最終章 さよなら僕の恋


 師走も押し迫った日曜午後。

 悪魔のごとき白い霊能者はその桜の木の前に立った。



 白い悪魔=紅倉美姫は、常にその位置をキープして斜め後ろに立つ背後霊のような黒い長身の美女=芙蓉美貴に、実に悪魔らしい不機嫌な調子で言った。

「美貴ちゃん。帰りたい」

「センセ。我慢してください。後でたっぷり抗議してあげますから」

「ぶーー」

 と、紅倉は口を尖らせた。

 横断歩道を渡った向こうの市庁舎脇の歩道には、市庁舎の前の広場も、道路の反対の歩道にも、高校生たちがいっぱいに詰めかけていた。

 紅倉がむっつり顔を振り向かせると密やかに「キャー」と歓声がどよめき、手にした携帯電話のカメラが一斉にカシャカシャシャッターを切った。

 紅倉は「ハア」とげっそりため息をついて後ろを向いた。芙蓉が苦笑してスタッフに抗議してやった。

「等々力さん。このギャラリーはいったいなんなんです?」

「いやあ、申し訳ない」

 ひげモジャで堅太りのプロレスラーみたいなディレクターが反省なんて絶対しそうにない顔で笑って言った。

「最近の若者はみんな携帯電話を持っとりますからなあ。一人に見つかったら、アウト、ですわ。わっはっは」

 紅倉が、

「携帯電話、みんな壊してやろうかしら」

 と危ないことを言って「先生」と芙蓉に叱られた。


「はいはい。じゃ、ちゃっちゃと終わらせちゃいましょう」

 紅倉は一応かっこをつけて桜の木に右手を開いて掲げ、いかにも「視てますよ」というポーズを取った。


「ここにいる彼女は三年前に病気で亡くなった生徒さんですね。別の学校の彼氏とこの道を仲良く登下校して、その楽しい思い出が忘れられないで成仏できないでいるのね。

 ハイ、じゃあ成仏してもらっちゃおうかしら」

 ディレクターからクレームが付いた。

「先生、そんな投げやりな。もうちょっとドラマチックに盛り上げてくれませんかねえ?」

「うるさい。えい、問答無用、さあ、成仏なさい!」

 紅倉は開いた右手に力を込めた。すると、木の幹にパチパチと白い火花が散った。ギャラリーから「おお!」と声が上がった。

「怨霊退散!」

 紅倉が言うと火花はさらに激しくなった。シューシュー煙まで上がっている。

 ギャラリーの中から「やめろー、やめてくれー!」と叫び声が上がり、市庁舎脇の歩道を人垣をかき分け、一人の男子生徒が走ってきた。横断歩道の手前で交通誘導のスタッフ二人に取り押さえられた。

 重野峰雄だった。

 峰雄はじたばた暴れて、

「頼むよ、ユー子にひどいことしないでくれ! 彼女は悪霊なんかじゃない! 僕に、たすけてって言ったんだ! 彼女をいじめないでくれ!」

 と必死に哀願した。

 紅倉は眉をつり上げてパートナーに言った。

「ねえ美貴ちゃん。わたし、青春って苦手みたい」

 芙蓉は笑って、すまして言った。

「それは先生。先生には全く縁遠いものでしょうから」

「えーえーそうですよー。お水ちょうだい」

「もういいんですね?」

「お願い」

 芙蓉はペットボトルの水を木の幹に振りかけた。パチパチ下火になっていた火花が消え、ジュワッと煙が上がった。ギャラリーから「花火?……」と戸惑いの声が漏れた。


「ああ、いいですよ。君、ミネオくん? こっちいらっしゃい」

 紅倉に招かれ、スタッフに放してもらって、ミネオは戸惑いながら横断歩道を渡ってきた。

「君の大事なカノジョなら、あっちに避難してるわよ」

 紅倉が指さす方を見ると、なんと、ユー子がコンクリート塀の角からおそるおそるこちらを覗いていた。

「ユー子!」

 峰雄は大喜びで声を上げて、「よかったよかった」と笑顔になった。ユー子の姿が見えているのは峰雄だけで、ギャラリーからは戸惑いと疑念の声がざわめいた。

 峰雄の目に映るユー子は角から姿を現し、なんだか恥ずかしそうに立った。

 紅倉が解説する。



「彼女はこの先の関屋高校の、当時入学したての一年生です。彼女は道の途中の青山高校の男子生徒に一目惚れして、毎朝ここで彼が来るのを待ち伏せして、彼の後ろをついていったのですね。まあ、プチストーカー状態ですね」

