浮かんでいるように演出されている。
「奈央の作ったケーキはやはり美味しいね。久しぶりだね、二人でじっくり話をするのも」
「あなたが意味ありげなことを云うからよ。“一緒に”とは何、ナジュマや子どもたちには相談したの?」と早口に云う。
「まだ皆には云っていない。だけど―いつかは日本に戻りたい。学生の時に過ごした京都が時々夢にも出てくる。殊に朝の嵐山の静けさが私に合っているような気がする。仕事と研究はもうすこしここでやり遂げたいことがあるけど、その後は日本に居ても十分続けられると思う。子供たちは当然、巣立って行くけど、ナジュマの涙は避けられないだろうね」と、顔を
奈央がそれを見て隣に座る、
「今は云わない方がいいと思う。彼女もそれを聞いたら、パニックになっちゃうかもね。でもね、後三年したら、彼女も私も落ち着きそうだから、そうしたら時宜を見て話そうか。彼女も分かってくれると思う。その間に嵐山の件は進めとくね」
そのことを聞いてなぜか落ち着く。
奈央が私の胸に
⑦
その後、ナジュマ計画も順調に進み、マリア、パオラ、そして奈央も一つ一つ難題をクリアしてゆく。殊に北方領土に建てたモデルケースは当初、頻繁に政治的介入を受け、またロシア側の国民性にも悩むことが多かった。だが、両国とも国家事業へのランクを上げてくれたことで途中から上手く軌道に乗り、この官民によるサポート方法は今後の施設運営等において非常に役に立つものとなった。
あの某国も政治体制が変わったことから、国際医療チームへの参加を積極的に展開する。また天候に左右されない食料の生産にもチカラを注ぎ飛躍的な成果を遂げ、世界へ安心安全の食糧を供給、医療用の食事にも参入してきた。世界を相手にすることは、何も武力、恐怖を与えることだけではないことを国民自ら認識したのであろう。殊に食の確保は自国と共に世界にも安らぎの心を育むものであり、強いては国の豊かさを安定させる。
世界が某国を受け入れるには時間が今少しかかるであろうが、焦ることはない。時は十分待ってくれる。
ところで、医療・教育計画のモデル国としてアフリカのケニアを追加した。ガーナで進めていた同計画の医療分野が順調に進み、世界中から医師を含めた医療スタッフを改めて募ったところ、同計画に対する賛同者が多く集まり、東側のアフリカ諸国からの要望も出てきたことから、ケニアと交渉を重ねていた。
将来、アフリカ諸国から多くの教育者及び医療スタッフを育成することを掲げており、その体制構築にはケニアの存在は重要である。
ガーナ計画から最初の五年が過ぎ、医師・医療スタッフの他、教師、エンジニアなど多様な職業を目指す子供たちが出てきた。
ナジュマと私は、この四つのモデル施設を視察する。急に、ハーリド、ラウラ、サナーも参加を希望してきたが、彩、光、翔は仕事でどうしても調整がつかなかったけど、最後の訪問地ケニアには全員集まることができそうだ。
子供たちはそれぞれの道を歩みだしているが、ナジュマと私を時々助けてくれる。
長男ハーリドはもう二七歳になる。アメリカの駐サウジアラビア大使館で二年間務めた後、サウジアラビアの駐米大使館に勤めている。父サウード王の希望もあり、その願いが叶った年に父は亡くなった。ハーリドは、私が云うのもなんだが、父王の気質に似た風格を漂わせており、王族もそれを感じているようであるが、異国の私の血が混ざっていることに抵抗を持っている。逆に、ハーリドにとって縛られない生活ができるので、意外と自由な時間を楽しんでいるらしい。
次男の翔は、ファッションデザイナーの職を選び、ナジュマの服とバッグの店も継ぐことになった。彼独特の色彩感覚が現代の空気に合っているのであろう、ファッション界に旋風を起こしている。
サナーは大学生で二十歳になったが、経済学において俊れた才能を発揮し、次年度から飛び級で大学院に進むことになった。ナジュマは跡取りができたと喜んでいるようだ。ちなみに“捕らぬ狸の皮算用”の言葉をナジュマに教えた。
