第2話 恐怖と破壊の始まり

   ①

今まで降っていた雨が嘘のように上がり、薄明るい雲が風になびく衣のように流れている。その隙間から日差しが洩れ、穏やかな朝を迎えた―と思いきや、ナジュマの大きな声が鳴り響いた。

「翔、学校に行く時間だよ」

いつもの朝のドタバタ劇が始まる。

もうすぐミドル・スクールにあがる兄ハーリドは時間の使い方が上手いが、弟のしょうは適当なのか、それとも感性なのか、時間があるようでない。毎朝、翔を起こす役割は末っ子でまだ四歳のサナーと秋田犬タロウとハナコである。おもちゃのピアノを持ってきて、翔の耳元で音ハズレの曲を披露するが、なぜか心地良く、翔も素直に目を覚まして二人と二匹で階段を下りてくる。

「パパ、サナーにちゃんと音楽を教えてよ」と翔が云うと、

ナジュマが「サナーよりも翔の色彩感覚の方が眼を覆いたくなるね」と、独特のパジャマの色合いを見て指をさす。食卓に居たハーリドがトーストにマーマレイドを塗りながら、

「僕は、翔の色彩感覚は好きだな」と誰に云うともなくつぶやきながら、テーブルの下にいるタロウにパンを千切ってあげている。隣で蜂蜜瓶の蓋を開けるジューリアの娘ラウラも「結構、面白いんじゃないの」と云う。

サナーを抱きながら、ナジュマと眼を合わせ、お互い微かな笑みを浮かべる。子供たちが少しずつ成長しているのを感じる瞬間である。

 子供たちを見ていたら突然、奈央の娘彩あやのことを思い出した。今年高校生になって、夏休みを利用してマサチューセッツのサマースクールに参加するそうだ。ラウラも彩とはメールのやり取りをしているらしく、楽しみにしている。そう云えば、彩が高校受験の頃、将来のことについて話したことがある。

「将来の夢、ある?」と聞くと、

「国際弁護士になりたい」と、恥ずかしそうに彩が云う。

「それじゃ―日本を脱走するんだ、でも、どうして国際なの?」と聞き返すと、

「日本と外国の間で仕事をしてみたくて。コーの小説や生き方を見ていたらそう思ったの」

何故か、気恥ずかしさと子供の成長を感じて、十分な援助を約束した。

また、数年前、私がテレビに映った時に、奈央が父親であることを初めて子供に教えたところ、彩は「小さい時から叔父さんと聞いていたけど、何となく感じていたよ」と云い、家にある私の書物に興味をもち、いろいろと調べていたそうだ。やがて、私の病気を含めて母が好きになったことも分かってきたようなことを高校に入って、奈央に話したらしい。

もう一人、中学一年になったひかるは音楽に相当熱を上げ、部屋が音楽スタジオ風になっている。彼の部屋は特別に防音設備を施し、ピアノ、ギター、バイオリン、ドラム、サクソフォンが並んでおり、学校から帰ってくると夕食まで部屋に閉じこもる。だが学校の成績は良いので何も言えないとのこと。

奈央は将来を考え、二人には小さい時から家では英語で会話、また私も協力して五年ぐらい前からハワイへ毎年サマースクールに行けるよう支援をしている。その成果もあってか、日本に帰ると子供たちがやたらと英語で質問してくるのであるが、ほとんど違和感なく会話を楽しんでいる。ちなみに、我が家はナジュマがアラビア語、私は日本語、英語、フランス語を混ぜて会話するので、子供たちは当然チャンポンになる。それが実に面白い。

ナジュマは一ヶ月後に来る彩に会うことが楽しみなのであろう、我が子のように喜び、早速、部屋の準備や学校の送迎など細かなところをメイドに指示していたが、

「自分ができるある程度の事は経験させることも大切だよ」と、いつものコーヒーを飲みながら、サナーに話しかけるように云う。

 そこへ突然メールが鳴った。奈央メールだ。二人で覗くと、短い文で「光も行きたいと云い出したんだけど、どうしようか?」と絵文字付きのメールに悩んでいる様子が見て取れる。ナジュマが顔を近づけ、「さあ―騒がしい楽しい時間がやって来るね」と私の鼻にキスしてきた。もう決まった。早速、メールすると

「ごめんね、光がどうしてもアメリカの音楽をいろいろと聞きたいと云ってきかなくて。あなたから音楽の才能をもらったのかな」と返事が来たので、

「そのうち、全員でアメリカへ移住して来たら」と本気とも冗談ともつかないメールを送ってしまった。すると

「子供たちと話し合ってみる」と、意外な言葉が返ってきた。

私の心の中で何かが動き出すような微かな予感を覚える。


   ②

 私は相変わらず、論文の執筆と作詞・作曲を楽しんでいるが、大学がニューヨーク州のコロンビア大学に変わった。少々自宅から遠くなり、仕事上週一回はニューヨークに泊まることになる。だが、一人になる時間が持てて、ナジュマと子供たちには悪いが満喫している。

今は歴史言語学の基礎学および応用学によるシリーズ書を作成中、フィクションの小説も面白く、これは朝五時に起きて静寂の中で書いている。それともう一つ、企業・事業が抱えている問題の“処方箋”も急に忙しくなり、最近では何故か政治家秘書からの問い合わせが増えてきている。これは以前あった「薬剤データ捏造ねつぞう事件」の情報が広まったのであろう、あの時ナジュマの含み笑いが気になっていたがその意味をいま理解した。

ところで、ナジュマの会社は順調に業績を伸ばし、世界のベストスリーとして確固たる地位を確立したのに、彼女自身、新しい事業を画策しているらしい。何か大きなことを考えているようだが、尋ねるたびにあの癖のある笑みを浮かべるだけである。私にも密かな願望があるのでその時は勇気をもってビジネス的な取引を持ち掛けることにしようと思う、恐らく。

 ある夜、少し悩んでいるようだが敢えて知らないふりをしていると、書斎で本を読んでいる私のところへ、数冊のファイルをもって擦り寄ってきた。

「今、すこし悩んでることがあるんだけど、聞いてくれるかな」と上目遣いに甘える。

「特別料金になるよ、いいかい」と彼女の癖のある笑みを真似る。

彼女も分かっていたのか、南米のクルーズをちらつかせ、有無を云わせない。

早速、机に並べられた資料を一瞥いちべつすると、まず貧しい国に誰でも学べる学校の建設が眼に入る。これは子供たちの教育はもちろん、その国に必要な技術及び人材を育成するための学校でもある。もう一つは貧しくても才能と意欲が有れば医者・看護師になれる医学校と病院の創設であることが分かった。このことは、ジューリアと私の約束―貧しい国への教育援助と薬の提供―に似ているので、そのことを聞くと、

「コーがやっている慈善事業がズ―と気になっていたの、これを会社がバックアップすれば、より強力でより安定した事業の展開が期待できると判断したんだけど―」

「計画書を見ると、一気に遣り過ぎかな。これは焦らないことと事前の協力体制を築くことだと思うよ」と云うと、

「まず何から行動を起こせばいいかな」

「まあ―今日はおそいし、明日はフロリダ大で講演があるから、数日ほど時間がほしいね」と云って、ナジュマを抱き寄せる。そのまま倒れるようにソファーで重なり合った。

 翌朝、パオラが約束の時間より少し早めに来たので、ナジュマの『計画書』を見せ、今度マリアも含めて四人で方策を話し合いたいのでその調整をお願いした。またジューリアが残した慈善事業に関するファイルを私のタブレットに送ってもらいたいこと、さらに国連の教育科学部門及び医学部門のメンバーと彼らの主な活動・事業についてできるだけ早く情報取集を指示した。フロリダまで二時間半程度のジェット飛行の間は、講演会資料を再度組み直す必要が出てきたので時間的余裕はないが、ナジュマがそのことを考えてくれていたことに感謝する意味で最善の処方をしたい旨をパオラに話すと、「世界医療機構に勤めている知人がいるのでその情報も集めましょう」と眼を輝かせ、早速対応に入った。

 空港の待合室で搭乗を待っていると、突然、イタリアのジューリアの父ロレンツォから電話が入った。久しぶりの挨拶をし、もう十二歳になるラウラのことも話した後、「貧しい国に医学校と病院を建てる計画に私も協力させてくれないか、これはジューリアが天国からお願いしているような気がしてね」と、唐突に切り出してきた。私は咄嗟とっさにパオラを見ると彼女は電話の相手が分かったのであろう、バッグにタブレットを入れながら軽くウインクをする。

「ありがとうございます、まだ具体的なことは何も決まってないけど、恐らくお願いすることになるでしょう。近々、パオラとイタリアに行くのでその時はいろいろと話をしましょう」と云って電話を切る。

ジューリアの父親に初めて会った時、私を見るなり右の眉を上げた仕草を思い出す。あの優しい笑顔がジューリアに似ていて、長らく合わなかったこともその所為せいかもしれない。

「パオラ、もしかしたら、君が大学で勉強したことが役に立つ時宜が来たかもしれないよ」と、タブレットを覗き込みながら右手の親指を立てた。

 漸く飛行機に案内される。真新しいワインレッドのジェットが眼に入り、以前のものよりやや大きく、中に入るとリビング兼ミーティングルームが広い、また寝室はなく、各自ファーストクラスのシートを配置している。私の希望通りになっており、スタッフがくつろげる様にお願いした。これだと十分、家族との旅行でも行けるな―一人満足するように、にやにやしていると、パオラが「私も忘れずに」、相変わらず勘が鋭く、まるで私の脳がスキャンされているようだ。

 約二時間でフロリダに着くと、早速大学に行く。学長、理事長、歴史学関連の教授たちと雑談をする。以前と違って、理事長がやたらと気を使っているのを見て、少し違和感を抱いていると、脇からパオラが「アラジンから研究費と人材育成の資金援助を受けています」とのこと。それならば、少し講演料を上げればよかったかなとパオラに小声で云う。あのジューリアに似た懐かしい緩めた口元をみせる。

 どうにか講演が終わり、控室に戻ろうとすると、出口の所で京都時代に翻訳会社でお世話になった松本先生が手を振っていた。あまりの懐かしさに話が尽きないので、理事長主催の夕食会に強引に招待する。

夕食会では、先生から教えてもらった翻訳の“妙”とアメリカ留学への決断ばなしを披露する。先生へ拍手喝さいが起こり、急遽、先生の挨拶が行われ、その中で「コーは最近儲かっているのか、翻訳をおろそかにしているのでは」と云うと、大笑いに包まれた。

 フロリダでは二日ほど、海と曲作りでのんびりとバカンス気分、とりわけパオラの水着姿にペンが止まる。

パオラには、奈央の子供が来た時にみんなでディズニーランドに行けるよう、その調整をお願いした。彼女にはやたらと要望しているが最近コツを掴んだようで、マリアとそつなく協同でこなしている。


   ③

家に帰ると、ナジュマがサナーを抱っこして、その脇には愛犬が並んで迎えに来た。小さな天使には顔中かおじゅうにキスをする。こっそりサナーに特別な袋一杯のお土産を渡すと、もう私の事は眼中になくお土産に夢中である。その代わり愛犬が飛びついてきた。

ナジュマは彩と光の部屋について、彩はラウラの部屋、光は翔の部屋に決め、子供たちは意外にも喜んでくれたそうだ。殊に翔は光のセンスに興味があるらしく、一緒にコンサート等に付いて行くと云う。

「翔にしては珍しく、昨日、光と連絡し合い、行きたいコンサートやミュージシャンを聞いたみたい。その手配や情報をマリアに電話でお願いしてたみたいよ」と、ナジュマが嬉しそうに云う。

「お互い良い刺激になれば、面白い組み合わせじゃないの、それとディズニーのことはパオラから聞いていると思うけど大丈夫?」、ソファーに座りながら云うと、

「みんなの意見を聞いたら4日間が限界だけど、逆に丁度良いのかな」と、私の右頬に手をやりながらウインクする。

もうせっかちなナジュマは日程を決め、ランド近くのホテルを押さえたそうだ。そうなると、彼女からの“宿題”のプレッシャーを感じ、「あの計画はもう少し時間をかけたいから、マリアにも情報収集をお願いしていいかな」とコーヒーを飲みながら云うと、彼女も再度検討しているとのことである。

 そう云えば、マリアがどのような経緯でナジュマの秘書になったのか、気付いたら秘書になっていたので、ナジュマにそのことを聞いてみた。すると、最初に私からアドバイスを受けた直後に、ある情報会社を訪ね、必要な情報の取集を依頼すると的確かつ迅速に対応するマリアを見て、彼女の能力はこの先必ず必要になると思い、数日後、強引にハンティングしたそうだ。

何故かマリアのことを調べたく、ナジュマに了解を求めると、

「今更どうしたの、何か気になることがあるの」、

「別にないんだけど、彼女がフーと極まれに寂しい顔をするので、気になってね」と云うと、ナジュマは私が動いて、マリアに気付かれると気まずい空気になるからと云って、知り合いの探偵業者に頼むことになった。

翌日、早速その探偵業者に依頼する。そうすると、さすがプロである一週間も経たないうちにその結果が送られてきた。

 マリアはペンシルベニア州フィラデルフィア出身、生活はそれほど裕福ではなかったが学校の成績は常にトップクラス。両親はカナダからの移住者であり、大学生の時に強盗に襲われ一度に両親を無くし、その犯人はいまだ逮捕されていないらしい。

大学は同州内にある州立大学で、専攻は経済学を学び、殊に情報分析が得意でビジネスインテリジェンスに優れていたと云う。そして最後の一文「この分析能力に目を付けた政府の情報機関が一時、アクションを起こしたそうだがその後不明」で終わっており、調査報告としてはあまりにも簡単な報告である。

これについて改めて探偵に聞いたところ、これ以上の情報は収集できず、何故か消されたように途切れると云う。

だが昨日、ある同級生から今まで話したことのない情報を掴むことができたと云う。それによると最終学年の頃にストーカーらしき男数人に監視されていることをマリアから相談を受け、一週間程度彼女のアパートに泊まっていた時、その男の傍を通行人のように通り過ぎた際、男が電話を掛けようとする相手の電話番号を一瞬見ることができ、その番号を二人で徹底的に調べたそうだ。すると、その人物は国家公安部の調査部職員であることを突き止めたが、二人とも怖くなってそれ以上の調査はやめたらしい。その後、マリアは突然引っ越して、大学で会うことがなくなったと云う。

