奇跡は突然に、

@shinshin1830

第1話 奇跡の始まり

   ①

人々が行き交う雑踏を眺めながら、微かに聞こえる学校のチャイムの音がなぜか心地良く耳に入る。ふと、あの頃を思い出した。自分が自分でなくなったような不思議な感覚はあの時から始まった。

私の名前は、秋 香彩あき こうさい、小さい時からコーくんと呼ばれている。

東鐘市の風光明媚な白鶴湖はっかくこのそば旧市街の山崎で生まれ、高校まで自然に恵まれた、この地で青春を謳歌する。とくに歴史が好きで近くにある東鐘城や田馬城、徳川家とゆかりのある日吉神社、水遊びをした菅原神社傍の水路などよく一人で遊んでいた。

 時は高校三年、十七歳の時である。高校最後ということで、受験勉強はそこそこにやって、ほとんど楽しい遊びを探すことに楽しみを感じていた。当然、成績は上がるはずもなく、机に向かう友の姿を横目で見ながら、気に掛かっているのにその素振りをさとられないよう“浮いた時間”に身を委ねていた。

 ところがその時間を打ち壊す事がある日突然起こった。

遅刻を告げるチャイムに慌てて廊下を走っていたとき、目の前に階段を駆け上がってきた髪の長い人に会う。一瞬、目が合ったが彼女は教室の扉を開け、風のように中に入っていく。なぜか頭の中が真っ白になった状態で、ただその場に立ち尽くす。同じクラスでも数人の友達以外、クラスメートにどんな人がいることさえも気にしていなかった。再びチャイムが天の声みたいに鳴り、後ろからいつも青のチョークを持っている先生の声「はい、遅刻、アウト」が現実に引き寄せた。頭をカキカキ教室に入ると、その彼女は私の斜め後ろの席、何事もなかったように何気なく眼を向けると、冴々さえざえとした美しさが眩しい。名前は杉田奈央であることを思い出し、急に面白いことが頭をよぎる。

 次の授業から、強引に彼女の隣に席を変え、静かにしたたかに、気無げなくちょっかいを出す。すると彼女はうざったいような顔をして、眉をそっとひそめる。それにめげず二~三ヶ月執拗にからむ。そんな七月のある暑い日、いつもの友達がこの日に限ってそそくさと帰って行く。私は明日中に提出しなければならないレポートを書いていると、彼女が遠くを見るともなしに「好きです」とポツリ、いつの間にか二人以外誰もいない教室の中で消え入るような声を発する。一瞬にして、落ち着きをなくした私は彼女の眼を凝視、二人とも笑顔なのか、引きつっているのか、教室の隅で互いに熱い吐息を交わす。やがて耳の奥までみ込むような深い静寂が二人を包み、彼女の背中に回した私の左手が何故か小刻みに震えている。

 眼を開ける―頭の中で何かが動き出した感覚に襲われ、周りの風景が“画像”のように記憶の中へ入ってゆく。奈央は顔を伏せて私の薄っぺらい胸にうずくまっている。その“変異”をさとられないよう、彼女には在り来りの映画の誘いをすると、少し口元を緩めながら小さくうなずく。

やがて二人で教室を出て階段を下りていく途中、確かに自分が“変”になってゆくことが分かりはじめ、それは決して嫌なものでなく、楽しく面白い世界への扉を開く感覚であった。

 その日の夜、無性に“画像”を入れたくなって、自分でも抑えきれず、片っ端から小説本、教科書、雑誌、辞典などむさぼり食うようにあさった。何だろうか、すべての“画像”が消えることなく、ファイルされるように頭に納まってゆく。面白くなってきたので明日の土曜日、午後はデートなので午前中に図書館へ行くことに決める。翌日が楽しみになってきて、頭の中が踊りだした。

 翌日五時には目が覚め、父の書斎にある医学書や歴史書の類をこっそり読む。父は大学で認知心理学を教えているが、なぜか歴史書も多く、本人としては歴史の道に行きたかったらしい。私は物心がつかない幼い頃からこの書籍に囲まれ遊んでいたそうで、時々真剣に見つめていたのが外国の歴史書だったと母から聞いた。

昨夜と同じように貪るように読んでいると、その読解スピードが尋常でないことに気付く。一ページが数秒であろうか、三百ページから五百ページの本を十分そこそこで読んでしまう。ふと、我に返って恐ろしくなったが、それ以上に気持ちを抑えられなくなっている自分に興味を持ち始め、この先、どうなるのか思いのままに任せることにした。

 早速、図書館に行き、書棚に近い机を確保する。まずは受験に関連するものから収集し、あっという間に二十冊ほどを読破した。つぎに急に興味を持つようになった歴史言語学の関連書籍と事典類を集中的に貪る。やがて三時間後、疲れたのか、意識が遠退き図書館の司書に起こされるまで床に寝ていたようだ。司書を見るなり「今何時?」と聞く、「午後一時よ」と、山積みになった本を見ながら溜息交じりに云う司書に土下座して本の片づけを頼む。いい加減にしなさいよと云わんばかりの顔を尻目に、慌てて逃げるように自転車をこいだ。

約束の時間二十分過ぎに着くが、奈央はいない。見渡していると、狭い路地からいきなり現れた彼女、その姿はまるで池に落ちた子犬のように息を切らしている。二人とも寝起きのような顔で髪はバサバサ、お互い笑いながら互いの髪を手直しする。

スナックとコーラをもって映画を見ているのだが、セリフと画像がすべて入り、しかも英語バージョン、変な訛りも入ってしまう。スナックを食べながら、奈央をみると口を開けて寝ている。遅くまで勉強していたせいであろうと思い、そっとキスをして手を握るが、それでも起きない。仕方無いから、映画の続きを頭のファイルに入れることにした。

それから映画のストーリーを河川敷の堤防を歩きながら漫才風に説明すると、

「よく細かいところまで覚えているね」

彼女は感心するだけでほとんど見てなかったこともあり、あまり興味はないらしい。

いつの間にか、空は茜色に染まり、二人の影が伸びている。

 翌週から、私のかなりの時間は奈央には悪いが授業と図書館に支配され、やがて二か月後からテストの回数が徐々に増えてくる。これまでのテストは「どうせ」が先に立ち真ともに回答できないでいたが今はいささかの不安もない。だが、何故か満足感はない。

相も変わらず、本を貪り数ヶ月が経ち、奈央とはその間に男と女の関係になる。ところがその経験の数日後、あの時の頭の衝撃がまた起こり、今度は前回以上の“変異”を頭と身体に感じる。殊に言語能力、八ヶ国程度の言語がまるで堰を切った濁流のように頭に押し寄せ沁み込んでゆく。まったく別の自分を感じる。さらに体の節々が徐々に痛くなり、これは成長期だから仕方が無いことかと思いきや何かが変だ。因みに身長百六十㎝そこそこだった私が卒業時には百七十八㎝まで達した。

このような変異を感じながら、受験シーズンに入り、京都に在る大学の歴史系学科に進み、歴史言語学を専攻することを奈央に話す、

「どうして遠い京都に行くの?」

彼女はどこを見るともなく、静かな口調で聞く。

私はまともに返す言葉が浮かばず、

「行きたいから行く」とだけ、答えるのが精一杯。

彼女は静かに眼を閉じ、それからゆっくりと眼を開け私を見つめ、

「分かった、私も京都の短大に決める。コーは東京の大学に行くものだと思っていたけど、とことん付いて行くよ」

彼女と私しかいない図書館で互いに笑みを交わす。

窓から差し込む西日をうけ、僅かな温もりを感じながら、机の下で手を握りあった。

 第一の奇跡の始まりである。


   ②

故郷を離れ、学生生活に入る。

“変異”を遂げていく私の中で画像として記憶した“ファイル”は単に記憶したものでなく、自分の意に沿って引き出しや組み合わせも自由にできる。しかしながら、それに相反するように、少しずつ身の回りの生活や行動が自分自身でもぎこちなさを感じだし、やがて無頓着になる。それは無意識の行動となり、何の違和感もなく、気付いた時には家にゴミが散乱、掃除・整頓が分からない。また出かける時はいつものバッグに財布、定期、カード、スマホなどすべてが入っていなければパニックになる。さらに、どうしたことか音痴になった。高校まではギターも弾いて歌うことに自信があり、自分でも音楽の道へ少し傾きかかったほどであったが“画像”の欲求はそれ以上に強い。

 入学して一年が経とうとした頃であろうか、担当教授から翻訳のアルバイトを紹介される。この出会いは今思えば、“面白い世界への扉”を開く切っ掛けであった。このアルバイトでは主要世界の小説から雑誌、歴史書などに接することができ、様々な外国の人も出入りをする。当然ここに入り浸ったわけで、同府内の女子短期大に進学した奈央と会う時間は否応なしに少なくなり、彼女には週に数回身の回りの世話をやってもらっている手前、二~三カ月に一回は旅行をしなければならない羽目になった。彼女から後で聞いた話であるが私の“異常”な性格は高校時代から感じていたそうで、おそらくサバン症候群であろうと察知したとのこと、でも同時にこのような素晴らしい才能に出会い、それがあなただったことに幸せを感じたと云う。

学生生活のほぼ二年の間に、十か国以上の翻訳の仕事に携わることができ、世界の窓を覗いたような感覚になる。そんな中、大学二年終わりごろ、担当教授から飛び級で次年度から大学院の話が舞い込んだ。だが、身の回りのことをやってくれる奈央には、どう話をしてよいのか悩んでいると、私が話す前に

「コーは日本の枠に収まってはいけない人、自分の才能を信じて外に出て行きなさい、その間は私が面倒みるから」

改めて女性の心強さを痛感する。彼女は続けて、

「コーには才能を活かしてくれる相応しい人が急度きっと現れる」と、

いつもの微かな笑みを浮かべているが、少し潤んだ眼には何故か僅かな悲壮感さえ漂う。殊に彼女は卒業後、一人でも自立できる教師になることを決めており、私も彼女の優しさに寄り添うことにしたが、やるせない思いが片隅に居座っている。

不安な二年間の半同棲生活がスタートする。お互いに仕事、研究に没頭する時間が徐々に増え、それと並行して奈央から教師の世界の話が多くなる。彼女の成長を感じる反面、私の“異常”性格は相変わらずで、ただ只管ひたすらに彼女への感謝しかない。ところが一つ、趣味といえるか分からないが、料理を作る時間を持つようになり、これがまた面白い。料理に使う材料の味をどのように引き出し、他の材料との組み合わせで作りだされる味を創造する。何故か私の“画像ファイル”に相通じるものを感じ夢中になる。

また、奈央とは年に数回、国内旅行をするが、その中でも三泊四日の北海道旅行は強く印象に残っている。

飛行機で札幌に行く、そこから彼女の“怖い”運転でトマムと帯広をまず目指す。よく雑誌等で書かれているように、北海道はやたらと真っ直ぐな道が多いこと、雄大な自然がパノラマのように一望できること、それから食事の美味しさであるが、名も知られていない所と食事を興味津々に寄っていく。その面白さを二人で楽しみながら目的の陸別へ向かう。

