二人ぼっちのクリスマス
「な、何でこんなカフェに株札が……というか、《八八花(花札の意)》は置いていないの……!? 普通そっちじゃないの!?」
「ぐっふっふっふ……」汚らしい声で笑う要は、よく切り混ぜた札をテーブルの中心に置いた。
「そんな細かい事はどうでもいいのですよ……というか、私は八八花、打てませんから……!」
どうだ、参ったか――とでも言いたげに要が胸を張った。残念ながら、出来ない事を威張る者にろくな人間はいない。この摂理を既に知っているらしく、正面の乃子は若干、引いていた。
「よく分からないけど…………まぁ、良いでしょう。そのゲーム、受けて立つよ。それで、一体何を打つの……?」
「流石は乃子ちゃん先輩! 打つなんてそんな大層な事じゃありません、簡易的な《おいちょかぶ》で勝負です!」
ここで一つ、《おいちょかぶ》なるゲームについて説明をしておきたい。
言ってしまえば、「如何に下一桁を九に近付けるか」という足し算ゲームに過ぎない。
例を挙げてみよう。例えば太郎君が三と五の札を引いたとする、これらを足せば答えは「八」となる。一方で、花子さんが六と七の札を引いたとする。六足す七で「一三」となり、この下一桁を見れば「三」、よって花子さんの持っている数字は三となる。
太郎さんは八、花子さんは三。より「九」に近い数字は八の為、今回は太郎さんの勝利――と相成る訳だ。トランプの《ブラック・ジャック》を想像して頂ければ分かりやすいだろう。
ちなみに……最初に配られた二枚が気に食わなければ、もう一枚まで追加で引く事が出来るが――「引かなければ良かった」という事態に陥る事も往々にしてあるので、この配分がキモである。
「さてさてさて……今回は簡略アンド特別バージョン! 一人ずつ持ち数を完成させ、二枚まで追加の引きがオーケー、一回こっきりの勝負、引き分けの場合は二人共掛ける――よろしいでしょうか?」
自信タップリに司会を務める生意気な要は、どういう訳か《株札》に関しては腹が立つくらいの実力を秘めていた。一方、《株札》をあまり触った事の無い乃子は――。
「構わないよ。……先手後手、好きな方をどうぞ」
しかし、不安に顔を歪めたりはしなかった。むしろ「圧倒的勝利を収めるビジョン」が眼前をチラついていた。
私を嘗めるなよ、
そう――彼女もまた、《八八花》をはじめとした札遊びの実力を、かなりの高レベルで備えていたのだ。後輩に勝たせてやろう……といった類いの情けなど、とうに彼女は捨て去っていた。強さへのプライドがあった。
「選択権をどうもありがとう御座います――では」生意気な一年生は左手をゆっくりと開き、握手でもするように乃子の方へ向け……。
「友膳要、ここは後手を取らせて頂きます……!」
「…………」
生来、要は「リードする相手に追い縋り、華麗に抜き去る」というスタイルを好んでいた。小学生の頃、運動会でリレーのアンカーに選ばれた時もこの性癖が現出し、序盤でフッと力を抜いた。悲鳴の上がる自陣など何処吹く風、彼女は終盤に差し掛かり――疾風の如き力走で勝利を掴んだ。
そして今日、羞恥心に敗北感を塗りたくった罰ゲームを押し付けるべく、要は性癖に験担ぎも兼ねて、後手を選択したという訳だが……。
「……っ!」
眼前でマグマのような闘気を放つ女、三古和乃子にとっては唯の慢心に映っていた。