思えば、彼女にある政治的な事件について聞いたことがあり、それに関連する予想もしない情報を掴んだことに驚いたことがある。会社では高く評価されているが、普通の手段では手に入らない情報源であることに何故か不安を隠せなかった。彼女はプライベートの事は一切話をしないし、また以前の事件―薬剤データ捏造事件―の時、議員二人の素性や生活習慣のことまで家族しか知らないような詳細な情報を知っており、また薬剤研究所ジャックの研究員が元恋人であったことも驚きで、事件後にその彼にマリアの事を聞いたところ、彼も彼女の過去についてはよく知らないと云った。

ナジュマは「彼女の能力が発揮されればそれでいい、過去のことは気にしない」と。

私も今はこれ以上の事は調べないが、そのうちマリアの隠された過去に疑問をもつ時宜が又来る予感をいだく。

  

 ④

 彩と光がアライバルゲート(到着口)に現れた。二人とも首にヘッドホンを掛け、私に手を振り安堵感の笑顔を見せる。彩はパオラともラインをやっていることもあり、私を其方退そっちのけでハグし話し込む。仕方なく、光にぶっきらぼうに「飛行機は疲れた?」と在り来りの言葉をかけると、

「別に。お菓子を食べながら、音楽を聞いていたから。え―と、お母さんからのお土産」と云って、納豆せんべいを渡された。私は笑って受け取りながら、

「何が食べたい?」

「ホットドッグとコーラ」

そういった店は知らないから、パオラに付いて行くことになった。光が歩きながらこっそりと「お母さんも来たくてしょうがなかったみたいだから、もしかすると・・・」

光に同意するように目配せを交わす。

二週間ほど前に何気なく、私の誕生日にディズニーへ皆で行くメールをこっそり奈央に送った。彼女は恐らく、一人の寂しさとミッキーの笑顔に押し潰されて、飛行機に飛び乗って来る予感がする。

 食事の後、家に戻る。サナーが執事のジェロームに連れられて迎えに出てきた。彩と光は日本流のお辞儀の挨拶をすると、サナーも深々と頭を下げ、日本語で「お帰りなさい」と云う。二人とも私の顔を見るなり笑っている。

アメリカはすでに夏休みに入っており、サナー以外はサマーキャンプに行っている。恐らく、今日の昼過ぎに一斉に帰ってくることになっているので、二人には時差ボケ解消としてプールに入って運動することを薦めた。

二人とも荷物をそれぞれの部屋に置き、ジェロームが各部屋を簡単に案内する。その後、二人はサナーを連れてプールに飛び込んだ。

 私は、子供たちの事はジェロームとメイドに任せ、パオラとナジュマの“宿題”を作成するため書斎に入り、それまでと一変した空気に包まれる。そうして二時間程度が経っただろうか、窓から外を見ると、ハーリドと翔が愛犬タロウとハナコと一緒に駆け足で帰って来た。もうどうしようもない子供同士の時間になってしまうだろうと思い、私は静かにコーヒーを持って、パオラに「今日はオフ」と云って、部屋を出てソファーに腰かける。何故か新鮮な空気が体中に入ってくるような気分になり、頭の中がハイになってゆく。その異変を察知したのか、ハナコが私の顔を舐めだした。

私が書斎から出てきたのを見ていた彩は、

「ごめんなさい、おそらく相当騒がしくなると思うけど、私も光もワクワク感が抑えきれなくて」と申し訳なさそうに云う。

少し大人になった彩を感じながら、少し目が潤んできたことを悟られないよう、コーヒーの波紋に眼をやっていると、予定より早くラウラも帰って来た。今度は彩と女性同士でその世界に入り、私だけが一人取り残される。だが、子供たちそれぞれの光景を眺めているだけで幸せを噛み締める。

 今日の夕食は、ナジュマも加わることになったので少し遅く八時になることを皆に云う。それまで、それぞれ自由に時間を過ごすようにし、子供たちは翔の部屋とラウラの部屋に分かれ引き続き大声を出している。私は今の気分を曲にしたくてピアノに向かう。パオラは先ほどの宿題が気になっているのであろう、書斎に入るサインを送ってきた。

サナーが私の傍に来て、音楽に合わせて自分のピアノを弾きだした。これは面白いと思い、彼女に合わせて弾いていると意外にも充実感に浸れる曲ができた。これを皆に披露したくなり、サナーと一緒にリハーサルに専念する。

やがて、玄関からナジュマの声が響いてきた。すると、一斉に皆がロビーに集まり、満面の笑顔で彩と光を抱き締めた。

「初めてのアメリカ大陸へようこそ、遠くて疲れたでしょう。それで―明日の午後は、皆でショッピングに行こう、いいね、サマースクールに必要なものも揃えるよ」と云うと、日ごろ無口なハーリドが「必要なものは教えるから大丈夫だよ」と。

ナジュマは、ハーリドの気の使いように驚き、私の方を見る。

ワイワイガヤガヤの夕食が一時間ほどで終わり、リビングルームに皆を集め、サナーとの共演を披露する。ママが帰ってくる前に即席で作った曲ながら、サナーとのジョイントも上手く終え、皆が感動してくれた。

ナジュマが突然「これ、記念にレコーディングしよう。パオラ、OK?」とサインを送ると、パオラはしっかり録音していたらしく、早速、電話を掛けていた。すると、光が「これ、もしかすると大ヒットになるかも」とひとり言に云う。皆が納得したように、サナーを祝福している。

 この夜、ナジュマの“宿題”に答えることにした。

「少し長くなるけどいいかい」と家族専用の台所に居る彼女に聞くと、彼女はコーヒーと大福をもってやって来た。私はこの大福を一口食べ、コーヒーも一口飲んで、大きなパソコンの画面に向かって始めると、愛犬二匹も座って聞いている。

「まず、貧しい国に医学校と病院を設置することだけど、これは国連主導で動くNGOや赤十字の意見を聞く必要がある。理想的なイメージと体制は複数の国を単位に核となる施設を空港の近くに確保すること、その下部組織として地域ごとにその国主導の診療所を設けること、このことは一部実施されているけれども、大きな問題としては医師と看護師の確保、施設維持と器具・薬剤等の供給、そしてスタッフの人件費を含めた経費が当然あげられるけど、根本的に医療関係者が少ないことは以前から指摘されている。そこでまず取り組むべきは“遠隔治療”の環境づくりであろうと思う。物理的な器具類はそれほど問題ではないが、そこには財政的に厳しい国が悩む電力供給があげられる。これはセットで対応を進めていかなければ意味がない。殊に動力源となるインフラの整備については、経費的なことも考慮すると今のところ太陽光、風力、火力が妥当なところだろうね、また蓄電技術も向上しているのでこの設備も必要だろうね。

遠隔治療の技術はかなりの進歩が窺え、将来性はかなり期待できる。余談だが、この分野の投資も当然面白いと思うよ。

さて、次の問題、予算の確保だが当然アラジンだけでは賄いきれない。そのためには下準備として、国際機関及び協力してくれる国々とその医師会等に打診しその経費の一部および当初必要な派遣医師の負担をお願いする。次に支援金確保の案として世界長者・企業番付二百位内の個人・企業及び薬剤会社から、個人は百万ドル以上、企業は三百万ドル以上の支援金ができるような仕組みを考える。その出資金の額に応じて所得税の特別優遇措置を講じること、また社会に貢献する名誉的なステータスとして世界規模の受賞機構等を創設すること、これはノーベル賞に匹敵するように位置づける。

それに並行して人材の育成を図るのであるが、これは当然各国の教育事情に関わり、一様に進められない最も難しい問題である。だが、私としては日本の寺小屋的方式を採ることを望みたい。

つまり、年齢別のクラス分けをできるだけ最小にすること、また年上の者が年下の面倒を見ることを基本にする。例えば前期五歳~十四歳、後期十五歳~十八歳に分け、前期は日常・社会生活に必要な読み書き、実用的な知識や技能の習得、日本の公文式なども利用する。このコースは地元での組織・施設の構築が望まれる。後期は専門技能を主体とした専門コースと優秀な生徒は大学へ進むコースに分けていくが途中の変更も可能、これは外部へ教育場を求めることが適切かと思われる。医師及び看護師の育成もこのコースに関連させる。

その授業料や経費は奨学金の拡大、国際機関やアラジンからの援助、前掲の世界長者・企業番付や薬剤会社などの支援金をベースとし、世界中の国や個人・団体等の寄付金も募る。結果的に国ごとの人材育成はもちろん、医薬と医術の進歩研究につながると思う。これらは世界規模で実施する事業であり、多くの連携・協働がなければ達成できないが、まずはある国・地域を限定してモデル実施することが望まれるだろうね」、画像やパオラの作った資料を基に一時間ほど説明する。

ナジュマは何か走り書きした後、ペンを静かに置き、

「この事業のベースを二十年以内に築いて上手く完成にぎ着けたいね、もしかしたら私の今後の人生を懸けた事業になるかも」と、優しさの奥にある鋭い眼差しを向け、いつもの癖のある笑みを口元に浮かべる。

「そうだね、アラジンの支援がどこまで可能か、サウジ王族の協力、そしてアメリカ合衆国への働き掛け、これらが重要なカギになるだろうね。でも綿密な策と大胆な戦略を間違わなければ、可能だと思う。それと―私をうまく使えば、どうにかなるよ」と云うと、いきなり彼女はハグしてきた。近いうちに、パオラとマリアとで策を練るとささやく。

 翌朝、いつもより遅い朝食をとる。最初に起きてきたハーリドが云うには皆、二人の滞在期間中のスケジュール作りに遅くまで盛り上がり、殊に翔と光はネットで好きなミュージシャンやアーティストの情報を朝方まで検索していたらしく、まだこの二人は起きてこない。

サナーが愛犬を連れていつものピアノをもって翔の部屋に入る。

やがて二人の手を掴んで降りてきた。だが、翔の顔はいつもの不機嫌そうな顔でなく、光と話しながらの笑顔である。

これだけの人数で食事すると実に楽しく、食事が一層美味しくなる。殊にハーリドと翔はいつも少しの朝食しか食べないのに、今日は二人分の量を食べ、それを見た私とナジュマは眼を合わせ笑う。

 一時間後ロビーに集合と、ナジュマが大声で知らせる。私はなぜか気分がハイになり、それを察したサナーが大丈夫? と右手を掴む。頼もしい娘である。それを見たナジュマは嬉しく安心した表情を見せ、私にウインクしてきた。

玄関にはチャーターした大きめのワゴン車が来ている。パオラが本日“添乗員”の役になり、ショッピング、食事、そして夕方に花火大会の見学を発表すると、皆から歓声が上がる。タロウとハナコは留守番に不満なのか、激しく吠えている。

やがて大きなショッピングタウンに着く。其処のオーナーが案内役二名を連れてあいさつに来た。その対応は女性二人に任せ、子供たちは彩とラウラ、ほか男三人に分かれ、それぞれにパオラ、ナジュマが付く。サナーは私がチャイルドエリアで面倒を見ることとなり、二時間後にこの場所に集合を告げ、一斉に解散する。皆一目散に駆けて行く。

 そうして二時間が過ぎたころ、それぞれサンタクロースのような大きい袋を担いで戻ってきた。皆で袋の大きさを比べると、なんとサナーが一番である。一斉に私の顔を凝視する。

「パパはサナーに弱いんだから」と、ラウラが笑いながら云う。

私は透かさず「お腹すいた、さあ―美味しいもの食べに行こう」ととぼけたように云う。

すると、彩とラウラが私にイチゴ大福をプレゼントしてくれた。このサプライズに嬉しくて、ナジュマに自慢げに見せると、彼女は自分の後ろ髪を見せ、すでにハーリドら男たちから洒落た京都簪かんざしをプレゼントされたと云う。それを見たサナーがいきなり私の手を引っ張って、玩具の指輪を差し出す。皆が手を叩いて笑った。

 昼は日本人が経営するトンカツ&天ぷら屋さんに行く。

パオラが良く友達と利用しているそうで、アメリカに在る和風的なたたずまいと出汁だしを使った料理を味わってもらいたいと云う。我が家も時々、日本の料理を出しているので、子供たちは別に違和感なく味を堪能している。彩はこんな美味しいカツ重と天ぷら、そして味噌汁は日本でも滅多に味わえない、と驚いていた。

私はなぜか懐かしく覚えのある味と思い、ここのオーナーシェフを紹介してほしいことをパオラにお願いする。すると奥のキッチンから現れた和帽子をかぶったコックは、以前よく日本に帰ると必ず寄っていた「カツ亭 真」の真行寺さんである。ナジュマとは一回程度であったが、ジューリアとは帰るたびに足繁あししげく通った。

お互い懐かしく握手をする。彼は、パオラを見てジューリアと勘違いしたらしく、その経緯を手短に説明すると、彼の目が濡れだし、

「アメリカに店を出すことを、ジューリアさんから強く云われてね、その切っ掛けを作ってくれて、いろいろとサポートもしてくれたんですよ」と。

私もナジュムも初めて聞いた話であり、ここにもジューリアの “サイン”が残っていることに嬉しさを感じる。

その傍で、ラウラがパオラに抱きついている。

突然、サナーが真行寺さんに玩具の指輪を渡し「元気出して」と云う。皆、サナーには頭が上がらない。

店を出ると、夕焼けが眩しく、何故か日本でみた茜色の空を思い出す。時が経ち、今は奈央の娘、彩が夕日に照らされている。

 待望の花火会場は約一時間の距離にあるそうだ。皆、それを聞いた途端に車の中で気持ちよく寝てしまった。ナジュマは私の手を握り微かな寝息を立て、パオラもラウラの肩に手を遣り寝ているが、私は興奮して無理である。これから子供たちがどれだけの“サイン”を作り残していくのか、寝顔を見て楽しくなった。

花火会場には特別の場所が設けられ、其処にイスとテーブルが並べられている。専属の給仕が軽食と飲み物を運ぶ、これを見た彩と光はこのような特別の席で花火を見るのは初めてなのであろう、眼を丸くしている。

