マリアの孤独

空草 うつを

マリアの孤独

『……次のニュースです。東京都××区で20代の母親が生後9か月の男の赤ちゃんを死亡させたとして逮捕されました。殺人の容疑で逮捕されたのは、東京都××区○○に住む無職の斧原愛香おのはらあいか容疑者(26)。昨日の午後3時過ぎ、「息子が息をしていない」と自ら救急に連絡、駆けつけた救急隊員が家の中でぐったりしている生後9か月の斧原佑おのはらたすくちゃんを発見、その場で佑ちゃんは死亡が確認されました。現場の状態を不審に思った救急隊員が警察に連絡、警察官に対し、斧原容疑者が佑ちゃんの殺害をほのめかす供述をしたため、逮捕しました。斧原容疑者は、「泣き止まないのでタオルで顔を覆ったまま放置した。泣き止んだのでタオルをとると、息をしていたかった」と容疑を認めているということです。……では、次です……』



 微睡みから目覚めると、体も頭も重くずきずきとした痛みが襲ってきた。きっと、先ほどまで見ていた夢のせいだ。何て酷い夢なんだ。

 寝落ちる前、テレビのワイドショーが、生後4か月の赤ちゃんを死なせた母親のニュースを取り上げていたのを流し聞いていたせいだろうか。

 その手のニュースを見聞きする度、明日は我が身かもしれぬと身震いしてしまう。


 傍らで、もぞもぞと動く気配がした。静かに顔だけを向けると、たすくが伸びをし、小さな口をぱくぱく開閉して再び夢の中に入っていくところだった。


 生後9か月になる佑の寝顔は、生まれて間もない頃とほとんど変わらない。寝顔はまるで天使だ。見ているだけで、日頃の疲れもどんどん消えていく。


「可愛い我が子を手にかけるとは、悪い母親だ。その母親のもとに生まれた子供が可哀想、不憫でならない。そんな女に、子を持つ資格などない」


 テレビでは、まだ同じ話題を続けていた。男のコメンテーターの辛辣な言葉に、私は思わずテレビを消してしまった。沈黙が部屋を包み、佑のくうくうという寝息だけが聞こえてくる。


 もしも私がコメントを求められたら、きっと何も言えないだろう。もちろん命を奪うことは許せない。幼い子を殺めるなど、あってはならないことだ。

 だが、母親だけが悪者なのだろうか、とも思ってしまう。父親はどうしたのか、母親を支えてくれる人は、助け船を出してくれる人は、周りにいなかったのだろうか。


 私とて、難なく佑を育てて来たわけではない。新生児の時、3時間起きにやってくる授乳とおむつの交換をこなし、夜泣きする佑をひたすら抱いて寝かしつけ、ようやく寝たとベッドに横にすると、再び泣き出すという無限ループに陥り、寝れぬまま夜を明かした。


 その時の精神は異常だった。何でもないことでイライラし、角のたつ言い方しかできず、もうどうでもいいと逃げ出したくなった。泣き止まぬ佑を死んだ目で見つめ、この子がいなければ、等と良からぬことを思う夜もあった。


 明日は我が身、逮捕された母親に自分を映さずにはいられないのだ。


 一線を越えないでいられるのは、周りの助けがあってこそだ。夫は激務にも関わらず、夜泣きする佑の寝かしつけを交代してくれた。実母や義母も事あるごとに佑を預かってくれ、気分転換の時間を持つことができた。


 逮捕された母親が、どんな状態で子育てをしていたのかは知ることはできない。ただ、孤独と不安とで押し潰されていたのではないかという、推測だけはできた。


 私の孤独は、佑とふたりきりの時に突然襲ってくる。泣きわめく佑を慰めている時、その泣き声が責める声となって私に襲いかかってくる。どうしてだろう、佑がいるのに、ふたりなのに、私はひとりだと思ってしまう。


 その寂しさを紛らす為、私はSNSを利用した。ネットが発達し、SNS上でも子育て中のママ達や、同じ趣味の人達と交流する機会がかなり増えた。だが、それでも孤独を感じてしまう。あまりにも、ネットが広大すぎるからかもしれない。

 投稿したものに反応がないと、存在を消されているように感じてしまう。私の言葉を、何十億人もの人々が無視し、素通りし、まるでそんな投稿などなかったかのように、ネットの渦の中、奥深くに沈み込んでしまう。思い込みが過ぎると、笑うかもしれない。だが、孤独を感じている時はそう思ってしまいがちになる。