ここは明治時代、東鐘生まれの関寛斎せきかんさいと云う医者が七十二歳にして開拓した町である。佐倉の順天堂で蘭学と医術を学び、徳島、千葉、山梨などで“仁”を基本とした医術の普及に努め、幕末の戊辰戦争では官軍の医療スタッフのトップとして東北地方に従軍し、敵味方関係なく多くの日本人の治療にあたった。

寛斎のことは私が中学の時に司馬遼太郎の『胡蝶の夢』を読んで知ったわけで、寛斎の人生は波乱万丈でありながら強い信念を感じ、これからの自分を真剣に考えだした原点であり殊勝しゅしょうな心にもなった。

陸別に向かいながら、この話をすると、

「私の家の近くに生家があって、小さい時からそこのおじちゃんから話を聞いていたよ」

彼女もその気であったようだ。

この二年間は奈央の増大する強さに押し潰されないよう、またやがて来る互いの試練に負けない“準備期間”であったと思う。この間、十七~八ヶ国の語学を習得、また翻訳の妙も味わう、―もう外国への希望が破裂しそうまでに膨らみ、その気持ちが通じたのか、世界への挑戦は以外にも早くやってきた。ハーバード大学院への留学である。

彼女もそれを予想していたらしく、密かに身の回りの物を準備していてくれた。だが、大きな心配が一つあると云う。それは普通の生活が送れない私の世話のことで、自分としては大丈夫だと思っているのだが、最近の自閉症的行動に対して不安は拭えないそうだ。そう云えば、身の回りは彼女が居ることで安心していたし、彼女もそれをやることに何の違和感もなく自然に生活の一部としていた。これは海外への留学以上に、不安を増幅させる大きな試練であるが、別れの切なさのほうが非常に辛い。彼女とは一端別れるが、必ずや・・・

時は止まってくれない―非情にも重くし掛かる。

飛行機の入場ゲートには友人たちが気を使ったのだろう、奈央以外知っている人は誰もいない。二人とも唯、黙って時計の数字が変わるのを見るともなしに眺め、二人の息遣いはあの静寂した教室で互いに認め合った“吐息”を思い出す。

これから向かう面白いことは今までの面白いこととは違う。それは彼女も分かっている。幾重にも重なった時間の集積であることを。


 ③

 約十七時間かけてボストンローガン国際空港に着いた。やはり外人が多い、当たり前のことだ、やたらと女性が綺麗に見え、気持ちがハイになってしまう、もっとも田舎者であるから人の流れにうまくついていけない。その不安を見抜いたのか強面こわおもての力士みたいな黒人が声をかけてきた。冗談を交わして、行き先を話すと、彼のアパートのすぐ傍だから乗っていくかい、と云う。何の疑いもなく付いていこうとすると、私たちの会話を聞いていたのであろう、そばにいたフランス風の人と薄いピンクのかかったヒジャブを被ったアラビア人の女性が強引に私の腕を引張り「行くんじゃない」と、タクシー乗り場まで連れて行ってくれた。二人からは「そのまま行っていたら、命の保証はなかったよ」と云われ、タクシーを待つ間、アメリカに来た目的などをフランス語とアラビア語で話す。彼女らも勉強のためアメリカに来ており、フランス人はピアニスト、もう一人は経済学を学びに留学していると云う。お互い黄色いタクシーに乗ろうとするが、名前を聞くのを忘れたと思い二人を見る。その中のヒジャブを被った彼女が、奈央と同じように癖のある口元を僅かに緩めながらこちらを見て微笑む。何故かまた会いそうな気がした。

やがて、大学の寮らしき建物に着く。そこには十人ほどの学生がやや暗い部屋に集まり、会話を楽しんでいる。皆、英語を話しているが、それはぎこちない英語で明らかに多国籍軍団、私もそれに加わり、敢えて一人一人の母国語を使って会話する。

「きれいな言葉だけど、各国を回っているのかい」と聞かれ、「いや初めての海外だよ」と返事すると、何故か皆、握手を求めに来た。

寮長らしき小柄な五十代ほどの男性から、部屋割りや明日以降のスケジュールの説明がある。幸いにして個室であったが、洗濯と掃除は各自で行い食事は共同のこと、悩みが一つできてしまった。この先、いくつの悩みができるのか不安になったが、奈央の“声”を支えとして一つ一つクリアできるはずと・・・

早速、部屋に行き、届いていたケースの荷解にほどきをする。そう云えば日本にいた時の翻訳の先生から紹介された、世界でも有名な会社の翻訳家のところで手伝うことを思い出した。これも早速、電話をして来週の水曜日午後に行くことを約束する。そこは学校に近く、日本にいた時以上に、世界中の多くの書物、多種類の言語に接することができると云う。その翻訳会社には授業の合間を縫って伺うことにするが、週三回程度は行けそうだ。

やはり日本にいた時と同様に朝五時に起き、二~三時間の翻訳その後授業を受け、合間を縫って翻訳事務所へ、夕方四時ごろから二時間ほどクラッシックのコンサートやジャズピアノを聞きに行く。それから家に帰って夕食を作り、十時に消灯。このリズムは崩さないようにするが、おそらく身の回りが覚束おぼつかなくなることは眼に見えている。この寮は規律が厳しく、部屋掃除・ゴミ出しは各自で行わなければならないが、寮長は日頃の私の言動をみて、特別にヘルパーを付けることに理解してくれた。

そのヘルパーも授業で知り合った、一つ年上で日本の古文学を学んでいるイタリアの女性ジューリア・シモンが日本語を教えることを条件に週二~三度ほど世話を引き受けてくれた。瞳の綺麗な彼女とは入学当初から校区内で偶然会うことが多く、私の言動から病気を察したのであろう、彼女から声を掛けてきたのである。少々の後ろめたさを感じながらも、奈央には正直に報告する。彼女は「良かったね、少し楽になった」と云うが、私は複雑な気分である。

ある日、いつものように翻訳室に居ると、先生から一冊の本を渡され、ほとんど知られていない本であるが読んでいるうちにこの本の素晴らしさを知る。これをいくつかの語に翻訳したいことを先生に願うと、白い歯を僅かに覗かせ、OKのサインが出た。早速、この作家に関する情報と本の内容の歴史的背景を“画像ファイル”に入れてゆく。朝五時に起きて三時間、パソコンに向かう。それから二か月後、フランス語・ドイツ語・中国語・ロシア語・アラビア語・スペイン語・日本語に翻訳するが、部屋の中はパソコンとベッドの空間だけ確保された以外、足の踏み場もなかったことをジュ―リアから後で聞く。彼女は私の眼を見てこれは片付けるべきではないと察知し、洗濯だけにしたそうだ。そう云えば、この間に僚友さえも誰一人、入ってこなかったことを思い出す。この異常な状況を感じたのであろう、と今更ながらそう思った。

 この翻訳本を出して一か月後、世界で一つのメロディーが久しぶりに鳴った。

「読んだよ。うれしくて涙が出た」と奈央の声、その言葉を聞いて無性に帰りたくなり「来週、ご褒美で日本旅行をすることになったので会いたい」と嘘を云ってしまう。すると、

「来週は日本に居ないから、二ヶ月後にして」

「どこ行くの?」と聞くと、

「友達とオーストラリアに行くから」

彼女の楽しそうな声が返ってきた。


   ④

 今日もいつもと変わらず、午前中に授業を受け、昼もいつものベンチに座り自分で作ったおにぎりを食べている。すると後ろから「美味しい? いつもの鮭入りのおにぎりでしょう」と懐かしい日本語、しかも聞き覚えのある音色、おもむろに振り返ると、あの癖のある口元に微かな笑みを浮かべる奈央がそこにいる。私は思わず、おにぎりを奈央にあげ、互いに額を寄せ合い言葉にならない言葉で眼を見つめ合う。やがて二人とも涙が溢れ、互いに涙を拭う。残念ながら彼女の嘘にうまくはまってしまった。

あまりのサプライズとうれしさが錯綜さくそうして今日のスケジュールが飛んでしまう。寮長、僚友、そしてジューリアは二人を見るなり納得してくれ、厳しい規則を特別に封印してくれた。

朝五時から昼まではいつものスケジュールをやるように奈央から“指示”され、その圧がなぜか心地良い。午後は特別に授業の免除をうけ、ボストンの街を目的もなく寄り添って歩く。気に入ったカフェがあるたびにお互い好きなココアとレモンティを飽きもせずシェアーして飲む―あの頃と同じ様な時間と空間を味わい、二人とも今は違った“道”を歩んでいるけれども、このような他愛も無い“時”に身を委ねることはこの先途切れることはないであろうと沈黙の中、彼女の姿を見ながらそう思った。だから、帰りの飛行機に乗る時も少しの寂しさはあったが、また会えることはお互い分かっていた。

それから半年が過ぎた頃、ある親しい友人を通して、奈央が妊娠したことを知る。心が引き裂かれそうな衝撃を受け、飲み物に差し出す手が小刻みに震えている。彼女は私にチャンスと幸せを授けてくれたが、私は何ができたのか―彼女にはただ心配と辛さだけを与えただけ、部屋の隅であの頃の写真を見ながら一人涙を流している。すると、あのメロディーが鳴り、それはいつもと変わらない会話、だが私の僅かな変化を画面から感じたのであろう、突然「大丈夫? 私は心配いらないからね、コーにだいぶ鍛えられたから、強いよ」と、彼女の気丈な“強さ”は時として辛さが倍増する。ただ涙が留めなく流れていくだけであった。

 一睡もできなかった翌日、翻訳会社から「ヨーロッパの翻訳グランプリ賞をいただいたよ」の連絡が入った。だが、これも上の空、パジャマに近い服とボサボサの髪をして悄々しおしおと学校に行く。すると、そこにはカメラとマイクを持った多くの人が目を吊り上げ獲物を捕らえるようなつらをして近づいてきた。私は恐怖に駆られ一歩も動けず、放心状態でいると誰かが私の腕を引張り一目散に研究室へ転がり込む。そこに居る研究生たちは満面の笑みを私に向け、教授からは「おめでとう」を云われたが、その後の言葉は何を言っているのか分からない中、急に眠気が襲ってきてその場に伏せた。

気付くと、目の前にジューリアがいた。

「大丈夫? いつもと違うコーの姿を見かけて、研究室近くまで行くと、この状態に」

事情を話すと、少しをおいて、

「おそらく奈央を迎えに行っても、コーのもとには来ないと思う、それは彼女が望んでいないことだから」

さらに「メールのやり取りだけは欠かさないほうが―」とも。

ところで、近くにいるジューリアの事はほとんど知らない。妙に知りたくなりいくつか訊ねた。

「ジューリア、イタリアのどこから来たの」

「フィレンツェ、どうしたの急に」

「フィレンツェと云えば、十五世紀にレオナルド・ダ・ビンチ、ボッチィチェリ、ミケランジェロなどが活躍したルネサンス文化の中心だったね、その大富豪がメディチ家だけど、その末裔だったりして」、

