かなめティック・のこシミマス

文子夕夏

青春という名の消化試合

 一二月二四日。八時一五分頃の事である。


「おいっす! メリー・クルシンデシネ!」


「やっほー、元気だね今日も」


 天空より綿雪が揺れ落ちるその日を、友膳要ゆうぜんかなめは心から憎んでいた。否、忌避というべきか。


「あれでしょ、たなちん。今日はデートなんでしょ?」


「あぁー……まぁ。ねぇ?」


 たなちんこと棚抱待子たなだきまちこは苦笑いを浮かべ、鹿から目を背けた。棚抱の困惑など露知らず、要は壁に貼られたカレンダーを指差し「あらら?」と戯けたように言った。


「よーっく見たら、なぁんだ今日はクリスマス・イブっちゅー事か!」


 要は爛々と目を輝かせながら手を打った。しかしながら……語気は荒々しく棘の立ったもので、双眼は四方八方から聞こえて来る「今晩の予定」を語る女子達を睨め付けていた。


「まっ、それは良いとしてさ? この前、一緒に行ってあげた、優しくて美人の友達ってだーれだ?」


 二週間程前、棚抱は「付き合う男が片っ端から浮気をするので、何か恋愛の疫病神が取り憑いているのでは」と訝り、嫌がる要を連れて近所の神社へ出向いた。同行の謝礼は既にケーキの形で済んでいるはずだったが――。


「……友膳です」


「ピイィイインポオォオオォンッ!」


 事ある毎に恩着せがましい言動を取ってくる為、実に厄介な友人を持ったものだと彼女は頭を痛めていた。


「という事は、さ。私達の間には掛け替えの無い、いやいや、切っても切れないオリハルコンレベルの友情があるって事でしょ?」


「そ、そうだね。友膳の事は大好きだよ」


「私もたなちんが大好きぃ!」


 だったらさぁ! 棚抱の机を拳で殴った要。周囲の生徒が轟音に驚き、肩を竦めた。


「今日、カラオケ行かない!? 夜通し! 絶対楽しいって!」


「…………ごめん、今日は――」


「理由は?」


 一つに決まっていた。いたにも関わらず、心優しい棚抱は何とか友人を宥めすかし、自分のクラスへ戻るよう誘導してやろう……そう考えていた。


「えっと、ね? 友膳が一緒にお祓い行ってくれたお陰で、とっても優しい人と付き合えた訳で――この前会ったでしょ――だから、今度は長く長く付き合いたい訳で……」


「良い男の条件はぁ!」の女が叫んだ。


「友人間で孤立しないように取り持ちぃ! 『そうかい、それなら今度出掛けようか』と声を掛けてくれる男であってぇ!」


 良い友人の条件――「人の恋路を邪魔しない」をとっくに忘れていた要。


「とにもかくにも、貴様は天使の歌声の代わりに私の熱唱を聴きぃ! 男の手とか色々の場所を握らずマイクをぎゃあっ!?」


 突如として白目を剥き、ゆっくりと倒れていく要。頭部への強い打撃によるものだった。


「ごめんね、棚抱さん。この連れて行くから。デート、楽しんでね」


「……う、うん」


 救世主である要のクラスメイトは棚抱に笑い掛け、微動だにしない要の足を掴んでズルズルと廊下へ引っ張り出した。強制送還となった友人の捲れ上がったスカートを見つめ(パンツは黒かった)、棚抱はホッと……溜息を吐いたのだった。




 一五時四〇分。掃除当番の要は箒に付いたゴミを取るという、一番楽な(迷惑な)仕事に勤しんでいた。他のメンバーは手際良く掃除をこなしていったが、これは「この後の予定」の為であった。


「結局私一人かよ…………チッ」


 果たして――棚抱以外に誘った友人全てが(ホームパーティーが理由の場合、彼女は素直に引き下がった)、という不慮の事態に見舞われた要は、何もかもを諦めて一人で帰ろうかと考えていた。


