橙髪の少女と終曲の怪物ー冬の聖夜ー

七四六明

特別な夜

 世界でも有数の国立魔導学校。

 その中でも、最も多くの種族を受け入れる第五国立魔導学校にも、聖夜がやって来る。

 学園全生徒参加の夜の祭典。聖夜祭の準備に全員が取り掛かっていた。

「ディマーナぁ。その飾り、右側の方も少し持ち上げてぇ」

「こんくらぁい? アザミぃ、テープで止めてぇ……って、アザミは?」

「ここよ」

「お、ビックリした……何で私のドレスの中?」

「あなたが私に気付かないで、跨って来たからよ」

「あぁぁ……ごめん。またやっちった」

「まったく……オレンジは?」

「え? そういえば、どこに――」

 三人の顔を、熱の籠った風が撫でる。

 冬の寒空から吹き付けられる風とは思えない熱風は、放たれたその場では鉄をも溶かす灼熱であるだろう。

 燦燦と降り注ぐ夏の陽光よりも熱いだろう熱が来た方向を見てから、三人は顔を見合わせて、一目散に駆け出した。

「ホント! 加減を知らないなぁ、あの子!」

 男子学生が一人、大の字に転がっている。

 壁の一部が黒く焼け焦げ、放たれた熱量を物語る正面で、オレンジは困った様子で立ち尽くしていた。

 経緯を説明すると、現在進行形で大の字で転がっている男子学生がオレンジに言い寄り、交際を申し込んだのだが袖にされ、力尽くで従えようとしたところ返り討ちに遭った――と言ったような感じだ。

 聖夜が近付くに連れて、オレンジに言い寄る男子はこの頃増え続けていた。

 聖なる夜が聖人の誕生日から、恋人同士で連れ添い過ごす日にいつから変わったのかは知らないが、その相手にオレンジを選ぶ男子が多く、高嶺の花に手を伸ばしては届かぬまま滑落し、悉くフラれ続けていた。

 たった今フラれた男子に関しては、もう三回目の告白であり、三回もフラれた事で酷薄な現実を受け入れきれず、ならば実力行使でと愚策に出たところ、脆弱な部分を曝け出した次第だ。

「馬鹿! だからおまえには無理だって言ったろ!」

「そら、行くぞ! これ以上恥を掻かせるな!」

 やられた男子学生は、オレンジからみて上級生に当たる。

 彼の同輩らは自分自身ではないものの、上級生が下級生にまったく歯が立たず負けた事実をなかったことにするため、急ぎフラれた男子を担いで走り去っていった。

 一人取り残されたオレンジは、彼らの姿が見えなくなってようやく、反対方向に歩き出す。

 一部始終を隠れて見ていた野次馬が、蜘蛛の子を散らすが如く去っていく事に気も留めず、建物の陰から日の下へと出て、雲一つない空を仰いだ。

 近年は暖冬が続き、昔はよくあったらしいホワイトクリスマスなる現象は見られなくなったと聞く。

 去年のクリスマス。オレンジは雲より高い空の施設にいたから知らなかったが、どのみち白い世界で聖人の誕生を祝う事も、恋人と時間を過ごす事も出来なかったようだ。

 特別、白い世界に興味はない。

 白銀の新雪に囲まれた中でこそ過ごしたい気持ちはないし、聖人の誕生日と言われてもあまりピンと来ないから、クリスマスという日を特別に過ごしたいと、実は思っていなかった。

 クリスマスの日もそうでない日も、同じ事だ。同じように、彼の事を考える時がある。

 彼は今も、一匹も動物のいない霊峰の頂にて、一人孤独を貫いているのだろうか。生きる災害――災禍として数えられた己を、殺す命の無い霊峰に閉じ込め続けているのだろうか。