すると彼女は眉を急にひそめ黙る。悪いことを聞いてしまったと思い、さり気無く話題をらす、

「以前、姉のことを話していたけど姉妹は何人?」

彼女は静かに淡々と話し始めた。

「二人の姉がいて、両親の経営する病院で医者をしているの。私も医者になるように父に言われたけど、母は何も言わなかった。私は医者に向いていないことは何となく感じていたし、父以外の家族はそれが分かっていたと思う」

「医者か―」、メディチ家は医の血筋だった説もあるなと天井の窪んだ所を見ながらそう思った。

「ジューリアは語学力がありそうだけどイタリア語以外に何か国語話せる?」

「え―と、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、それと勉強中の日本語を少々」

「じゃ、私の仕事を手伝ってもらえそうだ」

「それじゃ―バイト料を奮発してもらわなきゃ」

「これで契約成立だね」

どうにか落ち着きを取り戻したこともあり、また睡魔が押し寄せ、翌日の昼頃にようやく自宅に帰った。

 或る週末の日、翻訳とレポート作成に時間を費やす。最近は翻訳の依頼が多く、原稿料は相当に増えたが自分のペースではない。その日の夕方、ジューリアが特別にわざわざボリューム満点のシチューを作ってきた。この匂いに誘われて僚友が数人集まり、即席のパーティーに。そこは共通の英語だけでなく、イタリア語・フランス語・中国語・ドイツ語が入り乱れるが実に楽しい。

 また変わらない生活リズムと数日おきの「ナオメール」で数ヶ月が経ち、彼女が母親になったことを知る。シングルマザーだが両親や職場の人々が温かく迎えてくれているとのこと、画像メールには彼女に似た可愛い女の子が映っており、私に似ないで良かったと画面に手をかざす。


   ⑤

アメリカに来て二年が経ち、研究成果の一次発表と審査が行われる。歴史言語学でも「インド・イラン語派」に興味をもっており、言語の変遷と諸語の関連をもとに各々の地域の歴史文化を探求することに今は没頭している。この学問は書物だけの研究には限界があり、諸地域に保管されている資料や発掘された資料など生の現物を直接みることが必要であるため、海外に行くことは兎に角多く、殊に西アジアから中国・東南アジアの諸国が主なフィールドとなり、また少々ラテン語にも興味をもちイタリア・フランスにもお節介をだす。諸国への調査には大学からの資金も出る場合があるが、そのほとんどは個人的調査が多いため自己負担になる。私は翻訳の収入が徐々に安定してきたので困ることは無く、短い期間で一~二週間、長くなると一ヶ月を外国で過ごす。時々、中国・韓国・日本の調査が出てきた場合はそれに引掛け、奈央に会いに行く。子供はまだヨチヨチ歩きだが実に可愛く、彼女の変わらない姿にもほっと安堵すると共に、二人に会うことを決して絶やしてはいけないと改めて思う。それと私の母親にも彼女と一緒に会いに行く。父は学生の時に他界したため今は一人で住み、母は会うたびに「あんたたちが一緒になると思ったのにね―」と必ず同じことを云う。もっとも日本にいる間は“夫婦”と思ってくれれば、老いていく母をみてそう思う。

その後の二年間で、博士論文の作成を進める傍ら小論文等の発表や翻訳の仕事もこなし、やがて論文審査を経て博士号を修得する。この論文をあのサイエンス学会に提出することを薦められたが、もし特別賞でも授賞することになったら、また々嫌なマスコミ達がうるさくなるのか、と他愛無い一抹の憂鬱ゆううつに引き込まれる。それから担当教授から一年後に私のこの博士論文を出版したいことを大学に働きかけているとも告げられた。まず第一弾として英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・ロシア語を出し、その状況により第二弾では中国語・日本語・ヒンディー語・アラビア語などを対象にすると云う。それに対して私は「大学を通すと、いろいろと制約があるうえ、実績のない私だから良い返事はでないでしょう。そこで翻訳を手伝っている事務所の方に依頼し、その出版費用は私がだします。落ち着いてじっくりと専念したいので」と云うと、教授は静かに笑みを浮かべ親指を立てた。

いつの間にか二十八歳になり、椅子に座る側から教壇に立つ側になっていた。


高校の友人の結婚式で日本に久しぶりに帰った。

空港でT大学の先生たちから迎えられ、帰国に合わせて何故か講演をやる羽目になっていた。帰る前に教授から依頼され「まぁ、いいか―」と簡単に受けてしまい、今は後悔する。講演や講義は苦にならないが人との雑談が苦痛で、時々逃げ出すこともありその度に非難を浴びる。今回は教授が一緒だから心強いが、もしかしたらこの教授が日本に来たかったのであろうか、母校であるK大学の講演も知らないうちに組まれていた、辛い。

講演が終わると、教授は京都に留まることになったが、私はもう心ここに在らず、故郷にそそくさと帰る。殊に奈央と長女 あやの笑顔は最高の食事を味わっているように別世界に導いてくれる。

友人の結婚式に向け、いつものボサボサな頭と無精髭ぶしょうひげを綺麗にすると、それを見た彼女と子供が目を丸くして「ワオー、カッコイイ」といきなり両頬っぺにキス、奈央の久しぶりの着飾った姿をみて「ワオー」と今度は私が吠える。やがて“夫婦”で出席、何の違和感もない。

結婚式の最中、アメリカの友人からメールが来た「サイエンスに掲載され、特別賞が与えられるそうだ、おめでとう」と、

思わず小声で「ワオー」を発したが、あの時の襲ってきたマスコミの眼がフラッシュバックし、一瞬にて憂鬱が胸によどむ。それが顔に出たのか、奈央がこのメールを覗き込み、「周りを幸せにしてくれる事だから、喜ぶのが一番よ」

彼女はそう云って、新郎新婦そっちのけで抱きつき、周囲を唖然とさせた。

三週間ぶりにアメリカに戻ると、空港には何故かジューリアが待つ、―そうか、彼女には往復の航空チケットをお願いしていたことを思い出す。彼女の存在もここでは欠かせない。空港近くのレストランで食事をとり、お土産を渡すと口元から僅かに白い歯を見せる。

「今度、日本の古文学を学びに日本へ行こうか」

無造作に私が云うと、いきなりハグして

「ラーメン、タイ焼き、ぜんざい食べたい、それと奈央にも会いたい」

彼女の肩越しに、季節外れの粉雪が道路に咲いた名の知らない白い花に積もっている。


   ⑦

大学の講義、翻訳、自分の出版物制作、料理と、講義以外は楽しくやっている。最近では出版物の大ヒットがあり、歴史の専門書なのに小説並みに版を重ね、多くの言語で制作していることも良かったのであろう、世界中の研究者・研究機関が購入してくれた。それと共に著作権料・印税が桁違いに入り、ほとんどを研究調査費、さらに医薬剤の開発費とアフリカへの薬提供費にも使う。これはジューリアの提案で、他の友人は「何か事業を起こせば」と云うがその気はなく、唯、面白そうな事業の展開を予測することがなぜか面白い。

ところで思うに、この頃だったろうか、ジューリアが世話になっている翻訳出版社に勤めることになったのは。彼女の語学力と感性を活かすには最適なところかもしれない。また事務所は翻訳業務の他に私のサポートを兼ねることも考慮してくれたらしい。早速、その記念に以前約束した日本への旅行を彼女に話したところ、就職する前で忙しいけど二週間程度なら可能だからと云って、日本を回るクルーズの利用を提案してきた。各地域のお祭り・風習と美味しいものを堪能するにはグッド チョイスと返事をすると、彼女は即スケジュールの調整と予約をしてしまった。実は船の中での原稿書きと読書は自由にできる以上に素晴らしい“ひらめき”を与えてくれるので、この魅力はたまらない。そのため、大きな部屋と朝食だけは部屋で食べる条件を付けてお願いした。

日本に行く前にハワイで発掘調査から得られた資料を見る。久しぶりにハワイ語オレロハワイに接すると同時に伝統的ハワイ料理ポケ(オピヒ・リム・アヒ)を味わうが、料理以上に目を覚ましてくれたのはジューリアの水着姿、思わず「ワォー」だ。

このクルーズにはもう一つ大きな目的がある。航路の前に、奈央と新しく家族に加わったもう一人の赤ちゃんを見に行くこと、今度は男の子で名前はひかる、彼女の両親も喜んでいるそうだ。

そこで、奈央と彼女の両親が一緒に住めるような広いマンションに移ってほしいことも目的の一つ。ジューリアには事前に説明し、物件等の調整をお願いした。

久しぶりにあの癖のある口元に会う。いつもラインで話しており、普段の会話が心地良い。だが私よりもジューリアと奈央の会話が弾む。この空気を壊したくないので私は子供たちと遊び、どのくらいの時間が経ったのか分からないが、そう短くはなかったようにも―私には数分程度しか感じられなかったが、楽しく夢中になった一時であった。

戻ると椅子に着くなり、ジューリアが「上の子供と、仕草がよく似てる」とおもむろに薄笑いを浮かべ覗き込むように上目遣いに云う。こっそり写した二人の後ろ姿、右足だけつま先立ちをするフォトを見せ三人で笑う。奈央が急に「いいの?」と聞く、一呼吸おいて、

「これは私の我がままだから納得して受け入れてほしい。時々会うために日本に帰ってくるけど、住むためのリターンは当分見えないから―」

僅かな沈黙が三人を包み、奈央の眼が少し動き口を開く、

「分かった、だけど帰ってきたら子供たちと一緒に寝ることが条件よ」

ただ只管ひたすら、涙が溢れ二人に感謝するしかなかった。

横浜に行き、全長三百メートルクラスのクルーズ船に乗り出航、規則正しい時間の配分だけは決して変えることなく、それを分かっているジューリアが傍にいるだけで安心する。長崎、釜山、出雲、金沢、青森、函館、各地のお祭りとその地の食事を味わう。殊に彼女はねぶた祭りなどの色鮮やかな出し物に興奮し、また田舎の昔からの言葉とそこでしか食べられない食べ物にも興味を持ち、日本文化の原点を味わっている。

クルーズ最終日に横浜に向かう途中、ベッドの中で彼女が真剣な顔で私の眼を見て云う、

「私も子供がほしい」

彼女の決意が伝わり自然とその意を受け入れた。


   ⑧

 いつもと変わらない生活とジューリアの仕事が軌道に乗り、数か月が経った。

ある日の夕方、彼女から翻訳事務所のパーティーが近々あると云う連絡を受ける。私がその手のものは苦手なことは知っているはずだが、断ることもままならない彼女の苦しい立場が眼に浮かび、渋々承知し彼女の同伴を条件付ける。