ラウラは医者になり、イタリアで祖父ロレンツォの病院に勤めており、恐らくその跡を継ぐのであろう。またナジュマの計画にも賛同し協力することになった。パオラとはメールのやり取りは欠かさないらしく、時間ができれば相変わらず、ハワイと日本に旅行をしている。お互い、日本のアニメに凝っていると云う。
奈央の娘 彩は三十二歳になり、努力が実ったのか、アメリカと日本の国際弁護士になった。しかも今年結婚をする予定、もう私は今から落ち着かない。それを見た奈央はこれで子供でもできたら、どうなることやら、と呆れている。
光はロックバンドからソロシンガーになった。徐々にヒットを重ね、また私とのジョイントもやってくれ、世界デビューしたいと云って自分の会社も立ててしまった。彼の音楽センスには時々驚かされ、音楽界の仲間も将来を楽しみにしている。
ところで、長らく秘書として勤めているマリアはもう五十路になる。結婚は全く望んでおらず、未婚の生活を最後まで楽しむそうだが、以前、製薬会社ジャックの事件で再会した元カレとは
余談だが、マリア、パオラ、そして奈央にもそれぞれ後継者が育ってきている。一人はジェニー、三十一歳でアメリカコネチカット州出身、二人目はラティーファ、二十五歳エジプト出身、もう一人は日本人のメグミ、二十七歳。メグミは奈央の大学同期の娘でなかなかの美人、ナジュマの生き方に感銘を受け、母親にお願いしたと云う。三人とも母国語以外に三ヶ国語以上を話す。特に、ラティーファは八ヶ国語を違和感なく話し、さらに資料分析に長けている。マリアも一目置く存在であり、彼女には時々、私の翻訳を手伝ってもらう。彼女も私の訳本を気に入ってくれている。
私は五十代後半に入り、アメリカでの生活が三十五年を迎えた。
ナジュマはこの計画に手ごたえを感じてきたのであろう、生き生きした顔になり一段と綺麗になってきた。それに対して、私は今の自分に不安を感じ、子供たちをまともに見られない。私の微かな気持ちの変化を察知したかのように、近頃、ナジュマは殊に連絡を頻繁によこす。話さなければならない時が徐々に近づいているようだ。
⑧
まず、北方領土の択捉島に向かう。
ここは予想以上にロシアの援助があり、コルサコフやウラジオストックなどから移住者も多く、また日本の医療関係者も特別に渡航・滞在ビザも出され、協働で運営にあたることができている。教育を求めて人は集まるが、問題は人口増に対する就労する場が少ないことであり、当然就職口が無ければ外に出て行く。一時的な人口増は在ったとしてもそこには未来を描けない街だけが残る。これは狭小な区域に限られた課題でなく、この計画を進める前提として“まちづくり”の視点は欠かせない。課題があるからこそ、つぎに進める。
つぎの訪問地、ベトナムに着く。
此の国は、外部からの資本投資が著しく経済の発展に振りまわされていた。殊に医師・医療スタッフと共に専門のエンジニアの育成は急務である。このエリアはフィリピンやタイなど東南アジア諸国との連携が強く、また某国による軍事的進出の脅威が無くなったこともこの計画の推進に拍車を掛けた。当初、アメリカ、日本、オーストラリアを軸とする国際機関からの援助は多額であったが、その後徐々に負担を減らすことができ、東南アジア諸国による自立が築かれつつある。教育も軌道に乗り、十年後には理想的な“まちづくり”が可能となろう。
つぎの西アフリカ、ガーナ国に向かう。
この西アフリカは難しい病気が多く発生するエリアであり、衛生的な環境も良くはない。だが、当初は最も困難なエリアと思っていたが、病院と病院学校を優先に充実させるため、アラジンが率先して“病院国”の体制づくり目指した。そのことが評価され、欧州国の協力を得ることができ、うまく軌道に乗るが問題は教育である。周辺国に教育面の施策を期待したいのであるが貧しい国が多く、経済的援助も必要であるため、欧州・国際機関の援助と協働は初期段階では欠かせない。さらに各国民には教育の必要性をまず意識させねばならない、課題は多い。
最後に最も遅く開始したケニアに向かう。
此の国の経済的発展は著しく、アフリカでは牽引車になっている。人口の増加もあり、敢えてモデルケースには最適なところであると判断した。国際飛行場の傍に病院と教育機関を建設し、そのスタッフもガーナ国と一体に欧州からの支援が予想以上に期待できるようになった。将来的にはアフリカの医療・教育のハブとしての機能が備えられるであろう。
