第3話
店を出て酔い覚ましに通りを歩く。
街頭のネオンやあちこちに飾られたイルミネーションから遠ざかっていくと、人がほとんどいない公園に辿り着いた。
更に奥へ進むと広場の中心地に着き、近くにあったベンチに須賀野が腰を下ろす。
真矢子は辺りを見回して目当てのものを見つけると、「ちょっと待ってて」と声をかけてから一旦その場を離れた。
用事を済ませて小走りで戻り、須賀野の前に買ったばかりの飲み物を差し出す。
「コーヒー?」
「今日のお礼。色々ありがとう」
「奢ってくれたことでもう礼はもらってるよ」
「食事は私が誘ったんだから当たり前。これは、時間を空けて話を聞いてくれたことの感謝だから」
缶コーヒーと真矢子を交互に見つめ、須賀野はふっと表情を和らげた。
「そういうところ律儀だよな、芝田は」
「そう?」
「そうだよ。大学の頃から自然と人に感謝できる奴なんだなって尊敬してた」
またしても須賀野の方から先制されて鼓動が速まる。せっかく平常心を取り戻したところなのに、さっきからこの男にペースを奪われっぱなしだ。
恨みがましい視線を放つと、休息は十分取っただろうと言わんばかりに唇の端を上げた。それ以上の猶予を与えてくれる気はないらしい。
「大体、学生時代からそんなこと一度も言ったことがなかったじゃない。何で今になって……」
「気づいてないのか気づかない振りをしてたのか知らないけど、俺と妙な雰囲気になるのを巧妙に避けてたよな。完全に対象外ならまだしも、全く好みじゃないわけでもなさそうだし距離感を掴みあぐねてた。でも、さすがにこの関係に飽きたんだよ。友達としての地固めは十分すぎるほどしてきたし、そろそろ男として意識してもらおうと思って」
「だからっていきなりすぎない?」
「芝田は活動的だから、気づけばすぐに次の男ができてるんだよなぁ。フリーになったその日に会うのって何気に初めてじゃないか?」
言われてみれば、と思い返す。自分から別れを告げて独り身になることが多かったものの、その場合は重荷が取れた心地がして逆に一人を満喫していた気がする。
それが、今回ばかりはそうもいかなかった。
見渡せばカップルばかりのイベント当日に、信頼していた人から背を向けられたとあっては、さすがの真矢子も
それまで無意識に友達としての一線を守っていたにもかかわらず。
一度守りを緩めてしまえば、どうあがいても絡め取られてしまうと予感していたのに。
「弱味に付け込んだと思うならそれでもいい。でも、俺ならお前の性格もある程度把握してるし、ちょっとやそっとで駄目になることもない。我慢も遠慮もいらないことはお前もよくわかってると思う。絶対に考えられないわけじゃないなら、俺で手を打っとけ」
真矢子を翻弄しているように見せかけて、下手に出るような物言いを崩さない。
あくまでも真矢子に選ばせようとしており、負担をかけさせないよう気を配っている。
「……須賀野は、私のどこをそこまで気に入ってくれてるの? 自分で言うのも何だけど短気だし、思ったことはすぐ口に出しちゃうし、人に気を遣うのも苦手だし、多分私が自分で思ってるよりわがままな女だと思うわ」
「それは芝田の一面だろ」
「一面?」
「俺の目に映るお前は、外で靴を脱ぐと必ず踵を揃えて並べる丁寧な奴で、自分が飯に誘った時は全額払うポリシーを持った奴で、相手の好みに添って店を選んでくれる柔軟な奴で、一緒にいる相手の体調を気にかけることができる優しい奴で……」
「わかった、わかったから! もういい!」
一体何の拷問なのか。黙っていると褒め殺されて窒息しそうだ。
「……須賀野が物好きなことはよくわかったわ」
真矢子にとっては当然のことをしただけだ。それをここまで好ましく思ってくれるとは、嬉しさより圧倒的に恥ずかしさが勝る。
でももしかしたら、求めていたのはそんな人なのかもしれない。気の強さやきつめの台詞だけに焦点を当てて真矢子を評する人より、様々な面を捉えてそれでもいいと言ってくれる人を。
須賀野が一緒にいて居心地の良い相手だと知っていた。自分の中でそのポジションに留めていたのは、均衡を破って上手く呼吸ができなくなる関係になりたくなかったからだ。
そんな真矢子の危惧は、外ならぬ須賀野によって解消された。これまで保ち続けていた距離から初めて一歩踏み込んできたことに、不思議なほど恐れや惑いがない。
真矢子はようやく、友情だけではない感覚で須賀野に惹かれていたことを認めた。
心音はまだ静かにならない。目の前の男に悟られたらからかわれることは間違いないので、努めて平静を装う。
それでも顔の赤みはごまかしようがなく、ままよとばかりに口を開いた。
「……須賀野は、本当に私でいいの?」
「お前がいいから、何年も大人しく友達やってきたんだろ。退屈はさせないって保証するから、ここまで来いよ」
真矢子は須賀野に缶コーヒーを手渡したまま、ずっと立って向かい合っていた。彼との間にはほんの一メートルほどスペースができている。
この隔たりを詰めてゼロにするか否か、決めるのは真矢子自身だ。
果たして真矢子は──その手の中に自ら掴まりにいった。
「キャンセル不可だからな?」
立ち上がって真矢子の手を取り、清々しいほどの笑顔で退路を断つ須賀野に、
「望むところよ」
精一杯気丈に答えた。
その強がりさえ愛しんでいるようで、甘さを帯びた眼差しが真矢子を溶かしにかかってくる。
悔しいからすぐには陥落してやらない。須賀野の手のひらで転がされていると承知の上で、悪あがきをするのも嫌じゃない。
その思惑自体が既に彼に溶かされている証拠かもしれないと思いつつ、真矢子は提案した。
「とりあえず、もう一回乾杯する? 今日の記念に」
「それもいいな」
快く応じた須賀野が缶コーヒーを持ち上げる。
真矢子も持っていた自分のホットドリンクを掲げ、かちんと音を響かせた。
今までとは違う、新たな関係を祝って。
「メリークリスマス」
遅咲きのクローバー 青桐美幸 @blue0729
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