いつの間にか、ナジュマとサナーが浴衣姿で現れ、皆が一斉に近寄って行く。

「みんなの分は十分用意したから、着替えて―」と、色っぽく云うナジュマの髪には浴衣に映えるあのかんざしが挿されている。

浴衣姿の一団をみると、まるで日本の祭りに行ったような風情を醸し出す。

「ジューリアも一緒に楽しみたかっただろうな―」、ひとり言のようにつぶやく。

「上で微笑んでいるよ」と、ナジュマがそっと手を握る。

歓声とため息の合唱のなか、花火の色鮮やかな光に照らされた皆の顔はどんな花火よりも美しい。遠くに雲の合間から花火を覗き込むように見え隠れする月、そうして夢みたいな二時間が過ぎた。

帰りの車の中、子供たちはまだ興奮しているのか、買ってきた品々を見せ合っている。私はエネルギーを使い果たし、ナジュマの胸のなか柔らかい“クッション”を味わいながら睡魔に負けてしまった。

その夜、家中が水を打ったように寝静まった。

  

 ⑤

 それから、数週間が過ぎた朝、いつものようにそれぞれの時間が始まる。私だけが今日一日、誰からも邪魔されず思いのままに時間を過ごせる―と云っても、おそらく午前は論文執筆、午後は新しいスペイン料理に挑戦することになるだろう。

また以前、翻訳家の松本先生から頼まれたオランダ作家の小説の和翻訳を先生に送り、その返事メールが今朝届いた。この小説は先生が注目したとおり非常に面白く、ついでに他の言語にも訳すことが可能かどうか先生に聞いたところ、相手方も喜び、是非お願いしたいとの返事をいただいたそうである。

先生へお礼のメールとオランダの作家へ連絡し、久しぶりに朝五時早朝の翻訳業務の再開へ入ることになった。

 朝食後、論文執筆に専念し過ぎたのであろう、昼近くにお腹が急に泣き出したのでタロウとハナコを連れてドアを開け台所へ行こうとすると、スマホが鳴った。マリアからである。

「どうしたの? 何か起こった?」

「ナジュマ社長の計画の事ですが、社長の指示を受けて、私とパオラでその推進班を立ち上げることになりましたので、それでコー教授をアドバイザーにすることが必要と判断しまして、すでに社長から了解を得ましたが一応、事前に報告した方が良いと思い連絡しました。詳細は明日に伺い説明しますので、よろしくお願いします」と、マリアがいつもの早口で話す。

ナジュマの強引さに慣れている私は了解をしたが、明日は午前が論文出版の検討打ち合わせ、午後はサナーと遊園地に行く予定なので明後日を希望した。やはり、この計画を実行することにしたか、とコーヒーメイカーからお湯が上がってくるのを見るともなしに眺めながら、

「また面白くなってきたな」と、うわ言のように呟く。

彼女は時々私に刺激的な“治療”を与えてくれ、それがまた心地良い。見事な“SM夫婦”である。

 その夜、子どもたちと夕食を取る。彩のサマースクールのこと、光が見にいったミュージシャンのコンサートなど食事の中で話題となり、ハーリド、翔がまるで自分のことのように意見を述べている。面白い光景である。

 食事後、ソファーでコーヒーを飲みながらロシアの雑誌を見ていると、玄関先でタロウが吠え、ナジュマが帰ってきた。それにつられて、サナーもやって来る。サナーを抱き上げるナジュマに、マリアから電話があったことを話す、

「まずは彼女ら二人の他に若手二人を付けて、少しずつ事を進めていくつもり。彼女らが新しい発想を出して大胆に、そして繊細に取り組んでもらいたいと思ってる」

「じゃ―私は何をすれば?」

「コーと私は、知り合いにこの事業への協力をお願いする役割だね、おそらく利益のことで聞いて来ると思うけど、この事業への貢献度に応じて知名度や評価としての“利益”があることを知ってもらうことだけど・・・」と、言葉に含みを持たせた云い方で言葉を切る。

「何? 云い難いことがあるの」

「後でね」と云い、サナーを抱えてダイニングルームへ向かう。

私は何か面白いことが起こりそうな期待に落ち着かず、気を紛らわそうと雑誌の続きを読むのだが、やはり無理な足掻あがきである。

サナーを寝かせて、書斎にやって来たナジュマは

「先ほどの話だけど、実はね―私とコーで複数の政治家へアプローチして国の協力を得ようと考えているんだけど。あなたを結果的に政治の世界に巻き込むことになるから、躊躇ちゅうちょしてる」

「でもね―あの計画が実現出来たら、自分の人生、満更でもなかったかな、と思うんじゃな―い。僕はね、今までとは違う自分を見てみたい」と云って彼女を見つめる。

ナジュマが「ありがとう」と云いながら、ハグしてきた彼女の手には何か小さな箱があった。

「これ、少し早いけど誕生日プレゼント」と渡される。

私はすぐに中身が壊れるぐらい強引に開けると、以前からほしかった有名なデザイナーと有名ブランドが八十年代にコラボした腕時計が出てきた。この時計は希少価値も重なり、今では数千万の値段がついている。だが、この時計についてはジューリアと二人だけの話のはず、不思議そうな顔をしていると、ナジュマは

「このことはね、結婚する前に、ジューリアから聞いていたの。この時計には特別な思いがあるみたいだから、大きな岐路の時にプレゼントしようと決めていたの」

「いや―君には絶対勝てないね、附いて行くだけだよ。ところで特別な思いをジューリアから聞いた?」と云うと

「それはコー自身から聞いて、で終わったから」と。

私はイタリアでのあの光景を思い浮かべながら、

「お金がそれほど無かったころ、二人でイタリアに遊びに行った時、ある高級なジュエリー店のディスプレーに飾っていたこの時計が眼に入り、二人で見入って眺めながら、いつかペアーで着けよう、と小指を絡ませ合ったんだ」と、初めてナジュマに話す。すると、ナジュマがポケットから同じデザインでやや小ぶりの時計を出し、

「私も気に入ったから、探してもらって買っちゃった」。

お互い左手を重ねながら、ナジュマにうまく踊らされたみたいだけど心地良い満腹感に酔った。


  ⑥

 ある日、急遽私とナジュマのスケジュールが空き、久しぶりに二人して休みになったので、彼女に料理の手ほどきを教えることにした。なにせ、彼女は王の娘なので料理を一切したことが無い。だが、舌だけは肥えているので料理にはうるさい。包丁の使い方、材料の切り方、下ごしらえ、焼き方、蒸し方、香辛料・調味料の合わせ方などひと通り教えたが一度に分かるはずもないのに、その必死の顔を見るのが面白くてつい“いじめ”てしまう。ナジュマは性分なのであろう、妥協を許さない。彼女の作った料理を少しタロウとハナコに与えると、臭いを嗅ぐだけで食べようとしない。私も遠慮することにした。

どうにか、子供たちが帰るまでに出来上がり、彼女は「仕事より疲れたけど、充実感がたまらない」と喜んでいる。

 そこへ、彩がいつもより少し早く帰ってきた。二人の居る台所に遣ってくるなり、

「日本に帰ったら、お母さんにアメリカに住みたいことを話そうと思うけど―大丈夫かな」と聞く。

「奈央がこの前、日本語学校の教師の受け入れはあるのかどうか、聞いてきたから、お母さんも考えていると思うよ」と返事する。それを聞いた彩は急に笑顔になって、料理の一部を摘んで小走りに二階へ駆け上がっていった。嬉しくて味を感じなかったのであろう、と思っていると、ナジュマが

「ボーイフレンドのジョージのこともあるのかな―」とあの癖のある口元を見せる。初めて聞く名前に

「ジョージ? 誰?」と少し苛立ち気味に聞く。

「この前のサマーキャンプで仲良くなったみたいよ」

それを聞いて落ち着かないでいると、ナジュマは「彼はナイスガイだから大丈夫だよ、彩もいつまでも子供じゃないんだから、私たちは成長するのを静かに見守ってればいいのよ」と云う。

思うに自分の過去の恋愛を考えたら、何も言えないか、と変に納得してしまう。いずれにしても、移住に関しては光の意見も聞いて、奈央と話し合うことにした。

ナジュマが私の眼を見乍ら「学校の先生なら、その経験を活かすために今のプロジェクトへ参加しないかな。先生の経験者はやがて必要になると思ってね」

「じゃ―今度じっくりとマリアとパオラを交えて話し合おうか」と返事をする。

 やがて、彩と光の夏休みも終わり、それぞれアメリカでの生活を満喫したようだ。その思い出として内密に予定していたウォルト・ディズニ―ランド旅行を夕食時に発表したら、もう皆パニック状態になってしまった。ナジュマは子供たちから交互にキスを貰うが、私はサナーを抱いてテーブルの周りを逃げ回る。それに釣られて犬も廻りだす。

 その日がやって来た。もう朝から戦争で、皆が落ち着かない。タロウもハナコも子供たちの後を追っかけては走り回っている。漸く、全員が玄関に集合することができ、この前と同じレンタワゴンに乗り込もうとするがタロウとハナコが入口に居座って動こうとしない。皆で優しく、ごめんねと云いながら降ろそうとするが動かない。サナーが一人、タロウの鼻先にキスをして「ゲット オフ」と云うと、二匹とも素直に降りて行った。やはり、サナーには頭が上がらない。

飛行場に待機しているワインレッドのジェットに乗り、約2時間のフライト時間をそれぞれ楽しむ。ナジュマと私はあの時計を付けている。

昼ごろ、オークランドに到着する。チャーターしたマイクロバスに乗り、早速ディズニーへ向かう。バスの中でパオラが注意事項のアナウンスをするが、もう皆は落ち着かない。そこへナジュマが大声で携帯のGPSだけはONにすること、それと光、ハーリド、翔の男性グループと彩、ラウラの女性グループに分れ、行動は常にグループですること、サナーは私たちと一緒に、マリアとパオラもこの日は自由に楽しむように、と云うと大いに盛り上がった。

ディズニーに着く。パオラの誘導でゲート脇にある特別の一室に行く。そこにはミッキーやミニーなどフルメンバーが迎えてくれ、皆はパニック状態になる。またディズニー社の役員数人がおり、その中には以前、ナジュマの会社で会ったオーナーのロバートがいる。簡単な挨拶を済ませると、突然オーナーから「今度製作する映画のテーマ曲を作ってくれませんか」と云われる。驚く暇も与えられず、皆がハグして来た。この状況の中では何も云えず、唯「うぅん」と頭を縦に振るだけである。

最後に、マリアが三つのグループにそれぞれ二名ずつのセキュリティーガードを終日の帰るまで付けることを告げ紹介をした。正装されたガードではなく、観光客と変わらない服装であるため違和感はない。

そして、出口に用意してあった幾つかの被り物を持って、一斉に解き放たれた鳩のように皆が走り出した。

私たちとサナーは幼児向けのジェットコースターに向かう。私はカメラ係なので、ナジュマに添乗を任せるのだが、実はこの種の乗り物は苦手で見るだけでも辛い。

あるフャンタジー的な映像エリアに入った時、聞き覚えのある音楽が流れていた。二年ぐらい前にディズニーへ提供した曲だと思い、口遊んでいると、サナーも楽しくメロディーを奏でる。ナジュマがこの曲は世界中の子供たちに愛されている曲だよ、と教えてくれた。

このように何気なく作った曲が皆に歌われていると、何故か恥ずかしく、一人ニヤニヤする。サナーとナジュマがこれを見て一歩引く。

そうして三人の時間を満喫していると、ときどき写真を撮られたり、サインを求められたりするので、顎鬚あごひげ付きの被り物が必需品になった。ナジュマが「そのうち、子供たちにも外に出る時はセキュリティーガードを考えないとね」と云う、

「そうだね、世の中にはいろんな人がいるからね」

これはまた仕方がないことだろうと納得せねばならない、安心のためにも。

やがて、子供たちもそれぞれに夕食を済ませ、約束した時間と場所に集合する。閉園に近い時間だが、皆、名残を惜しむように幾度となく振り返る。ホテルは園に近いディズニーリゾートホテル、ロビーには宿泊客らしい人々が数人おり、突然、彩がビックリした様子で一人の女性に近寄って行った。後姿を見た瞬間に分かった、奈央である。咄嗟とっさに光と目が合い、お互い予想通りの笑顔を見せ、ナジュマらが順番にハグする。奈央はやはり我慢できなくなり、急遽ホテルと飛行機のチケットを取り、さらに学校には強引に休暇を申請、困惑した校長に頭を下げ、逃げ出すように飛び乗って来たそうだ。

このホテルのスウィートルームは、結構広く充分なスペースであるがベッドの用意ができておらず、一緒の泊まりは明日以降となる。とりあえず、同じホテルなので部屋に入り、落ち着くことにした。その部屋はディズニーが一望できるため、子供たちに混じって光のファンタジーを見つめながら、少し眼をそらすと窓ガラスに映るナジュマと奈央が何か話をしている。私はサナーを抱き、窓ガラスに映る奈央を見つめ、これから始まる、奈央家族のアメリカ生活に感謝している自分に驚く。

寝室に戻り、ナジュマとくつろぐ。

「奈央は日本語学校の教師に就き、子どもたちと部屋を借りて生活するそうだけど―」と、ナジュマに突然切り出す。

「そうみたいだけど、私のプロジェクトへの参加を打診しているよ。彼女は教師で英語と韓国語も話せるし、人を説得させる能力があるから、日本への協力と企業的進出を将来的に考えるうえで必要な人材になると思ってね」

「どっちを選ぶかは彼女次第だけど、こっちに住むことは確かだね。それで、いいのかい?」と、奈央が近くに住むことに抵抗があるのか聞いてみた。

「私は、あなたの苦しみを感じたくないし、私の事業を成し遂げるためにあらゆる可能性を取り込みたい気持ちだから。奈央の家族も私たちの家族だよ」と。

それを聞いた私は、ナジュマをお姫様スタイルで持ち上げ、キスをしていると、サナーが部屋に入ってきて「わたしも抱っこ」とねだる。

 翌朝、子供たちは誰に起こされたわけでもなく、開園の二時間前にぞろぞろと起きてきた。朝食をそそくさと済ませ、ディズニーの地図を見ながら今日の作戦を練っている。

奈央も彩のグループに入り、迅速なフットワークを考え、スポーツウェアーとシューズに身を包んでいる。私たちも同じようにジョギングシューズを履いて戦闘態勢に入った。

子供たちはファーストパスをいかに効率よく取るかと云うが、私たちには無理なことである。サナーも並ぶことがあまり好きではなく、パレードの見学と大好きなミニーに抱かれること、それとグッズを買えば満足らしい。三人でブラブラ歩いて、空いているところを狙って入る。小腹が空けば食べ歩き、やはり広すぎて椅子に座ることが多い。