全体的に必要な資金は、先の“ウイルス戦争”においてほぼ確保することができので、 スタッフの確保と人材育成に専念できるようになった。また並行して、農業の奨励もその国の重要施策として進めており、国際機関とあの某国も協働で推進を図ってくれている。
子供たちもその実情を視察し、それぞれの能力を活かした援助を約束してくれた。
世界がそれぞれ違う“歯車”を噛み合わせようと必死に動き出す。一つの目標に向かって。
ケニアの視察終了後に、ナジュマの強い要望でサウジアラビアに立ち寄ることになった。父サウード王は一年前に亡くなり、母ラニアもあまり良くないことをナジュマから聞いていたので皆静かに納得した。
宮殿には新王の兄や皇太子の王族が迎えてくれ、急遽、母ラニアのもとへ案内された。母はナジュマの顔を撫で、声を絞り出すように、
「よく来てくれたね、漸く父さんのもとへ行ける。兄弟のこと助けてやってね。それと、コー教授、本当にありがとう。ナジュマのこと、よろしくね」と云うと、閉じる眼から涙が流れる。
その夜、眠るように息を引き取った。
皆、突然のことで言葉もなく、ただ
私も自分の母のことを思い出し、横に居るナジュマと奈央に手を廻し、抱き寄せる。重たい空気が
その後、新王兄は母の遺言をナジュマと私に聞かせてくれたが、その遺言は意外であった。
それは、今進めているナジュマ計画に母の全財産を寄付することである。母は以前から、病気で悩む国民を危惧していたし、教育が平等に受けられるようにしたいと望んでいた。二人が遣りだした事業へ、前国王と共に密かに協力していたことを教えてくれた。
そう云えば、幾つかの難問にぶつかった時、何故か協力者が現れてくることを思い出し、その人たちは皆、尊敬する高貴な方からと云うだけで支援を惜しまないのである。
私はこの寄付金を“ラニア基金”として子供たちの教育支援金にすることを、ナジュマに提案した。彼女は母の遺志が形として残ることに賛成してくれ、アラジンの管理で運営することに決めた。
⑨
サウジから帰って数か月が経った。
皆、それぞれ日常の時間に追われ、何事も無かったように目の前の生活に追われる。
私は研究に没頭、一端留めていた論文を再開する。今取り組んでいる論文は世界中に残る歴史文化とともに進化してきた言語を集大成し、それらの生成、展開、消滅及び相関関係を試みるものである。恐らく十年以上は費やすと予想するが、私が次の世代へ繋ぐ最後の仕事だと思っている。
ナジュマは相変わらず忙しい人だ。帰ってすぐ、パオラと奈央を残し、数人の役員とマリア、ジェニー、ラティーファ、メグミを連れ、オーストラリアと南アフリカへ商談のため飛んで行った。パワー健在である。
サナーはいつものように慌ただしく朝食を取っている。タロウとハナコに軽く何かを云って、そそくさと車に乗って出ていった。
そこへ、ナジュマから電話が入ってきた。
「どうした、ご主人様の声が聞きたくなった」といつもの冗談を云う。
「あのね―あなたと私がノーベル平和賞を貰うんだって。今、財団から知らせが入ってきたの、どうする、受ける?」と珍しく慎重な声を出す。
「また服を新調しないとね。今度は伝統的な服に派手な色彩をミックスさせて目立つものがいいな―そうだ、翔に作ってもらおうか」
「じゃ―受けて良いのね、わかった。私から返事しとく。明後日には帰るから、あなたの南蛮漬けが食べたい、よろしく」と一方的に切る。
その後、奈央からも電話がかかってきた。
「おめでとう。また取材が来るね。でも二回目だから慣れたんじゃな―い。ナジュマが帰ったら、皆でお祝いしようね、パオラと計画するから来週は予定を開けといてね。じゃ―」とこれも一方的に切る。これは嬉しい悲鳴かもしれないが、また遣りたい執筆が留まってしまう。皆のため、仕方ないかと自分に言い聞かせる。ジェロームにコーヒーとチーズケーキをお願いして、タロウとハナコをベランダに連れて行く。爽やかな朝の光がすべての生き物に勇気を与えるように降り注いでくる。
