エピローグ.モミジ燃ゆる
スローンのよいところは、
生身から機械を分離できても、マシンの仕組みにはとんと疎い。
そういう永有珠でも、リクライニング可能な移動式ベッドが、高度なエンジニアリングによって支えられていることくらい、理解はついている。座位と仰臥位、さらには側臥位への自動寝返り機能まで、クラシックな食器に似た
他にも体に負担がかからないよう、細かな配慮が詰めこまれていた。まさに至れり尽くせり、だ。
ここまで親身に考えてくれた〈彼〉は、二年前に死んだ。
めちゃくちゃな人生の終幕にはあっけない、衰弱死だった。破天荒だったからこそかもしれないが無理がたたった、とは口当たりがよすぎる。永有珠に言わせれば自業自得というものだった。
恩人、では言い尽くせない恩を〈彼〉から受けてきた。
それでも、〈彼〉を思い出すときは決まって、目の前が一色に染まるような怒りしか出てこない。
人を見くだした碧い眼に温かさはなく、蝋人形のような血色の失せた唇が紡ぐ言葉は、〈彼〉を中心に世界が回っていると疑わない。
その眼を、一度は父親のように想った自分を、永有珠はいまも許せなかった。
「……ブ、ル……テ」
左側臥位で傾いた視界に、膝を抱えた小さい身体が見える。地面まで垂らしたファイバーグラスの無色透明な髪が陽光に照らされてハローをまとっている。影の長さを見るに、午後を過ぎたころらしい。ブルーテのシャツはあちこちが破け、亀裂の走る肌が覗いている。
「き、ず……は?」
「地声は耳障りです、仮マス」
振りかえったブルーテが口を尖らせると、いじけた幼子のようにプイッとそっぽを向いた。視線を辿ると手をのばせば届く腐葉土の上で、不気味な
「愛しい愛しいアーケリトなら無事ですよ。仮マスをここまで運んでから〈
「きみは……悪く、ない」
「もう。だまっててくださいって言ったじゃないですか」
ため息にあわせてブルーテが立ち上がると、人さし指を玉座へ向けた。
「重度の低血糖状態だったので、ブドウ糖と高エネルギー価を補充してあります」
音もなく形を変えていくスローンのなかで、体に接している〈羽衣〉が解けるように動き、体勢の移動で生じた縒れやツッパリを解消していく。繊維だけでは解決できないエアポケットは、シートに内蔵されたエネルギーバリア、ヴェールが風船のように隙間を埋める。前衛アートよろしく、捩れ、凹凸の激しい永有珠の体を、鋳型のように包んで座位を取らせた。
「『助かったよ。で、きみの治療は?』」
さっと目の前に展開したヴェールスクリーンに目を走らせ、項目からブルーテのダメージに関するものを呼びだした。表示されたモニターの情報に、永有珠は眉間が寄っている自覚がない。
案の定、腰に手をあてた桃色の髪のヒューマノイドが、紫陽色の目を細くした。
「なめまわすようにワタシを見るの、やめてくれます? ホント、気持ちわるいです」
ブルーテがぶっきらぼうに左手を払うと同時にヴェールスクリーンも消滅する。玉座のシステムとブルーテに上下関係はないが、基本、ブルーテの指示が優先される。そのほうがなにかと便利だからだ。
口と手を失った永有珠は、おもちゃを取りあげられたように目をパチクリさせる。
「……よくワタシを責める目ができますね」
深く息をついてもう一度、手を振る。
再展開したヴェールに目を戻した永有珠は「『幸せがにげていくぞ』」と言わずに、「『すまない』」とただ謝った。
たちまちキッと睨まれた。
「どうして、『殺すな』なんて言ったんです? 結果的に助かっただけで、なんど、死にかけたとおもってるんですか!」
ケーブルの髪を、紅と蒼のあいだで揺らす彼女の叱責を永有珠は黙って受け止めた。叱られることに快感を覚えるとか、感情を爆発させて行ったり来たりできるなら、ボディの損傷は数値ほどではないと、ホッとしたりだとかが理由ではない。
「ワタシなら、茶々がなければ余裕であのテディベアに勝てました。苦しむ時間を短くできたはずです。不意討ちだって予測していましたし」
ブルーテは正しい。忙しなく森の空き地を往復しながら分析をこなす彼女なら、強化されたグリズリーくらい、ぬいぐるみ同然にあしらえただろう。
元々、護衛として仕込まれたブルーテのデータベースには、猛獣使いのワザに限らず、神話に語り継がれる伝説の拳法までインプットされている。ブルーテが本気になれば、荒事を専門とする戦闘ヒューマノイドの一個大隊も目ではない。
千にちかい機械虫の群れを、単身で壊滅させていく様を画面越しにとはいえ、永有珠は見ていたのだから。
幾度と送りこまれた暗殺者を返り討ち、真なるマスターの窮地を救うこと、七年で二百八回。永有珠が知らない過去も含めれば、千は下らないという。
それほど、〈彼〉の敵は多かった。そしてめずらしく外出した〈彼〉を、ターゲット奪取の
人の形をし、空を飛び、音を立てずに襲い来る
待ち受けたブルーテはただ一人。
結果は〈彼〉に傷ひとつ負わせず、殲滅してみせた。
永有珠はその様をブルーテの視点を介して見ていた。〈彼〉から「いい勉強になる」と言われて。
襲撃の情報を〈彼〉は事前に知っていたのだ。もしかすると、襲撃自体が〈彼〉の
ブルーテの限界は?