そうした時間を最終日まで繰り返し、その日の夕方を迎える。見事な夕日、茜色に染まる雲と建物を見ると、なぜか懐かしさが込み上げ、夜に向かうこの時間帯が実に落ち着く。手を繋いでいるサナーが「お空さんも楽しんでいるようだね」と云いながら、ナジュマの手も握り、三人で日が沈む一時いっときを静かに眺める。

最後の光と夢のパレードに三人ではしゃぎ、被り物を付けると誰だか分からないので我を忘れる。やがて集合時間になり、チャーターバスに向かう。奈央も被り物を付け、手にお土産袋を持っている。

「今日の夕日、綺麗だったね」と日本語で云う。

「河川敷のあの夕陽と同じく、何か新しいことが始まりそうな予感を覚えたよ」と、二人で眼を合わせる。すると、パオラが二人の間に入ってきて腕をとおし、「よかったね、ジューリアも喜んでいると思う。彼女がね―教授と奈央は近くに居るべき二人だから、とよく云ってたよ。ところで、あの夕陽って何?」と日本語で聞いてきた。

そうか、パオラはジューリアから日本語を教えてもらっていたから、二人の会話は理解できたのであろう。先を歩くナジュマに聞こえないように小声でその事を教える。パオラも自然から味わう日本の情緒感を少し分かってきたのか、今度日本へ行くことを奈央と約束する。

 バスに乗り、空港へ向かう。一人増えた“家族”を乗せ、大いに盛り上がった飛行機の中、それとは対照的に帰りのバスの中は皆、穏やかな寝息を立てていた。

奈央一家は夏休みも終わり、帰国した。移住への手続きや準備のため、忙しい日々となるだろう。パオラも忙しいなか、その手伝いを快く引き受けてくれた。殊に、奈央は就職先をナジュマの会社に決め、あの事業計画の専属スタッフになったようだ。また、後でナジュマから聞いたが、パオラと奈央で協力して私の“まま”に対応するように指示したと云う。唯々、ナジュマには感謝するしかない、だが何故か得体の知れないプレッシャーが重く伸し掛かってくる。


 ⑦

 それから五カ月が過ぎ、奈央一家も特例のスピードでマサチューセッツに住むことができた。因みに、子供二人は日本語学校ではなく、試験をパスして地元にある一般のスクールに入ることができた。

ある日の午後、大学の講義も終わり、ニューヨークの街を目的もなく歩く、気に入ったコーヒーショップがあれば吸い込まれるように入っていく。お気に入りのキリマンジャロコーヒーを飲みながら本を読んでいると、奈央からメールで、ナジュマが明日の午前十時に会社に来てほしいとのこと。今日はここに泊まり、翌日は休日なので小説の仕上げに入ろうかと思っていたのであるが、何か緊急なことが発生したようだと感じ、翌朝、一番の飛行機で帰ることをメールする。

 翌朝、飛行場から直接会社に向かう。すると、奈央が迎えに来ており、「医療と教育を進めていくうえで、協力してくれそうなモデルとなる国の候補を幾つかリストアップしたけれど、それを具体的に検討するにはアメリカ政府へのアプローチが必要になってきてね、その対策として招集したの」と、マリアにも負けない早口で話す。

「どうだい、アメリカ社会の厳しさを味わってる?」と歩きながら云う。

「日本の公務員とは全く違う空気だけど、教育に関する“悩み”は万国共通だから。違った視点から取り組める面白さがあるよ」

と云う。奈央の顔を見ると、今までとは違う生き生きとした感が窺え、一段と綺麗になったようだ。

いつもの部屋に入ると、マリアとパオラが話し合っている。その他若い社員がパソコンを機械的に叩く。パオラが私の顔を見るなり、「ごめんなさい、いつものコーヒー飲んだ?」と聞きながら、奈央を含めて三人でナジュマの部屋へ向かう。

部屋にはもうコーヒーが用意してある。それを飲みながら、サナーとのジョイントの曲とディズニーに提供した音楽の大ヒットの話で盛り上がる。ちなみにディズニーの曲は以前の家族旅行において、ランド内で幾つかの外国の音楽が流れていたので、それらのメロディーの雰囲気が味わえるように作曲し、歌詞はそれぞれの国の言語で作った。

やがて、ナジュマが仕事の話を切り出す。

教育と医療に詳しい国会議員数名に打診したところ、純粋に事業へ協力したい議員と見返りを暗に要求する議員に分かれたと云う。これはいつものことだとうなずきながら聞き流していると、そのなかで中心となる大物議員がかなりの日本通で、近々議員数名と政府担当者で日本に医療視察をする話が耳に入る。その視察にナジュマも加わることができ、また、ジューリアの父ロレンツォも急遽この視察に加わることになったと云う。

今掴んでいる情報は、視察の主な目的と場所が地方の中核医療とその周辺の医療体制であり、大地震のあった福島と仙台地域に絞っているらしい。その辺の詳細な情報と日本の関係議員・省庁や日本医学会等団体の動向が上手く掴んでないので、その対応に私とパオラ、そして奈央で取り組んでほしいと云う。

加えて、いわゆる“おもてなし外交”を協働で進めることができるよう働きかけることになった。なお、この視察時期は今から三ヶ月後であると云う。

私が最も苦手な“心使い”であることは、ナジュマがよく分かっているはずだ。それを察したのであろう、

「コーにはその対応策とシナリオを描いてくれれば。あ―それと私たちの事業に賛同してくれている日本の小説家、音楽家、学識者らを通して、今回の視察をバックアップする体制を整えてほしい」と、右の眉を少し上げる。

マリアは、ナジュマの事業計画に必要な政府の諸機関への対応に追われ、それに専念させたいらしい。

パオラと奈央には、ジューリアの父ロレンツォ、日本の外交機関にいる私の出身大学の同期、そして親戚の医者らに連絡し、何でもいいから情報を掴むことを指示した。まずは私が電話でその辺の事情を事前に説明するので、その後のサポートは二人で話し合うこと、集まってきた情報は常にメールで知らせること、またアメリカ側の情報は恐らく、ナジュマとマリアが要領よく情報を掴むと思うのでその情報の報告も忘れないように、と二人にお願いする。今日の午後は、自分の時間に集中したい旨をナジュマと二人に告げ、自宅に向かう。

 玄関には、いつものようにタロウとハナコが尻尾をフリフリ迎えに来る。執事のジェロームが荷物をエレベーターに乗せながら、食事の後は書斎でしょうかと聞いてきた。

「そうだね、少し書斎でのんびりしたいから、コーヒーとチーズケーキ」と云うと、

「サナーさまのお帰りは三時頃になるそうです。他の皆さんは少し遅くなると連絡がありました」と教えてくれた。

静かなうちに小説の続きを書こうと思い、パソコンを開いたのであるが、どうも気が乗らず、パソコンの画面に現れた小さなクモを眺めながらその動きを観察する。まるで文字に追われる自分を見ているようで。ふと、文字を積み上げていった先に在るのは何か、もの事の真実を見極めるチカラ、の喜怒哀楽愛憎欲を味わうチカラ、そして未来へ繋がるチカラであろうか、永遠に答えが出ないかもしれないが、何かを求めて書き続けるのであろう、と漠然と自問自答する。


   ⑧

 少しずつ、視察の内容が分かってきた。

まず、地域は宮城県仙台市と福島県会津若松市であり、震災後どのような状況であるのか、海側と陸側の医療体制、中核病院と大学病院の役割、その周辺病院との連携、遠隔治療を含めたハード・ソフト面などが主な目的と云う。十日間程度の滞在期間であるため、東京での議員交流は行わず、仙台及び会津若松において夕食会を兼ねた交流会を予定しているそうだ。それに出席する日本側のメンバーはいま調整している段階とのことだが、与党の有力議員、関連する大臣及び主要官僚、民間からは医師会数名のほか有名企業のCEOらが出席するらしい。医療技術や医師の交流はもちろん、ワクチン・薬剤の開発、医療器具の支援・購入等、相当突っ込んだ具体的な話になることを外務省の友人が教えてくれた。

メールで送られてきた資料を見ながら、これはもしかしたら、将来想定する大きな政策か、あるいはこれから起きる重大問題への事前対応策としての布石であるのか、いずれにしても東京ではなく地方でコトを進めるこの視察に意義が隠されていると直感した。

急遽、マリアに直接連絡を取り“ナジュマ計画”を一端スローダウンすること、アメリカ政府が医療に関して何らかの計画を持っているのか、を要望した。すると、数分後にナジュマから連絡が入り、

「どうしたの、何か感じた。私も探りを入れたら、歯切れが悪くまともに応じてくれないの」

「この視察は慎重にかつ情報収集を図った方がいいと思う。ナジュマやロレンツォなどの民間人はもしかしたら、何かのカモフラージュかも」と云うと、

「コーも一緒に出席できるようにするから、それとマリアにも内々で情報の収集に専念させるよ」

 数日が経ち、マリアから電話があった。ナジュマと三人で会社近くの特別の部屋にて協議したい旨である。その言葉に重みが感じられ、マリアしか掴めない情報であると確信した。

 云われた特別の建物の一室に入る。もうすでにナジュマとマリアが真剣な眼をして話し合っており、挨拶は抜きにして早速、マリアが説明を始める。

アメリカ政府内では一部の情報専門メンバーとウイルス専門の衛生局員が動いているそうだ。東アジア圏で何か大きな問題が起きる可能性が高いと云う。アメリカだけでなく全世界に関連する問題で、今は極限られた人しかタッチしておらず、今回の視察団内でもケント団長以外は聞かされていないらしい。

だが、それだけでも予想は立てられる。これは弾道ミサイルよりも怖い“ウイルス パンデミック”であり、その可能性を政府はキャッチしたと考えられる。

私は十年ぐらい前、東アジア圏の某国で出土した古代文字の資料調査を行った際、近くにウイルス専門の研究所があり、時々変死する人が出るので近寄らないよう当国の研究者から教えてもらったことがある。恐らく、これが関与するのであろう、と漠然の中にも確信を持ったのであるが、恐怖のあまり体が一瞬フリーズした。

 「そのことに対して、我々は如何なる対応ができるのかだが、企業としては事前投資となろうが、問題はそのウイルス検体と分析情報をいかに早く掴み、それに対応するワクチンを造るかだと思う。それと容易に検査できるキットの開発にもつながるのだが、とりあえず、発生する国を知ることが第一だけど、ここは私の情報を信じて、その国に絞って対応を考えた方がいいと思う」、

ナジュマが「とりあえず、この三人が知っている某国の知人のリストアップをしよう。その知人と関連する人物の広がりに期待して情報体制を整えようか」と提案した。

 それから一ヶ月後、有力な情報が舞い込んできた。

その国のウイルス研究所に勤める研究員から直接得た情報なので確かである。それは、今までにない強い感染力を持ち、致死率も高い新型ウイルスが不安定ながらつくることができたと云うのである。それに対するワクチンも並行して作っており、もう少しで完成するそうだ。だが、これ以上の情報は厳しく、にわかに国からの圧力が強く掛り、この国独特の情報統制と監視体制下に入ったと云う。やはり、この国はミサイルとウイルスを軍事力の中心に置くことで“自国の繁栄”を目指していることが明確になったといえる。

 歴史上、社会においてあらゆる統制を強化することの先には“破滅”が待ち構えている。恐らく、もうすでに引き返すことができないところまで来ているのかもしれない。残る処方箋は市民の暴動か戦争しかない。悲惨な歴史は幾度となく繰り返されるが、今度の世界戦が人類滅亡の危機に直面するであろうことは推測に難くなく、愚かな人間社会を嘆くばかりである。

殊に、ウイルスの脅威はミサイルの比でなく、眼に見えない沈黙の“侵略と恐怖”を与える。それは死への恐怖のみならず、人々の生活に直結する経済構造にも大打撃を与え、云わば“内側”から徐々に崩壊させてゆく。最終兵器による断末魔を見る思いだ。

これらを使用した先にある支配には自国民の豊かな幸せなどあり得ない。だが、何もしないで諦める者よりそれに対して果敢に挑む者が多く居ることも忘れてはならない。いかなる国・時代にも“正義”を叫ぶ勇者はいる。

我々ができることは、単純にこの予想される事とそれに対する防御態勢の必要性を世界に知らせることである。

日本への視察を利して、世界に知らせる手段を準備するには時間的猶予はないが、そのXデイまでには我々がなすべき方向性だけでも作っておくべきであろう。

ナジュマ、マリアと共に今後想定される問題とその対処法をまとめる。まず、某国は散布したウイルスに関して、“偶然の発生”をし、想定内の被害を発生させることで自分たちに非がないことを世界中に知らしめる。他国にウイルスを持ち込むことは容易たやすいことであり、それは某国が計画している「海上シルクロード」計画を利用することもあり得る。他国が感染に振り回されている間に武力及び経済の優位性を強化するのであろう。

その対処法はすこぶる満足するものでないが、某国と親交のあるロシアにこの逼迫ひっぱくした情報を流すことでまずは出鼻を叩く。さらに西アジアの諸国と欧州にも、ナジュマの親族による働きかけを行ってもらう。つまり某国の孤立を意図するのであるが、これは根本的な解決に至らず、ましてや追い込まれたトラは何をするのか分からない状況を作ってしまう恐れがある。

その事を考慮しても、緊急に必要なウイルスの検体とその発症情報を得ること、そのワクチンの開発を某国のみでなく、世界機関による共同開発を模索すべきだが、各国単独による開発は容易に推測されよう。ちなみに発生元である某国により開発されたワクチンが信頼できないことは改めて述べるまでもない。

 今回のアメリカの姿勢は、日本にもこのワクチンの開発と医師及び看護人員を含めた医療体制の相互支援を図ってゆくのであろう。それは今後、日本だけでなく、東アジア各国の支援・協力をも念頭にしたものと思われる。

