第3話
最近空気に湿り気が混じり、洗濯物が乾きにくくなった。もうじき梅雨入りもするのだろう、そろそろ乾燥機を使い始めた方がいいのかもしれない。
「フジタさん、こんにちは!」
「やぁ、こんにちは。」
荒々し気に扉が開けられ、アマネさんから大きな声で挨拶をされる。湿り気が増すのと比例するように彼女は不機嫌な日が増えていた。しかし私に苛立っているようではないみたいなので、話してくれるまでは触れない方がいいかと傍観を決め込んでいる。
挨拶もそこそこに彼女は奥に進んでいく。こういう時の彼女は、自分の作業スペースに向かい落ち着くまでジッとしているようだった。
ちりん、とまた音が鳴る。
アマネさん以外に人が来るなんて、と玄関に顔を向けてもそこには人が居らず、庭が見えるばかりだった。風に扉が持っていかれたのだろうか。
「おいジジイ! どこ見てんだよ!」
ぎゃいぎゃい噛みつくような声を辿って目線を下に下げれば、小学生くらいの男子が立っていた。身長的に一、二年生ぐらいだろうか。生意気盛りの年齢だけど、この子はどうやら特にそうらしい。
「初めまして、君は見学に来た人かな?」
「ちげーよ! アマネここに居んだろ? 出せよ!」
目線を合わせたり、いつもより声を柔らかくしたりして警戒心を解こうとしたが全く効果が無いみたいだった。自分の要件を言うが早いかズンズンと中に入ってくる、自分のテリトリーに土足で踏み入られるのは決していい気分ではない。それには大人も子供も関係ない。私の横を通り過ぎようとした彼の腕をつかむ、彼は驚いて振り払おうとするが子供に力で負けるほど私はヤワではない。
「君は何しに来たんだい?」
離せと暴れる彼に声をかける、離さない私へムキになっているのか答えは返してもらえなかった。しばらくたち、彼が落ちついたのを見計らい声をかける。
「もう一度聞くよ。君は、何を、しに来たんだい?」
彼は何も言わない。聞き方を変えてみようか。
「君はアマネさんの知り合い?」
また彼は何も言わない。アマネさんに確認をとっても良いが、あの状態の彼女のところへこの子を連れて行って喧嘩をされたら困るのは私だ。さて、どうしたものかとため息が出る。
「おとうと。」
ぽつ、ととても小さい声で言うものだから危うく聞き逃してしまうところだった。
「アマネさんの弟さんなのかい?」
こくりと頷く。さっきの様子とは打って変わってしおらしくなったのは何故だろう。
「何でここに来たんだい?」
さっきも聞いた質問をまた投げかける。しかしこれには答える気が無いらしい、また黙りこくってしまった。
「フジタさん、私コーヒー淹れますけど、フジタさんは飲みます、か。え、アルバ?」
喋りながら歩いてきたアマネさんが驚く、それと同時に手を思いきり振り払われ弟さんが彼女の後ろに隠れる。どうやら本当に姉弟だったみたいだ。
「何でここに居るの。」
「アマネが急に家出てくって言って飛び出すからだろ!」
「あんたには関係ないでしょ!」
そう言って二人は言い合いを始めてしまった。完全に蚊帳の外になった私はどうしようか。
アイスコーヒーの乗った盆を持って元の場所に戻るとアマネさんの姿しか無かった。
「さっきの彼は帰ったのかい?」
はい、とグラスを渡す。
「ありがとうございます。弟は帰らせました。」
「アマネさんを迎えに来てた風だったけど良かったの?」
そう聞くとさっきの余韻が残っているのか、ツンと顔を背けられてしまう。
「いいんです。そもそもあいつが私の話に突っかかって来るから今日イライラしてたんですし。」
「そうなんだね、一体何を言われたんだい?」
そう聞けばストローでかちゃかちゃと氷を弄びながらも話してくれた。
絵でお金を貰う仕事がしたいこと、親に反対されていること、それによってチクチクと嫌味を言われるようになり、そういう態度が弟にまで伝染していったこと。
「そろそろ進路を決めなくちゃいけないから最近そんなんばっかりで……。」
「それは確かにしんどいなぁ。」
「成績が良くってもその道に進むかは自由なのに、決めてくるなんておかしいですよね。」
でも親の気持ちが分からない訳じゃない、いくら進歩したって崩壊というものは案外すぐ近くにあるものだ。来るかもしれないその時のために特別手当ての貰える職業に就かせたいと考えるのもしょうがない。だからってアマネさんの親が彼女にしたことは褒められることじゃない。それに、いや、これはいいか。
「シロップ使うかい?」
「使います。」
シロップを混ぜ終わると一気に飲み干した、やけ食いならぬやけ飲みかな。幼い友人の年齢相応な一面を見て微笑ましくなってしまう。
「すみません。」
自分も飲もうとしたときに声がかけられる、謝るようなことをされただろうか?
「なんで謝るんだい?」
「アルバに、弟にこの場所がバレたから、です。口止めはしたけどアイツは言うだろうし、そしたら親がここに来てフジタさんに酷いことを言うかも。」
うちの親は言葉が強いから、そう言って空のグラスを握りこむ姿は本当に申し訳ないというのが伝わってくる。なだめるように背中をぽんぽんとさする。
「も、もう私っ、ここに、来れないかも。」
喋りだした時から少し涙声だったが、耐えられなかったのだろう。途切れ途切れにしか喋れなくなっても、必死に泣いていることを悟らせまいと取り繕っていた。
「大丈夫、大丈夫だよ。君が来たいなら来ればいい。子供とその子がやりたいことを守るのは大人の仕事だから。私のことは気にしなくていい、もし力が必要なら手伝おう。」
だから安心してやりたいことをすると良い、それはきっと君に必要なことだから。
寝かしつけるようにゆっくりと話す、鼻をすする音が聞こえなくなり引きつっていた呼吸が落ち着くまでそうしていた。
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