天使天使俺の天使

区隅 憲(クズミケン)

天使天使俺の天使

昔々、あるところに、マイルという若者がお父さんと一緒に住んでおりました。

お父さんは村でお店を構えており、毎日一生懸命働いておりました。

ですが一方で、マイルは仕事もせずいつも遊んで暮らしておりました。

そんなマイルは今日もお父さんと喧嘩をしております。


「マイルッ!! お前はいつになったら働くんだ! 店の手伝いぐらいしたらどうなんだッ!!」


「うるせぇクソ親父!! 俺はこんなしょぼくれた仕事する気ねえよ! 俺は毎日楽しくやりたいんだッ!!」


マイルはいつもお父さんに反抗ばかりして、働こうとしません。

そんないつもと変わらない様子に、お父さんはカンカンに怒り出します。


「お前という奴は何というボンクラなんだッ!! 今日という今日は働いてもらう! この銀の剣を、お得意様のところへお届けするんだ!」


「誰がそんなつまらないことするかよ!」


「いいやちゃんと届けてもらう! もしこの仕事を断るようならこの家から出ていってもらう!」


お父さんはきっと睨みつけてマイルを脅かします。

どうやらお父さんは本気のようです。


「ちっ、わかったよ。剣を届けりゃいいんだろ届けりゃ」


マイルはお父さんの気迫に気圧けおされて、渋々と承諾します。

マイルは銀の剣を携えて出かけることになりました。


マイルが家を出て道をトボトボと歩いていきます。


「あ~あ、何か面白いことでもねぇかなぁ」


マイルはぼやきました。

すると向こうから醜い顔の老婆がやってきます。

老婆はマイルとすれ違いざまに腰に目をやると、マイルに向かって声をかけてきました。


「おや、あんたは銀の剣を持っているのかい?」


マイルはめんどくさそうに振り返ります。


「そうだけど、婆さんなにか用かよ」


「あたしは魔法使いさ。あたしはとある魔術を完成させるために今銀を探してるんだよ。もしよかったらその剣を譲ってはくれぬか?」


「ダメに決まってるだろ? これは今からお得意様に届けなくちゃならないんだ。あんたに構ってる暇はないよ」


「いいやもちろんただとは言わぬ。このはこと交換するというのはどうだい?」


そう言うと老婆は呪文を唱え、目の前に白と黒とがちょうど半分ずつ混じった匣を召喚しました。

マイルがその様子を驚いて見ていると、老婆はニヤリと笑い説明をはじめました。


「この匣は『天使と悪魔の匣』というものさ。この匣には天使と悪魔の兄弟が二人住んでおる。この匣に祈りを捧げると、天使と悪魔のどちらかが匣の中から飛び出してくる。そして天使が現れた場合は祈った主に幸運を、悪魔が現れた場合は祈った主に不幸を齎すのさ」


「へえ、面白そうだなぁ」


老婆の話をマイルは興味津々に聞いておりました。

そして心の中で、だんだんとその匣が欲しくなってきたのでした。


「婆さん、この剣をやるよ。だからその匣を俺にくれ」


「ひっひっひっ、取引成立だね。じゃあこの匣はお前さんのものだ」


マイルは銀の剣を老婆に渡すと、『天使と悪魔の匣』を老婆から受け取りました。

マイルはとても朗らかな気持ちです。

さっそく匣の不思議な力を試そうと思い、家に帰ることにしました。

その時には、すっかり銀の剣を届ける仕事を忘れていたのでした。



********************



さてマイルが帰って事情を説明すると、お父さんはカンカンに怒り出しました。


「どうしてくれる!? あの人はこの店の一番のお得意様なのだぞッ!! この取引が成立しなければ、もう俺の店をお引き立てしてくれなくなるかもしれない! ああどうしものか!」