すると、突然、息苦しくなり立っていられず、その場に伏せた。汗が滝のように溢れ出て、そのまま意識が
気づいたら白一色の無機質な天井が見え、ここが最初どこだか分からなかったが白衣を着た女性が慌ただしく周りを走っているのが眼に入り病院と分かった。手術室に向かうようだが、身内の承諾が遅れているようで医者も苛立っている。そこへ漸く、サナーが駆けつけて来て手術室まで付き添ってくれた。その後のことはよく覚えていない。
再び、眼を開けると洒落た天井の模様が見え、広いベッドの上に居る。そこにはナジュマ以外、皆の顔が並ぶ。ハーリドとラウラは仕事で偶然、マサチューセッツのローガン国際空港に着いて食事を取ろうとした時に連絡が入り病院に向かったと云う。
病名を聞くと、サナーが
「心筋梗塞でかなりやばかったみたい。だけどタロウとハナコが異常に叫んでそれに気づいたジェロームが救急車を呼んで、迅速に処置したことが良かったみたい」と教えてくれた。そう云えば、ジェロームは以前、医師免許を持っていたが事情があって返納したと云っていた。なぜか涙が出て、皆の顔がぼやけて見える。
ナジュマからは連絡があったみたいで、今大西洋上空とのこと、
奈央が「良かったね―助かって。だいぶ無理をしてたみたいだね、ここでゆっくり休養だよ」と、今度は優しく頭を撫でる。そのまま、疲れたのか、眠りに入った。
眼が覚め、どれだけの時間が経ったのか分からない。眼を窓側に向けると、ナジュマが目を真っ赤にしてそこに立っている。
「ごめんね、傍に居てなくて。最近、少し焦って仕事をやり過ぎたみたい、反省してる。本当に生きてて良かった―」。
「最初、倒れた時にね、夢なのか分かんないんだけど、漆黒の世界に一人立ってるんだ。すると先の方が薄明るくなって誰かがぼんやり現れてきたんだ。よく見ると、ジューリアがあの癖のある笑顔を見せ、私に微笑んでいてね、体が自然とジューリアの方へ動きだそうとすると、来てはだめ戻って、と云うんだ。それとほぼ同時に後ろの方から子どもたちの声がするんだ。あれ―と思って振り返った瞬間に眼が覚め、子どもたちの顔が見えたんだ。皆に助けられたような気がする」と、ナジュマの赤い眼を見ながら、そう云うのが精一杯であった。
ナジュマは膝をついて私の眼を見つめ、
入院期間はリハビリを含めて二週間ほど。その間に食べる病院食が独特で残そうとすると、ナジュマから「今の状態に合った食事なんだから、全部食べるの!」、私は云われるままにフォークを突っつく。それを見たサナーが「これからは食事の管理も徹底されるね」と、自分は関係ないよと云わんばかりの顔をする。
「あ―アジの南蛮漬けが食べた―い」と独り言のように云うと、ナジュマが後ろからパックしたそれを取りだした。
「医者から、この料理はOKを貰ったから大丈夫」と、マイ箸を出し食べさせてくれる。たまには入院するのもいいなと心の中で
漸く、退院することができた。迎えには奈央がジェロームの運転で来てくれた。ナジュマはどうしてもキャンセルできない用事ができ、奈央にお願いしたそうだ。
病院側は病院長と担当医師、数名の看護師が見送りに出ている。その中の看護師エリーはほぼ専属に近く、スタイルの良さは同僚の中でもトップクラス。何度か声を懸け、どうにか退院後に会う約束を取り付けることができた。が、車に乗り込む際に奈央から「エリーとの密会はやめた方がいいよ。ナジュマも分かっていると思う。彼女を見た瞬間に、あなたの好きなタイプだとすぐにわかったから、ナジュマもね」と先手を打たれる。この性分は死んでも治らないか―自由に愛し続けられたら云うことなしなんだが。電話番号だけでも知ったから今回は良しとしよう。
奈央が「嵐山の家だけど、契約が終わり来月から工事に入るけど―大丈夫?」と聞いてきた。
「この状態になったから、逆に分かってくれると思う。話すのは辛いけど、別れるわけではないし、約半年単位でアメリカに帰り、一ヶ月ほど滞在した後に日本に戻ることを考えているけどね。数ヵ月後、私の体が完全に回復したら、正式にナジュマに話す予定」と返事をする。