「……実に頼もしい、実に勇ましい、実に――愚かしい! 自ら札を減らして《かぶ(札の合計数が九の意)》の完成気運を減らすとはね……! ふふふ……今日はよーっく眠れそうだなぁ……!」
「くっ……! 何て圧なんだ……クリスマスに出していい気迫じゃない……!」
漫画であれば確実に「ズズズズ……」と地鳴りのようなオノマトペを背負っているであろう彼女は、右の口端だけを器用に持ち上げ、要のスマートフォンを指差した。
「今の内に選んでおきなよ……誰に電話をするか……! 台詞も、声色も、行く場所も……! ふふふ、ふふふふ……!」
「……負けられない、こんなの負けられないよ! 出る杭を片っ端から打ちそうな人に……負ける訳にはいかないよ! 私は出る、出てみせる! そりゃあもうグイグイと出っ張って――」
「あの……」不意に背後から男の声がした。二人は髪が抜けそうなぐらいに素早く振り返った。若い、男性店員だった。
「……ナンパですか?」要が問うた。
「……どっちですか?」乃子が問うた。
「いえ、そのようなお話じゃなくて……」店員が気まずそうに続けた。
「当店でお楽しみ頂くのは結構なんですが、他のお客様もいらっしゃいますし……それに、今日はクリスマス・イブですから……もう少し、お声をボリュームダウンでお願い出来ますか――」
果たして、「《おいちょかぶ》で負けたら男子に電話を掛けてデートに誘うゲーム」は粛々と開催された。店員の警告以降、二人の会話は店内に流れるBGMよりも小さく、蚊の羽音よりか細いものだった。
「……じゃ、引くね」
「……はい」
気怠そうに手を伸ばし、一枚目を引く乃子。五の札であった。続いて二枚目を引き、現れた数は三。以上、合計は八となり、ほぼ安心してよい持ち数となった。が――。
「…………」
ここで三枚目、四枚目を引くのが三古和乃子という女であった。
「もう一枚――あぁ、もう一枚」
「……むっ」
何としても九、《かぶ》としたい! という狙いがあった訳ではなく、ある作戦を実行したに過ぎない。
「……うん、これ以上は引けないから終わり――さぁ、どうぞ」
結果として乃子は四枚、限界まで札を引き……同時に山札を圧縮する事に成功した。ちなみに持ち数は九。《かぶ》であった。
「……それじゃあ、引きますね」
忍ばせた毒牙――それは要の精神に直接作用する、いわば心理戦の領域であった。
「……二枚目ですね」
「…………」
相手は四枚まで引いた。二枚目で満足出来ず、三枚目でも納得がいかず、仕方無しに引いた四枚目で勝負に出た。否、出ざるを得ない――。次々と札を引く様子を見て敵方はこう思い、やがて一つの希望的観測に行き着く。
四枚も引いたのだ、どうせ大した事の無い数字だろう……。
「……さぁ、欲しければ引いても良いんだよ……?」
「……」
往々にして何かを賭ける人間は、相手の思い切りの良い動きには真偽不明であってもたじろぎ、逆に粘るような、食らい付くような行動は嘗めて掛かる節がある。
乃子の四枚引き――後者に当て嵌まる動きであった。彼女は危険をものともせず、大胆不敵に作戦を実行し……果たして《かぶ》という報酬を手に、要の足掻きを鑑賞出来ていた。
叩き潰す! 確実に! どうだ、参ったか一年生! これが私の実力だ!