 そうしているのだろう。そうしているに違いない。

 何も無い霊峰の頂で祈るように目を閉じ、静かに眠っているのかもしれない。

 自分を狩りに来て返り討ちに遭った命を、悲しみに暮れながら処分しているかもしれない。

 もしくは今、自分が見上げている空に続く青を、見上げているかもしれない。彼のいる霊峰なら、冷たい雲の一つや二つくらい、あるのだろうか。

「いた! やっぱりオレンジだった!」

 駆けつけて来たワルツェに手を引かれ、ディマーナとアザミも含めた四人で、逃げるようにその場から駆け出す。

 追ってくる人もいないので、わざわざ全力疾走してまで逃げる必要はないと思いながらも、そんな意見さえ言わせないスピードに付いて行くのに精一杯で、結局自分達が飾りつけを担当していた教室の側まで走り、四人で息を切らす羽目になった。

「まったく……あんた、ホント……手加減って、言うのを、覚えなさいっての!」

 ディマーナに頭を小突かれた。

 痛くはないのだが女性にしては大きな手で、男の人のそれに似て硬く、さながらあの外道魔術師に小突かれた時を思い出して、少々懐かしい気持ちになった。

 ただしあの人は加減も何もしてくれなかったから、本当に痛かったが。

「上級生を黒焦げとか……オレンジって凄いけど、正直怖くなっちゃうわ」

「まぁ、それでもオレンジ人気は凄いけどね……これで何人目だったっけ?」

「……さぁ、数えてなかった、から。わからない」

「逆にさ、そんだけ言い寄られてて、この人良いなぁとか思った事ないの?」

 ディマーナの質問の意味が分からず、オレンジは首を傾げる。

 理解させるための説明としてどんな言葉が適切なのか迷いながら考えたディマーナは、ふと雲一つない空に視線を配った。

 あぁ、今年はやっぱりホワイトクリスマスではないんだな、と思って、そのときふと、思い付く。

「私、ホワイトクリスマスって夢見てたの。雪が降り積もって、真っ白になった街。一年に一度だけ来る、世界が認めた聖なる夜に、自分の今の家族と一緒に過ごせる事も充分嬉しかったけれど、いつしか、に憧れてた。みんなが特別な誰かと一緒に過ごしているのだから、私も過ごしたいって、だから……」


「私が特別な時間を過ごしている間、オレンジにも特別な時間を、特別な人と過ごしてて欲しい。そうなったら、どんな人と過ごしたいのかって話」

「特、別……」

 やはり聖夜は特別なのか。

 聖人の誕生日というだけでなく、ただ恋人と過ごす日というだけではないのか。やはり理解し切るのは難しい。

 難しいが、ディマーナの言いたい事の半分くらいはわかったような気がした。

 家族でもない。友人でもない。他の誰にも出来ない形で自分へと干渉する権利を有した人と、世界が特別とした日を過ごす。

 ただそれだけの事なのだ。

 難しく考える必要などなく、考える意味などない。

 ただ特別な人と、特別な日を過ごすという幸福を感じ得たい。ただ、それだけの事。

「……私を、特別としたい方々には、申し訳ない事をしたかもしれません。でも――」

 でも?

 その先の言葉は決まっている。

 だが果たして、言ってしまっていいのか。

 その言葉を明白にしてしまう事で、発言し、決定付けてしまう事で、捕らわれるものがあるのではないのだろうか。

「でも、私にはまだ、特別な方と過ごす夜と言うのは……遠い、から」

 だから、濁した。

 自分の中でもまだ明白でなく、明確でなく、明瞭でなかったからだ。

 明らかな物が何もない状態で、口にしていい一言ではないと思ったからだ。


  *  *  *  *  *


「メリークリスマス! みんなぁ、盛り上がってるぅ?!」

 その夜、聖夜祭が始まった。

 親しい同輩同士、友人同士、そして恋人同士で聖なる夜を過ごす。

 ディマーナは賞金目当てに男女混じっての腕相撲大会に参加し、腕っぷしに自慢のある男子と真っ向から勝負。

 アザミはお酒を呑んで饒舌になった先輩方と、最近の薬学研究に関して真面目な議論を交わしているが、案外楽しそう。

 ワルツェは友人や先輩らに半ば無理矢理にドレスを着せられ、着飾られた姿で写真を撮られていた。今年の学園一の美女を決めるとか聞こえたが、オレンジにはよくわからない。

 彼女達も最初はオレンジの事を探していたが、オレンジの姿はそのときすでになく、その場にいたワルツェに白羽の矢が立った状況である。オレンジは祭りが始まってまもなく、女子寮の自室に閉じ籠ってベッドに寝転んでいた。

