胡乱紳士 漫遊編 マンドラゴラの町

海月里ほとり

第1話 マンドラゴラの町

街角で女の子がひとりシクシクと泣いていました。傍らには賢そうな黒色の犬が座り込んで、心配そうに女の子を見つめています。通り過ぎる人たちは犬を見ると悲しい顔をして通り過ぎていきます。


建物の一つから男の人が一人出てきました。女の子はそれを見つけて顔を上げました。


「お父さん」


どうやら、女の子の父親のようです。父親は女の子のそばまで歩くと、犬の頭を撫でて、悲しそうに首を振りました。


「やっぱりだめそうだよ」


「でも、お父さん」


「アンリ、考えてごらん。これは、名誉なことなんだよ。領主様がラルフを欲しがるのは、ラルフが町で一番賢い犬だからなんだから」


「でも」


女の子は涙を流しながら、犬を抱きしめます。犬は女の子の頬をぺろりと舐めました。


「でも、じゃないんだ。わかってくれ」


父親は困ったように言いました。


「どうしたのですか?」


親子と一匹に声をかける人がありました。振り向くと一人の男が立っています。あまり清潔そうではない服に、大きな荷物を背負っていました。どうやら、旅人のようです。


「いや、まあ」


父親は胡散臭げに旅人を眺めると、なにやら曖昧な言葉をつぶやきました。女の子は旅人に必死になって訴えかけました。


「ラルフが連れていかれちゃうの」


「それは、どうしてです?」


父親はため息をつくと、観念したように話し始めました。


「最近、この町の裏の森でマンドラゴラの群れが発見されたのです」


「マンドラゴラ? というとあの叫ぶ植物ですか?」


「ご存知ですか?」


「ええ、万病に効き、味も大変美味と聞いたことがあります。ただ、抜く時にあげる叫び声を聞くと気がくるってしまうとか」


「そうなのです。ですから、犬に抜かせるのです」


「なるほど」


「そして、町で一番賢い犬だと、うちのラルフが選ばれたのです」


「でも、マンドラゴラを抜いたらその犬は死んでしまうのでしょう?」


女の子が父親にむかって泣きながら言いました。


「でもな、アンリ。ラルフを差し出さなければ、私たちはこの町を追い出されてしまうよ」


「嫌だ、嫌だ。ラルフとずっと一緒にいるんだもの」


女の子は犬にしがみつくと、声を上げて泣きはじめました。父親は困ったように黙り込んでしまいます。


旅人はその様子をしばらく見た後に言いました。


「そうだ、それなら、私が何とかしてみましょう。明日、領主様のところに案内してください」


旅人の申し出に父親は驚きました。


「大丈夫です。悪いようにはしませんから」


「お父さん」


その言葉を聞いて、女の子は願うように父親を見つめました。父親は不安に思いながらも、頷くことしかできませんでした。


◆◆◆


翌日、領主の館の庭にはたくさんの人が集まっていました。なにやらよそ者がマンドラゴラを手に入れるというのです。昨日のうちに噂は町を駆け巡り、町中の人たちが館に見物におしかけました


人垣の中に旅人が立っています。その隣には昨日の女の子と犬と父親が居心地悪そうに立っています。女の子に抱きしめられた犬は、落ち着かなそうにお腹をさする父親の手をぺろりと舐めました。