在り方の近しい
感情を差し込む余地のない状況下で、なお、感情豊かな
〈彼〉の疑問に答えるためだけに
結果は、〈彼〉の望む以上だった。
「ぜんぶ
「『……南米の?』」
聞き返した永有珠をブルーテがさらに半目になって見る。気を失ったあいだのことを尋ねただけなのだが、火に油を注いだらしい。
「どこをどうすれば地名が出てくるんですか。仮マスを撃ちころそうとした人ですよ!」
ブルーテの声に驚いた鳥が勢いよく飛んでいく。音のほうへ目を向けると連山の峰にはすでに太陽が影を落としていた。
「『あの人は本気だったのだろうか。いつでも撃てたはずなのに』」
すかさず、ブルーテが指を四本、立てる。
「引き金に力を込めた回数です。あとすこし、力を入れていれば仮マスはここにいません」
「『つまり、きみのおかげだ』」
「キモいです。それに、ちがいます」
永有珠がかすかに首をかしげる。ブルーテの稼いだ時間を無駄にしないよう、〈分離〉に集中していた永有珠は、狩人とブルーテの会話を知らない。
「あのとき、ワタシは頭に血がのぼってまわりが見えていませんでした。サンチャゴが照準をワタシに変えなかったら……かれのミスにたすけられたなんて」
手元へ目を落としたブルーテの髪が薄いグリーンに色づいている。木の葉のような色合いは、《哀しみ》をあらわしていた。
その視線のさきで、彼女の肌がピクセル状に裏返り、両手は青い血にまみれる。
「サンチャゴは、テディベアに家族をころされたと言っていました。ずっと、それだけを追ってきたのでしょう。
「『復讐、か』」
ブルーテの髪が深い緑に沈んだ。
「仇をとってなんになるんです⁈ あとに残るのは虚しさだけじゃないですか!……過去はもどらないのに」
大空より青く手を染あげたまま、腕を抱くブルーテに、永有珠はかける言葉をさがして目をそよがせた。
深秋の山頂を冷えた風が吹き抜けていく。色づいた木々を揺らし、耐えきれなかった葉がはらはらと身を落とした。
ふと、思い出して、永有珠がヴェールに目を走らせた。
「『過去は、見方による』」
怪訝な目で見るブルーテに、永有珠は忙しなく目を動かしつづけた。
「『過ぎ去った時間はもどらない。けれど、その時間に留まっているのなら、話はべつだ』」
「相変わらず、要領を得ない説明ですね」
「『価値観だよ。復讐に燃える者の時間は、止まっている。復讐を果たすと決めたときから、かれらは進めない。老いていくし、まわりも変化していく。それでも、かれらにとって"いま"は心を決めたときのままなんだ』」
「答えになっていませんよ。過去に囚われていたとして、失ったものは取りもどせないんです」
ブルーテの怒りをからかうように、そよ風が紫紺の髪をなでていく。絶えず移ろうヘアカラーは感情の証であり、混乱している証だった。
蒼が混じっているのは、ブルーテ自身、答えがうすうすわかっているからなのだろう。
「『それくらい、承知のはずだとおもう。さっきのハンターだって、喜びはまったく感じなかった。過去を取りもどせると信じていたなら、もっと喜んでいいはずじゃないか?……そういや、あのハンターは?』」
キーン、と高い音がしてとっさにブルーテが身をかがませた。スローンも同時に開けた山頂から森の境まで後退した。永有珠の横で息をひそめるブルーテの碧い目が木々のさらに上を飛んでいったセキュリティドローンを注意深く見守っている。幸い、〈
「『あのコンテナは……』」
編隊で飛行していくドローン四機の下に『MGO』のアルファベットがペイントされた立方体が浮遊してついていっている。見えない牽引ワイヤーで吊り下げられた森林が描かれたコンテナは資材の運搬にもみえる。
目を細めたブルーテが不満そうに中身を口にする。
「サンチャゴと、テディの一部です。あれほど長く生きながらえた半獣のパーツとなれば、ほしがるところも多いはず。老狩人は……ムショ送りでしょう」