その日、着飾った彼女が早めに迎えに来て、いつものボサボサ頭と無精髭、寝間着姿の私を見るなり、猫の首根っこを掴むように美容室へ連れて行く。そこでは俎板まないたの鯉のように造り上げられていく自分が非常に面白く、目の前にいる自分が誰だかわからなくなる。行く途中の車の中で、今回の出席者の大半はアメリカ経済界でも有数のエコノミストと聞かされ、余計気が乗らなくなったが、このパーティーが運命の出会いになるとはこの時は思いも寄らなかった。

百人ほどの着飾った人々、私は料理の味に興味津々で、恐らく料理にうるさそうな方々が多いようだから星付きのシェフに違いないと確信する。ジューリアに付いて行き、紹介されるままに握手また握手、気持ちは料理に向いており、少し解放されたすきを狙ってメインの料理に足を運ぶ。同じものに同時に手を出した女性がいる。彼女を見るなり、アメリカに来た時に助けてもらった人、あの癖のある笑みをするヒジャブを被ったアラブ女性であることが分かった。彼女も私のことを覚えており、お互い名前と簡単に今の自分を紹介する。

彼女の名前はナジュマ・アル・アブドゥルアズィーズ、マサチューセッツ工科大学大学院を卒業し院生の時にWebサービス会社「アラジン ドット コム」を起こしたと云う。だがなかなか上手くいっておらず悩んでいる時に、このパーティーを聞いて無理やり参加をお願いしたとのこと、色々とアドバイスを聞いたが今少しピンと来ないらしい。雑談に混じって会社運営の話を聞くうち、それに関連する資料を見たくなり、後日彼女の事務所に伺う約束をする。やや遠くに居たジューリアがいつの間にか脇からシャンパンをもって歩み寄り、話に加わってきた。するとナジュマと知り合いと云う。ジューリアは「彼女は将来、アラブの世界に新風を起こす人、女性のあらゆる分野への活躍と進出を先頭に立ってやる人、だからコーに合わせたかった」と、申し訳なさそうにウインクを振り、ナジュマの話を聞いてほしいことをお願いしてくる。ナジュマの眼を気にしながら「今度」と短い言葉をジューリアに向ける。この出会いが後々大きな転換になることなど二人は知る由もない。

 後日、早速ナジュマから連絡があり、翻訳事務所近くの洒落たサウジ風のコーヒーショップで会うことになる。ジューリアはどうしても外せない都合があり、彼女抜きで会うことに少々の不安があったが実際会ってみるとジューリアと違う安心感と心地良さがある。彼女は二冊の厚い資料をテーブルの上に置き、説明しだしたが私はこれをめ、数十分の時間をくれるよう要望、勝手に部屋の片隅に移動し黙々と眼を通す。彼女は今までと違う対応に少し戸惑っていたが、ただ黙ってコーヒーを静かに飲んでいる。それから三十分ほど経っただろうか、二杯目のコーヒーに手を出すのをやめ、彼女のもとへスプーンをくわえながら歩み寄る。それから無造作に今までの方向性がおかしいこと、新たな戦略を構築すべきこと、その内容を細かく説明すると、彼女は目を丸くしてうなずく。やがて一言、

「非常に面白い、ジューリアの云った通りだわ」

彼女の次の言葉を聞かず、

「この戦略はすぐにでも実行する必要があると思う。私の想定通りに進行すれば、数ヶ月後には大きな利益と知名度アップが期待できるかな。でもこの決断はあなたが周りを如何に納得させることができるか、だろうね」

私の話が終わるのを待っていたように、彼女も二杯目のコーヒーに手を付けず、資料を小脇に抱え、逃げ出すように店を後にする。レシートを残して。

一人残された私はジューリアの“罠”に少しの喜びを感じ、陶酔するほど快く、残されたコーヒーに手を懸ける。すると突然、ジューリアから電話が鳴る。

「どうだった、面白かった? ごめんね、いっしょに行けなくて。実はね─赤ちゃんができたみたい」と唐突に切り出した。

「ワォー、ジューリアが母親だ。大丈夫?」と聞くと、

「ナオの気持ちが分かったような気がする。ハッピー&ハッピーだよ」

とりわけ大好きな二人とその子供を考えたら、嬉しくなって小説を書きたくなった。二人のために密かに書こう。

 ナジュマとはその後、ラインのやり取りを重ね、時間が合う度に会うことになる。約三ヶ月後、彼女の会社が徐々に業績を上げ、世界のトップテンに入った。数日後、最近の忙しさが一段落したのであろう、彼女から夕食の誘いの電話があり、ご褒美にプレゼントをしたいとのこと。私は間髪を入れずに「日本旅行とクルーズ船旅をしたい」を要望、するとこれを聞いた彼女は「私も行きたい、奈央にも会ってみたい」と。

私はその言葉に驚きを隠しきれず、こちらでチケットの手配をすることをしどろもどろに云うと、彼女は「大丈夫、すべてこちらで満足するものを用意させるから、日程だけジューリアと調整するね」と云うなり、慌てたように電話を切った。

それから待ち合わせの場所に行くと、いつも傍にいる秘書のマリアがいない。

「今日は珍しくひとり? 秘書のマリアはどうしたの?」と聞くと、

「どうしても避けられない用事が急にできたから」

ナジュマは何を見るともなく眼を左やや上に向けて云う。その仕草があまりにも可愛いので見つめていると、ふと彼女が私より背が高いことに気付く。

様々な話をしながら食事をとり、時間があっという間に経つ。彼女が突然「部屋で飲み直そう」と云う。そのまま自然と二人の空間でワインを交わし、やがて熱く触れ合い、静かに朝を迎えた。

 ところが、二日後に高校生の時に味わったあの“変異”を久しぶりに感じる。今度はあの時とは全く違い、脳の全体に電気が走ったようになり、共鳴音が絶えず響き、全く歩けず数日ベッドで横になっていた。ジューリアも心配して、仕事を休んで看病に来てくれ、一週間後、ようやく普通の生活に戻れた。だが、これからこの変異がどのようになるのか、不安は拭えないなか、中途になっていた論文を作成するためパソコンに向かうと、行き詰まっていたところが嘘のように一気にクリアすることができた。今回の変異はいままでのようにすべてが画像として全身にみ込んでいく感覚ではなく、予知し難いものを創造し、それから全く新しいものを生んでゆく感覚、いわゆる創造的進化とも云うべき不思議な感覚を覚える。

これが第二の奇跡の始まりであることを察知した。


   ⑨

 ナジュマとはあの夜を境に距離が一気に縮まったが、ジューリアと奈央に後ろめたさを覚える。その気まずさを察したのか、ジューリアは私がナジュマと親密になること、素晴らしいパートナーになることを予想していたと云う。以前、奈央もジューリアとの会話の中で「コーは将来、才能を真に開花してくれる人に出会う運命を感じる」と話してくれたそうだ。

そうして、彼女が奈央にナジュマのことを話したところ「良かったね―私たちがやって来たことは無駄ではなかった。これからコーの本当の才能が引き出されていくね」と云って、少しの沈黙の中に互いの喜びが漂っていることを実感したらしい。

 ところで改めて、ジューリアにナジュマのことを聞いてみた。すると、ナジュマは実はサウジアラビア王の娘とのこと、今の王の直系の娘で兄が二人おり、皇太子の長男は国で事業を展開し、次男はヨーロッパを拠点に事業を拡大、彼女はアメリカのロスで幼少期を過ごし、アメリカの感覚を取り入れサウジの女性の地位・権利向上にも努めている。殊に彼女は男性顔負けの攻撃的なエコノミストで、ファッション界にも知り合いが多く、これから“輝き”を放す可能性を潜めた人だが、公私とも良きパートナーに恵まれていない、と云う。

「どうして、エコノミストでない私に接近させたのか」と聞くと、ジューリアは「コーは多様な資料の分析にも俊れているから、的確に云える専門外者として最適任と判断したの。経済の専門家は一定の枠内では優れた意見を持つけど想定外への対応に難があると思ったから」、彼女は右の眉毛を少し上げ、

「ナジュマはコーの良き理解者になり、コー自身の才能も伸ばしてくれる人だと思う」。今更ながら、奈央とジューリアには感謝するが、二人の優しさは時としてやるせなく胸にこたえる。

 過ぎていく我が儘な時間に身を任せ、研究と物書きの間を縫ってナジュマと会う。彼女とは互いの世界観の話ばかりするがそれが何故か心地よく、彼女は極稀ごくまれに事業の行き詰まりを吐露する。その度に難易度が上がり、面白さを駆り立たせ、それに合う“処方箋”を作っていくのであるが何故かことごとくうまく収まるため、少しずつ会社のランクが上がっていると云う。問題が発生すると、いつものように資料ファイル数冊とデジタル資料付きのPCを彼女が持ってくる。彼女はコーヒーを作り、時間を与えてくれ、答えが出るまでファッションのデザインあるいは読書をする。回答が最高に良い時は終わった時の仕草でわかるそうだが、それは教えてくれない。だが、私にとっては結果よりも分析した“処方箋”の通りに展開する工程が面白いのである。この前もディナーの後、いつもの眼のサインがあり、柵に誘導されるペンギンのように別室に行くと見慣れた光景がそこにある。今回は非常にナーバスで難しい案件と云う。資料に眼を通しながら、PCの画面を何気なく見ると、奈央と子供の楽しい写真が映っている。驚いて立ち上がり彼女に顔を向けると、あの癖のある口元に笑みを浮かべウインクする。テンションが否応なしに上がり資料に没頭してしまう。

 今回は高性能磁石に使うレアアースの問題であり、手元にある資料のほかネットの情報収集も駆使したので、通常の倍は掛かったろうか、漸く答えが出た。ナジュマには簡単に説明したが、この事は直接、役員及び戦略室の社員に説明したい旨を話す。彼女は早速、関係者全員を会社の一室に集合させるよう秘書のマリアに指示する。

 皆が集まり、いきなり私が説明することになった。

「この対応としては一見、会議資料にあるAパターンが尤もな意見にみえ、おそらく皆さんのほとんどがそう思っていると思う。だがこれが大きな落とし穴、見方を変えて、全く関係ないようにみえる資料のテクノ・エージェンシー(T)会社の実績と取引先を確認すると、レアアースの「ジスプロシウム」の代替である「ネオジウム合金」よりも画期的な性能をもつと云われる製品を集中的に研究している。これはまだ実験段階でありながら、ある一部の間では近々商業ベースに出される噂もある。この製品に必要なレアアースはシンガポールのシン・パシフィック(S)会社が独占に取り扱っているもので、インド経由で手に入れている。アラジンが計画している事業にはインドのファンシー・ファンド(F)会社が関与するはずだから、このT・S・F各社の動きを過去三年間分析すると、私が作成した資料のBパターンの戦略が納得できる結果を導いてくれると思う。この戦略の詳細な具体的方法は別紙のフローチャートに記しているが、これはギャンブル性が高く、それをやる勇気と決断が求められることをあなたたちで共有してほしい」。

