第2話
自分の考えをまとめるのはなかなか難しい、それが周りも関係することならなおさら。もしかしたら今日中に返事は貰えないかな、まぁそれでもいいか。焦って決めるようなことでもない。
読んでいた本のページをまた一枚めくる、向かいに座る彼女は抱えたコーヒーに映る自分と見つめ合ったままだった。
「あの……。フジタさん、さっきのことなんですけど。」
視線を正面へ向けると真っすぐにこちらを見つめる目とかち合う。
「なんだい?」
「本当にご迷惑になりませんか?」
「ならないよ、むしろ話相手が出来て嬉しいくらいだ。」
そう答えると、彼女はハッとしたような顔になった。私は話し続ける。
「でも君も知っているだろう? 私はこの町で変人だと言われてる、時代に逆行する偏屈屋のじいさんだってね。そんな人間のところに来るのは不安じゃないかい?」
私が一番心配していたのはそこだった。機械化が完了したこの時代に、手間のかかる前時代の遺物ばかり好む変人、それが私の扱い。
そして変人と関わる人間は同じようにそれに類する人間だと思い込む、どれだけ時間を重ねても、どれだけ世代を重ねても変わらない人間の悪い考え方だ。
「理解は、しています。でも描きたいんです。あの画材で、ここを描いてみたい。そしてその絵をフジタさんに、見てもらいたいんです。」
言葉を一つ一つ自分の中で確立していくようにアマネさんは話す、その間彼女の目がそらされることは無かった。私から忠告することはもうない、ゆるりと口元が緩み彼女が言ったことを了承した。
次の日から彼女はうちに通い、絵を描くようになった。日によるが果物や石膏の置物を描いているようだった。でも私にはまだ見せてもらえていない、一度頼んでみたが「見せたい絵はもう決まっているからそれまで待っていて」と言われてしまった。そう言われてしまえば無理に見ることも出来ず、私に出来るのはいつものように展示品を綺麗にすることぐらいだった。
あぁ、いや、変わったこともあるな。片付けていると彼女が手伝ってくれることがあり、これは何、あれは何、と話をすることが増えた。あとは、一緒にコーヒーを飲んだり、日によっては紅茶を飲んだりかな。
この時も一緒に片づけをしていた。
「フジタさんフジタさん、これなんですか?」
声をかけられ振り向くと彼女は古い本を抱えていた。懐かしい、その本は私のお気に入りだった。
「あぁ、その本か。それは小さい頃に挿絵が気に入って物置から引っ張り出したものなんだ、文を理解したのは大きくなってからだけどね。ほら、綺麗だろう?」
本を受け取り、紐のしおりが挟んであったページを開く。そこには存在しないとされている、いわゆる幻想生物の挿絵と日本語と時々英語が混じった文章が書かれてある。
「これ、なんですか……? こんなの見たことない、それにこの文字って。」
「これはドラゴン、そしてこっちの首が八つあるのがヤマタノオロチ。この本はいわゆる幻想生物というものが書かれているんだ。文字は旧言語の一つの日本語と英語が使われているね。」
うん? 二つ使われているんだから、旧言語の二つって言った方が適切だったかもしれないな。またそんなどうでもいいことに思考を飛ばしていると、大きな声で名前を呼ばれた。
「フジタさん! あの、これ、こういう本って今は処分対象になってるんじゃ。」
その言葉に私は曖昧にほほ笑む。彼女は授業で大半の生徒が関係ないと聞き流すこともきちんと聞くタイプのようだ、彼女の言う通りこの本は今処分対象になっている。見つかれば取り上げられ、燃やされる。科学が証明したことのみが事実のこの世界で不可思議なものは不要、それが人間の出した決断だった。でも私はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。
「信じてるんですか?」
彼女が恐る恐るといったふうに口にしたのは何度も聞いた言葉だった、あり得ない、変人だ、そういう感情の張り付いた顔をしているのだろう。本に向けていた目線を彼女の顔に戻すとその表情は、この流れで向けられたことの無いものだった。何かをこうような、期待するような、そんな顔をしている。
「あぁ、信じているよ。」
「そう……なんですね。」
ふいっと顔をそらされる。さっきの表情は私の願望だったのか期待だったのか、どちらにせよ勘違いだったらしい。肋骨の隙間を悲しさのような冷たい感情が吹き抜けていく。
「この本、すこしお借りしてもいいですか?」
顔をそらしたままそう聞いてくる。
「勿論……と言いたいところだけど、外に持ち出したり傷つけないと約束出来るかい? 大切な本なんだ。」
「分かりました。」
正直不安ではあったけど、この短い期間なりに彼女の性格は少し把握しているつもりだ。大丈夫だ、ちゃんと返してくれる。
そうは言ってもやはり不安なものは不安で、片付けしている最中も気になってしまいあまり進まなかった。いつまでもそわそわしたままではいけないと、いつもコーヒーを飲んでいる部屋へ向かう。そこには彼女が居て貸した本を読んでいた。外に行かれていないことに安心しつつ、コーヒーを入れる準備をする。あれだけ集中していれば甘いものと飲み物が欲しくなるだろう。
私も何か本を読もうかな。
ダメだ、本を読もうとしても目が滑って全く内容が入ってこない。諦めて何か他のことをしようと思っていると、斜め向かいからパタンと本を閉じる音が聞こえる。
「どうだった?」
「えっと、あの、そうですね……。不思議だなぁ、としか言いようが無いですね。すごいですね、これ考えた人。存在しないのに生態が書けるなんて。」
傷つけないように言葉を選んでくれてるのだろう、優しい子だ。
「本当に存在しないと思うかい?」
「それは、そうなんじゃないですか? むしろ化学現象だったことが証明されてますし。フジタさんは存在すると思っているんですか? もしかして見たことがある、とか?」
「いや、見たことは無いんだ。これからも見えなくていいと思ってる。」
「じゃあなんで。」
そう理解が出来ないというのを前面に出されても私の中で答えは決まっている。
「そっちの方が楽しくなる気がするからだよ。目に見えるものだけが、証明できるものだけが全てじゃない。そう思っていると心が豊かになる気がするんだ。」
夢が無いまま生きるのはちょっとしんどいだろう? と続けると彼女の眉間のしわが少し緩んだ。
「それは……ちょっと分かります。」
そう言って置いておいたコーヒーを飲もうとする。
「あっ、先にこっちだ。本貸してくださってありがとうございました。」
こぼしたらいけないと思ったのかコップを置いて本をこちらに渡してくれる、そういえば旧言語なのに読めたのだろうか。
「旧言語だったけど文字は読めたかい?」
「はい、日本語は学校でやるので。少しなら。」
「へぇ、今はすごいね。」
「フジタさんの時は違ったんですか?」
「うん、大学の専攻じゃないと勉強できなかったよ。」
へぇ、なんて会話が続いて、お互いのコーヒーが空になる頃には感じていた居心地の悪さはもう無くなっていた。
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