館の扉が開き、領主が姿を現しました。領主は旅人を見つけて言いました。


「おお、お前が旅の者か。何の用だ」


旅人はお辞儀をして答えました。


「お目にかかれて光栄です。領主様がマンドラゴラをお探しだと耳に挟みました。そこで、お見せしたいものございまして」


「ほほう」


「こちらです」


旅人は荷物の中から包みを取り出しました。人の頭くらいの大きさの包みです。


「それはなんだ」


「どうぞお開けください」


領主は包みを受け取り、開きました。


「これは……」


包みの中には土の入った鉢が入っていました。よく見ると土から小さな人の頭のようなものがいくつか覗いています。


「これがマンドラゴラか?」


「実はこの町に来る途中に、生えているのを見つけまして。領主様へのお土産にと思って、掘り起こしてきたのであります」


旅人は恭しく答えました。


「それはご苦労であった。しかし、ここから抜かねば、食うことはできぬな」


領主は少し考えてから、辺りを見回し、女の子の隣に座る犬を見つけて言いました。


「ちょうどよい、そこに犬がおるな。娘よ、申し訳ないが、その犬を借りるぞ。おい、縄を持ってこい」


「いいえ、お待ちください。領主様」


領主が近くにいた召し使いに命令をしますが、旅人はそれを止めました。


「失礼ながら、ご領主様はマンドラゴラを召し上がったことはおありで?」


「ああ、もちろんだ」


領主は遠い目をしながら語り始めました。


「あれは、わしが幼いころの話だ。病弱だった私がいつものように寝込んでいると、母上がなにかの植物を持ってきたのだ。それは人の形をしていた。わしは随分と気味悪がったのだが、母上が厳しい顔をして『お食べなさい』というので口にしたのだ」


そこまで言って領主は思い出を反芻するように目をつむりました。


「あの味ときたら! まるで生きているかのような瑞々しさ、新鮮な野性味を感じる味わい。そして、その中にほのかに感じられる優しい甘さ。わしは体中に力がみなぎるのを感じた。それからわしは強くなった。以来風邪の一つも引いたことはない」


「それから食べたことは?」


「食べたことはある。あるには……ある。手に入る機会があれば、大金を積んで手に入れてきた。しかし……」


領主は眉をしかめて言葉を切りました。


「しかし、あの時のマンドラゴラより旨いものを食べたことはない。それとも思い出の中で本当よりも美味しかったと思い込んでいるだけなのだろうか」


領主はそう言うと考え込んでしまいました。町の人たちも感じ入り、庭は静まり返りました。

静けさを破って旅人は言いました。


「領主様。それでしたら、犬を使って抜いたマンドラゴラでは満足いただけないかもしれません」


「どういうことだ?」


旅人の言葉に領主は首を傾げます。


「ご存知の通り、犬を使ってマンドラゴラを抜けば、マンドラゴラは大きな叫び声を上げます」


「そうだ。だから、犬を使うのだ」


「いいえ、お待ちください」


群衆の中から声が上がりました。声の主は女の子でした。


「わたしが抜きます」


「お、おい」


父親が止めるのもきかず、女の子は領主たちのところまで歩いていきました。


女の子はぺろりと自分の指をなめると、鉢に生えているマンドラゴラを掴み、勢いよく抜きました。


「ま、待て」


領主や町の人たちは思わず、耳をふさぎました。


庭に静寂が満ちます。


しばらくして、領主たちは悲鳴が聞こえていないことに気が付きました。おそるおそるいつの間にかつむっていた目を開けると、女の子が歯を食いしばって立っているのが見えました。その手には白い人型の植物が握られています。


