第4話

 それから大分経った頃だろうか、彼女は絵を描きに戻り、私は本を読んでいた。ちりんと音が鳴り、本日三度目の訪問者を知らせる。

あぁ、嫌な予感がするな、と思いつつも勝手に入ってこられるのは困るので玄関へと向かう。玄関に居たのは二人、私と同じくらいに見える男女だった。見覚えがあるような気もする。


「お久しぶりです、フジタさん。うちの娘を返していただけませんか?」


アマネさんの親、私の名前は弟さんからきいたのだろうか、いや、どこかで。

あぁ……思い出した。私がこしてきた時に、機械のない家を見ておすすめの機材を教えてくれた人達だ。必要ないと言ったら怪訝な顔をして帰って行ったな、名前は何だったか……。


「お久しぶりです。返せ、とは?」

「そのままです。うちの娘に何か吹き込んだのは貴方ですね。」


彼女のやりたいことを否定し、追いやったのは貴方達だろう。


「彼女はやりたい事をやるために望んでここに来ています。親御さんといえど止める権利は無いのでは?」

「それこそ他人の貴方には関係ない。」

「家族も他人のうちでしょう。」


まぁ、ここで言い合いをしていてもしょうがない。


「声をかけてくるので少し待っていてください。」


そこに居てくださいね、相手が何か言おうとする前にそう言い立ち去る。


 ノックをしてから声をかけて少し待つが返事はない。作業に集中して聞こえていないのだろうか。もう一度、今度は強めにノックをする。するとバタバタと足音が聞こえ、扉が開く。


「フジタさん!」


その表情はさっきとは裏腹にとても明るく晴れやかだった。


「何かいいことでもあったのかい?」

「ええ、うん、あのね。完成したんです。」


嬉しい、楽しい、そんな感情しか持っていないというように笑顔を浮かべる。傑作が生まれたのだろう、きっと私が想像しているより何倍も素敵なものが。


「そうなんだね、それは私も見ていい物かな?」

「はい、はい! それは勿論! フジタさんのためにずっと描いていたんです!」


それはすごく楽しみだな、いつ見れるんだろうか。


「アマネ。」


声を聞いた瞬間アマネさんの目が見開かれる。背後を振り向けばアマネさんの親が立っていた。


「待っていてくださいとお願いしたはずですが。」

「貴方がいつまでたっても来ないからでしょう。」


そんなに時間をかけていたわけでは無い、随分と気が短い人のようだ。


「アマネ、早く帰るわよ。」

「か、帰らない。」

「帰るの。」

「お互いが思っていることを話してみたらどうです? 帰れといきなり言われたら戸惑って当然ですよ。」


音がどんどんきつく、強くなっていくのを見ていられず間に入る。親が来た時から私の後ろに隠れていたアマネさんが喋り始める。


「わた、私は帰りたくない。だって帰ったら母さんたちここに来れないようにするでしょう?」

「当たり前だ、素性も知れないような人間のところに行かせられない。」

「そうよ、何かあったらどうするの。」

「フジタさんはそんな人じゃない!」


ギャッと噛みつくように反論をする、どうやら私はこの期間の中でちゃんと彼女の信頼を得られていたようだ。


「アマネさん落ち着いて、親御さんたちはどうして彼女がここに通っていたのか理解していますか?」

「ただの反抗期でしょう。親の言うことに歯向かいたいだけです、本当は何が最善か分かっているはず。だろう?」

「違う! 私は、私は……。」


これ以上言っても無駄だと、今まで言っていたことが1mmも伝わっていなかったと、そう感じたのだろう。彼女は顔を伏せ黙り込んでしまった。


「彼女は冬の終わりごろからここに毎日通って絵を描いています。毎日毎日キャンパスに向かうというのは反抗心だけで出来ることでしょうか?」


彼女の父親はふんと鼻を鳴らし喋りだす。


「この子が頑固なだけです。半年近くもやっていたんだ、もう満足でしょう。」

「彼女が満足していなければ続けることを許可していただけるんですか?」

「そうは言っていません。」


パチッと火花が走ったような緊張感に包まれる。


「では、どうすれば彼女が本気だと信じていただけますか?」

「本気でないのだから信じるも何もないでしょう。」


馬鹿を言うな、と怒鳴りつけたくなるのを押さえつける。


「貴方がたは彼女を見ていないんですね。」

「馬鹿なことを言わないでください、生まれてからアマネをそばで見守っていたのは私たちです。」

「それが本当に見ていると言えますか。」


このままだと平行線のままだ、どうにか許可をもぎ取ってあげたいけど……。


「じゃあせめて時間を頂戴。もうちょっと、もうちょっとだけでいいから。」


背中からか細い声が聞こえる。振り向けば彼女は下に顔を向けたまま、それでも必死に声を出していた。


「彼女の言う通りです。もう少し好きなことをしてもいいでしょう。」


言い募ろうとする相手を無視し、言葉を続ける。


「言うことを聞いて欲しいだけならロボットで十分です、でも彼女は人間で感情も欲望だってあります。やりたい事をもぎ取られていけば人はどんどん虚ろになっていきますよ。」


そう言えば何かが引っ掛かったのかグッと言葉がつまる。


「分かりました、いいでしょう。」


望んでいた言葉がようやく出てきたことに強張っていた肩が緩まる。


「しかしここではなく別の場所を用意します。それでいいな?」


アマネさんが驚いたような声を出すが、せっかくのチャンスをふいにするわけにはいかない。


「大丈夫です。アマネさん、貴方に渡した画材はもう貴方のものだから持って行ってもいい。後悔をしないように精いっぱいやりなさい。」


目を見て話せば彼女は戸惑いながらもうなずいてくれた。


「絵は区切りがついた時に買わせてくれませんか。私は貴方の一番最初の客になりたいんです。」


それまで取り置きでお願いします、そう言うと彼女の顔がぱぁっと明るくなり首を縦に振ってくれた。

いつになるのか分からないが気長に待とう、彼女の絵がどれほど素敵なのか想像でもしながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人はいつも 草谷奈々 @kusagaya_7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