江戸前屋台之西洋渡来人面奇声人参

お豆腐メンタル

江戸前屋台之西洋渡来人面奇声人参

草木も眠る丑三つ時、江戸の町のはずれは薄暗かった。

厚い雲が、夜空を覆い、時折雲の切れ間から星明りや月の光が覗くが、その程度の明かりでは、下手をすれば一間先すら見渡すのは至難の業である。

そのような時分の上、江戸のはずれなんて場所には、人っ子一人歩くものなど存在してはいなかった。


さて、そのような場所にポツンと明かりがあった。

屋台の明かりである。

提灯看板には「そば」と書かれており、店主の男がたたずみ、客が来るのを待っていた。

店主の名は平八、つい最近この場に屋台を出し始めた男である。


何故丑三つ時にこのような場所で平八が屋台を出しているかと問われるならば、自業自得であると彼を知る人たちは答えるだろう。

この平八、生粋の博打狂いで先日、丁半博打で大負けし、ヤクザものからも金を借りているから始末が悪い。

昼は大工仕事をし、夜は屋台で稼ぎ、借りた金を返すという生活を行い続けていた。


しかし、今まで屋台を出していた場所が別の屋台に盗られ、別のヤクザものの息がかかっていたものだから、文句も言えず、こうしてすごすごと引き下がり、このような場所で屋台を出す始末。


「ハァ冷えやがる」


平八は白い息を吐き出しながら、手を擦り合わせ、冷え切った手を温める。

平八が屋台を出してから数刻、客は一人も来ない。

このまま出しても提灯看板の油が無駄と思い、店仕舞いをしようかと思い始めた頃、遠くから一つの明かりが近づいてくる。


「オヤ」


提灯の明かりである。

提灯を持った人物が、屋台に向かって歩いてくる。

旅装束に、こんな夜更けで雨も降っていないのに目深に編み笠を被った人物が、屋台を目掛けて歩いてくる。


「店主、そばを一杯頼む」


年老いた男の声である。

男はそれだけ言うと、静かに佇み始めた。

平八は訝し気に思うも、ようやく来た客を逃がすわけもいかず、せめて提灯看板の油の分だけはと思い、そばを作り始めた。


「店主、そばの出汁はなんだ」


「ヘェ、鰹節にまんどらごらでごぜえやす」


「ホウ、まんどらごらを?」


「旦那。江戸に来るのは初めてで?」


そう尋ねるも、平八は男が江戸に疎いことを見抜いていた。


「ああ、江戸に来るのは初めてだ」


平八は内心ほくそえみながらも、男の為に説明をしてやることにした。


「昔西洋から魔術師とかいう妖術使いみてえな奴らがまんどらごらを持ち込んで大騒ぎ。どうも日ノ本の土がお気に入りみたいで、あちこちで生えやがるわ、周りの作物が育つのを邪魔するわで、厄介な代物なんですわ」


「ふむ」


「それで公方様やらお偉方がとにかく食って始末しろというんで、アッシら庶民はあれやこれやにまんどらごらを混ぜて食ってるんですわ」


平八の言っていることは正しかった。

まんどらごらの葉は漬物に、生のまんどらごらは大根などの根菜の替わりに、乾かして粉にしたものは薬や汁物に出汁としていれたりもした。


「でも取るのに毎度犬っころを使うってんで、割とお高いんでさあ」


「なんだと?」


「それでも他のそばの四割増し程度でさあ。旦那、それぐらい気前良く払ってくださいよぉ」


これは大嘘である。


西洋のやり方を真似ていたのは初期も初期、最近の江戸では水を貯めた水瓶に頭を突き入れ、叫び声が聞こえぬようにして抜くという荒業にてまんどらごらは抜かれるようになった。

なので抜くために犬が必要ではなくなり、マンドラゴラは二束三文となった。

それでも江戸前ならば他の土地のものよりは少しばかりお高いが。


平八はそれを知らぬ男から金を騙し取ろうと企んだ。

これも勉強代、男の為であり良いことをしたと思いながらもそばを作る。


「旦那、できやしたぜ。そばでさあ。ささ、熱いうちに食ってくだせえ」


平八は男にそばと箸を手渡した。


「では、いただきます」


男は箸でそばを掴み、冷まさずにすする。


「旦那、飯食ってる時に傘を外さないんで?」


「俺が傘を外すかどうか、お前に関係あるか?」


僅かに覗いた眼光が、平八を射竦める。

平八はこれ以上は怒らせるだけだと黙り込んだ。


男がそばの汁を啜る。

すると、ピタリと男のそばを食べる手が止まった。


「店主、この蕎麦に使われたまんどらごらは江戸のものか?」


「へ、へえ。間違いありやせん。江戸前のまんどらごらでさあ」


「その言葉、相違ないか?」


白い息が出る寒い夜だというのに、平八の背を冷たい汗が流れる。


「へ、へえ。仏さまに誓って!そのまんどらごらは江戸前でさあ」


「この大噓つきめ!」


男の怒声と共に、編み笠がずるりと落ちた。


「ひ、ヒィ!」


平八は思わず尻餅を付いた。


怪奇!男の頭はまんどらごらであった!まんどらごら男!


「貴様!このまんどらごらは江戸のものではないではないか!」


「な、なんでそれを!」


まんどらごら男の言うことは正しい。

平八の取り扱うまんどらごらは江戸のものではなく、別の土地で取れたものであり、それを江戸前と偽りそばにしていたのだ!


「産地偽装など言語道断!」


まんどらごら男はそばの器を投げ捨て、平八の首を掴み、体を持ち上げる。


「が、がげ!」


平八は息が出来ず、もがき苦しむ!

まんどらごら男はずいと平八を己の顔の前に近づけ、まんどらごら臭い息を吐きかける。


「二度とまんどらごらの産地を偽るのはやめよ!わかったか!」


「げ、げぇ…」


苦しむ平八はまんどらごら男の体を掴む。


「わかったか!」


まんどらごら男の目が光る!

平八は無理やり頷き、まんどらごら男の言うとおりにするという意思を示す。


「ならばよし!だがもし、同じことをしたならば…」


その言葉と共に、平八の意識は薄れていった…





「ちょいとアンタ!こんなとこで寝てると風邪を引いちまうよ!」


「へ、へあ!?」


平八が意識を取り戻すと、既に夜は開け、目の前に町民らしき女が立っていた。


「ま、まんどらごら男は?」


「まんどらごら男?何言ってんだい。夢でも見てたんじゃないの?さあどいたどいた。さっさと屋台を片づけておくれよ!」


「へ、へえ」


平八は立ち上がり屋台のかたずけを始める。

まんどらごら男が投げ捨てたそばの器はなく、そばを作っていた形跡は少しもなかった。

あの女が言う通り、夢だったのだろうか。


そして、片づけが終わり担ぎ棒を肩に乗せ、持ち上げた瞬間だった。

屋台の上から、何かが落ちて来た。

それが何だと思った平八がそれを視界に収めた瞬間、平八は固まった。


それは、編み笠だった。

その傘の内側にはまんどらごらの葉がびっしりと…


「ひ、ひぇあ~~~~!」






江戸の初期から中期にかけて、まんどらごら男という妖怪の話が民衆の中で語られていた。

マンドラゴラを扱う屋台や店にやってきては、それが産地を偽ったものだと知ると、烈火のごとく怒り狂い、店主を脅迫するという。

なお、マンドラゴラの産地が正しかった場合は特に何もせずに立ち去るという。


【終わり】

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