このような中で、アラジン会社の存在・役割を大きくすることで国の信頼を掴むことができると判断、その一つとしてアメリカ政府とアラジンによるワクチンと検査キッドの共同開発、資金援助も打ち出してゆく。また重要な施策として、日本が進めている「マイナンバーカード」類をつくり、その中に基礎疾患等の医療データ情報を入れることでワクチン接種を迅速に効率よく進める。そのための準備期間を早めに設けておくことも必要であろう。

これらは将来の「ナジュマ計画」の布石として、私とナジュマを前面に出したプロジェクトメンバーで対処することになり、今回の視察に関わる教育及び医療体制についてはパオラと奈央が中心となって対応し問題点の収集に努める。それぞれに役割分担で動くことになった。

 視察日の一週間前に、どうにかその対処法が作成でき、内部で事前の会議が午後招集された。私が作成した策を軸にナジュマとマリア及び他のスタッフがアレンジしており、また本番の日には特別に説明時間を政府から割いてもらうこともできた。国同士の会議において、一民間人の意見は異例であるが、私とナジュマの執拗なプッシュと国会議員のプッシュもあり、当局が受け入れてくれた。

ところで、この会議に奈央が出席していないので、会議の終了後にパオラに聞いてみた。すると、光が風邪をひいてその看病で急きょ帰宅したとのこと。早速、電話をかけると

「三十九度以上の熱が出て、今薬を飲んで寝ている。食欲があるから大丈夫だと思う」

「よかった、でも一週間後に日本に行くんだから、風をもらわないようにね」と云うと、

「こちらのマスクはあまり良くなくて、やはり日本製がいいね、でも除菌液もだけど、探すのが大変だね」、それを聞いて

「ん―そうか、後でまた電話するよ、奈央ありがとう」と慌てて電話を切る。すると、ナジュマが私に近寄り

「何かあった、それとも頭に何かひらめいた?」と、私が何か良いことが浮かんだ時に鼻の穴をピクピクする無意識の癖を見逃さなかったようだ。

「マスクと除菌液だよ、一般市民用と医療用の消耗品だよ」と早口で云う。ナジュマとマリアがほぼ同時に反応し、すぐさまスマホを取り出し、パオラも連れてそそくさと別室へ向かう。私は他のスタッフに日本のマスクと除菌液を作っている会社とその工場の経営状況、収益、株式状況、さらにそれらの原材料を供給している会社も同様に調査させる。皆、そのことを察知し、一斉にパソコン・スマホの音を軽快なジャズを奏でるように響き渡らせた。

私は再度、奈央に電話をかけ、そのことを話すと「私も役に立ったのかな。もし、私が風邪をひいたら、ごめんね、日本行きはなしだね」、私はただ黙ってうなずくだけである。

 ナジュマたちが程好くして戻ってきた。満面の笑みを浮かべ、

「コーのひらめきで、うまくいきそうだよ」と、いつもの口元を緩める。アメリカと日本の質の良いマスク・除菌液等の衛生アイテムを押さえ、またその生産体制から経済投資の方向性も今後徐々に詰めていくらしい。改めて迅速な行動とビジネス対応にはいつも驚かされる。

「一つお願いしたいことがあるんだけど、え―とね、マスクや除菌液の販売価格の一%から二%を医療と教育へ援助金として廻すことを商品に明記してほしい」と云うと、

「お―グッドアイデア。社会貢献とビジネスの絶妙のバランスだね」と、ナジュマが両手で私の頬を挟む。

 出発の当日、飛行機の中でケント団長と再度、話し合いを持つ。団長からは、この対処法にはアラジンから多額の出費は避けられないが耐えられるのか、と云われる。すると、ナジュマが「国の締め出しが無ければ、大丈夫ですよ」と即答する。それを横で聞いていた私は、ナジュマの強気に心の中で笑いをこらえる。続けて、ナジュマは「この対処法に関しては、私の夫コーが中心となって作成したので自信を持っています」と云う。唐突に私の名前が出たのに、ケントは何故か私の情報を掴んでいた様子で、

「コー教授の能力と実績については、十分に我々も把握している。今回の視察の目的が成功したならば、教授は家でのんびりと研究ができなくなるかもしれませんよ」と口元は笑っているが眼鏡の奥は鋭い目つきである。

 無事、定刻通り夕方近く日本に到着。奈央は爽やかな笑顔を見せ、マスクと除菌を徹底したことから光以外はかからなかったらしい。久しぶりの日本にお互い少し興奮しており、羽田からホテルへ向かう専用バスの中で、あそこの焼き鳥は上手いとか、あの店のマスターが選ぶ日本酒は最高とか、ひとり言のように話しかける。

今日は時差ボケの解消のため、それぞれ自由な時間となり、私はナジュマらと共にスポーツジムで汗を流し、その後、ジューリアと奈央をよく連れていった割烹店で夕食をとった。

 最初の視察地、福島県会津若松市に到着する。

ここは公立大学医療センター、厚生省の臨床研修指定病院を受けた民間総合病院、公的援助を受ける中央病院が中核病院として「地域医療支援病院」に指定され、医師・介護スタッフの確保から施設・技術・器具等の提供支援をトータル的に行う。また小規模の開業医等とも連携している。大学校との連携は技術の習得や育成において大きな役割を果たしているが、問題点はかなり多様にあることも事実であり、殊に予算・運営費の減少により単独市では賄えない状況であると云う。小規模の市の現状を知ることは今後役に立つであろうと痛感していたところ、会議後にパオラと奈央が市の担当者を捕まえ、時間ぎりぎりまで意見の交換を行っていた。二人の輝く眼を見ていたら、無性に喜びが沸き上がり、無意識にナジュマの手を握っていた。

「奈央とパオラは良いコンビだね、いい仕事をやってくれそうだ」とナジュマも私の眼を覗き込みながら右の眉を少し上げ喜んでいる。

 翌日は、幾つかの病院と医学校を視察する。やはり、全体的に医師及び看護師スタッフが少ないように思う。システム自体は悪くないが、医師・看護師になるには相応の経費が掛かるため希望してくる生徒が少なく、さらに財政の良い他の市へ移る医師が多いことも課題として挙げている。つまり、経費の補助と医師・看護師の派遣制度の導入がまず必要であろうと感じる。この派遣制度については、たとえば五年程度の地方派遣を義務的に位置づけ、多くの経験を積めるようにする。さらに大病院や中核病院との医術的連携を深めるためにも、遠隔治療をベースとするデジタル技術の発展を促進させることも必要であろう。

ナジュマもウイルスの問題を忘れたかのように、将来の病院と教育の姿を真摯に受け止めている。

パオラと奈央は視察後の夕食会には少し顔を見せただけでそそくさと部屋に戻り、夜遅くまで資料の整理に追われていたようだ。

 次の日、二番目の視察地仙台へ向かう。

バスの中で、ケント団長と二年前に出した小説の映画化について話をする。私も少し出演することを云うと、彼も出演したいと云うので、出演料は自己負担で高いですよ、と冗談ともつかないまじめな顔で返答する。周りのスタッフから一斉に笑い声が漏れた。

 仙台市の医療体制も会津に類似し、「地域医療支援病院」を中核に「地域完結型医療」を目指している。これは他の中小の病院や開業医の特性を活かし、互いに欠点を補うシステムであり、症状が安定すると「かかりつけ医」に移行する。日ごろの体調管理や通院・診察時間の負担軽減に役に立っていると云う。

「三・一一の大震災」が大きなインパクトとなって、根本的な医療体制の見直しが行われ、国からの補助金も有効に活用したとのこと。だがやはり、医療スタッフの育成と経費の補助は喫緊の課題であり、病院としての収益増にも限界があると云う。次の日は中核病院とかかりつけ医の視察を行い、課題は会津と同様に共通しており、これはまた日本だけの問題でないことも痛感する。

 その日の夕方、ホテルの会議場に集合。日本の医療体制の現状と問題点を報告し、将来の医療体制を含めて意見の交換を行った。パオラと奈央も外国、殊にアフリカの現状を説明、欧米・日本の援助を軸とする国際機関の将来的な援助方法を提案した。

二人の徹底した情報の収集、それをうまく分かりやすく整理しており、素晴らしい説明である。出席者一同からは称賛の声が沸き上がり、世界の国や医療機関等への働きかけ、具体的な行動指針の協働推進を採択した。

 休憩後、ケント団長を含めた数人の団員とナジュマと私、そして日本の大臣と二名の官僚で別室に移動した。

そこで、あの某国によるウイルス問題の話がケントより提言され、一気に緊張感に包まれた。アメリカ政府の団員がリアルに散布された場合の被害状況のシミュレーションを示す。感染者は世界で三千万人以上、死者はその三~四割に達する数字が出され、散布される日はXデイだがそれほど遠くない時期であることを告げる。その対処法についてアメリカ政府の方向性を概説し、日本もアメリカの対応に追随してほしいこと、医療スタッフと施設の確保に相互の支援を依頼、在日アメリカ人の対応も駐在軍と連絡を密にすることなど、一方的に日本へ提言してきた。

日本側は寝耳に水の話でまだこの問題を受け入れる余裕がなく、現実的な対応に意見を持ち合わせていないようだ。これは国家的緊急問題であるため、持ち帰り、直ちに首相へ報告することになった。

続けて、ナジュマと私が説明に入り、アラジンとしての役割や支援を行う具体的な行動を示す。また東アジア国とロシアへの説明は日本国側から説得することを提案、欧州と西アジアはアメリカ合衆国が説明、その協力としてサウジの王族が積極的にサポートする。殊に資金の援助には政府とアラジンだけでは不十分であるため、アメリカと日本の民間団体からの支援も可能になるよう、幾つかの施策も示した。いずれにしても、数カ月でこの体制の道筋を築かなければ、恐怖のワクチンが世界中に撒かれ、多くの死者が発生することを認識せねばならない。

 密室での会議が終了し、やがて日本の医師会役員や有力民間企業を含めた盛大な夕食会が開かれた。ナジュマ以下アラジンの役員たちも加わり、将来の医療と教育の支援に確かな手ごたえを得たようだ。


   ⑨

 日本の視察から帰ってきて、漸く自分の研究とサナーとの遊びができると喜んでいたのも束の間、ナジュマ経由で政府の大統領補佐官オースチンから面会の打診があった。

ナジュマは、私に政治の中枢とはあまり関わりを持ってほしくないらしいが、私は「ナジュマ計画」が少しでも早く実行されるためのチャンスであるならば、役に立ちたい気持ちであることを話す。ナジュマは「あまり気を使わなくても、―あなたは自分のペースに徹することで十分貢献していると思うよ」と云う。

マリア、パオラも同じようなことを云ってくれ、そして奈央も「あなたが政治に関わるのは似合わないね―」と。

子供たちの顔を見ながら、とりあえず会うだけ会おうと思った。

 約束した面会の日、ナジュマに連れられ、ホワイトハウスへ入る。

幾重のチェックを受け、補佐官室に入ると、眼付きの鋭い一人の男も同席している。事前にマリアから、恐らく情報機関の者が一人いるかもしれないことを教えてくれたのでその順応はできていた。

はじめは、私が数か月前に出版した翻訳本の話から始まる。

つぎに「ナジュマ計画」への協力を約束してくれたが、唯、アラジンが極端に前面へ出ないよう釘を刺される。

そうして三十分程の時間が経ち、予定通り本命のウイルス問題の話に入る。オースチンは「おそらくアメリカとイタリアに持ち込まれ、両国を拠点に世界中へ広がっていくであろう。東アジアは某国の観光者を利用すると予想される」と唐突に切り出した。続けて、

「世界の国々がこの恐怖を事前に共有すること、それに対する防御態勢は各国単位とグローバルな対処法が求められること、と判断するが、コー教授はどう思いますか」と聞いてきた。

「まずは徹底した抑え込むことが必要だけど、それには限界があるので段階を追って市民生活、経済活動をコントロールしなければいけなくなるでしょう。恐らく、経済の低迷から起きる市民の暴動、国への不満が爆発する可能性が高く、また発生源の某国がこの隙をついて如何なる行動をとるのか未知だけど、彼らの思想は“核心的利己主義”が根本理念だから怖い。恐らく各国が苦しんでいる間に経済力と軍事力を強化しアメリカを叩き、世界に君臨する野望を抱いているだろうけどね。でもね、今の国の姿勢を進めていけば歴史的にみてあの国は崩壊の道を歩むのは確かだけれど、その道連れというか、他国に莫大な損出を与えるだろうね」と、もう一人の男の眼を見て云う。その男はオースチンと眼を合わせ、

「補佐官に助言するポストについてくれませんか」と唐突に申し出る。オースチンも「これは大統領の希望でもあるのですが、コー教授は日本、インド、オーストラリアとも友好な関係を持っているようなのでそのパイプ役もお願いしたいのですが」と云う。

ナジュマが顔をやや赤らめ、「夫には社会貢献と研究に没頭してもらいたい気持ちがあります。政治に利用されることに抵抗がありますので情報の分析と助言のみにしてもらいたいです」と少し上ずった声で早口に云う。

そこへ、突然ノックがあり、見覚えのある顔の男が入ってきた。私以外の全員が突然立ち上がり挨拶をする。その行動を見て、大統領であることを知る。すると、私の手を取り、国民の命を守るため、私に力をください、と力強く手を握り直す。

「ポストの件は引き受けられませんが、私への連絡はいつでもOKです」、トップの優しい眼に落ち着いたのか、記念にサインをお願いした。一気にその場が和らぎ、ナジュマのあの癖の笑みを気にしながら、大統領との会話を楽しんだ。

 帰りの車に乗り込むと同時に、彼女が開口一番、「これで大丈夫だったのかな―」とボソッと聞いてきた。

「なるようになるだろうね、だけど、家族との時間は優先するつもりだから。でも、このウイルス問題は恐ろしい舞台への前哨戦かも知れないよ。発生が確認したら、ケベックのロレンシャンにある別荘に家族を移動させることも考えないとね。最低二ヶ月分の食料を確保しておかなければならないかな」と云った後、