車窓から覗く現実の町並みが、やけに懐かしく、紅葉するもみじが美しい。自分の存在を改めて実感する。
⑩
身体も回復の兆しを見せ、どうにかノーベル賞のセレモニーに間に合う。
今回は二人並んで受賞、ナジュマはあいさつの中で医療と教育の問題を切実に話す。私はそれをフランス語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、中国語、日本語に翻訳し、手話でも話す。すると会場が静まり、話し終わると一斉にスタンディングオベーションである。スターになった気分で感動し、マイクを向けられ、何を思ったか
「この服装のデザインは、息子の翔が作ってくれました。子供たちは身の回りのことができない私を助けてくれて、この医療と教育の事業までも真剣に手伝ってくれます。非常に感謝しています。最高の家族です」と叫び、ステージ前に座る子供たちに手を振る。また拍手が湧き上がった。
その後の食事会では、翔のデザイン服が話題となり、一気にブランド化しそうな勢いになる。ナジュムからは「パパも売り込み方が上手くなったね」と、いつもの口元を緩めながら右の眉毛をあげる。
子どもたちは世界の
「いつの間にか、私たちの手から羽ばたいていたんだね」と聞き返すほどの小さな声で
その夜、漸く静かなホテルのロビーにナジュマと帰り着く。子どもたちはまだ々ストックホルムでのお祭りを楽しんでいるが、さすがにマリアと奈央も疲れたのであろう、少し遅れて帰ってきた。
四人で静かにコーヒーを飲む。ナジュムが「子どもたちも頼もしくなったし、事業もどうにか軌道に乗りだしたね。この賞はマリア以下、皆に与えられたようなもの」と云うと、私も同調するように
奈央が“良い空気”を感じたのか、私の眼を見る。すると突然、ナジュマが
「パパ、京都の嵐山の件は進んでるの? いつ見に行こうか―ところで移住するなら、私は一緒に行けそうもないから、奈央にお願いしたいんだけど、良いかな?」と切り出した。マリアも薄々気づいていたのであろう、取り立てて驚くことも無く、眼を丸くしている私たちの方をみる。私は心の動揺を必死に隠そうとしていると、奈央が落ち着いた口調で
「アメリカと日本を行き来するみたいだけど―良いの?」と多くを語らず問い返す。ナジュマはあの癖のある口元を緩め、
「無理せずに年に何回か私と子どもたちに会えば、それで安心するから。それにパパの料理を食べたくなったら、すぐに飛んで行くよ。奈央だったら安心して任せられるしね」と、気丈に振る舞う彼女の姿が一層私を辛くさせる。
ホテルの部屋に戻ると、いつも広い部屋を予約して広さを感じなかったのに、今夜はやけにこの空間が気になる。二人だけになって、私は彼女をまともに見ることはできず、窓の外に広がる光とガラスに映るナジュマを見つめながら、
「すべて分かっていたんだ。君に辛い思いをさせたかな」と
「パパが入院した時、眠っている顔を見乍ら、子供たちが一人ひとり飛び立つように、あなたもその時が来たのかな、と思ったの。でも、パパの才能はまだ々人を勇気づけるから、どんな形でもサポートしてゆきたいの」と云って、私の背中に
「申し訳ない―君を嫌いになったわけではないし、もう会わないわけでもない。死ぬまで君を愛している。君が人生の目標を見つけた姿に刺激されたのかもしれない。子供たちもサナー以外独り立ちをしている。でもサナーはもう、私が見なくても大丈夫だから」と、窓に映る自分に言い聞かせるように云う。
その夜、涙を流す彼女が無性に
飛行場の特別室に皆が集まる。ハーリドとラウラは別便で帰ることになっているので、全員が集まる機会はそう多くない。雑談をしている皆の前に立ち、これからのことを話す。
「皆もそれぞれに歩み出したので、私も旅立つことに決めた。来年には日本に住んで、時々アメリカに会いに来ようと考えている。ママとは別れるわけでないし、嫌いになったわけでもない。あなたたちとも会わないわけではないが、会う機会が少なくなるだけ。日本と云っても、今はすぐに会えるし、ネットでも好きな時に顔を見ることもできるから―それと、ナジュマから奈央を一緒に連れて行くようにと云われ、大きな心配事が無くなった。年が明けたら、行こうと思っているので、よろしく」と一方的に云う。