その怒りようといったら今までの比ではありません。

口と肩をわなわなと震わせて、全身で怒りを表現しておりました。


「もういい!! お前に任せた俺がバカだった! もうお前など息子でも何でもない。さっさとこの家から出ていけッ!!」


さてこう言われてしまい困ったのはマイルでした。

いくらいつもは疎んじている父親でも、遊んで暮らせるのはお父さんが働いてお金を稼いでくれているおかげです。

この家を出ていったら、今までのように遊んで暮らせなくなってしまいます。


そこでマイルは匣に祈りを捧げました。

子供の頃、一度だけ行ったことのある教会で、司祭がやっていた仕草を思い出します。

頭を下げ、目をつむり、両の手の指同士を組みあわせてこぶしを作ります。

しばらくそうしていると、匣が温かい光に包まれて、翼を生やした白い服の子供が飛び出してきます。

それはまさしく、魔法使いの老婆が言っていた天使でした。


「あなたに、幸運を授けましょう」


天使はそういうと、手に持っていた杖を振りかざします。

すると目の前が光に包まれて、なんと黄金の剣が現れたのでした。


「こ、これは一体どういうことだ!?」


マイルのお父さんは目をパチクリとして驚いておりました。

けれど一方で、祈った主であるマイルは得意そうな顔をしておりました。


「なっ、俺の言った通りだったろ? この匣は幸運を呼ぶ匣なんだ」


マイルはついさっき現れた黄金の剣を指差します。


「この剣を届ければ、あんなチンケな銀の剣を渡すよりも、きっとお得意様ももっと喜ぶだろうぜ。親父、さっさと持っていってやりなよ」


マイルは不敵な笑みをお父さんに向けます。

その表情はさも自分が世界で一番の幸福者だと言いたげな様子でした。



******************



お父さんが黄金の剣をお得意様に届けに出かけると、早速マイルは匣に祈りを始めます。

祈ったらどんなことが起こるのか、それはマイルにもわかりません。

けれどマイルは先程の光景に酔いしれて、きっと何か良いことが起こるだろうと確信を持っています。

しばらく祈りを続けていると、また先程の天使が匣から飛び出してきました。


「あなたに、幸運を授けましょう」


すると目の前が光り、机の上には大量の金貨が現れたのでした。


「やった! これで俺は大金持ちだぞ!」


マイルは手を叩いて喜びました。

これだけのお金があれば何でも買うことができます。

おいしい食べ物も、立派な服も、豪華な家も。

マイルは次々とこの金貨で何を買おうかと夢想します。

その時に考えた料理があまりにも見事だったので、マイルはついお腹を鳴らしてしまいました。


「何か美味いものが食べたいな」


マイルはそう呟くと、また匣に祈りを捧げます。

しばらくすると、また天使が匣から飛び出してきました。


「あなたに、幸運を授けましょう」


すると目の前には先程夢想していた料理が現れました。

鳥の丸焼き、フィレ肉のステーキ、鯛のポワレ、50年もののブドウ酒。

全て人生で一度も食べたことのない料理たちでした。

マイルは早速料理と一緒に現れたナイフとフォークを使って料理を平らげます。

その一時といったらまさに天にも昇る気持ちでした。

お腹いっぱいに膨らましたマイルにはまた、別の欲望が生まれます。


「今度は女がほしい」


マイルは匣に祈りを捧げました。

すると先ほどと同じように天使が匣から飛び出してきたのでした。


「あなたに、幸運を授けましょう」


すると目の前に絶世の美女が現れました。

目鼻立ちはくっきりとしており、唇は厚く、肌は陶器のように白い金色の髪の美女です。

マイルは早速美女に抱きつき、口づけをしました。

美女もそれに応えるようにしてマイルに唇を重ねます。

そして二人は大人の時間を過ごしました。

その気持ちよさといったら、マイルにとっては初めての経験であり、何度も何度も満足しました。

女性がこれほど気持ちのいいものだとは、今まで知らなかったのです。

大人の時間を過ごししばらくした後、裸の美女は口を開きました。


「ねえマイル。私、ダイヤの指輪がほしいわ」


「ああ、俺が何でも持ってきてやるよ」


マイルは快諾し、早速机の上の匣をベッドに取り寄せて祈ります。

すると、今度は匣の様子が今までとは違います。

先程までのような温かな光とは裏腹に、禍々しい黒い光を放ったのです。

やがてその黒い光が稲妻のように眩しく光ると、匣がごそごそと動き出しました。

ボンッという音を立てて中から何かが飛び出します。

見るとそれは、全身が真っ黒で頭から角が生えた子供でした。


「お前に、不幸を授けてやろう」


そう子供が言うや否や、部屋全体が黒い霧に包まれます。

マイルが驚いて慌てふためいていると、しばらくしてその霧は晴れました。

けれど先程まで横にいたはずの美女は跡形もなく消えていました。

机の上にあった金貨もごっそりと消えてしまい、マイルのお腹も何だかぽっかりと空いたような感じがしました。


しばらくマイルが呆然としていると、お腹がぐうとなりました。


「ちくしょう。美女で止めとけばよかった」


マイルはベッドを叩き、悔しそうに独りごちました。