「『たすけないのか』」、と割と真面目に提案した永有珠を、気でも触れたか、というような目でブルーテが聞き返す。
「どこにその義理が?」
「『目的がなんであれ、ぼくたちは君のいうサンチャゴにたすけられたんだ。マウントガードも追ってこないし、あのハンターはぼくたちのこと、話さなかったんじゃないのか』」
「チクったら八つ裂きにしますからね」
物騒なジェスチャーをするブルーテに「『やれやれ』」の絵文字を示しながらも、内心、永有珠はホッとしていた。
「それに、サンチャゴがいたら仮マス、気まずいんじゃないですか?」
「『どうして?』」
「だって、仮マスがスケベで自殺願望の塊ってこと、ワタシがバラしちゃいましたし」
立ちあがったブルーテの髪が淡い黄色に変わっている。木の葉を透かした陽光を浴びたその姿は神々しくさえある。
安堵したのは、狩人に自分の信念を否定されるかもしれないからではなかった。むしろ、狩人は理解さえ示すかもしれない。それが嫌だった。
短い邂逅のなかで永有珠は老狩人に自分と同じ、刹那的なものを感じた。
他者の理解など、求めてはいない。
あとのことなど、描いてもいない。
目的を果たすことこそが、すべて。
そうして始めた旅に理解を示されたら、否が応でもあとのことを考えてしまうだろう。
この旅のあとにはなにもない。
帰る場所は元からなく、探そうともおもわなかった。
すべてのボタニカリトを〈分離〉し、元いた場所へ帰す。それで旅は終わりだ。
残された時間を、そう使うと永有珠は決め、ブルーテはついてきてくれた。
それだけで充分だった。
スタスタと歩いていく透明な髪を目で追いながら永有珠はゆっくり、視線を走らせる。
「『……君には、頭があがらないな』」
「仮マス〜? 早くしないと陽が暮れちゃいますよ? 夜の山にはおそろしい獣が出るかもしれませんよ?」
山頂の開けた場所には一本だけ、オオモミジが枝を広げていた。
燃える葉が風に揺れ、さらに夕日を浴びた樹高十五メートルあまりの秋の色彩は、葉を落とすことをまったく恐れていないようだった。むしろ、来年はより綺麗に色づいてみせる、と意気込んでいるふうすらある。
腕を思いっきり伸ばし、アーケリトから顔を背けるブルーテにこんな冗談をかけてみた。
「『困るな。なんてたって、猛獣は手にあまる』」
「……落としていいんですね?」
言いおわるや、ブルーテがためらわずに両手をパッと開く。鉱物でもあるアーケリトは相当に重い。重力に引かれて加速した盆栽が大地に着くまで、一秒たらず。
幸い、永有珠にも学習能力はある。
ブルーテのやり方はよくわかっていた。先回りして口を開くくらい、造作もない。
「拓け」
永有珠の眼にうかぶ黄金色のリングがアーケリトの構成を読みとり、鉱石と化したモミジから植物の部分を引きはがす。
その
その
万物を識らんとした〈彼〉は、双方の力が必要だった。
なぜなら、〈融合〉したものを〈分離〉できさえすれば、その過程を識ることができるから。
〈彼〉は自分の力の使い方も、使い道も識っていた。
けれど、どのように作用するのか、〈彼〉自身は識りようがなかった。
だから、その
アーケリトの表面に亀裂が走り、ヒナ鳥が殻を破るように亀裂が広がっていく。完全に有合した部分は静寂を保ち、いまだ植物として取り留めている葉や枝が、アメジスト色の殻から解き放たれていく。
モミジの根が分離されると同時に小さな庭園が着地。
文字どおり、ガラスの割れる音を立てて鉱石の盆栽が砕け散る。
永有珠の目は、先端の枝にわずかな葉が残るだけの、モミジだったものしか見てはいない。同じように砕けた盆栽の鉢、土や砂利はまるで眼中にない。黄金のリングを宿したその人ならざる瞳は、満足げであり、残酷なほど空虚しかった。
地面に横たわるモミジは樹というに貧弱すぎで、幹の一部分は鉱石化したままだ。根に至っては三センチほどの主根しか残っていない。
だが、それでも紛れもない生き物だった。