皆が突然の言葉に驚き、ナジュマの方を見て、不安そうな顔をする。ナジュマは意を決したように立ち上がり、
「私は大丈夫だよ。これはお互い話し合って決めたことだし、パパの身の回りの事が心配だけど、奈央も一緒だし不安はないよ。また素晴らしい作品を作ってくれると約束してくれたから、三度目のノーベル賞もあるかもしれないよ」と軽くウインクして、私と奈央にハグしてきた。
彩、ラウラ、サナーが泣いている。パオラがナジュマと抱き合う。私は皆に辛い試練を与えたような気分になり、落ち着かないでいると、ハーリド、光、翔が私の傍に来て、
「今は我慢するしかないけど、必ずパパのことは分かってくれると思うよ」と、ハーリドが私の手を力強く握る。他の二人も深く
マサチューセッツのボストンローガン国際空港には多くのマスコミ、州知事たちが迎えに来ている。飛行場を出るのに二時間ほどかかり、それも私の体調が少し優れないと偽りのモーションを起こしたお陰で短くなった。車に乗ったら、急にお腹がすいたのでジェロームに、ご飯とみそ汁、アジの開きを勝手にお願いすると、ナジュマが
「それはずる―い、わたしも食べたい」と云うと、皆が手をあげた。またジェロームに電話して人数分を予約する。
留守していたタロウとハナコが小躍りするように迎えに出てきた。ジェロームには食事の後、今後の私の事を話す。大粒の涙を流しながら、また旅の楽しみができたと云ってくれた。
大学にはすでに話をしていたのでその処遇については、大学に任せており、唯アメリカに帰った時には特別講義をすることになっている。
また、オ―スチン補佐官に辞任を申し出たが、日本とのパイプ的役は継続してお願いされ、ナジュマと話し合い、政治的相談以外なら協力することを約束した。
⑪
遠くで鳴っていたチャイムがいつの間にか静かになっていた。
京都の嵐山で、奈央がキッチンに立ち鼻歌を交えながら、香ばしい匂いを漂わせている。じっとしていられず、私もキッチンに向かい一緒に料理を楽しむ。もしかしたら二人の夢は今の生活かもしれない、得てして目の前にある本当の幸せに気づかないでいるのかもしれない、とこの光景を見乍ら、そう思った。
柔らかい光を受けながら奈央と朝食を味わう。秋田犬ジローが餌を待って姿勢正しく座っている。今までのアメリカの生活がまるで夢物語であったような錯覚をいだく。
だが朝五時に起きて、翻訳に精を出すことは相変わらずだ。また母校のK大学から特別講師も依頼され、週二回の講義をしている。さらに月に一回程度、各地へ講演に出かけ、学問だけの講演ではなく、翻訳、音楽に関する講話も楽しんでいる。この前は金沢で「アラジン・ドットコムと私」のタイトルで話し、ナジュマとの駆け引きと成果等を披露したところ、全国に発信され、予約が一気に入ってきた。アメリカでの忙しさとは違う、何故か“地図のない旅”に似ている。
アラジンとは、数ヶ月に一回程度の“処方箋”で繋がっている。奈央もアラジンの日本支社の業務を少し手伝っているようだ。
ナジュマはまだあのバイタリチィがある限り当分大丈夫であろうが、適度にブレーキを掛ける役割が私なのかもしれない。また、必ず忍びよる老いの足音を受け入れなければならなくなった時、彼女に手を差し伸べることも私の役割と思う、元気であれば。
タブレットの待ち受け画面には、ハーリドの子供を抱いて笑顔を見せるナジュマが映っている。ナジュマが以前、「あなたは人に勇気を与える」と云ったことがある。私には分からないが―唯、話を聞く子供の輝いている眼を見ると、私にも勇気が湧いてくる。これから進むべき道を暗示するかのように。今までとは違う〝奇跡〟を信じて。
今日、アラジン日本支社長になったサナーが久しぶりに我が家へやって来る。
眩しく降り注ぐ朝の光に手のひらを
奇跡は突然に、 @shinshin1830
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