******************



さて初めて天使が匣から現れた日以来、マイルは天使のことを忘れることができません。

その日は人生で一番楽しい時を過ごした日なのでした。


そのためにマイルは来る日も来る日も匣に祈りを捧げました。

けれど匣から飛び出すのは、いつも決まって悪魔ばかりです。

悪魔が現れる度に、マイルの家には不幸が訪れました。

突然店の品物が壊れたり、お得意様から縁を切られたり、家の構えがボロボロになったりしました。

そうしたことが繰り返されているうちに、もはやマイルのお父さんの店には誰もよりつかなくなり、商売ができなくなってしまいました。

マイルたち父子の生活はとても貧しいものになっていました。


お父さんはそうした日々を送る中どんどん機嫌が悪くなり、ボロボロの服でマイルに怒鳴り散らすのでした。


「マイル!! このボンクラ息子めッ!! 仕事もせず匣にばかり祈りやがって。お前がそんなことをしているからこの店はこんな惨めな有様になったんだぞ!!」


「うるせぇクソ親父ッ!! 天使さえ、天使さえ出れば、俺は大金持ちになれるんだ!!」


マイルは今日も祈りを捧げます。父親がいくら祈るのを止めろと言っても聞きません。

マイルは今日も匣の前で指を組み、頭を下げます。

すると、しばらくして匣は温かな光に包まれました。

ふわぁっとした優しい羽毛のようなきらめきであり、周囲の景色は白く染まります。

そうです。天使がやっと現れたのです。


「やった! やった天使だ!! これで俺は大金持ちだ!!」


マイルは初めて天使を呼んだ日と同じくらい喜びます。

その歓声は無邪気な子供のようなはしゃぎようでした。


「あなたに、幸運を授けましょう」


天使は言い、杖を振りかざそうとしました。

ところがその前に立ったのがマイルのお父さんでした。


「ふざけるなッ!! 何が幸運だ! マイルがこんな匣を持ってきたからこの店はずっと不幸ばかり起こりやがる。店の品も客もみんな消えちまった。何が天使だ! マイルに妙なことを吹き込みやがって。お前は悪魔だッ!!」


そうお父さんが叫ぶや否や、お父さんは机の上にあったハンマーを振りかざし天使の頭を殴りました。

宙を浮いていた天使はそのまま地面に倒れ込み、頭から血を流して死んでしまいました。


「何するんだクソ親父ッ!!」


マイルは絶叫してお父さんを突き飛ばし、天使を抱えあげました。

その顔色にはもはや生気は宿っておりません。明らかに死んでおります。


「嘘だ・・・・・・天使が死んだなんて嘘だ」


マイルは現実を信じることができず、再び匣に祈りを捧げました。

すると匣は禍々しい光を放ち、周囲を黒く染めました。

そして悪魔が匣から現れました。


「お前に、不幸を授けてやろう」


そう悪魔が言うが否や、悪魔は机にあったハンマーを手にし、お父さんに襲いかかりました。

呆気に取られたお父さんはそのまま抵抗もできず、ハンマーで頭を殴られてしまいました。

お父さんは頭から血を流し、床に倒れ込みます。

お父さんはそのまま死んでしまいました。


「ああっ・・・・・・ああっ!」


マイルは目の前の光景を見てペタリと尻もちをつきます。

全身の力が入らず立ち上がることすらもできません。

目の前が真っ暗になり、何も考えることができませんでした。




そうしたマイルの様子を見やると、悪魔はひょいっと匣の中に戻っていったのでした。



****************



(天使天使俺の天使)


父親を失ったマイルは毎日のように匣に祈りを捧げました。

その頻度は父親が亡くなる前よりも遥かに多くなっておりました。

けれど匣から出てくるのは悪魔ばかり。

悪魔は出て来る度にマイルに不幸を与えました。


最初はマイルのお父さんの遺産を奪いました。

そして次はマイルの家を焼き払いました。

住処を失ったマイルは村を追い出され、路頭に迷ってしまいました。

それでも匣に祈ることを止めません


(天使天使俺の天使)


父も家も財産も失ったマイルにもはや失うものはありません。

けれど悪魔はならばと、今度はマイルの体を奪っていきました。


目を、耳を、口を、祈る度に体の一部を悪魔は奪っていくのでした。


マイルは何も見えず、何も聞こえず、何も言うことができません。

それでもマイルは祈りを止めません。


(天使天使俺の天使)


マイルは両の手の指をあわせて匣に祈ります。

けれど匣からは悪魔しか出てきません。

悪魔が匣から現れると、今度はマイルの両手を奪っていきました。


(天使天使俺の天使)


それでもマイルは祈りを止めません。

けれど匣からはもはや悪魔すら出てきませんでした。

マイルが祈りの姿勢を取るために、両手の指を組むことができなくなっていたからです。


(天使天使俺の天使)


それでもマイルは祈りを止めません。

もはやマイルには心の中で天使が現れるのを祈ることしかできませんでした。

やがて空腹がきて、体温が下がり、マイルの体は徐々に強張っていきました。

そのまま地面に倒れ、体のどこも動かすことができなくなりました。


(天使天使俺の天使)


その息が絶えるまで、マイルは祈りを止めませんでした。

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