ナジュマが「コーだったら、どうする、実行する?」と聞く。

「この製品の独占的な契約と関連するレアアースの確保の確率は六割、そのためには西アジア諸国、中国、インドが取り扱っているこの製品に関連するレアアースとF会社の代表者メノンの動きの情報を収集することが絶対条件だけどね」

最後に「より将来性に期待するならば、日本の領海に埋蔵されているレアアースとその代替品の研究がやがて世界をリードする可能性が高いことだ。今からでも日本の政府と太いパイプを築いていたほうが賢明かもしれない。その対応を間違わなければ、世界四大の“GAFA”の一角を崩せるかもしれないよ」と云って、静かに席を立った。

 後日、ナジュマからその後の話し合いを聞いた。かなりめたそうだが、皆は既に実行することで一致していたとのこと、情報収集とその分析は一週間後のスケジュールに当然組まれ、最後の決断はナジュマが下す。

「A案でいかなければ大丈夫だよ、困ったら、君の傍に居るから」

彼女は涙のあとを光らせながら、ハグしてきた。

「この事業が成功しなくても一緒になってくれる」と唐突に耳元でささやき、

「ジューリアと奈央には心配かけない。そのことは十分考えているからね」

ナジュマは私に二人の女性と子供までいることを承知の上で決断したのだろう。さらに彼女はお国柄だろうか、そのことに関しては許せる範囲であるらしく、逆に彼女に「いいのかい」と眼を覗くと、

「知らない女性にフラフラするよりは知っている女性で、しかも子供までいる状況であるなら逆に安心できる。とくにあなたの病気的な性格からしてね」

「病気的な性格?」

分かったようで分からないが、兎に角、彼女とはこれから起こる“面白い”波乱万丈を予測させる。彼女の運命に託すことにした。


  ⑩

 せっかちなナジュマは、早速サウジアラビアの親族に話をして私を連れていく段取りを組んでしまった。アラビア語は話せるので大丈夫であるが、マナーなどの所作に自信がなく、しかもこの自閉症的な病気であり、身分も違いすぎるし、絶対認めてくれないことは明白であることを、彼女に改めて云う。するとあの癖のある笑みを浮かべ、「ひげを生やしてくれれば、あとは大丈夫、任せて」と自信ありげに、垂れていた前髪を耳にかけた。

 いよいよ、その日が来た。彼女の自家用ジェット機でジューリアとマリアを連れてサウジアラビアに向かうと、ナジュマからサウジに行く前にイタリアに一端寄ることを云われる。彼女とジューリアをほぼ同時に見る。

ナジュマから「ジューリアには話をしたけど、彼女の両親に改めて会って挨拶をすることにしたの。あなたに前もって云うと自制のコントロールを失うからね」と。ジューリアの両親に会うのは数年ぶりであの時と状況が違う。少しずつ緊張してきたが、ナジュマの手が優しく私の頬に添えられる。

フィレンツェの空港に着く。空港には彼女の両親と姉が迎えに来ており、挨拶だけは最近、ナジュマのお陰でまともにできるようになり、ややぎこちなさは残るが違和感はない。さすがにサウジの王の娘ナジュマの存在は大きく、その対応には特別な“おもてなし”を感じる。ジューリアの家柄も由緒ある歴史を醸し出しており、二つの病院を経営している家族の屋敷はまるでお城の風格である。ナジュマの後ろを付いて行くしかない私は、ジューリアと眼を合わせながら連れてきた子供の頭に手をやる。彼女の両親もすでに私の自閉症的性格を知っており、対応にも違和感はなく、また会話の中で私の著書と翻訳本はすべて購入していると云われたことで、やっと打ち解けることができたような気がした。

翌日の朝、サウジへ向かい、約十時間でリヤドのキング・ハーリド国際空港に到着した。飛行機から降り立つと、赤い絨毯じゅうたんが敷かれ、兄の皇太子以下親族や政治家らしき人物たちが立ち並び迎えられた。挨拶等のマナーは事前にナジュマに教えてもらっていたが、自分でもわかるぐらいに何故かぎこちなく、それを横目で見た彼女の眼は笑っている。背中に汗をかき、足がもつれそうになりながら、素早く車に乗り込むと同時に彼女が手を口に当てまたクスクスと白い歯を僅かに見せる。殊に私は泣くとも笑いともつかない引きつった顔になっていたらしい。

やがて王室に通され、父サウード王とラニア王妃に謁見、緊張感は絶頂に達する。マナーも会話もどうしたのか全く記憶になく、ナジュマには後で聞いたが奇跡的にうまくいったそうだ、一度転んだ以外は、と。道理でその後、膝にあざができていたのはそのためか、痛いのが後から来た。

晩さん会の後、兄二人と話す機会があり、ナジュマのことについて幾つかの“助言”―彼女は時々先走って失敗することがあること、そのため他人に誤解を招くことが多々あること、おそらく彼女に毅然とブレーキをかけ、誤解を解くことができるのはあなたしかいないこと―をもらい、彼女もそれを感じており、あなたの存在を大切にしたいと云っていることも内々に教えてくれた。このことは父にも進言するから、結婚は大丈夫だよ、と勇気付けられ、また私の翻訳した本が国中でも評判が良く、王と王妃も何冊か読んで相当気に入っている、とも。

私は取って付けたような髭を撫でながら、やや遠くにいるナジュマと眼を合わせる。

 結婚式は八ヶ月後にいきなり決まった。様々な段取りを決めていく大変さはあろうが、王と王妃はそれを楽しんでいる様子だ。私はまだ事の重大さが分からないのか、王室に使えるアラブの女性に眼が泳いでいる。それを察したナジュマはいつもの癖のある口元を見せてはいるものの、眼がやや吊り上がっている。これを見た母王妃は唯小さく笑うだけ、こちらもニコッと笑ってしまった。

 どうにか無事に帰国の途に就くことができた。

「その髭でうまくいったかもね」

左の眉をやや上げながらナジュマが冗談を云う。私はまた取って付けたような髭を撫でながら胸を張る。コーヒーに手をやり何気に外を見ると、何故か飛行機の方向が違う気がする。

「今度はどこ?」

「実はね、奈央に会いに行くの」

彼女がまた独特な笑みを浮かべ、ジューリアと眼を合わせた。今度は緊張しない、逆に楽しく待ちきれず、ナジュマも奈央とは何度もネットで交わしているが、初めて会うことを楽しみにしているようだ。

シンガポール経由で昼頃に羽田空港に着く。特別待合室には奈央と子供、それに彼女の両親が待っていた。早速、上の子の彩を抱っこしようとすると嫌われ、奈央の後ろに回る。少し寂しさを感じているとジューリアから仕様がないよと云わんばかりに肩に手を懸けられ、それじゃ―下の子の光を抱くと今度は泣かれる。もうお手上げの恰好をして悄々しおしおと頭を奈央にもたせ掛けると皆が笑顔になった。

それから、奈央が住んでいるマンションに向う。其処には私の母がおり、相変わらず着物が良く似合う人だと改めて思う。母の手料理を皆で食べ、実に懐かしくおいしい。ナジュマ、ジューリア、マリアも日本の家庭料理を夢中に味わい、自然と会話が弾む。ナジュマは日本の狭いマンションが気になったのであろう、ジューリアに「もっと広いマンションはなかったの」と聞く。

「この辺ではこれが最大、これ以上は二部屋を改修するしかないね」と私が云う。

ナジュマにとって、この部屋は安普請の感が否めないらしい。

すると、彼女は窓から見える建設中のマンションを指して、「今のうちに設計変更してもらって広い部屋を造ってもらうといい」とマリアに指示する。奈央が眼を丸くして「これで十分助かっているから、これ以上はいいよ」と私の方に眼をやり遠慮する仕草をする。だが、ナジュマがいつもの笑みを浮かべながら、奈央にこれから子供が大きくなるし、私たちが日本に来た時に一緒に泊まれるようにしたいから、それからコーを世界に送り出してくれたことへの感謝として、そうしたいと云う。奈央もナジュマの勢いに圧倒されたのか、観念したように日本式のお辞儀をする。ジューリアもマリアとこの事を進めることになり、その夜、奈央とナジュマ、ジューリア、マリアは遅くまで話が盛り上がったようだ。

滞在は一週間ほどでそのうち三日間は、奈央の家族、私の母も連れて日光に温泉旅行を兼ねて行き、久しぶりに日本の温泉と自然の空気に酔いしれた。

時間は無情に過ぎてゆく。とくに楽しいことはなぜか早く去り、空港での別れは息を吐くように別の時間へ追い立てる。殊に少し気になることがある。別れ際に母がやけに眩しく見えたこと、いつもの優しい眼が透き通るようにみえたことだ。その不安も帰国して二週間後に現実のものに―母は笑みを浮かべ眼を閉じたそうだ。その夜、私は涙も拭かず大声で一人泣くばかり、ナジュマはその声を別室で唯聞くしかなかった。


  ⑪

 もう一つ、私の感覚に懐かしい“変異”が加わってきた。周りの雑音が音符になって流れてくる。これを絶対音感と云うのであろうか、高校三年から音感が狂っていたが、生活の中で音楽だけは常に流し、アメリカでは多くの国々のあらゆるジャンルの音楽を聞いていた。急に、弾いたことのないピアノに興味を持ちだしたのもこの頃で、ナジュマに相談したところ、あの空港で会ったフランス人のピアニスト エヴァに連絡を取り、友人のルシィを紹介してくれた。彼女は、私の大学の傍の音楽学校で教えており、主に時間が取れる夕方に指導を受けることになった。大学の講義、研究が終わってから彼女の教室に行き、それから一時間半から二時間を目安にフランス語で指導され声楽も受ける。基本はクラシックでとくにモーツアルトとショパンを中心に受けるが、どうしたことか、楽譜や教えられることがスポンジに水が浸み込むようにすべて吸収してゆく。徐々に指導する機会が減り、ルシィとのジョイント、作曲も手掛けるようになる。数ヶ月後には独特の音楽・リズムが身に付き、人前で歌うことを勧められたが、今は楽しく、ストレス発散にも役立っているので当分はこのままでいい。

 ナジュマ、ジューリア、それとラインを通して奈央にも時々作った曲を披露する。英語の他、アラビア語、イタリア語、日本語で歌い、三人とも感動して歌手デビューをほのめかすが、私の性格を知っており、それ以上の事は云わない。ナジュマは友人が経営しているクラブで弾くことを進めてきたので、週末の2時間程度ならと簡単に承諾してしまった。これも後に面白い出会いがあることになる。

 ところで、ある日、ナジュマは帰宅するなり、

「この前の事業が思った以上にうまく事が進み、テクノ・エージェンシーと日本政府に資金援助をすることで商業ベースの契約を結ぶことになり、それに反応した相場が急上昇して、その影響もあり二兆円規模の収益をあげることができた。コーが云った通り“GAFA”の一角を崩すことができたよ」と早口で云う。