沈黙が二人に重く伸し掛かり、それに押し潰されないよう互いに強く手を握り合った。


   ⑩

 それから半年後、不安視していた「ウイルスパンデミック」が漆黒の闇の中から獣のうめき声が漏れるように某国の一つの町から発生した。

やはり、十分な情報は得られない。また初期対応が不十分であったせいか、町にはすでに広がっているらしい。その国は責任を持って自国ですべて封じ込めることを発表したのだが、このウイルスに関する性質、発生源、その変異状況等が示されていないため、全くデータがなくその対応に不安が忍び寄る。

だが、東アジアの諸国は日本を軸とした情報の共有と外来者のシャットアウトのノウハウ、更にマスク・消毒液等の衛生対応がそれぞれ準備されていたことから、初期の対応が良く拡散を最小限度に抑えることができた。

それから二ヶ月が過ぎると、この問題にそれほど本腰でなかった欧州でもイタリアを起点に一気にロシア・北欧・イギリス・スペインまで拡散していった。アメリカは盲点を突かれ、アジアからの船便やアジア系の研究者を介して秘かに運ばれてしまった。また欧米ともにマスクなどの衛生的意識が薄いうえ、遠いアジアの一角で起きている意識が働き、対岸の火事として安易に考えていたのではなかろうか。さらにハグと拍手する習慣が爆発的に拡散する要因の一つと云えなくもない。唯、それ以上に発生源の某国では百万人近くの感染者を出し、その死者も十万人近くに達していると云う。この情報は不確定要素を含んでおり、この数字以上の可能性も高く、某国政府として想定以上の数に困惑している情報も入ってきている。

 私の家族はナジュマが発生の情報を事前に掴んだこともあり、愛犬タロウとハナコを連れてケベックの別荘へ移動していた。私はすでにテレワークに慣れ、執事のジェロームも一緒に来てくれたことに感謝しているが、ナジュマ、奈央、パオラ、マリアが残って仕事を優先していることに不安を抱いている。殊に奈央はアジア系なので、暴力的な差別を受けないよう外出は極力控えるように指示した。ナジュマもその点を気にし、デスクワーク主体の業務に専念させてくれ、喫緊の課題が一段落したら、別荘に行くことにしてくれた。

奈央の子供たちは私が強引に連れてきたので、少し辛い思いをさせたようだが、自然豊かなこの地で他の子供たちとキャンプ感覚で楽しんでいる。

 ところが、アメリカと日本は密かにこのウイルスのデータを入手していたらしく、その分析と検査キッドの開発、そしてワクチンの開発は相当以前から共同で行っていたと云う。アラジンを含めた民間企業にはマスクなどの衛生品の確保とその運搬、資金援助を依頼、殊にアラジンにはより優れた安価な検査キッドの開発にも共同参画させ、相当の資金援助を要望してきた。だが、そこはナジュマだ、社会貢献とビジネスを峻別し、相応の出費と利益は想定済だそうだ。

 こうした両国の防御態勢が功を奏し、東アジア、サウジを中心にした西アジア、オーストラリア、そしてアメリカはシミュレーションで示した数値の十~百分の一に収まり、初期の段階は大きな成果であったと云えよう。だが、マスクや除菌体制が徹底されていなかった国は第二波の感染が想定以上に増加拡散したため、ロックアウトなどの経済封鎖を強行することになった。殊にアメリカはマスクへの違和感やハグ等の生活習慣が根付いている社会であるため、初期段階が一段落した後から急激な増加を招くことになり、膨大な経済的損出を発生させた。そのため、社会的不安からくるストレスに誘発され、各地域で暴動・略奪が起こりはじめ、国内の治安が徐々に崩れてゆく。またインドは発生源の某国に隣接し、領土問題で長らく紛争していたことも起因したのであろうか、通常では理解し難い幾つかのクラスターが同時発生、百万単位の感染数値となってしまった。欧州・ロシアもシミュレーション通りの数値となり、さらに数回の波状拡散が起こったことで多くの死者が発生、アメリカと同様に経済機能が麻痺し、庶民の生活に暗い影を落とす。明暗が浮き彫りになった東アジアと欧米は、今後のためにも根本的な生活習慣の見直しが必要であることは云うまでもなく、その意識がなければワクチン製造のイタチごっこの状態が続き、変異するワクチンに対抗できなくなる。

残念なのがアフリカ、南アメリカ諸国である。劣悪な衛生環境と貧困層が多く、これはウイルス問題以前の問題であり、まずは国ごとの医療施設とスタッフの充実・育成及び基礎的教育の充実を築くことであろうと思う。これには多額の経費と時間がかかることは否めない。

 人類とウイルスとの戦いは今までにない“沈黙の恐怖”をもたらし、人類同士が争いを起こしている隙を狙い、着実にウイルスによる恐怖支配が近づいている。

ウイルス拡散を手段に世界支配とアメリカ没落を目論む某国はある一定の成果は得たであろうが、予想以上の自国の被害に対し当初の計画に支障をきたしたことは想像される。このことは結果的に大きな国ほど人の移動を完全に封じ込めることは不可能であり、大きな代償が伴うことを認識させたようだ。

また、この発生国に関しては事前に各国に知らされていたので、この国が開発したワクチンとマスク等の衛生品の交易外交は友好国以外、一斉に拒否されたのである。自国の経済的損失、国への信頼低下、経済を含めた外交の失敗を招き、大きな岐路に立たされていることは想像に難くない。

今回、アメリカと日本を中心とした国際機関によるその対処法やワクチン等の支援供給が民間企業も含めて大規模に実施された。殊に医師および医療スタッフの組織的活躍はノーベル賞ものである。イタリアのジューリアの父ロレンツォが世界の医学会を動かし、連携網を築いてくれたことに改めて頭が下がる。

唯、今回の問題は事前の準備ができ上手く対応できたが、このウイルスは簡単に変異する性質をもっており、完全に克服したわけではない。実際、半年以上経ってもその拡散は衰えず、終止符の処方箋も描けない。

当然、今後の変異状況による対策も滞りなく推進せねばならず、また医療スタッフの増員は各国とも優先に対処すべ喫緊の課題でもある。さらに問題は、この発生源の国が焦って企てる次の行動には計り知れない恐怖と破壊が待ち構えており、それに関連する今後の外交はより一層の慎重な判断が求められよう。

しかしながら、このウイルス問題がすべて負の影響をもたらしたとは云い切れない。これを境に元の日常生活へ戻ることはできないことを知った我々は、これから新たに造っていかなければならない社会の“枠組み”には苦悩するけれども、政治改革、経済改革、日常生活の改革などを通して、自分及び家族の時間をどの様に確保し“楽しく面白く”することができるチャンスを与えられたように思う。今まで慣れ親しんでいた生活・仕事の “仕組みとやり方”の変革がこの問題を境に一気に造られてゆく。十年後の社会ですら想像することもできない中、息を殺し静かに次の支配を狙っている恐ろしいウイルスに対抗するための“自己防衛”を築くべきチャンスも与えられたのである。


   ⑪

 そうして三年の月日が一気にカレンダーをめくるように過ぎ去っていった。

その間に子供たちが見違えるほどに成長を遂げ、殊に奈央たちが来て、もう五年が経ち、こちらの空気に慣れたというよりは性に合い活き活きと生きている。

 彩は大学四年になり、長年の夢である国際弁護士に向けて勉強に励んでいる。最近は奈央そっくりになってきて、仕草や話し方をみているとまるで大学時の奈央を髣髴とさせる。

光は高校を卒業し、進学を先生方から勧められたが好きな作曲を活かしてバンド活動をするらしい。彼の曲には何か引き付けるものを感じ、また綺麗な詞も作るので、今度一緒に曲を作ることにした。

ラウラはやはり血筋であろう、医者を目指すことに決めたようだ。まだ高校生だが祖父であるロレンツォの後を継いで病に苦しむ人を少しでも助けたいと話してくれ、将来医者になったら「ナジュマ計画」に協力することも指切りの約束をしてくれた。

ハーリドはラウラと同じくハイ・スクール生ながら、アメリカとサウジアラビアとの友好関係に貢献したく、大使を目指したいと云う。これにはナジュマも驚いた様子で、サウジの両親に話したところ、将来こちらに住むよう説得してほしい旨を云われたそうだ。

これは本人次第であるが、ハーリドには多くの人に愛され良い影響を与える人物になってほしい。彼は居るだけで存在感を醸し出す雰囲気を持っており、そのような人物は数少なく、これも一種の才能であろうと思う。兄弟の中で、ナジュマの性格に一番近いかもしれない。

次男の翔はミドル・スクール生で多感期でもあり、自分のペースでやりたいことを自由にやっている様子だけど、兄やラウラを見て自分自身のできる事は何かを少しずつ意識し出している。日本から来た光の存在もかなり刺激になったようで、服のデザイナーや画家など多様なアーティストの作品・演出を貪っている。それにしても彼のファッション感覚は独特である。

最後にサナーである。最近、ナジュマの活躍を見てビジネスに興味をもちだしたのであろう、株や投資に関する教育ネットに見入っている。ナジュマもすこぶる興味をもち、行く行くは彼女の後継者として育てたいと云う。

 子供たちの成長をみていて、やはり地味な研究者は好かれないのか、それに私の存在は“偏屈な便利屋さん”的に映っているのかな―と少し自暴自棄になる。

そう云えば、以前、ナジュマは私が研究している姿を見ているハーリドの眼をみて、

「あなたは、私、マリア、パオラ、奈央、ジューリア、そして子どもたちに勇気と自己能力を発見させたと思うよ。あなたのたゆまぬ努力と研究心はみんなの生き方の手本かも知れないね、唯、女性の色気には弱いけどね」と云ったことを思い出し、その返答に

「その欠点も病気という私の“能力”と思ってくれれば、助かるんだけどね」と彼女の仕草を真似て、勝手なことを云った記憶がよみがえる。

奈央も子供たちが将来の自分を夢見て、チャレンジする勇気ある行動には驚いているらしく、それに悩む必要のない経済的援助の恩恵には心底感謝していると云う。また奈央自身もアメリカに思い切って来て、新しい仕事に挑戦したことも自分を見つめることができたこと、私の傍に居ることを許してくれたナジュムにはできるだけ役に立ちたいと思ったそうだ。

 ところで、奈央がまだ日本に居た頃はよく講演・研究にかこつけて飛行機に飛び乗ったものだ。当時、ジューリアも時々付いて来て日本の古文学やお祭りを楽しみ、奈央とは私が羨むほど実に仲が良く、二人で時々私を置いてドライブをエンジョイしていた。

その度に行き先を聞くと、名も知れない田舎の食堂や蕎麦屋に行き、日本の原風景と共に生活感と各地域の味を堪能していたらしい。それと私の“悪口”で盛り上がっていたことも話してくれた。

この前、奈央の家へ遊びに行った時にこのことが話題になり、あの頃は忘れられなくなった私の存在を共感するため、将来に立ち向かう勇気を互いに確認するため、ジューリアとの時間を大切にしていたことを新たに打ち明けてくれた。そして、ジューリアも私の子どもを持ちたいことを奈央に思い切って相談してくれた時、お互い涙を流しながら不安な心を分かち合ったことも話してくれた。

このような二人の苦しみも知らず、私は欲望の赴くままに、それぞれに会う・・・

自戒するように後悔していると、奈央は私と会っているのは日常の生活から失いかける自分自身を取り戻すためでもあるから、ジューリアもそうだったと思うけど、ホッとする安らぎに包んでくれるコーに感謝していたことも話してくれた。

 時々、サナーを連れて奈央に会いに行く私を、ナジュマはどう思っているのであろうか、この事は怖くて聞けないが、奈央もパオラも同じように「大丈夫、ナジュマはコーの“病気”がある限り、仕事、研究、家庭が上手く回っていくことを知っているから。唯、ナジュマの知らない女性には節操をもって慎むように」と云う。

思えば、以前、フロリダで知り合った有名女優と会い、これがマリアの情報網にキャッチされ、ナジュマには知らせない代わりに叱責されたことがある。マリアには借りを作ったがナジュマ直々の“お仕置き”よりは数段良い。

だが、ナジュマから突然、解除できないGPS機能付きの携帯を持たされたときは背筋が凍った。それから一ヶ月は、ナジュマ以外の女性とは接触できず、彼女は逆に嬉しかった様子でやけに親切であった。その後何度か、携帯を池や川に落としたとか云って誤魔化したが、ナジュマの掌で泳がされていることにあきらめるしかなかった。


   ⑫

 もう少しで五十歳を迎える頃になると、何故か徐々に自分の書斎に居座る時間が多くなり、家族との時間が減ってきた。外部との接触を避けるように、一種の引きこもりの状態を好むようになる。パソコンで文字を打つことやピアノで音楽を楽しむことは相変わらず楽しんでいるが、家族からみれば今までとは違う雰囲気を漂わせているらしい。

ある日、ナジュマとサナーが私の書斎へ入って来る、

「今度、あなたの記念すべき五十歳の誕生日に2週間程度のハワイと日本旅行はどうかな」とナジュマが云う。サナーも「皆はすでに夏休みのスケジュールに組んでくれて、あとはパパ次第だけど」と大福を差し出しながら云う。さらにナジュマが「奈央家族にも話したら全員OKだって、どうする?」と、外堀を埋めるように一気に攻めてきた。

これだけ私のことを気にしてくれていることに感謝するしかないのに、長く付き合ってきた自身の病気がこの先どの様な“変異”を起こすのか、それともこのままでいるのか、その不安定な気持ちが少しずつ私を支配してゆく。また将来の子供たちのことを考えたら、どうしたらいいのかわからなくなる。

「今の状態は分かっているのだけど、別にどうなることでもないんだけど。ほとんどのスケジュールはキャンセルしているから任せる」と云うのが精いっぱい。すると、ナジュマが私を抱き締め、サナーは右腕に顔を付けた。