「なぜだ。マンドラゴラを抜いたのに悲鳴を上げないだなんて」


驚く領主に、旅人は微笑んで言いました。


「これこそがマンドラゴラを安全に抜く方法なのです」


「どういうことだ」


「さきほど、その女の子が指をなめたのにお気づきでしたか?」


「そういえば、なめていたな。でも、それがなんだというのだ」


「マンドラゴラと言うのは、人間の体液を好むのです。つばを与えて、落ち着いている隙に抜いてしまえば」


「叫ばれることなく、抜くことができると?」


「ええ、でも、この抜き方の利点はそれだけではないのです」


そう言うと、旅人は少女から植物を受け取りました。そして、鞄から酒瓶を取り出して、植物を洗い、領主に差し出しました。


「どうぞ、これをご賞味ください」


領主は植物を受け取り、おそるおそる口をつけました。


ひと口齧り、よく噛んで、呑み込み


「これは!」


目を見開くと、がつがつと残りを一息に食べ終えてしまいました。


「いかがです?」


「これは……違う! いままでのマンドレイクとは違う。まるで生きているかのような歯ごたえ、確かなうまみ、なんなのだこれは! どうして、このような味が!」


「それは、このマンドラゴラが叫び声を上げていないからなのです」


「なんだと?」


「知ってのとおり、犬を使った抜き方ではマンドラゴラは大きな叫び声を上げます。しかし、死ぬ間際の叫び声はマンドラゴラにたいへんな力を使わせるのです」


「そうか! それで叫ばせないで抜いたこのマンドラゴラはその力を使わなかった分、より生命力に満ちた味わいがするということなのか!」


領主は感心して手を叩きました。町の人々たちの間からも驚きの声が上がります。


「しかし……」


旅人は目を伏せながら言いました。


「どうした?」


「いえ、これは確実なことではないのですが、もしかしたら、今召し上がられたマンドレイクはまだ、お母様のマンドレイクには及ばないのかもしれません」


「これ以上に、なにかあるというのか?」


「先ほどのマンドレイクはこちらのお嬢さんのつばで抜いたものです。しかし、素材へのなじみということを考えれば、お食べになる方に近い方の体液がより、深い味わいを与えるのです。お母様のマンドレイクはおそらく、お母様が手ずから取ってこられたものなのでしょう」


「そうか……しかし、母上はもう」


領主は考え込みながら言いました。


「であれば、領主様、ご自身の手で抜かれるのはどうでしょう」


「わしが、か?」


「ええ、本人よりも近い方はおりません。ご自身のつばで抜かれたものが最も美味しくなるのは道理かと」


「なるほど」


「もちろん、先ほどの味で満足されているならば、領主様の手を汚すこともないのかもしれませんが」


旅人の言葉に、領主はしばらく考えていましたが、やがて決心したように言いました。


「良かろう。その鉢を持ってこい」


旅人は領主の近くまで鉢を持っていきました。


「こちらがよろしいかと」


「うむ」


領主は指を舐めると、旅人の示した白い頭をつまみました。


そしてぐっと力を込め、一息に抜きました。


◆◆◆


領主は自分が白く生き生きとした植物を掴んでいることに気が付きました。


「さ、こちらで」


旅人が差し出す酒瓶で植物を洗い、一口齧ります。


とたんに口の中に芳醇なうまみが広がりました。太古から今まで伝わる生命の躍動を感じさせる歯ごたえ、野性的なようでいて繊細で確かな味わい。滋味に富んだ苦みの中にある上品な甘みが全体の味を下から支え、大いなる調和をもたらしています。


思い出すのは、幼き日の思い出。あの日、母親が持ってきてくれたあの味。


たしかに自分のためと想ってくれていた、温かなぬくもり。


「ふふふ」


領主の口から幸福な笑いがこぼれました。そのあまりにも幸福そうな様子に、笑いは町の人たちに広がり、みな幸せそうに笑い始めました。


笑いは広がり、やがて狂気をはらんだ笑いが響き渡りました。


その様子を女の子と犬がおびえた様子で見ていました。


◆◆◆


少し、時を遡ってみましょう。


領主がマンドラゴラを掴んだときに、女の子は旅人が何か目配せをしているのに気が付きました。耳をふさぐ身振りをしています。


女の子はわからないながらに、犬を抱き寄せ、犬と自分の耳をふさぎ、目をつむりました。


しばらくして、この世のものと思えない叫び声が響き渡りました。


女の子がびっくりして目を開くと、領主や町の人たちは狂ったように笑い始めました。それぞれがなにか女の子には見えないものを見て、聞こえない声を聞いているかのように話し、わめき、笑っています。


女の子の他に笑っていないのは旅人だけでした。旅人は笑みを浮かべて領主や町の人々を眺めています。


「なにがあったのです?」


女の子は旅人の隣に行って尋ねました。


「マンドラゴラには男と女がいるのです。白が男、黒が女です」


旅人は領主の握っている白い植物を指差しながら言いました。


「あれは男ですね」


「それじゃあ」


「ええ、悲しい事故です。男性の唾液では男のマンドラゴラを眠らせることはできないのです」


「そんな……」


「けれども、良かったではありませんか」


旅人はにっこり笑い、女の子を見て言いました。


「これで、犬と一緒に居られますよ」


旅人は誰に止められることもなく領主の館に入っていきました。犬がそれを咎めて、一声ワンと鳴きました。誰も彼も自分のことに精一杯で、その声に気がつくものはありません。


広い庭に

領主と町の人たちの笑い声が響いていました。


【おしまい】

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