「心配しないでいいよ、と云っただろう。それを可能にしたのは私だけでなく、ナジュマと君を信じた部下でしょう。唯、日本の古いことわざに“おごる平家は久しからず”と云うのがある。財力を得たからと云って思い上がり、自分勝手な振る舞いは慎まなければ必ず滅びる、と云う戒めの意でもあることを知っていてほしい」と、カッコ良く私が云うと、

「何かご褒美を上げるね」と返事してきたが、それはもういらないことを人差し指でサインを送り、

「ただし、一つお願いしたいことがある」

「それは何?」

少しをおいて「もうここまで企業として上り詰めたらNO1を求める必要はない。本当のNO1を求めるならば、社会貢献を積極的にする企業へ変貌してほしい。これをすることにより、世界中の企業や個人からリスペクトを受け、実質のトップ企業として認識してくれる。苦境に陥った時に助けてくれるはず」と、さらに会社内にその専門部署の設置も願った。

 ナジュマは早速その部署を設け、ジューリアには私の秘書を兼務にこの部署への参加を依頼した。つまり世界の多くの国々を対象とする“社会貢献”を進めるうえで彼女の語学力が必要であるため、今勤めている翻訳会社の退職は避けられないと云う。

「彼女の才能は確かで素晴らしいことであるが、私の秘書を兼ねるのでガチガチの束縛はやってほしくない」

彼女にこの事を願うと、

「それはコーと同じ考えよ、それはあなたのためでもあるし、私のためでもあるのよ」

あの癖のある口元を緩め、続けて「子供ができたみた―い」と唐突好きな彼女がほのかに顔を赤らめた。私は咄嗟とっさに「ウァオー」と叫んだが、これには嬉しいのと同時に結婚式の後でよかったという気持ちが交錯している。彼女二十七歳、私が三十一歳の時である。

 それをジューリア、マリア、奈央に話すと、一気に世界の半分ほどに流れたような勢いで多くのアクセスが舞い込んでくる。サウジアラビアからは父が早速、来週にはアメリカへ行くと云い出してきた。ジューリアには、「ナジュマと二人であの別荘に行き、余計な人とは会わず、仕事はパソコンを通してやる。ジューリアだけは一緒に来てほしい、このことはマリアと二人だけのことにしてくれ」と電話で伝え、さらに「彼女の両親には恐らく場所だけは教えるけど来ることは控えてほしいことを私が強く言うから、絶対に」、ジューリアにはその準備をしてくれるようお願いした。

ナジュマには「この騒ぎも一ヶ月ほど静かにしていれば、大丈夫だろうから、私も丁度、学校が休みに入るので料理と音楽を楽しむよ」と、彼女のお腹を摩りながらキスをする。

 この別荘に入る前に、歴史言語学の専門書を執筆したので、この素晴らしい時間は密かに書いている小説と作曲に没頭しようと思う。彼女も本業が忙しく暫く離れていた服のデザインと新たにバッグのデザインをするそうだ。一ヶ月も過ぎると、二人ともたくさんの作品が出来上がり、互いに鑑賞し合っていると、マリアを通して世界の主要企業のCEOから私へ“アドバイザー”の申し込みが相当数送られてきた。

ナジュマは「あなたの才能が評価されてきたようね、恐らく帰ると大学まで押し寄せてくるよ」と云う。それに対し咄嗟に「アドバイスをする企業には一つの条件として社会貢献を基準に見極めるよ」と返事をする。私は企業が利益一辺倒の姿勢から社会貢献への意識を高く持つこと、これは間接的に利益をもたらす結果となることへの改革を世界的規模にまで徐々に広がることを目指す、と彼女に独り言めいた口調でボソッと漏らす。彼女は小さくうなずき、お腹を摩りながら私の胸にもたれてきた。

 彼女は、小説と作曲に陶然たる気持ちになっている私を見て

「何か面白いことを企てているんでしょ―」、

あの癖のある口元に微かな笑みを浮かべ探ってきた。私も口元を真似るように微笑み、

「来年生まれる子供と君へのプレゼントだよ、いいのができる予感がする」

「ジューリアと奈央にも忘れないでね。ああ―そうだ、あなたが良ければその作品を商品化しようか」、

さすが商売人である。

「でもこの作品は自己満足のものだから売れないよ」、

それでも彼女は「記念だから」と云って、もうその気になっている。ここまで来たら彼女は引き下がらないことは分かっている。冗談で「十ヶ国語で作ろうか」とピアノを弾きながら何気なく云うと、彼女は飲みかけたミルクを止め、眼を輝かせ「面白い」と一言、即座にマリアへ連絡する。彼女の行動力と決断にはいかなる人も口出しできない、私以外、恐らく。

 やはり思った通り、おめでたの話は鎮まる。また大学へアドバイスを求める企業のもうでも外れることはなかったが予想以上の相談数となった。ジューリアには一つの条件を満たす企業のみ、先ずは何枚かのレポートと資料の提出、その後興味あるものだけに打診することを伝える。自分の時間が削られると我が儘な子供のようになる性格だから、血縁・縁故などの親密度は関係なく、興味のないものは毅然と断る、恐らく。

ところがこのアドバイスのほとんどは、ナジュマが自社に設けた専門部署で対応することになり、答えが出にくいものだけ私が加わることにするが極力少なく抑えると云う。ナジュマはこれもコンサルタント事業に組み込み、月単位で世界中から百件程度の依頼を予想し、また多くの情報も手に入れることができると云う。優秀なエコノミストは儲かる感性とすべを持っている。


   ⑫

久しぶりに、ナジュマと一緒にピアノ弾きの“アルバイト”をやっているクラブへ行き、彼女は相変わらずミルクを飲みながら、私のピアノを聞く。ほのかなアルコールの香りに酔いながら別荘で作った曲を披露していると、別席にいた芸術家風で白髪交じりの男がグラスと氷の擦れる微かな音をたてながら近づいて来る。

「良い曲と張りのある魅力的な声だね」、

ピアノに手を掛けながらかすれた声で云う。

「サンキュウ」と返し、水割りを一口飲む。

彼は顎鬚あごひげを撫でながらいきなり、

「その曲をプロデュースさせてくれないか、あなたには音楽の才能がある。あなたの歌に喜ぶ人を見たくないかい、幸せを降らせることは面白いことだよ」

この人はその気にさせるのが上手い。

「じゃ―あなたに任せる。だけど私は大学の仕事を優先したいから十分な時間は割けない。それに画面に自分の姿が映ることは非常に抵抗がある」、

私の言葉を遮るように

「あなたのことは分かっている。この先一ヶ月以内に一回だけ半日の時間を割いてくれればOK」

ナジュマはその男を知っていたようで握手を交わし、その話に興味を示す。早速具体的な条件について、後日連絡することになった。聞けば、アメリカの音楽プロデューサーで名はトンプソン、彼女は「彼は優秀で確かな人だから、ヒットしたら大変だね。コーがその才能を画面に映せば、コーみたいな特殊な能力を持った人々に勇気を与えると思うよ、私も見てみたい」と嬉しそうな眼をして云う。

彼女に云われたらどんな嫌なことも許せる気がする。

  ◆

三ヶ月後、大学で講義をしていると突然、マリアから連絡が入ってきた。男の子が生まれたらしく、もうパニックである。その情報をぎ付けた学生、職員、さらに学長までも駆けつけ「おめでとう」の連呼、慌てて車に乗り病院へ向かう。そこにはジューリア、マリアが両手をあげ満面の笑顔で迎えてくれた。

するとベッドの脇には驚いたことに、お忍びで来たのか、父サウード王とラニア王妃が立っている。「アッサラーム・アレイクム(こんにちは)」と挨拶するや否や王は私の手を握り「おめでとう、ありがとう」と云う。王妃は眼が潤んでいる。思うに、息子二人の子供はすべて女の子で初めての男の子だからうれしいのか、それとも一人娘の子だからか―つい野暮なことを考えてしまった。いずれにしても二人の優しい眼とナジュマとの“家族の団欒だんらん”を見てそう思った。

彼女の横には大きなベッドを一人占めするかのようにスヤスヤ眠る天使がいる。奈央とジューリアの時と同じように温かい涙が眼に溢れまともに見られないでいると、ジューリアが横目で私の涙顔を見ながらほほ笑む。ナジュマはあの癖のある口元を緩め、

「大丈夫? ヤバイ(お父さん)」

「頑張ったね、オッム(お母さん)」

涙を拭きながら返事することが精一杯、後は言葉にならない。

 だが、女性は強い。退院後の三日目には赤ちゃんを連れて仕事に復帰している。因みに名前は、ハーリド、父王から付けてもらった。

会社内には当然託児所が完備されているのだが、仕事や会議中も関係なく時間になったら、その場で母乳を飲ませるそうだ。「男たちは君のオッパイが見られて幸せだろうね」と云うと、「特殊なエプロンがあるんだよ」と取り出し、肩をすぼめ呆れた顔を見せながらそのエプロンを私に懸けてきた。これは残念ながら完璧に見ることができない。

     

 会社に突然、最大の試練がやってきた。簡単に処理されるであろうと思われた案件が何千人の訴訟へと展開する可能性が出てきたのである。この案件は許可を得る予定の医薬に関するもので、具体的にはヘルペスウイルス感染症とインフルエンザウイルス感染症に対する新しい抗ウイルス薬の販売である。通常の役員会議で何の支障も無いことが確認され、ナジュマも了承していた。事務的な手続きも順調に終わり一部流通した直後に隠されていた“事実”がある筋から漏れる。この薬に関するデータの改竄かいざん及びその副作用の一部隠蔽いんぺいが流れ、8割の取引をストップせねばならなくなった。その信憑性しんぴょうせいには非常に疑問があり、得体の知れない“圧”を強く感じるが、今の世俗に広がる情報の拡散は多様な風評を生む。殊にその事実の確実な情報を優先に掴むことは当然であるが、会社側はこの対応に一週間ほど費やしたにも関わらず一向にらちが明かない。事態は最悪の状況へ進む。

突然、私の「ナジュマメール」音が飛び込んできた。夕方であったため、ピアノを弾いていた私は飲むはずだったコーヒーを残して車に飛び乗り、ナジュマの会社に向かう。ジューリアが玄関に来ており、ある程度の経緯を教えてくれる。会議室に入ると、ハーリドを抱いて母乳を飲ませながら、話をしている彼女がおり、飲み終わると少し持ち上げ、背中を優しくさする。すると小さな体に似合わず大きなゲップを出す、そうしてマリアに渡す、おそらく託児所につれていくのだろうと、それを眼で追いながら彼女のいつもと違う声に事の重大さを感じる。しかし、ナジュマのこの一連の動きが討議を損なうことなく、自然に進められている光景を見て、今直面している難題は必ず解決され良い方向に進むだろうと根拠もなく確信した。