「プ、プチストーカー……」

 呆気にとられる峰雄にユー子はまた恥ずかしそうにもじもじした。

「でもそれはそう長く続かず、子供の頃から抱えていた病で六月に亡くなってしまいました。毎日三十分の道のりですか……。その途中で倒れて救急車に運ばれていますね。別に三十分の歩きが病を悪化させたわけではないでしょうが。

 で、彼女はそれから三年間、彼氏が卒業するまで毎日ストーカーを続けました」

「ス、ストーカーって……」

 いじらしいというか、不気味というか……。

「彼氏は留年することもなく春三月に高校を卒業していきました。彼女も一緒に幽霊を卒業してしまえばよかったんですけれど、何しろストーカーなものですから、一度も恋心を告白できなかったのが心残りで成仏できませんでした。でもそろそろ諦めて成仏しようかなあと思っていたところに、あなたが現れました」

 紅倉は峰雄に視線を向けたままでいた。何か言えと。

「え……と。僕がその憧れの男子に似てたんですか?」

「ブーー」

 紅倉は面白がって口を突き出して不正解のブザーを鳴らした。峰雄はバカにされて面白くない。紅倉は笑った。

「そうそう、あなた、いっつも自分のことを馬鹿だって思ってるでしょう? それは何故?」

「なぜって……」

 馬鹿に理由なんてあるか!

「あなた、自分が思ってることと全然違うことを何故かやってしまうことがよくあるんじゃない?」

「え?……… っていうか、なんでこうなっちゃうんだろう?って思うことはしょっちゅうだけど……」

「あなたは、」

 ビシッと指さして、


「ズバリ、独り言が多い!」


「う、」

 多い。確かに。


「鏡を見ていて、何故か自分の顔が他人のように感じることがある!」


「う、」

 変な顔だなーと思うことなら確かにある……。

 紅倉は峰雄を指していた指を上に向けてフリフリした。


「ハイ、あなた、悪霊に憑かれています」


「ええっ!?」

 峰雄はゾッとした。この女は、本当に本物なのだ。しかし、紅倉はコロコロ笑った。完全に面白がって遊んでいる。

「ま、悪霊って言えば悪霊ね。プチ悪霊。

 あなたのお友達で、小さい頃、小学三年生の時、亡くなった子がいるでしょう?」

 峰雄は即答した。

「モリオユウタくん!」

 紅倉はフンとうなずいた。

「そう、そっちの子ね。彼は亡くなって、あなたがお参りに来てから、ずーーっと、あなたに取り憑いていたのよ」

「ええーーーっ!?」

 そんな唐突に、信じられるか!

「どうして僕に? そんなに親しくはしてなかったぞ?!」

「あなたが一番優しそう……気が弱そうで付け入りやすかったのね」

「うう~、くそう~」

 峰雄は気持ち悪そうに肩や腰を手で払った。紅倉は笑った。

「そんなんじゃ離れてくれないわよ。っていうか、今は生き霊状態になってあなたの体を離れているわ。死んでるのに生き霊も変だけど、彼の場合もう七年もあなたの霊体に居候しているから、自分の体のつもりになってるのね。あなたのユー子ちゃんがお付き合いしてたのは、あなたじゃなくって、カレの方よ」

「うっそっだあああ~~~……」

 峰雄は絶望的な悲鳴を上げた。嘘だ嘘だ、そんなわけない。言っちゃあなんだけど、森生くんはチビデブのかなりのへちゃむくれだったぞお~~?!

 紅倉は峰雄のイメージを読んでヘラッと笑った。

「それは彼がずっと病気で強い薬を飲んでいたから。死んで健康な霊になって、あなたといっしょに十六歳に成長して、今はあなたより背が高くて、けっこうなイケ面よ?」

「そんな~、そんな~……」

 じゃあ本当にユー子は自分じゃなく森生裕太くんの幽霊とお付き合いしてたっていうのか? それは……あんまりじゃないかあ~〜〜……………。

 面白そうに笑っていた紅倉が、さっと、表情を引き締めた。「フウン……」とそれが癖らしい鼻の奥で声を漏らし。

「森生くんはずいぶん長く成長期のあなたといっしょにいて、ずいぶん深くあなたの霊体と結びついてしまっているのね。だから心も別々でありながら、共有する部分もある。男の子として、女の子に対する興味もそうね。あなたは森生くんのユー子ちゃんに対する恋心にずいぶん影響された」