「ケベックの別荘で、一人生活してみようと思っているけど、いいかな」と唐突に聞く。二人ともびっくりしたのか、私の顔を見つめ、ナジュマが

「心配だから、だめ」の一点張りである。

サナーは「ジェロームとタロウ、ハナコを連れて行くのならば。ママどう?」と、ナジュマに顔を向ける。少しの沈黙が流れ、

「一日に一回、あなたの顔を見たいから、連絡してくれるのなら」、少し眼を潤ませながら頬を摺り寄せてきた。

「旅行は旅行で行こうよ、ケベックはその後にするから」と云うと、二人とも笑顔になって、約三ヶ月後の準備へ早速取り掛かることになった。 

 他の子供たちも心配して、やたらと音楽や料理、そして去年出版したフィクションの歴史小説を聞いて来る。

ところでこの小説は前回の小説の続編であり、アメリカはもちろんヨーロッパやアジア圏でも広く読まれているらしく、その映画化の打診を先月有名な映画監督からあった。この話を家族にすると、光と翔が出演したいことを云って来たので、それならばパオラも一緒に出演できるよう監督に聞いてみることを約束した。パオラはびっくりした様子であったが満更でもないようだ。

ある日、奈央も子供たちを連れて遊びに来るなり、私の書斎に入ってきた。

「ナジュマから聞いたけど、今度は相当悩んでいるみたいね。日本に帰ったら、お母さんの墓参りでもしようか。それと高校の同級生も何人か集めて会うことにしようよ」と、いきなり私の頭に手を乗せ、眼を覗きこむように云う。

「そう云えば、何年も墓参りしていないな―サウジやイタリアにはよく行ってるけど。今度家族全員で一緒に行こうか」と云いながら、奈央の手を握ると何故か落ち着く。

「今日は、お母さんに習った肉じゃがとみそ汁、コーが大好きな魚の南蛮漬けを作るね。彩にもお母さんの料理を教えていたから一緒に作るよ」

 この夜、我が家のキッチンは、ナジュマ、パオラ、ラウラ、サナーも加わり、まるで日本の大奥を見るようで男たちは何も手が出せない。殊に、ナジュマは苦手な料理に悪戦苦闘、それを皆が笑いながら手助けをする。私は眼を細めそれを眺めているだけである。この光景以上の幸せがあるのだろうか、それを見つめここに居る私はみんなに支えられてきたことを改めて納得する。今の不安の一つは、ナジュマが作ったスープは飲めるだろうか、である。

とりあえず、皆の希望に沿った色々な料理がテーブルに並べられ、久しぶりに全員集まった夕食会は、ナジュマの号令のもと大合唱で始まる。皆、フォークとスプーンを持ってそれぞれ好きなものを皿にのせているが、この南蛮漬けに手を出しているのは私以外、奈央家族とラウラだけである。ラウラがこれを食べるなりっすら涙を浮かべている。脇に居た彩が聞くと、

「お母さんが良く作ってくれた料理で、懐かしい味だから」と。奈央が「だいぶ前に、ジューリアが日本に来た時、コーのお母さんと一緒に作り、そのレシピを聞いていたね」、奈央も美味しそうに食べながら云う。

料理には人を楽しくも辛くもする力を持っている。

すると、サナーがナジュマの作ったスープに勇気を持って手を出す。これが我が家の味かな、と意外にも美味しかった仕草をする。それを見た、ハーリドと翔も透かさずスープカップによそり、一口飲む。二人とも親指を立て、ナジュマに送ると

「初めて褒めてくれた」と奈央と喜んでいる。

暫く皆の声がロック調に流れ、それぞれの会話を楽しんでいる。やがてテーブルの料理も少なくなり一段落する。突然、サナーの得意技、日本アニメ「ドラゴンボール」の悟空がやる「カメハメハ」を披露する。すると堰を切ったように皆の披露が始まる。

私、光、サナーとのジョイントライブ、奈央の手品、ナジュマの大統領の物まね、そしてジェロームまでも参加してチャップリン風コントも披露、皆が腹を抱えて笑っている。

 そこへ、いきなり電話がバイブする。スウェーデンのノーベル財団からであり、うなずきながら傍にいるナジュマの腕を引っ張る。ほろ酔い気分が拍車を掛け、ナジュマに

「ノーベル文学賞を取ったみたい」と耳元で囁く。

ビックリしたナジュマは、大声を出しながら私に抱きついてきた。皆も驚き、翔が「何が起こったの?」と聞いてきたので、ナジュマは

「皆、大変なことが起きたよ、パパがノーベル文学賞取ったよ、さ―乾杯しよう!」、皆が私のところへ集まりハグする。

奈央が「落ち込んでる暇がないよ、でもまずはお母さんに報告だね」と、ナジュマにウインクして云う。

もう子供たちは、スウェーデンに行くことを楽しみにしており、ハーリドは早速その日程を検索、十二月十日と発表する。

 翌日、ニュースでこの受賞が流れると、一斉に家族の電話が鳴りだした。ナジュマは世界中の政治経済界から、私はハーバード大、コロンビア大、ケンブリッジ大など関係大学から、また音楽界、翻訳出版界からもお祝いの電話が入り、その対応は二~三日続いた。マスコミも連日、門に居座っている。家族や周辺の家に迷惑をかけているので、一回限りを条件に取材に応じたが、火に油を注いだようだ。テレビ出演、作家や映画監督とのトークショーなどに出る羽目になり、徐々に自分を見失い、自室に閉じこもる時間が増えてきた。ナジュマは私の影響を受けたのか、神経質になり、やたらと家族にあたる。その度に、翔、サナーと喧嘩をする。

 奈央が休日に我が家へやって来て、ナジュマと居間で話している。その後、二人で私の書斎へ来て、

「ハーリドから昨日の夜、電話があってね、ナジュマもおかしくなりかかっているから、ヘルプがあったよ」と奈央が云う。続けて、

「コーの病気は定期的なものだから、その度に一喜一憂すると自分もおかしくなるからね、適当にったらかしにすることもコーのためになるし、うまく収まるもんだよ」と、ナジュマの手を取って私に笑顔を見せる。

ナジュマも奈央に相談してスッキリしたのであろう、眼に涙を浮かべながら、私と奈央の手を取り両方の手で涙を拭う。

ナジュマも最近、涙もろくなってきたことを感じる。

 マスコミの騒動も、いろいろと圧をかけたら徐々に収まり、それに連れて私の“苛立ち”も薄らぎ、ナジュマも元の彼女に戻ったことから家族の空気も良くなった。


   ⑬

久しぶりに日本へ帰る日がやってきた。残念ながら、マリアとパオラはあのナジュマ計画に急展開のことが起こったので一緒に行けなくなったが、それが解決しだい合流することになった。

サナーだけが初めての日本なので、少し興奮して眠れなかったようだ。

ナジュマのジェット機に乗る。まずはハワイ・ホノルルへ向かう。ここで二日ほど泳いだり買い物したり、ゆったりとした時間を過ごす予定であったが、到着するなり州知事や議員、ハワイ大学長などの迎えを受ける。前日、ナジュマに州知事から連絡があり、奈央にはその詳細を詰めさせたと云う。当然、私と子供たちはつまらなそうにすることは分かっているので、ツアーガイドとボディーガードを付けて観光をお願いしたそうだ。

ナジュマ、奈央、そして残念ながら私は半日、幾つかのセレモニーに出席、欠伸あくびを噛み殺しながら眼を見開く、非常に辛い。どうにか夕方に子どもたちと合流し、漸くくつろげる時間ができた。子供たちはとくにハワイ島の火山に興奮したそうだ。私もヘリからの観光に行きたかった。

 翌日、何故か私だけが皆と別れ、午前中、テレビの出演が組まれていることをナジュマから前日の夜に聞いた。不貞腐ふてくされた素振りをみせると、ナジュマが「あなたの大好きなミスハワイがエスコートしてくれるって―」と声色を変えて教えてくれ、何故か少し落ち着いた。実に弱い所を突く。

テレビ司会者の日系女性は奈央に似て優しく、小説の話だけでなく、最近出した光とのジョイント曲にも話題が及んだ。気分が良く、テレビ局長主催の昼食会にミスハワイも強引に連れて行った。

 午後、皆と合流するなり、サナーが

「司会者とミスハワイ、パパが好きそうなタイプでしょう」といきなり聞く。

一瞬、ナジュマの口元を見る、あまり良くない仕草である。

「昼食は隣に綺麗な女性が座っていて、さぞかし美味しかったでしょうね」と語気を強めて云う。

この昼食会はオンエアされていないはずだが、ハワイまで張り巡らされているナジュマの情報網に下を向くしかない。その光景を見た、奈央と彩は楽しそうに笑っている。

今日は云われるままに、ナジュマのご要望を満たすしかない。高くついてしまったもんだ。

その夜、ナジュマから思わぬプレゼントがあった。奈央と私へ同じデザインの指輪である。

「二人には非常に助けてもらっている。二人と知り合った記念と二人の出会いにもね」と。

驚いて、奈央と眼を合わせ、二人ともどうしていいのかわからず、互いの指輪を見るだけ。指輪には“愛は永遠に”と刻まれており、私たちはその指輪を右手の薬指にはめることにした。奈央が突然、涙を流しながら、ナジュマに抱きつく。私は唯、二人を見つめるだけである。

 翌日の昼頃、飛行機に乗り日本へ向かう。

彩が奈央の指輪に気付き、ナジュマから二人へのプレゼントであることを知る。

「ママ、信じて生きて来てよかったね、パパはやっぱりコウノトリだよ」、指輪を触りながら私に指輪のサインを送る。

日本に着くと、ハワイと同じようにセレモニーが待ち構えていた。ナジュマと奈央が対応していると、後ろからマリアとパオラが現れ、すべての対応を卒なくこなす。さすが二人である。子供たちも慣れてきたのであろう、日本語で「初めまして」を連発している。殊に、ハーリドはナジュマに付き、流暢な日本語で握手を交わしており、堂々とした風格を醸し出す。

その後、私とナジュマは子供たちを絶対に映さないことを条件にマスコミのインタビューを受ける。やはり、アラジンのナジュマとノーベル賞はインパクトが強いな―と思いながら、目の前に並ぶ異様なカメラレンズに吸い込まれる。

ナジュマは日本語を少し勉強していたこともあり、素っ気なく答える私よりも多くの質問を受けている。綺麗なナジュマは日本人に好かれるタイプらしく、そこへパオラも加わり、フラッシュが一斉に光りだす。私は全く蚊帳かやそと、少しずつ後退あとずさりをしてこの場から逃げようとしたのだが、待ち構えていた綺麗な女性記者に吸い込まれるように単独インタビューを受ける。これも後から、ナジュマから小言を云われた。う―ん、よく見てる。

 早速、皆でバスに乗り小高い丘まで行く。

そこから墓まで坂道をかなり歩き、その途中にある小川や滝の音、風に運ばれる小鳥のさえずりが体に染み込んでゆく。大人たちは自然に恵まれた墓参りに日本独特の感性を感じていたようだが、子供たちは歩く距離に不平を漏らしている。

お墓の前では、皆が線香をあげ手を合わせ拝んでくれた。静かな空気に包まれ、微かに聞こえる木の葉の擦れる音が心地よい。

一段落して、ディズニーのホテルへ直行する。

子供たちは夕食までホテル内にあるディズニー関連グッズをあさっていた。

ナジュマ、マリア、パオラ、そして奈央たちは別室で「ナジュマ計画」を夜遅くまで話し合っている。出発前にマリアとパオラが急遽対応した問題であろう、答えが出なければ改めて私に持ってくるだろうと思い、一人酒を飲んで寝ることにした。

翌日は相変わらず早く眼が覚め、何かを遣らないと落ち着かない。今日はネットを使って日本の古文書を久しぶりに開いている。幕末の医師たちの活躍を示した史料であり、この歴史も思いのほか面白い。

子供たちは朝食を済ませると勢いよく、ディズニーへ駆け出して行く。日本は実に安全な国であることを実感、ナジュマも安心しているが、マリアは私服のボディーガードを数名付けたようだ、流石さすがだ。

 翌日の夕方には日本を廻る大型クルーズ船に乗り込む。

本社の会社社長や船長に迎えられ、専属のスタッフを数名付けてくれることになりセキュリティーも万全である。しかも二部屋のスウィートルームの他、マリア、パオラにも特別な個室を用意してくれた。

この船と旅コースは、大学院を卒業する頃にジューリアと廻った同じクルーズであることをラウラに話す。それを聞いたラウラは

「小さい時に楽しい思い出として聞いたことがあるよ。この時の写真がこれだよ」と云って、パスポートに挟んだ二人の写真を見せてくれた。二人とも笑顔でお互いの頬を付けたあの時の写真である、唯々ただただ懐かしい。

 二週間ほどの船旅で、高知、長崎、福岡、出雲、金沢、青森、函館など各地のお祭り、郷土料理、観光地を巡った。子供たちはもちろん、マリアとパオラも日ごろの仕事を忘れ、日本の“風物詩”を味わっている。私、奈央、ナジュマも久しぶりの日本を楽しんだが、食べてばかりで運動不足に陥る。大人は全員、朝と夕方にウォーキングとジョギング、さらにスポーツジムでびっしりと汗をかき、プールでも泳ぐ。子供たちも途中から参加し、プールは貸し切り状態となる。女性連の水着姿が話題になり、日増しに観客が増え、私もナジュマ、奈央、マリア、パオラの綺麗な姿を見比べながら観客化した。

そうして、楽しくリフレッシュした日本の旅は終わりに近づき横浜港に入る。

すると、クルーズ会社の特別室に案内される。

そこには日本の副首相と主要大臣、医学会会長、経済界の代表的なCEOらが待ち構えており、副首相のあいさつに続き、ナジュマ、私が挨拶をすることに。

以前、視察に来た時のメンバーが多く、現在の進捗状況も兼ねて雑談を交わし、今後、アメリカ政府及び民間企業との連携についてウイルス問題はもちろん、教育・医学の分野でも一層の充実が望まれる旨を、ナジュマと共に伝える。それと、私の本の購入を進めると皆が笑顔になった。

子供たちも少し緊張しており、二人の毅然とした対応に眼を見開いていた。

 その日のホテルは箱根の温泉旅館である。日本の古風な建物と裸で入る白い湯船の温泉に興味津々、奈央家族と私は慣れているため、何も違和感なく風呂に入る。それを見た子供たちは最初、恥ずかしそうに入っていたが、翔のふざけた行動からたがが外れたように一気にはしゃぎお湯を掛け合う。