 幾つかの意見が出されている間、私はパソコンを夢中にたたいている。彼女が突然、私に振って意見を求めてきたので、今までの意見とキャッチした情報をもとに、

「心配することはない、私に一つの解決策が浮かんだから」

皆が一斉に身を乗り出してきた。詳細にPCを使って三十分ほど説明し、それぞれの役割を事細かに指示する。さらに

「ニュージャージーに在る製薬会社マルクのCEOジョージ氏を説得して、その会社の製造技術と抗ウイルス薬に関わるデータを押さえれば、何とかなる。だけどある程度の損失は避けられないけど」と云い終わるや否や、全員が立ち上がり行動に移ってゆく。ナジュマとマリアはそれぞれ癖のある笑みを浮かべ互いに握手をしている。なぜか孤独感を感じた私はジューリアに「お腹すいたから、何かおいしいもの食べに行こう」と云うと、彼女とナジュマは私の両脇に立ち腕を掴み、駄々をこねる犬を運ぶように部屋を後にした。

 だが、そう容易たやすく解決される問題ではなかった。殊にマルク社のジョージ氏に近づけない。アクションを懸けると何故かある上院議員や州議員の関係者がチラつき遮断されてしまい、その情報がナジュマを通して私に流れてきた。そこでジョージ氏の親族と交友関係についてネットに載っていない情報の収集をジューリアとマリアに指示する。とくにジューリアには「イタリアの家族は医師だったね、何か情報を持っていないか聞いてくれない?」と至急お願いする。

そうして、集まってきた資料に眼を通していると同氏の娘の名前と写真に釘付けになる。この女性の名はサラと云って、あの高級クラブでよく私のピアノを聞きに来てくれる人と思った。何度か話をしたことがあり、その中で父の事業を近く引き継ぎ、父は会長となってほとんどの権限は彼女に譲られる旨を思い出し、早速、彼女に電話する。最初は新しく作った曲の話をするが、唐突にナジュマの会社の窮地のことを話し、その援助をお願いしたところ、彼女は「ナジュマは男性社会に挑むシンボル的な存在で女性の多くは非常に尊敬している。それと企業自体が積極的に社会貢献を展開する姿は、企業のあるべき理想像を映している」と云う。全面的に協力する約束を得ることができ、さらにその薬のデータ改竄と副作用のことについては全く無いことも断言した。

 数日後、必要な書類がサラから私の特別なメールボックスに送られ、早速、ナジュマら関係者に私も加わり眼を通す。この書類から隠蔽された“事実”は認められない、また不自然な文言や資料操作も無く、ジューリアとマリアに指示した情報からもそれは確認できない。何を根拠に政治的な“圧”を掛けてきたのか、皆が頭を抱えだした。

「少し気になることが一つだけ」とひとり言のように云うと、皆が一斉に私を凝視する。

「マルクが委託している薬剤研究所ジャックの詳細な収支決算と研究者のリストが見当たらない。入手は難しい?」

役員の一人が「この研究所のセキュリティーは強力で難しいので、職員側からアプローチを探っているのだけれど、どうしても手に入れられない。唯何かがあるのは確かだと思う」と。

なすすべもなく、また一斉に頭をもたげる。

私も行き詰り、コーヒーを飲みに席を立ち、ビートルズの「レットイットビー」を口ずさみ歩き出す。ジューリアにはナジュマの部屋でブレークタイムと振り向きざまにサインを送る。

彼女の部屋に入り、コーヒーを飲みながら、壁に掛かっているサウジの両親の写真や机に置いてある私とナジュマ、そしてこぼれる笑顔いっぱいの子どもの写真を見るともなしに眺めていると、ナジュマ、マリア、ジューリアが突然入ってきた。

ナジュマが「マリアの元カレが薬剤の専門家だそうで、連絡したところ、今はこのジャックの主任研究員として勤めているんだって。どうする?」

「マリアがその彼に一人で接近すると、辛い思いをさせてしまうから、私は望まない」と云うと、目を伏せていたマリアが少し笑みを浮かべた。

「それならば、ナジュマとマリアでその彼に会い、今の状況を正直に話しては。これは一種の賭けだけど、議員とこの会社との間にマイナス的な何かがあるような気がするから―」と、コーヒーの波紋を目で追いながら云う。

ナジュマはマリアと目を合わせ、二人でそそくさと出て行く。

本日の会議は終わりとし、明日午後に改めて開催することになった。

ナジュマとマリアは早速、その日の夕方にその元カレに会いに行ったらしく、夜遅く帰ってきた。私の部屋に入るなり、彼にはアラジンが窮地に陥っていること、データと副作用の信憑性のことを素直に話したと早口に云う。

それを聞いた彼は、殊に二人の議員について過去にも、研究所のデータ改ざんを暗に要求され、また将来得る利益の数十%を露骨に要求してきたことも教えてくれた。今回の件についても同様で要求額を釣り上げてきたと云う。

そこで研究所の役員数名と彼とでこの議員との決裂を計画し、製薬会社マルクには本当のデータと副作用のないことを送り、議員には操作した資料を“本物”として渡したと云う。彼らのいつものやり方はそのマル秘データをもとに訴えを起こすか、水面下の取引を持ち掛けるとのこと。

それを聞いたナジュマは、元カレにその事を後で議員が知ったら、何をされるか分からないのに、なぜその手段を取ったのか、と聞いたところ、彼はマルクにはアラジンが関与しているから、この問題を探るうえで必ずジャックに近づいて来ると思い、その時はこの計画を話し、何らかの対応策で救ってくれると期待していたと云う。

さらに彼は会社のデータは容易に持ち出せないシステムになっているから、研究所長にアラジンのことを話し、所長の権限で持ち出せるようにするにはどうしても十二時間の時間が必要なので、それまで何も動かないでほしい、と。

このことを了承し、その後三人で食事をしたそうだ。

翌日の午後二時、ナジュマ専用の特殊なメールを通して送られてきた資料を確認し会議が始まった。製薬会社マルクに送られたデータとジャックが議員に送ったデータを比較すると、情報通り三ヶ所の改竄かいざんが見られ、議員に送ったジャックの“本物”データでは副作用が発生することを専門家に意見を求め確認した。

だが、この事には大きな問題が含まれている。これを公表すると、ジャックが議員から圧力を受け、また会社の過去の誤った判断がクローズアップされてしまい、存続の危機に陥る可能性が高い。重たい空気が皆に押しかかる。

ナジュマが「逆に営業妨害等で裁判を起こして、議員の“実態”を表舞台に引きずり出しては」と云う。

「裁判になると、長期戦になり、会社のイメージと信頼が少なからず損なわれるね―」

万年筆をくわえ、窓から見える遠くの海を見乍ら、

「事前に、二人の議員に会って、こちらで独自に分析した振りの資料をみせ、そのデータとマルク社のデータを示してはどうか、議員は必ずジャックと連絡を取るはず、その齟齬そごに関して議員の資料は新しく導入した機械で分析したもの、マルクの資料はこの機械を導入する前に既存の機械で分析したもので、機械の不具合に検査官が気づかなかったとか云って誤魔化せば。面白いドラマになると思うけど」。

今までとは違う対応を示すと、皆が互いに顔を見合わせ、口元を緩めた。この大きな芝居を三日後、ジャックとアラジンで仕掛けることに決定した。

“演劇”部隊は、ナジュマを座長にその他二名の役員をサポート“役者”とし、私とジューリアがその指導に当たり、マリアにはジャックの元カレに口裏を合わせることと議員との“舞台”設定をお願いする。他の関係職員は、この事がさとられぬよう平然と通常の業務を行うことになった。

いざ、当日を迎えるとナジュマが極度に緊張している。普段の交渉なら何でもないのであるが、芝居となると勝手が違うらしい。そこでジューリアが

「コー、あなたの出番だよ」とそそのかすので、急遽、私とナジュマ二人で“舞台”に乗り込むことになった。

やや暗い通路を通り、奥まった雑居ビルの三階にある部屋に立ち、重そうなドアをゆっくりと開ける。そこには大きなソファーに座る二人の議員とその取り巻きがにやけた顔を振りきながら雑談をしている。相手は私のことを知っている様子で、翻訳、小説、音楽のことを前哨戦として聞いてきた。ひと通り雑談が終わると、ナジュマが本題に入る。

すると、一人の議員がいきなり薬剤の分析データを出し、

「このデータがマスコミに流れたら、そちらも困るだろう。話によってはこのデータを消し去ることもできるがね」と、鋭い目を向けてきた。これに対して、ナジュマは一歩も引かない。

「こちらには、独自に分析した資料とマルクの資料がありますのでご覧ください。まったく同じデータ数字とそれに対してのほぼ共通した分析評価が記載されており、何ら問題ありませんが、そちらの分析資料はどこから入手したものでしょうか」と、逆に眼を見開いて身を乗り出した。

相手は眼を丸くして狼狽うろたえている。そのうちの一人が急に席を立ち部屋を出て行く。

間違いなくジャックに連絡だなと思い、この漂っている重い空気に快感を覚えつつ、ナジュマの横顔をりげ無く横目でみる。

やがて数十分の沈黙をドアの開く音が打ち破る。帰ってきた議員は座りもせず、いきなり「わかった」と一言発して、ハイエナが集団で去っていくようにそそくさと部屋を後にした。

その途端、ナジュマはソファーから滑り落ち、膝に力が入らず私の足を掴む。そうして、お互い満面の笑顔を見せ、キスとハグを繰り返す。今日は、最高級の肉とワインを頬張ほおばりたい気分になり、ジューリアとマリアも呼んで酔うことになった。

 ナジュマの会社が動き出したことで大きな金が動く、そこに利権が絡むことは世の常であり、ましてやバックに議員が絡むと厄介になる。会社が大きくなればなるほど、試練も多く降り注ぎ、大きな試練は相応の“出血”を伴うが、逆に会社の基盤を強固にすることもある。

家では何事も無かったようにハーリドにミルクをやっているナジュマ、あの時の膝の崩れは私の心に封印しておこう。

トップは泰然として構えている姿を部下に見せることで安心感を与える。彼女の“可愛らしさ”を知るのは私だけでいいと思った。


  ⑭

 数週間ほどが経ち、何気なく開いたタブレットからどこかで聞いた曲が流れてきた。そう云えば、以前、ミュージシャンのトンプソンのスタジオでレコーディングした曲である。見事にアレンジされた曲は思った以上に爽やかなものになっており、ジューリアに私の曲の事を聞くと、

「アメリカだけでなく、ヨーロッパやアジアの国々でも大ヒットだよ」

このヒットの影響もあるのだろうか、最近の歴史講演の列席者は以前と比べものにならないぐらい多く、会場に入りきれないこともよくある。また歴史講演なのに最後に必ずピアノが出て来て数曲歌うことになる。私は嫌いじゃないが列席者の空気が確実に変わってきたことを感じ、さらにこの曲は英語の他五ヶ国に翻訳したことを思い出す。