「はーい終わり、さよならバイバイ来年もよろしくね」


 このまま大晦日まで冬眠していたい……虚ろな目でマフラーを巻き、頼んでもいないのに父親に買い与えられたダッフルコートを身に纏い、要は玄関ホールまで歩いて行った。


「どいつもこいつもイチャイチャイチャイチャ……勉強しろや! 良いもん、偉い私は帰って勉強すっから! クソ!」


 なりふり構わず当たり散らす女、友膳要。口では勉強をすると言いながら、しかし脳内では録り溜めたドキュメンタリー番組を見ようと決めていた。


「……あれ?」


 消火器の一つでも蹴り飛ばして帰ろうか――思いながら下駄箱に到着した要は、を浮かべた、二年生の三古和乃子みこわのこを認めた。


「先輩! せんぱーい!」


 ギクリ、と肩を震わせる乃子。「乃子ちゃん先輩」と呼ぶのは地球上で要だけだった。


「あっ、あぁ……友膳さんかぁ……これから帰るの……?」


 常に気怠そうな顔がトレードマークの乃子だったが……この日だけは、幽鬼のそれに似た相貌となっていた。


「そうなんすよぉ、これから一人でケーキでも貪り――あっ……」


「………………何」


 要の手が伸び、ピーコートのポケットに突っ込まれた乃子の手を引き摺り出した。


「せんぱぁい! !」


「はぁ!? 行かないし! こ、ここ、これから予定あるんだし……!」


 嘘吐くの下手過ぎかよ! 要はゲラゲラ笑い、足を突っ張って抵抗する乃子を無理矢理に引いた。


「乃子ちゃん先輩……もう嘘は良いですって。私達の仲じゃないですかぁ?」


「ちょ、いたたたた! 友膳さんとそんな仲になったつもりは――」


「そ、れ、にっ」


 バチコン、とウインクをした要。長い睫毛に綿雪が載った。


「美少女二人で歩いていれば、ナンパされるかもですよっ?」



☆☆☆



 一七時二八分。駅前通りに面したカフェに席を取った二人は、店長お勧めだという蜂蜜コーヒーを飲みながら、チラリ、チラリとガラス越しに通行人を見やった。


「来ないじゃん。誰も」


「っかしいなぁ……女子高生がコーヒーしばきながら暇そうにしているのを見たら、一人や二人、来るんだけどなぁ……」


 このカフェは座席のタイプが二つある。一つは何処の喫茶店でもある、テーブルを挟んだ形、もう一つは……。


 の為に用意された、通行人から丸見えのガラス張りタイプであった。この座席は通りの側を向いた形で配置され、コップ一つ程度しか置けない小さな小さな袖机が伸びている。そして――。


「……ってか、ここ……スカート見えそうだし……」


ですよ、餌。釣り餌です」


 椅子が妙に高く、短めのスカートならば中身を曝け出すしか無いという危険地帯であった。その為にこの席を利用する女性客はズボンやロングスカートが多く、要達は唯の露出狂に近しかった。


「……うぅ! もう……無理……!」


 顔面を真っ赤に染め上げた乃子は、俄に立ち上がって要の腕を引っ張った。


「奥の席行こ……! もう良いよナンパ待ちなんて! 全く来ないんだもん!」


「あっ、ちょっと先輩! あづづづ! 零れた零れた!」




 二分後、要と乃子は迷惑そうに顔をしかめる店員に懇願し、やっとの思いで奥まったへ腰を下ろした。が、此方の席は此方でが広がっていた。


「…………何で多いの、カップル」


「『イルミネーション見る前に、身体を温めようか』的な?」


「チッ……!」


 これから本番を迎える聖夜に向けて……幸せ顔で暖を取るカップルで溢れかえっていた。密かに期待していたナンパもされず、いよいよ不機嫌になった乃子は俯きがちとなり、ブツブツと呪言めいた何かを呟いた。


「何がクリスマスだよ……日本人なら関係無いでしょ……普通は年末に向けて自らの行いを振り返り、来年も良き一年となるよう願うでしょうが……私なんか去年は般若心経を、一昨年は阿弥陀経を一人で読誦してんだぞ…………あぁ、ふしだらふしだらふしだら……」


「あっ。むっちゃ面白い事思い付いた」


 二杯目の蜂蜜コーヒーを啜り、要が言った。


「……何をさ」


 ギロリと乃子が睨む。年中脳天気な要は全く意に介さず、「見て下さいよ」と周囲の客をコッソリ指差した。


「このカフェ……ボードゲームとかトランプを貸し出していますよ」


 隠れるように乃子が他のテーブルを見やった。要の言う通り、憎きカップル達は楽しげに、実に楽しげにチェスやトランプを楽しんでおり、勝ち負けよりも好きな人と時間を共有出来ている事に重きを置いているようだった。


「……チッ! チッ! 随分と楽しそうだね……それで、一体全体どういう楽しい事を思い付いたの……いきなりテーブルでも蹴飛ばすの……?」


 囀るように舌打ちする乃子。「本当は素敵な彼氏とあそこに座っているはずなのに」と……内心、泣きながら頭を打ち付けていた。


「思ったんですよ、今年はもう、鹿にしようって!」


 毎年が「馬鹿をやる年」である要は、ハッピータイムメニューと書かれた紙を乃子に見せ付けた。


「先輩、一番下をご覧下さい」


「下? 下、下…………えっ……?」


 俄に乃子の双眼が見開かれた。


「こっ……これも借りられるの……!?」


「らしいですよ――すいませーん! 店員さぁーん!」


 間も無く店員が運んで来たのは、手の平サイズの小さなであった。一から一〇までの数字を意味したそれは、例えば《おいちょかぶ》、例えば《かちかち》、例えば《五枚株》という技法を打つ為に存在した。


「先輩。今からこれを使って――どえらい罰ゲームを賭けましょう」


「ば、罰ゲーム…………って?」


 不敵な笑みを浮かべ、要は札を切り始めた。


――さて、先輩は受けますか?」


「…………っ!?」


 その札は、と呼ばれていた――。

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