マリアの孤独
空草 うつを
マリアの孤独
『……次のニュースです。東京都××区で20代の母親が生後9か月の男の赤ちゃんを死亡させたとして逮捕されました。殺人の容疑で逮捕されたのは、東京都××区○○に住む無職の
微睡みから目覚めると、体も頭も重くずきずきとした痛みが襲ってきた。きっと、先ほどまで見ていた夢のせいだ。何て酷い夢なんだ。
寝落ちる前、テレビのワイドショーが、生後4か月の赤ちゃんを死なせた母親のニュースを取り上げていたのを流し聞いていたせいだろうか。
その手のニュースを見聞きする度、明日は我が身かもしれぬと身震いしてしまう。
傍らで、もぞもぞと動く気配がした。静かに顔だけを向けると、
生後9か月になる佑の寝顔は、生まれて間もない頃とほとんど変わらない。寝顔はまるで天使だ。見ているだけで、日頃の疲れもどんどん消えていく。
「可愛い我が子を手にかけるとは、悪い母親だ。その母親のもとに生まれた子供が可哀想、不憫でならない。そんな女に、子を持つ資格などない」
テレビでは、まだ同じ話題を続けていた。男のコメンテーターの辛辣な言葉に、私は思わずテレビを消してしまった。沈黙が部屋を包み、佑のくうくうという寝息だけが聞こえてくる。
もしも私がコメントを求められたら、きっと何も言えないだろう。もちろん命を奪うことは許せない。幼い子を殺めるなど、あってはならないことだ。
だが、母親だけが悪者なのだろうか、とも思ってしまう。父親はどうしたのか、母親を支えてくれる人は、助け船を出してくれる人は、周りにいなかったのだろうか。
私とて、難なく佑を育てて来たわけではない。新生児の時、3時間起きにやってくる授乳とおむつの交換をこなし、夜泣きする佑をひたすら抱いて寝かしつけ、ようやく寝たとベッドに横にすると、再び泣き出すという無限ループに陥り、寝れぬまま夜を明かした。
その時の精神は異常だった。何でもないことでイライラし、角のたつ言い方しかできず、もうどうでもいいと逃げ出したくなった。泣き止まぬ佑を死んだ目で見つめ、この子がいなければ、等と良からぬことを思う夜もあった。
明日は我が身、逮捕された母親に自分を映さずにはいられないのだ。
一線を越えないでいられるのは、周りの助けがあってこそだ。夫は激務にも関わらず、夜泣きする佑の寝かしつけを交代してくれた。実母や義母も事あるごとに佑を預かってくれ、気分転換の時間を持つことができた。
逮捕された母親が、どんな状態で子育てをしていたのかは知ることはできない。ただ、孤独と不安とで押し潰されていたのではないかという、推測だけはできた。
私の孤独は、佑とふたりきりの時に突然襲ってくる。泣きわめく佑を慰めている時、その泣き声が責める声となって私に襲いかかってくる。どうしてだろう、佑がいるのに、ふたりなのに、私はひとりだと思ってしまう。
その寂しさを紛らす為、私はSNSを利用した。ネットが発達し、SNS上でも子育て中のママ達や、同じ趣味の人達と交流する機会がかなり増えた。だが、それでも孤独を感じてしまう。あまりにも、ネットが広大すぎるからかもしれない。
投稿したものに反応がないと、存在を消されているように感じてしまう。私の言葉を、何十億人もの人々が無視し、素通りし、まるでそんな投稿などなかったかのように、ネットの渦の中、奥深くに沈み込んでしまう。思い込みが過ぎると、笑うかもしれない。だが、孤独を感じている時はそう思ってしまいがちになる。
ふと、ある絵画が突然、脳内に浮かんできた。何故浮かんできたのかは、正直なところわからない。ただ、脳内に再生されたその絵画を思い描いているうちに、昔、覚えた違和感を思い出した。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』。
天使ガブリエルが、聖母マリアにイエスを身籠ったことを知らせている場面だ。