いずれにしても、このヒットのお陰で三ヶ月程のインドネシアの調査費が確保でき、また貧困層の子どもたちへの教育費と食料供給にも増額ができたと喜ぶ。この前の“アラジンの難題”はいつの間にか頭の片隅に追いやられていた。

 ところが突然、ナジュマの会社に呼ばれ、ジューリアに連れられて会議室に入る。悄々とした面持ちで座っている役員たちを見ると、急に足取りが重く気も重くなって椅子に座るのが辛い。すると全員がいきなり立ち上がり、握手とクラッカーが鳴った。私は事の状況が掴めず、ナジュマとジューリアの顔をテニスの観客のように交互に見る。ナジュマが

「あの問題はコーの大活躍でクリアすることができてね、逆に強固な基盤も築けることができたみたい。非常に感謝している。あの二人の議員はジャックから手を引いたらしいよ」と、軽くウインクをする。

もしかすると、ナジュマが共和党の大御所に声を掛けたのかも知れない、と他愛も無い憶測をしてしまう。

やがて、上半身が隠れるぐらいの大きな花束がやって来た。ナジュマから一言と促され、恥ずかしさの中にも満足感が漂い、つい最後に「今度は私の小説と曲を買ってください」と云うと大爆笑になった。

 帰りの車の中で、ナジュマが「今書いている小説はいつ頃出来上がる?」と聞いてきた。

以前、別荘で書いた小説は三ヶ国語に翻訳出版したところ、かなりの国から再販の問い合わせがあったと聞く。

「タイトルは『二つの世界』で、もう二週間程度で出来上がるよ。

今度は七~八ヶ国語で作っていて、世界中に届けたいと思ってる」と話すと、

「また々面白そう―もしかしたら今度は世界文学賞を取るんじゃないの」

あの癖のある口元を見せるや否や唐突に、

「子供ができちゃった―」

レモンジュースを飲みながら眼だけ私に向ける。最近、彼女の唐突な言葉に慣れてきたのか、それほど動揺しない自分に驚く。

「今度は私が名前を考える、三番目はナジュマに任せるよ」

すると、彼女の方がビックリしたのであろう、飲んでいたジュースを噴き出し、私の顔にシャワーを浴びせた。


   ⑮

 いつもの生活が淡々と経てゆく。朝五時に起きてパソコンに向かい、翻訳と小説を書く、九時ごろから学校へ行き講義と研究、夕方はピアノと曲作り、それから家に帰って夕食の支度、いつの間に男の子二人、女の子一人となって、子育ては大変だけど非常に楽しい。ナジュマは相変わらず週一日の休み以外は遅い帰宅、また仕事でヨーロッパとサウジに行くことも多い。だが、かなり社会貢献事業が拡充されてきたようで、しかも社会進出・活躍する女性のバックアップも軌道に乗ってきた感がある。彼女には体のことを考えて、三週間程度の休みを取るようにお願いしている。地中海から北欧のクルーズ船旅を家族で行けるよう、ジューリアに調整を任せた。

 どうにか二ヶ月後に休暇が取れ、家族でイタリアへ飛ぶ。

久しぶりにジューリアの実家でゆっくりと時間を過ごし、もう六歳になった彼女の娘ラウラを父母のもとに預ける。

翌日の夕方にジェノバ港へ、船長から船首にある特別部屋へ案内を受け、過剰すぎるほどのサポーターが付くことになった。マリアからこの船のオーナーがナジュマであることを聞く、道理で。

 ジューリアとマリアにもそれぞれ部屋を取る。事前にナジュマへ、少しでも旅の気分を味わえるようにそうお願いした。フランスのマルセイユ、ポルトガルのリスボン、イギリスのポーツマス、ノルウエーのオスロ、デンマークのコペンハーゲン、スウェーデンのストックホルムを回り、今回は特別に何もせず、観光、ショッピング、食事、それに子供との遊びを楽しむ。ジューリアとマリアもゆったりと時間を味わっているようだ。

そうして、この幸せな時間がいつまでも続くと思っていた・・・

 夜空から降る雨は、まるで星のすべてを溶け落とすかのように音を立て船の窓を叩く。

船旅の最終日、部屋で夕食を取っている時、ジューリアが突然転んで立つことができない。医務室で暫く休んでいたが良くならない。天候の回復を待って、早朝にヘリを使い、近くの病院へ緊急搬送する。心配なので私が付き添い、精密検査の後、重い空気のなか医者に呼ばれ、静かに椅子に座るが緊張しているのか体が強張こわばる。

「急性白血病です、あまり良くないのでご親族の方を至急呼んでください」と告げられる。

私はそれ以外の言葉はもう耳に入らず、緊張が極度になりパニック状態になる。ジューリアが私の異変を感じたのであろう、ベッドから身を乗り出してきた。私は慌てて彼女のもとへ行くと私を抱き締め、

「落ち着いて、大きく深呼吸すれば大丈夫」

彼女は自分のことより私のことを心配している。気持ちは落ち着いたが、唯、涙が音を立てるようにゆっくりと流れた。

 彼女は薬を飲み、すぐに微かな寝息を立てる。私は彼女の寝顔を遠目で見ながら、ナジュマと奈央に連絡するが、二人とも言葉にならない言葉を発し、いきなりナジュマは「至急アメリカの病院を手配する。二時間後に近くの空港にジェットを向かわせるから、病院にも搬送できるよう指示しとく、コーは彼女の傍にいるように」と云う。彼女はヘリに子供たちを乗せ、ジューリアの実家へ行き、両親と姉と共に待ち合わせの空港へ、いっしょにアメリカへ向かう。マリアは病院に最も近いジョン・F・ケネディー空港に連絡し、救急車の手配を指示する。病院へはナジュマが直接連絡、その対応をお願いする。すべての動きが私抜きで迅速に動く。

 しかし、神は大きな試練を与え、時が重くし掛かる。

どんなに多くのお金を積んでも役に立たず、私は只管ひたすらに彼女の手を握るだけ。私の肩にナジュマがそっと手を懸ける。唯々、無言のまま―涙が溢れ止まることを知らない。ジューリアとは最も長く一緒に生きてきた。私のことをナジュマ以上に知っているのかもしれない、だからナジュマは彼女を放さなかったのだろう。

彼女に大きな声で呼びかけた、

「ありがとう、幸せだよ、ジューリア」

彼女は僅かに眼を開け、いつものように口元を緩め、「me too」と絞るように云う。彼女の眼から一筋の涙が流れ落ちる。

寝ている彼女を骨が砕けるほど抱きしめたい衝動に駆られた。

落ち葉の音が聞こえるぐらい静まり返っている。

   ◆

 一ヶ月後、ジューリアの子供と同じ家に居る。ナジュマと話し合い、彼女の子供を養子に迎えることにした。子供たちは仲良くやっており、ナジュマは相変わらず忙しい。私も漸くいつもの生活リズムに戻り、何も変わらない時間の経過に至福を味わう。

それから二ヶ月後、ナジュマは私の世話がやはり気になるのだろう、新しいパートナーを付けると云う。その人が今日来るそうだ。するとチャイムが鳴り、ドアを開けた途端にフリーズする。

「ジューリア?」

あの癖のある口元もそっくり。

「名前はパオラ、イタリア生まれで、ジューリアの姉ダニエラの娘です」

少し訛りのあるイタリア語で、何故か懐かしさを感じる。

彼女は私の書物、楽曲、それと特殊な能力にも魅力を感じ、私のもとで仕事をしたいことをナジュマにお願いしたとのこと、ジューリアから小さい時によく聞かされ、その運命を感じていたと云う。思えば、ジューリアが私の世話を遣りだして一年が過ぎた頃だろうか、こっそりイタリアに二人で遊びに行った時、姉ダニエラの子供がいきなり私たち二人の間に入り両腕にしがみ付き乍ら「結婚するの?」と聞いてきたことを思い出した。

あの時の女の子か―庭に咲いた淡い紫色のナデシコを見ながら感慨深げにうなずく。

 彼女も語学が堪能で、英語はもちろんフランス語・ドイツ語・スペイン語、その他にアラビア語と日本語を勉強中とのこと、また留学したボストン大学で教育とアメリカ文学を研究し、とくに貧困層社会と基礎教育に興味をもったそうだ。ジューリアとは頻繁に会っていたと云うが、私は全然知らなかった。もしかしたら、ジューリアはすでに自分の命が短いことを察し、パオラに自分の思いを託したのかもしれないと漠然たる思いがよぎった。


 ⑯

 アメリカに来てからもう二十年が経ち、四十を過ぎてしまった。その半生をふと振り返る。

二十代にヨーロッパ翻訳賞の受賞を皮切りに、伝統あるヨーロッパ歴史学賞を三十代前半に、小説はその後半に世界文学賞を貰い、その翌年には音楽の最高賞である世界ミュージックグランプリの授賞式にパオラと出席した。

その度に本業以外の仕事が増え、私の時間が割かれてゆくのであるが、ナジュマと子供が私をうまくコントロールしてくれた。

彼女からは以前「あなたの前半生の自叙伝を出せば」と云われ、然らば「ノーベル賞を取ったら、二十ヶ国以上の言語で執筆するよ」と、本気とも冗談ともつかない独り言を云いその場を糊塗ことしたことを思い出す。

 本業である大学の研究は一生懸けても終わらない学問の世界であり、これは研究に関わる資料の積み重ね、その分析を通して一歩ずつ見解を導き出す。そうしてこの見解の是非を究めてゆく、これの繰り返しである。

現在、研究と講義の場は本大学以外の複数大学で行い、ヨーロッパ・アジアへは調査の外、講演の依頼もあるが、最近は歴史講演だけでなく、小説家や翻訳家としての講演が少しずつ増えてきた。

私は時々、作曲と事業への“アドバイザー”もってしまう。唯、歌手としてTVなどの出演はもう控えることにし、可能性を潜めた才能あるシンガーに曲の提供をしている。これもまた面白い。

ところで俗物的ながら、これらの報酬や口座の預金等がどれだけあるのか知らない。すべてナジュマに任せており、彼女はジューリアから引き継いだパオラに指示しているようだ。私は自由に使えるカード一枚とスマホ決済だけ許されているが、余計なものを買うとパオラから叱られる。まあ―黙認されていることだけど、大好きな大福だけは密かな楽しみで買っているが。

 この先、ままな“面白い”ことを起こすであろう、その都度、悩み苦しみ誰かに助けてもらい生きてゆくのだろう、と勝手に独り合点する。

これから、本当の楽しみが待ち構えているような予感を覚える。

     

ある夜、オリオン座の近くで輝くシリウスがやけに眩しい光を放つ。周りの星の光をすべて取り込んでいるように一人輝く。

ベランダからみる街の光がむらがった花の隙間から、見え隠れする。

隣に寄り添うナジュマの寝顔がロウソクのほのかな光に照らされ揺れる。

また新しい幸せを感じながら、しずかに眼鏡をはずした。

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