ニンマリ笑いたくなるのをグッと我慢の子で堪え、乃子は蜂蜜コーヒーを上品に啜ろうとした、その矢先――。
「うっし、これでオッケーです!」
「ブフゥッ……!?」
予想外も予想外、全く悩む素振りを見せずに二枚だけで勝負に出た要のせいで、乃子の口は散水栓の如き働きを見せた。
「ゲホッゲホッ……! 何も引かないで良いの……?」
「はい、全然」
「……普通の《おいちょかぶ》じゃないんだよ、縛りも役も何も無いんだよ?」
「オールオッケーです!」
「…………素晴らしいくらい良い度胸だね」
「にひひ……」
だって私――長い髪を靡かせ、要は満面の笑みで二枚の札をテーブルに叩き付けた。
「
「…………へっ!?」
硬直する乃子に代わり、要が散らばる四枚の札を捲った。
「ありゃ!? 先輩も《かぶ》じゃないっすか! マジかー……引き分けって事は二人共掛けるのかぁー……!」
ヤベぇ、興奮して来たぁぁあ! 警告も忘れて騒ぐ要とは対照的に、即物的とはいえ策を弄した乃子は――。
「何処行けば良いんだろ……展望台? いや寒いしメンドイし……」
「…………ぐぐっ」
引き分けたという達成感よりも、要の持つ純粋な天運、張り巡らされた策謀に気付かず、逆に踏み付けるような胆力――「《株札》への適性」に負けた気がした。
うん、私の負けを認めよう。認めて、男子の電話番号は全く知らない事を謝ろう。
乃子は目を閉じ、深呼吸をする。そして、腹を切ったつもりで両目を開き、最初からゲームになっていない事を詫びようとしたが――。
「……友膳さん、あのね、実はわた――でええぇっ!?」
「流石に怒られっかなー……」
いつの間にか誰かに電話を掛けている要がそこにいた。
「ちょ、ちょちょちょ……! 誰、相手は誰……!?」
「相手ですか、相手は――あっ、もしもし、友膳でーす。この前はごめんね、シュシュ届けて貰って……いやいや、こっちが謝る方だし!」
ポカン……、と口を開く乃子。一方の要は雑談もそこそこに、「いきなりなんだけどさぁ」と恥の欠片も知らない風に切り出した。
「いやマジでごめんなさいって感じなんだけどさぁ……今日、私とデートしません? えっ? いやデートデート、人肌恋しくて死にそうなんです。……だよね!? ビックリするよね!? そりゃあそうだよって、アハハハハハハハ! バレた? ごめん、ほんっとうにごめんね! 流石の私もそこまでヤバくないからさ、アハハハハ!」
ふと、乃子は右肩を叩かれている事に気付いた。錆びたロボットのように振り返ると……先程の男性店員が、今度は無表情で立っていた。
「アレでしょ、今――いやぁマジでごめん、死ぬ程ごめんね! アドレス帳探してたらさ、パッと目に入ってね、『流してくれるのはこの人だけだ』って! うん、うん、また今度ね、京ちゃんところのお店で……うん! 今度は早希ちゃんも連れて行くから、はいはーい!」
はぁーあ笑った笑った……ハンカチでスマートフォンの画面を拭きつつ、要はニッコリと笑みながら――。
「いやぁー先輩、駄目でした! クリぼっち確定演出ですね!」
睨め付けて来る乃子と店員の方を振り返り、言った。
☆☆☆
その日の晩――乃子は眉を逆八の字にしながら、日課のスキンケアに勤しんでいたところ、手元のスマートフォンがブルブルと鳴った。要からのメッセージであった。
「……何だよ裏切り者」
彼女にとって、一人でも気軽に電話出来る男子生徒がいれば、例え相手に恋人がいて浮気の余地すらが無くとも、それは重い重い裏切り行為に等しかった。
五分後、ブスッとした表情でスマートフォンを開くと……。
「今日はありがとう御座いました!」という文言から始まる文章に、カフェを追い出された後、イルミネーションの前で二人で撮った写真が添付されていた。
酷く不機嫌な顔をした乃子に、満面の笑みで抱き着く要。背後に大きなクリスマスツリーと、無数に煌めく電飾の数々が、画面一杯に映っていた。
『今日はありがとう御座いました! クリぼっちで死に掛けていた私を救ってくれたのは、他でもない乃子ちゃん先輩です! オマケにコーヒーまでご馳走して貰って、写真まで撮って! ある意味、最高のクリスマスでした!
先輩、来年こそは一緒に彼氏作って、聖夜のダブルデートをぶちかましましょう! 今からプラン練っとくんで、今度確認願いまーす!
それでは、先輩が良い夢を見られるようお祈りしながら、私も爆睡します! お休みなさい!
追伸、写真は待ち受けにしています』
「…………馬鹿だね、友膳さんは」
呟きながら、乃子は困ったような笑みを浮かべ……。
写真のアプリを開いた。急にしたくなった気分転換として、スマートフォンの待ち受け画面を変える為である。
「……年末までだよ、年末まで」
スリープモードへ移行させ、枕元にスマートフォンを投げた乃子。変更された待ち受け画面の効果なのか――。
「……ふふ」
彼女の頬は、何処と無く緩んでいた。
かなめティック・のこシミマス 文子夕夏 @yu_ka
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