高校生の時に絵画の鑑賞会で見たのだが、マリアの表情が無表情に近く、疑問に思ったのだ。その時は、お腹に赤ちゃんができたのならもっと喜ぶべきなのでは、と違和感を覚えたのだった。
今なら、その時の彼女の気持ちが痛いほどよく分かる。
不安と驚愕と恐怖と希望。複雑な感情が入り交じり、戸惑う表情が描かれていたのだ。
自分の体に命が宿っている、自分の体なのに、どう扱っていいのか分からなくなる。これから起こる体の変化が恐ろしくも、楽しみでもある。無事に元気な子を産めるのだろうか、自分にそんなことができるのだろうか。
何だか、マリアが近しく感じてくる。マリアでも、孤独を感じていたのだろうか。
マリアの孤独を物語るものを、私は知らないし、聞いたことがない。絵画も、聖書も、ステンドグラスの彼女も、描かれているのは聖母としての姿で、いち母親の孤独にさいなまれる姿はそこにはない。
佑の小さな目が、ぱちりと開いた。しばし、ぽやっと天井を眺めていたが、きょろきょろ目を動かした。傍らの私の姿を確認すると、口角を上げて満面の笑みを向けてくる。それにつられ、私も笑みがこぼれてくる。
「起きたの? よく眠れた?」
答えは返ってこないが、早速おもちゃを見つけ遊び始めている様を見て、良い夢を見たのだなと勝手に解釈する。
午後の柔らかな日差しを浴びながら、佑をベビーカーに乗せて近所を散歩するのが日課だった。
昨今の流行り病で、めっきり人との交流もなくなり、孤独を感じることが多くなった。以前は、道行く人が佑の姿を見て声をかけてくれたのだが、今はそれもない。
散歩の途中、ふと足が止まった。いつもなら、スルーしてしまうのだが昼のこともあってか立ち止まってしまったのだ。
都会の町並みの中でひっそり佇んでいる教会だ。高い塀の先にある建物は、白を基調としており、正面にある丸い窓が特徴的だった。木製の門は閉ざされ、中に入ることはできなかったが、建物から神妙な空気がこの辺りに漂っている。
この教会にも、聖母マリアの姿はあるのだろうか。どんな姿だろう。少なくとも、母として子育てに奮闘する勇ましい姿ではない。きっと、温かい目で子を見つめる、優しい姿だ。そういう姿しか見せなかったはずだ。
私も同じ。それが理想の母親の姿だと世間は信じて疑わない。一歩でも理想から外れると、母親失格の烙印を押され、これだから今時の……と始まる。
今度、聖母マリアの肖像や作品を見たのなら「あなたも大変ね、お互い頑張りましょう」と激励しよう。
聖母マリアに対してあれやこれやと想像を膨らませている私に、「あなたは勝手に想像しすぎよ」と呆れるだろうか。
突然、風が吹き荒れ、咄嗟にベビーカーを風下に向けた。風は去り、佑の様子を見に腰を屈めた。
佑は、もがいていた。足にかけていた膝掛けが、風のせいで顔にかかってしまっていたのだ。私は急いで膝掛けを元の位置に戻すと、佑はきゃっきゃとそれは楽しそうに笑っていた。思わぬ事態に冷や汗をかいていた私は、ほっと胸を撫で下ろす。
「いないいない……」
そう声をかけながら、再び膝掛けを佑の目の前に持ち上げ、顔を隠した。何が起こるか分かっているのか、佑は堪えきれず、既に笑ってしまっている。
「ばぁっ!」
勢いよく膝掛けを下ろすと、真ん丸の頬を赤く染め、笑い転げている佑の顔があった。その笑顔だけで何もかも水に流そうとなってしまうのだから、自分もとうとう親バカになってきた。
もしもマリアが孤独を感じていたのだとしたら、それを埋めるものは何だったのだろう。
私の孤独を埋めるものは何か。そう問われたら、私は佑の笑顔と答える。この笑顔が、私が一線を越えさせまいと引き戻してくれていた。
(完)
マリアの孤独 空草 うつを @u-hachi-e2
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