わすれっぽい男

賽ノ目研助

第1話

 俺は昔から物忘れが激しい。待ち合わせの約束をすっぽかした事なんていくらでもあるし、学校に行けば忘れ物のオンパレード。会う人の顔と名前を覚えられず、毎回名前を尋ねてしまって嫌な顔をされることもあれば、お使いを頼まれて完璧にこなせたことなんて一度もない。とにかく俺は、このわすれっぽい性格にずっと悩まされてきた。

 とはいえ、俺もこの春から社会人になる。社会に出たら『わすれっぽくてすみません』では済まされないだろう。そう思った俺は作戦を練りに練り、あらゆる対策を講じることにした。

 まずは、先方との約束を忘れないようにしなくてはならない。そのために会社のデスクにその月のカレンダーを貼り付けることにした。手帳を持ち運ぶのではどこに手帳を置いたか忘れるし、携帯のメモ機能を使ってもスマホを家に忘れてしまう。でも自分のデスクにカレンダーを置いといて、その月のページを机に貼り付けてしまえばどこかへ無くしてしまう心配はない。自分でもなかなか名案だと思った。忘れないうちにカレンダー買ってこないとな。とにかくこれで約束をすっぽかすことはないだろう。

 次に、会社への忘れ物だ。これは正直どうしようもないことだと思っていた。しかし先日、新入社員の事前説明会でオフィスを案内された時、俺は確信した。デスクの下にあったあの大きな備え付けの引き出しなら、大抵のものは詰め込んでおける。そんなにたくさん詰め込んだら余計にものを失くすと思うだろう?でもそれは違うんだよ。一箇所に収納を絞ってしまうということは、探し物をする時に一箇所だけ探せば良いということだ。これはなんとも嬉しい設備だった。これで忘れ物に関しても問題はない。

 それから人の顔を覚えなくちゃならない。これがどうも苦手なんだよなぁ。どうしても顔と名前が一致しないんだ。そこで俺は高校の恩師に連絡した。多くの生徒を相手にしながらその全員の名前と顔を覚えていた先生なら、何か覚えるコツを知っていると思ったんだ。どうやら先生によれば、その人ごとにあだ名をつけるといいらしい。たとえば額の広い人なら『デコッパチ』、首の長い人なら『キリン』、目の大きな人なら『デメキン』、といった具合だ。ネーミングのクセはともかく、これは面白い案だ。楽しく人の名前を覚えられるし、強烈なあだ名をつければその分記憶に残りやすい。良いことを聞いたついでに、俺が生徒だった頃のあだ名を聞いてみた。すると先生はこう言った。『お前はわすれっぽいやつだったからなぁ。痴呆って呼んでたよ。おかげですぐに覚えられた。』これだけは聞かなきゃ良かったと思ってる。

 まぁそれはそれとして。最後は頼み事をされた時だ。新人は特に雑用として使われることも多いだろう。いつものわすれっぽい俺なら、買い出しや頼まれ事を完璧にこなすことなど不可能だ。でも、これも先日の事前説明会で心配は無用だと感じた。オリエンテーションの時に隣に座っていた、とても真面目そうな『笹塚さん』という女性が、なんと俺と同じ総務部に派遣されると言っていた。これほど頼りになることはない。頼み事をされた時は、彼女も一緒に連れていけば良い。きっと笹塚さんなら、何を頼まれたのかしっかり覚えておいてくれるはずだ。頼りになる人がいてくれてよかった。あの男女別に行われた『セクハラに関するコンプライアンス講座』もしっかり聞いていたからな。ん?男女別?でも笹塚さん俺の隣で熱心に講義聞いてたよな、、、?もしかしてあの人、、、ドジなのか?いや、多分俺の記憶違いだ。あれは男女合同で受けた講義だった。はず。多分。きっと、、、。

 ここまで散々頭を抱えてきたが、これでなんとか問題なく社会人としてやっていけそうだ。いやぁ、我ながらよく考えついたと感心する。今日で俺の長年の悩みともおさらばできると思うと気分は晴れやかになった。

 ん?ちょっと待てよ。俺、何に悩んでたんだっけ、、、?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わすれっぽい男 賽ノ目研助 @psycholo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