「あっ、そうか……」

 と峰雄は思った。自分にユー子が見えたのは、自分に取り憑いている森生くんの霊のせいなんだ。

「同様に、あなたの千恵利ちゃんに対する恋心にも森生くんは影響された。あなたが千恵利ちゃんとこの道を歩くようになったとき、カノジョはどうだったのかしら?」

 と、紅倉はユー子を見た。峰雄も見る。恥ずかしそうにしていたユー子が、今はこわばり青ざめた顔をしていた。幽霊なんだからこれがふつうだと思うのだがちょっと怖い。じゃあ……

「そうね。千恵利ちゃんにデレデレするあなたイコール森生くんに、戸惑い、怒り、生きている千恵利ちゃんに嫉妬し、帰り道、あの事件を引き起こしてしまった」

 そう、ユー子は千恵利を突き飛ばし、千恵利をひき殺させようとしたのだ……

「というのは大げさね」

 紅倉の言葉にユー子はしょぼんとして申し訳なさそうにした。

「彼女は千恵利さんに嫉妬して、腹が立って、つい、ちょっと小突いただけよ。千恵利さんが車道に転げ出しそうになったのは、彼女がたまたま足をもつれさせて倒れてしまった、偶然の事故よ」

「じゃあ……」

 峰雄はやっぱりホッとした。やっぱりユー子は人に祟るような悪霊じゃなかったんだ!

「あなた、かなりのお調子者ね?」

 紅倉が呆れて笑い、また怖い目で続ける。

「千恵利さんの事故はそういうことよ。はっきり言ってわたしが出てくるような大事件じゃないわね。そのわたしを引っぱり出してしまったのが、不幸だったわね」

「草薙朋美。彼女はやっぱり?」

「多少の霊感はあるみたいね。ほんの、ちょっぴり、ね。あなたと千恵利さんに見せた霊能力は、全部、事前の情報収集による思い込みよ。千恵利さんのお友達のお友達から回ってきた話を聞いていたんでしょうね。霊感が強いって自分で思っている子は、こういうタイプが多いのよね。

 それで、森生くんがユー子ちゃんのために怒ったのね。

 草薙朋美さんにひどい霊障を引き起こしているのは、彼よ」

「それで生き霊……」

「さ、戻ってらっしゃい!」

 紅倉が強く言ってグイと手を引くと、峰雄は後ろからドンと押されたような衝撃を感じた。

「戻ったら、出てきなさい!」

 今度は首の後ろがヒヤリとして、ゾクリとした。何かが引き抜かれる感じがした。


「えっ!!」

 峰雄はびっくりした。

「き、君が、森生裕太くん?!」

 ユー子の隣に立つ男子学生の幽霊を見て、峰雄は、

(あああああああ~~~)

 と、すっかり心がくじけた。

 嘘だ、あんまりだ、詐欺だ!

 紅倉の言うとおり、幼い頃チビデブのへちゃむくれだった森生くんは、すっかり背の高い細面のイケ面に変身していた。

 これならユー子ちゃんが惚れちゃうのも無理はない。ちっくしょおお~、呪ってやるう~~!!!

 ガックリ落ち込む峰雄を、森生くんとユー子ちゃんの幽霊はそろって申し訳ないような苦笑を浮かべて眺め、二人見つめ合ってポッと頬を染めた。ああ、馬鹿馬鹿しい。やってられるか!


 遠くからチャイムの音が聞こえてきた。

 冬だというのに、桜の花びらがひらひら舞った。

「これでいいでしょ? 二人そろって、幽霊は卒業しなさい」

 暖かな春の日差しの中、二人は幸せそうに見つめ合ったまま、消えていった。

「はいはい、卒業おめでとう様。君。」

 紅倉はポンと峰雄の肩を叩いた。

「七年間おもりご苦労様。あなたも、卒業よ」

 峰雄は、不思議とすごくすっきりした気分になった。

 しかし、機嫌良くニコニコ笑う紅倉の顔を見て思った、

 やっぱり自分に憑いているのは貧乏神に違いない、と。



 終わり



  二〇〇八年十一月作品

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霊能力者紅倉美姫30 僕のカノジョは幽霊 岳石祭人 @take-stone

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