 ふと、ある絵画が突然、脳内に浮かんできた。何故浮かんできたのかは、正直なところわからない。ただ、脳内に再生されたその絵画を思い描いているうちに、昔、覚えた違和感を思い出した。


 レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』。


 天使ガブリエルが、聖母マリアにイエスを身籠ったことを知らせている場面だ。

 高校生の時に絵画の鑑賞会で見たのだが、マリアの表情が無表情に近く、疑問に思ったのだ。その時は、お腹に赤ちゃんができたのならもっと喜ぶべきなのでは、と違和感を覚えたのだった。


 今なら、その時の彼女の気持ちが痛いほどよく分かる。

 不安と驚愕と恐怖と希望。複雑な感情が入り交じり、戸惑う表情が描かれていたのだ。


 自分の体に命が宿っている、自分の体なのに、どう扱っていいのか分からなくなる。これから起こる体の変化が恐ろしくも、楽しみでもある。無事に元気な子を産めるのだろうか、自分にそんなことができるのだろうか。


 何だか、マリアが近しく感じてくる。マリアでも、孤独を感じていたのだろうか。

 マリアの孤独を物語るものを、私は知らないし、聞いたことがない。絵画も、聖書も、ステンドグラスの彼女も、描かれているのは聖母としての姿で、いち母親の孤独にさいなまれる姿はそこにはない。



 佑の小さな目が、ぱちりと開いた。しばし、ぽやっと天井を眺めていたが、きょろきょろ目を動かした。傍らの私の姿を確認すると、口角を上げて満面の笑みを向けてくる。それにつられ、私も笑みがこぼれてくる。


「起きたの? よく眠れた?」


 答えは返ってこないが、早速おもちゃを見つけ遊び始めている様を見て、良い夢を見たのだなと勝手に解釈する。



 午後の柔らかな日差しを浴びながら、佑をベビーカーに乗せて近所を散歩するのが日課だった。

 昨今の流行り病で、めっきり人との交流もなくなり、孤独を感じることが多くなった。以前は、道行く人が佑の姿を見て声をかけてくれたのだが、今はそれもない。


 散歩の途中、ふと足が止まった。いつもなら、スルーしてしまうのだが昼のこともあってか立ち止まってしまったのだ。

 都会の町並みの中でひっそり佇んでいる教会だ。高い塀の先にある建物は、白を基調としており、正面にある丸い窓が特徴的だった。木製の門は閉ざされ、中に入ることはできなかったが、建物から神妙な空気がこの辺りに漂っている。


 この教会にも、聖母マリアの姿はあるのだろうか。どんな姿だろう。少なくとも、母として子育てに奮闘する勇ましい姿ではない。きっと、温かい目で子を見つめる、優しい姿だ。そういう姿しか見せなかったはずだ。

 私も同じ。それが理想の母親の姿だと世間は信じて疑わない。一歩でも理想から外れると、母親失格の烙印を押され、これだから今時の……と始まる。


 今度、聖母マリアの肖像や作品を見たのなら「あなたも大変ね、お互い頑張りましょう」と激励しよう。


 聖母マリアに対してあれやこれやと想像を膨らませている私に、「あなたは勝手に想像しすぎよ」と呆れるだろうか。


 突然、風が吹き荒れ、咄嗟にベビーカーを風下に向けた。風は去り、佑の様子を見に腰を屈めた。


 佑は、もがいていた。足にかけていた膝掛けが、風のせいで顔にかかってしまっていたのだ。私は急いで膝掛けを元の位置に戻すと、佑はきゃっきゃとそれは楽しそうに笑っていた。思わぬ事態に冷や汗をかいていた私は、ほっと胸を撫で下ろす。


「いないいない……」


 そう声をかけながら、再び膝掛けを佑の目の前に持ち上げ、顔を隠した。何が起こるか分かっているのか、佑は堪えきれず、既に笑ってしまっている。


「ばぁっ!」


 勢いよく膝掛けを下ろすと、真ん丸の頬を赤く染め、笑い転げている佑の顔があった。その笑顔だけで何もかも水に流そうとなってしまうのだから、自分もとうとう親バカになってきた。


 もしもマリアが孤独を感じていたのだとしたら、それを埋めるものは何だったのだろう。

 私の孤独を埋めるものは何か。そう問われたら、私は佑の笑顔と答える。この笑顔が、私が一線を越えさせまいと引き戻してくれていた。



(完)

 

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