力によって歪められ、愛玩の対象となった歪なモノではない。
「あーあ。ずいぶん小っちゃくなりましたね。維管束の大部分が硬化したままですし。……冬をこすのは難しいかもしれませんよ?」
モミジの樹をそっと掬ったブルーテが推測を述べてくる。彼女の人工眼なら、永有珠の肉眼で見る以上に樹木の状態が子細に映る。傷ついたモミジは瀕死といってよく、陽光をエネルギーに変える葉もほとんど残っていないばかりか、体内にまだ、鉱石化した部分が残っているら。
「『ぼくのユニーカが不完全なせいだ。完全に分離ができていれば、こんなことには』」
ユニーカは、個性と才能が混じりあった、映し鏡といっていい。どんな力が発現するか誰にもわからないが、使えるようになった力は、持ち主の努力によって、性質も強弱も精度も変わる。
「原子レベルでの分離なんてできたら、仮マス。カミサマになっちゃいますよ」
見あげてくる碧眼が無邪気に夕陽を照らして輝いていている。その輝きの裏にある願いをさがしても、まぶしいだけでなにも見えはしない。
ブルーテの言ったカミサマならば、さがしだせるのかもしれない。
けれど、同時に見つけてほしくないすべての想いまで、白日の下にさらすのだろう。それでは、あんまりだ。
「『それは困るな。全知全能になればやりたいことが増える』」
「あまり調子にのらないでください」
肩をすくめることのできない永有珠が代わりに、〈肩をすくめる
「で、不死身から解放されて余命幾ばくもなくなったこの、Acer amoenum をどうしますか?」
「『自然に還す。移植してくれ、ブルーテ』」
お決まりのやりとりに彼女はけっして、返事をしない。永有珠の言葉すべてに反応を返すヒューマノイドも、いまは黙々と土を掘り、植え替え作業をこなすだけだ。
ブルーテの沈黙が反抗心ではないことを永有珠は知っている。
沈黙は、彼女ならではの祈りだった。
刺すような言葉のとおり、彼女のしていることは偽善に過ぎない。限りなく延びた寿命を奪い去っておいて、還すもなにもないのだから。
善か、悪か。
人間もどきには所詮、「どちら寄りか」くらいしかわからない。そして生き物の寿命を減らすことは、まちがいなく、後者にちかい。
それでも、やさしく土を被せていく横顔はどこかうれしそうだった。
「大地に、安らかに……眠れ」
最後の土を掛け終え、ブルーテが立ち上がる。土がついたままの手を口元にあて、破れぬ誓いを交わすように親指の腹に歯を立てた。拳そのままに腕を差しだし、細い影を伸ばすモミジの樹へ、青を滴たらせた。
「〈蒼の
大地へ染みこんでいったブルーテの人工血液は、稼働限界を迎えるまでの数日間、モミジを生かすために地中の水分や養分を集めてくれるだろう。それまでに根付けば、再び枝葉を伸ばすことができるかもしれない。そのあとは、自然に任せるしかない。
「……っくしゅん」
「『冷えてきたな。トレーラーにもどろう』」
永有珠の玉座はすでに薄ら光る
しばらく足元のモミジに目を落としていたブルーテが顔をあげ、「仮マス、毒のあるイモムシみたいですよ」と目を細くする。逆光になって表情の細かいところまで見えないが、声はいつも通りのブルーテだった。
「『葉物は、すきじゃない』」
「どうせ口に入れないじゃないですか。きょうのディナーチャージにも、お野菜たっぷり、入れますからね」
「『まさか川の水をつかうのか?』」
夕陽に背を向けて歩きだしたブルーテに合わせ、永有珠の玉座も向きを変える。やんややんやと言いあいながら、ずんぐりした影とほっそりした影が森に消えていく。
その横では、何倍も背高の巨木が、あわれむように枝を揺らす。
あるいは、同類の旅立ちを祝福するように。
The Lighte 〜ザ・ライト〜 《I》玉座乗りと人間モドキの秋旅 ウツユリン @lin_utsuyu1992
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