 疲れた、のかもしれない。

 確かに祭りの準備には身体的疲労が生じたし、最近男子生徒によく声を掛けられるから、精神的疲労も溜まっているのかもしれない。

 が、疲れたのかと問われると否、と首を振っただろう。

 祭りが楽しめないのも否。場に馴染めない――は、あるかもしれないが、おそらく否。

 ただ、そこにいたくないだけだ。

 我儘、なのかもしれない。だがとにかく、その場にいるのが嫌だった。

 男性から声を掛けられるのも、よくわからない話を持ち掛けられるのも嫌だった。昼間、あんな話をしたからかもしれない。

 いつもは何も思わないのに、いつもは何も感じないのに、あんな話をしたからか。でも、まで言いかけたからか。

 だから、オレンジはベッドを飛び出した。

 逃げるように部屋に閉じ籠ったと思えば、急に部屋を飛び出して行ったのを見て驚く寮母の顔など目もくれず、日中ずっと飾り付けていた校舎をも背にして、フィールドワークが行われる近くの湖へと走り出す。

 冬の、それも夜の湖はとにかく冷たく、寒く、間違いなくわざわざ行くような場所ではなかった。でもだからこそ、会えると思った。

 居るなんてことはない。だから、昼間呑み込んでしまった言葉を、誰にも聞こえない場所で、誰にも聞かれない場所で、思い切り。

「私と! 今日を……過ごして、くれますか!? 私と今、一緒に……居てくれますか? レキエム、さん……!」

「無論である」

 瞬間移動でもしたかの如く、彼は音もなく現れた。

 湖の底から這いあがって来たと思う方が理に適っている気もするが、実際は霊峰から飛んできてくれたのだろう。

 そうも思わせない速度で飛来して来た漆黒の災禍は、湖に一つ波紋を広げただけで音もなく、夜の静寂を護って水面の上に降り立った。

「其方から私を呼ぶとは、珍しい事もあるのだな……聖夜の奇跡か」

「……そう、かもしれません」

 さながら、怪物が少女を喰らうために迫っているかの様にさえ見えるが、二人の間に畏怖はなく、恐怖もなく、寂寥もない。

 怪物は少女を自身の胸の中に押し付け、少女は怪物の黒く冷たい肌をなぞるように触れる。

 そこに怪物と少女はいない。かといって互いを想い合う恋人同士もいない。そこには互いを想い合いながら、自分の中に生じる感情を理解し切れず、操作し切れない二つの異形だけがいた。

「今日と言う日は、誰もが特別な人を求める日と聞き及びました……だから私も求めていいと言われました」

「そうか」

「けれど、思い付きません。私は、私にとって何が特別に値するのかわかりません……博士もいません。義姉あね達も。あの方達は私にとっては家族と同じで、それもまた特別なのでしょう。でも、周囲が求めて言う特別は違うと言うのです。私は、私はますます、訳がわからなくなってしまって……」

「それで、私を呼んだのか」

「……あなた以外に、思い付かな、かった、から」

「……そうか。が、嬉しく思う。少なくとも、其方の中に、私はいたのだな」

「はい。あなたが――レキエムさんが、居て下さいました」

 聖夜。

 家族と過ごす者。

 友人と過ごす者。

 恋人と過ごす者。

 そして、一人で過ごす者。

 しかし誰もがこの夜、この日にだけは特別を求める。それは贈り物であり、時間であり、人であり、場所であり――夜、そのもの。

 故に少女が怪物を求めるのも、怪物が少女を求めるのもおかしな事などない。

 ただ世界が求める特別な夜を穢さぬよう、聖なる夜を冒さぬよう、二人は影すらも潜めて出会い、語らう静寂の夜を過ごす。

「あぁ、そうです……肝心な一言を、忘れていました。何でもこの言葉を言わないと、聖夜は始まりすらしない、と」


「メリークリスマス。今宵はあなたと、素敵な夜を」

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