「共同風呂は日本式のマナーが大切、ゆっくり温泉を味わうこと」と、珍しく大声で叱りつける。皆、びっくりした顔を私に向け、日本式のマナーに従う。

 自然の静寂のなか、川のせせらぎを聞きながら夕食を取ることに、ナジュマとマリアは心の安らぎを感じたらしく、

「奈央、日本に住みたくなったよ」とナジュマが云う。マリアも至極納得したのであろう、

「奈央、日本で別荘を買うならどこがいい」と聞く。

「私だったら、京都の嵐山を考えるね、少し寒いけど四季の変化が楽しめるし、静かな神社仏閣の中に住むのも悠久の時を味わえるよ」、私の方を見ながら奈央は云う。

学生時代によく二人で行った嵐山、京都に居る最後の日に桂川を望むことができる老舗旅館に泊まった思い出、奈央のサインに反応する。

ナジュマがいきなり

「マリア、GO!」と、箸で指しながら決めてしまった。

嵐山の別荘がやがて、私が移り住む宅になることなど誰も予想しなかったであろう、私自身も。

 日本を離れる日の夕方、奈央が声を掛けた高校の友人数十名と一献いっこんを傾けた。実に美味しい酒である。


   ⑭

 日本から帰って一週間が経った。私は早速、ケベックの別荘に住むための準備を始める。子供たちはそれぞれ自分らしい物を一つずつ持ってきて私に渡す。サナーは一緒に寝ているぬいぐるみの一つ、大きなグフィーを持ってきて「寂しい時はこれを抱いてね」と笑顔で渡してくれた。

ナジュマは仕事から帰ってくる度、少しずつトランクにいろいろと詰めている。中身は開けてのお楽しみだそうで、すぐ帰って来たくなるような物を詰めていると云う。

大学の講義や研究は、今のウイルス事変を境にパソコンによる画像発信が基本となった。講師及び学生とも講義と図書・専門書アクセス専用のパソコンが支給され、「ユーザーID」「パスワード」「顔面認証」で双方向通信が受けられることになる。その他学生が必要なものとしては、活動・交流施設とスポーツ施設が求められその充実も求められるが、将来的には学校の運営を縮小する必要があり、コンパクトな経営化を図らなければならない。そのモデル校に今務めているコロンビア大が指定されたので、私はこの計画に興味を持ち、正式に実践参加することに決めたわけである。

やがて、移り住む日が来た。

家族の見送りが一番辛く、殊にサナーとナジュマの涙は私の眼に飛んでくるようにとどまることを知らない。一緒に行く愛犬タロウとハナコは安心しろ、と云わんばかりにリズム良く吠える。

皆をハグし、最後にナジュマにキスをして車に乗ると、門から一台の車が勢いよく入ってきた。脇に着けた車から、奈央家族が出てきて、大きな袋とシャケ入りのおにぎり数個を手渡される。

「このおにぎりの具、よく覚えていたね」

「これだけは何年経っても、忘れないよ。それに永遠の別れじゃないんだから、また帰ってきたら作ってあげるよ」と、そこそこの言葉を交わし、ナジュマと奈央にサインを送って車に再び乗り込む。振り向くと辛いので、車のドアミラーに映る二人を見る。

ナジュマは奈央の肩に手をかけ何か言葉を交わしている。

門の脇には少し季節外れのオキザリスが私を見送るようにぽつぽつと咲く。

車の窓から見慣れた風景を眺めながら、これから始まる一人の生活に懐かしさと僅かな不安を覚え、愛犬タロウを撫でているうち、うとうとと寝てしまった。

すると、恐ろしい夢の中に迷い込んでしまった。日本がある国からミサイル攻撃を受けているのである。以前、映像で見た日米大戦の沖縄決戦のように爆発と荒れ狂う猛火のシーンが街を包んでいる。子供の前に落ちたミサイルが炸裂して、眼が覚めた。かなりうなされていたらしく、ジェロームが心配して車を止めていた。タロウとハナコが私の顔をなめている。いつの間にか二時間近くが経ち、あと三時間かかるので近くにあるドッグランと食事ができる所に立ち寄り休憩することにした。

あの夢は何だったのであろうか、かなりリアル感があり、一抹の不安だけが残った。

漸く、別荘に着く。すでにジェロームと私は、時間を作っては足繁く別荘に通い準備をしていたので、仕事や食事なども自宅にいるように違和感なく取り掛かることができる。

 翌日から、結婚前の規則正しい生活が再び始まる。あの頃と違うのは、奈央への心配とジューリアの存在がないこと、それと私を支えている掛け替えのない家族が居ること。

講義に使う資料や画像はすでにパソコンに入れておいたので、問題なく授業が進められ、学生の質問も頻繁に入ってくる。教室でやるよりは忙しいかもしれないが、週四日、午前と午後の各一回ずつの講義と月一回の博士・修士論文の指導を行えばよい。あとは自分の時間になり、適度に分散して論文、翻訳、小説、作曲、そしてタロウとハナコと一緒に結構広い庭でジョギングをする。さらに週二回ほど料理作りも楽しむ。

毎夜、タブレットを使って忘れずにナジュマと会話を交わす。お互い今までとは違う時間を共有し、かえって新鮮な気持ちになる。彼女は時々、私を挑発するように際どい下着姿で現れ、そのセクシーショットで私を誘惑する。変なビデオを見ているようだ。

ところで、彼女が詰めたバッグの中身は何だろうと思い、到着すぐに開けてみたところ、USBと幾つかの懸案事項のファイルがびっしり入っていた。その後、放置していたのだが徐々に気になり、ファイルの一つをめくると、いきなり手が止まり吸い込まれてゆく。ナジュマの罠にかかってしまった。

どれも、アメリカ政府に関係するもので、すべてマリアが担当している。まるでシリアスなドラマを見ているようだ。

彼女には「すべて処方が出るわけではないけど、これらの資料をもとに小説を書いてみたい」と打診した。

もしかすると、執筆する中でその解決法を見出せるのかもしれないと話す。

「そのほとんどは断ったんだけどね―大統領補佐官が直々に依頼してきて、私の医療と教育計画を考慮しても良いことをちらつかせてね」と彼女は歯切れの悪い返事をした。

このことは、出来るだけのことは遣るけど期待しないことを伝える。

 ある日の昼ごろ、軽い食事を作って、ジェロームと一緒に食べていると、奈央メールが鳴った。

先週送付した一案件の処方に補佐官が反応して、ナジュマ経由でコーに会いたいことを打診してきたと云う。今回の案件の中で最もナーバスな問題を抱えていた案件なので手を付けたわけだが、やはり食い付いてきたか、と想定どおりに満足する。

これは日本と台湾の間にある尖閣諸島と南シナ海に造られた某国の人工基地に関する問題である。概略すると、前者は台湾と日本の共同統治の可能性、後者は関係する東南アジア諸国の連合組織を後押しする米豪の役割と具体的施策だが、恐怖の戦力を確保した某国は人民による漁船と空海軍による一方的な「領域侵犯」、そしてスパイ等が関与する情報操作を繰り返し、戦争へのプロローグとエピローグを既に描き、戦争を回避する手段と時間のリミットを迎えさせる。この戦争は過去の戦争とは比べものにならない惨劇と恐怖が短時間で発生する可能性が高いことも示した。

 恐らく、アメリカ政府は決して「対岸の火事」でないことを、今回のウイルス事変とミサイル開発で実感したのであろう。国は戦争への準備とその回避を同時に進めていかなければならない。

  

   ⑮

 ケベックの別荘へ来て、一ヶ月が過ぎた。

その間に講義のほか、翻訳、作曲、小説は順調に進んだが、論文に関しては遅々として行き詰まっている。でも悲観することなく、少しずつ積み上げ、楽しみを後に回すことにした。

 今日の夕食は割烹風の日本料理を予定し、その準備を楽しんでいると玄関先にいきなり、三台の黒塗りの車が入ってきた。

厳重なガードに囲まれ、あのオースチン補佐官の顔が見えた。

それとほぼ同時に、ナジュマから連絡が入り、

「補佐官が今日そっちへ行くそうよ、大丈夫?」

「今、玄関に来たよ、突然にね」と少し上ずって云うと、彼女から申し訳ない声が聞こえるや否や電話を切る。

ジェロームが補佐官と数名の事務官らしき人物を連れて、応接間に案内してきた。通常のあいさつを済ませると、早速この前の処方ファイルを開いてきた。内容は頭に入っているので、それぞれの国の対応を一方的に話す。

「某国は我々の要望を全く受け入れないことは明白であり、ダブルバインド的な論詰で押さえつけ、結局は聞き耳を持たない。

それが彼らの思想の本質でもあろう。そこでこの国が“身内”と思っているロシアとイランに対して、経済及び医療・教育の援助を主体とした友好を結ぶこと、それには日本とサウジアラビアの協力は欠かせないし、両者の役割を明確にしてその行動の理解を求める必要があると考える。詳細な具体的行動はファイルに書いてあるが、それはあくまでも机上の空論に近い。あとはそちらで“色”を付けた方が良いと思う」と云い終わるとコーヒーに手をかけ一口飲む。

 それから一時間弱の論議をする。最後は納得したのか、オースチンが部下の一人にサインを送り、鞄の中から、私が今探している貴重な歴史書を差し出してきた。どうしてこの事を知っているのであろう、本よりもそのことが気になってしまう。

「これは、何を意味するのですか」と聞く。

「別に大意はなく、プレゼントとして受け取ってほしい」と、左の眉毛を少し上げながら云う。

これを受け取っていいのか躊躇ちゅうちょしていると何故か、ナジュマの顔が浮かぶ。これは受け取った方が良いのではと直感、だがなぜかスッキリせず渋々手を差し出した。

 彼らが帰った後、ナジュマに連絡する。

「君は私をどうしたいんだ。私を政治のコマにしたいのか」と珍しくテンションが上がってしまった。

「教育と医療の計画を進めるうえで、あなたの能力は欠かせないことは分かってほしい。また私たちの力だけでは事が成しえないことも分かってほしいの。それと以前、あなたが云った、違う自分をこの先見てみたい、になる可能性もありうるかも―」と、ナジュマはいつもより声のトーンを下げて云う。

長く感じる沈黙の時間があり、

「もう一カ月あれば、自分自身落ち着きを取り戻せるような気がするから、その間に自分と家族のことを考える」と云って一方的に電話を切る。

 ナジュマは、一端掲げた事業には利用できるものすべてを注ぎ込む、時に非情な決断をする。さすが厳しいビジネスの世界で生きる女性は強い。この事業計画を推進するためにしたたかなことを考えるのは至極当然であり、恐らく私を大統領補佐官に近づかせることで補佐官のアドバイザー的な役に添えてしまうのかもしれない。

電話を切った段階で、もう私の気持ちは決まっていた。

ナジュマのこの策略に暫くは“同船”してみようと思う。

   ◆

 そうして一ヶ月が経った。ネット授業も順調に進み、論文や音楽等もタロウとハナコの協力もあって自分らしさを取り戻せた実感を得た。

ナジュマと奈央に明後日帰ることを連絡すると、ナジュマは上ずった声を連発し喜んでいる。奈央は逆に落ち着いた口調で、

「どう、少し落ち着いた。コーはこのような時間が定期的だけどそれを過ぎると、ドラゴンボールのフリーザみたいにバージョンアップするからね、でもあまり無理しないほうがいいと思うよ」と、子供に言い聞かせるように話す。

窓から見える庭先には真っ赤な花が他を圧倒するかの様に咲き、その傍らに小さいながらも存在感を示す淡い黄色の花が静かに咲いている。今日はやけに太陽の光が眩しい。

 久しぶりに玄関のチャイムを鳴らす。

タロウとハナコが活き良いよく、子供たちに飛び跳ねる。髭を生やした私を見た、サナーは「髭もいいね、良く似合っているよ」と、両手で髭を擦る。ナジュマはキスをする時の刺激が懐かしいのであろう、何度もその刺激を味わっている。

今夜の夕食は、私が作る日本料理で祝うことにしたが、ナジュマと子供たちも料理づくりに参加することになり、キッチンはさながら、ロック調の曲に合わせて踊るダンス会場だ。

キッチンのテーブルに揃った料理を見て、ハーリドが「ここで食事しようか」と皆に投げかけた。すると「グッドアイデア」が一斉に上がり立食パーティーとなる。タロウとハナコも特別料理にかぶりつく。

二ヶ月会わなかっただけなのに子供たちが成長したように感じる―唯、成長する姿を見るのも楽しいのに一人の時間を渇望している自分が別に居る。傍にいるラウラが

「ジューリアが話していたけど、パパは時々と寂しい眼をするけど、この時がパパの本当の姿かもしれない、と云っていたよ。今それを感じたんだけど―」と、ささやくように云う。

「う―ん、そうかもしれない。でもね、子供たちが皆、独り立ちをするまで今の生活を一所懸命やっていこうと決めたんだ。その後は原点に戻って思うままに生きてみようと考えている。この事は、ナジュマにも話していないから、内緒だよ」、左の眉を上げ、コップに入ったワインを一口飲む。

 その夜、ナジュマとは仕事と家庭の将来について話し合う。彼女はアラジンの業務について、少しずつ若い人に引き継ぎ、今進めている「教育と医療の計画」をこれからのライフワークにしたいと云う。この計画に掛かる予算に関して、

「実はね―アラジンがバックとなって作った『ナジュマ医薬研究所』でね、かなり良質のワクチンが今最終段階に入っていて、副作用もほとんど出ていないの。他社や他国のものより効果と信頼性は高いよ、他言無用だけど」と教えてくれ、順調にいけば十分な量産体制もでき、予算の確保も望めるらしい。これからは人材の確保と育成に専念できると云う。

また「子供たちはそれぞれに個性が芽生えてきているし、多少家族内はドタバタしているけど大丈夫。家族が一番心配しているのはあなたの事かもしれないよ」と云いながら私の首に手を廻す。

「子供たちとは時間が空いたら、よく話を聞くようにしている。悩み事は必ずあるものだから。自分も仕事を少しずつ選んでいこうと思う。殊に政治に関わることは優先にしたくないけど、今はナジュマや家族のためになるものだけに絞っていくよ。今回の件は気乗りしないけど、ナジュマの悩んでいる姿は極力見たくないから受け入れることにしたよ」と、ナジュマの眼を覗き込むように云う。ナジュマは私の頬に手を当て小さな声でうなずく。

二人はそのままベッドに潜り込んだ。

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